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斎藤由多加のブログだよ

忌野清志郎さんのこと RCサクセションのこと 学生時代のこと

ただの日記

Dictionary(桑原茂一さんが発刊しているフリーペーパー)で、「タバコをやめた。いままでなんでやめなかったのか不思議なくらいハイな気分である」といった発言を読んだとき、「そうか・・」と思ったのがいまから2年ほど前のことでしょうか・・。
闘病していることは知ってましたが、なんとなくブルーな気分になった。忌野清志郎さんには、じじいになっても悪ぶっていてほしかったから・・。

結局それから一度もライブをみることができないまま、今日他界したという連絡が入り、なんとも悲しい気持ちでいっぱいなのです。
今日のこのブログは、何のとりとめもないまま、ただ思い出したことを羅列することにさせていただきますんで。どう整理したらいいのかわからないものですから、とりとめのない内容をご容赦ください。

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高校時代はほとんどRCサクセション一色というほどの大ファンでした。
ラブソディーというライブアルバムを聞いてからのことです。あの声に嫌悪感を覚えるという人も多いでしょうが、最初はぼくも「え?」と思いましたし。
このLPのド頭オープニングの「よぉーこそ」は、歌詞そのものがメンバー紹介の曲ですけれど、こういう個人的なことがそのまま歌詞としてJASRACに登録されてしまうという展開も当時としてはすごくインパクトがあった。レコードに収録される曲というのはもっと普遍的でしっかりとした詩でないとならないという常識があったのだけど、メンバー紹介の曲に、いとも簡単に壊れた。
何でもかんでもがいままでと違う、ある種の違和感の塊だった彼らRCは、しかし不思議なもので、あっという間に認知され不思議なほど人気者になっていった。

東大の合格発表の日、高校が受験校だったせいで発表の場は同級生だらけでした。もちろん僕は不合格だったのだけど、調子に乗って胴上げしてもらっていたら、週刊読売がインタビューしてきた。そのまま合格者まのふりをして答えていると「尊敬する人は?」という質問をされて思わず「忌野清志郎」と答えたら僕は写真とともに合格者としてそのまま週刊読売に掲載されてました。メディアって身元確認しないんですね。母親は「親族の恥だ」、と嘆いていた。

大学時代になって、RCが「夜のヒットスタジオ」に登場するという日、(すでに初出演じゃなかったと記憶していますが)、この日は自宅でビデオ録画をスタンバイしてました。新曲「サマーツアー」の演奏中チャボがカメラにガムを吐きかけたことに視聴者のクレームが殺到したのしないのと騒ぎになったそうですけれど、そういうのが僕らがとても痛快だった。

大学生の時代の僕はライブハウスに入り浸っていて、どういうわけかそのうちに、憂歌団のファンクラブの代表を引き受けてしまい(これはほんとに割の合わない仕事でしたが)、役得でジョイントライブの楽屋などで忌野氏にもお会いすることもありました。憂歌団のメンバーは誰もが酒好きな人でしたけれど、忌野さんはじめRCのメンバーは宴会などにはあまり積極的に出ないという印象があります。たぶん、あまりお酒を飲まない人だったんじゃなかろうか。チャボさんの曲に「チヤンスは今夜」という、巡業先でグルーピーとわるさするぜという曲があったけど、皆さんとても真面目という印象があるんだな。

その後、千葉の公民館のライブでは「ポルシェ飛ばして来たぜ、イェイ」と叫んだときは、「もうこの人はポルシェ乗る人になっちまったんだぁ」と残念に思った記憶もある。遠くにいってしまったというか、やっぱキヨシローは高円寺あたりで風呂なしのアパートに済んでてもらいたかった、みたいな・・。

その点ドクトル梅津さんは、いつまでも中央線沿線の雰囲気の人でした。この人は生活向上委員会という変わった名前のホーンセクションのサックス奏者の人です。RCのバックホーンをやってました。へんな名前や風貌とはうらはらに、かなりかっこいいサックスを奏でる人で、要するにアホみたいですけど皆さん実はすごく真面目な人だったという話。 とにかくみなさん、業界に毒されておらず、実はすごく真面目な人というのがRCの周囲の人たち共通の印象です。

若い、RCのマネージャーさんにも飲みに連れて行っていただいた記憶があります。それがどこのバーなのかは覚えていないけれど、そのバーでは坂本龍一氏が某女性タレントを口説いている光景に遭遇し、学生の僕はたまげたものです。

社会人になっても、とにかく、こういう人脈での飲み会は楽しかった。しかし写真も残っていないし、ただただ酔っぱらった記憶があるだけ。もしかしたら、夢だったのかもしれないなぁ。たしかにそういえば、憂歌団の渋谷のライブの打ち上げで座敷の隣にふつうに座っていた青年がブルーハーツヒロト氏だったので、紙ナプキンにサインをもらったら、下手な字でただ「ヒロト」と書いてあるだけだった。翌日会社の女の子に見せたら「こんなサインあるわけないよ。斉藤さん嘘ついてる」と信じてくれなかったし・・。

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なにか脈略のない文章となりましたが、僕の人格形成上、いや、僕だけじゃなく日本の四十代の人格形成において、忌野清志郎という人はとても影響していて、つまるところ、いまの日本の要となる世代はみなこの人に毒されていたのです。

忌野清志郎さん、さようなら。ありがとう。