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斎藤由多加のブログだよ

やっぱこれしかないんだな

たくさんの人に心配をかけていたようだ。
自分のような人間が人に心配してもらえることを妙に幸せにおもった。

僕は、とりたてて魅力的な人間ではない。
こと最近、自分に自信をもっていない。
僕という人格をもった人物がもうひとり別にいたら、とても嫌いになっているだろう、と思うことが多くなった。
もっと具体的にいうと、この年齢まで、自分をかいかぶって生きてきたとでもいいましょうか、思っているほど自分は魅力のない人間であることによく気づくようになった。

そんな僕を見切って離れていった知人も過去多くいる。
でも僕本人はというと、自分自身を去るわけにはいかない。
いやがうえにもこれからもずっとつきあっていかなければならない。
そこにあるのはどうすることもできないやるせなさである。
誰しもが感じたことがあろう挫折感とも共通しているのではなかろうか。

だけど、死を意識したときに、ふと、そんな自分に感じる「おつかれさま」にも似た同朋意識と、すこしばかりの愛着を発見したのである。新居にいざ引越しという時になって、いろいろと苦労した狭い部屋に感じる郷愁に似ていた。日々の中にうもれて、いざ去るときはじめて思い出す本来の思いというか。

リエーターというのは、その人間性が見切られると、作品の魅力までなくなってしまうものだ。総論でも各論でもね。だからクリエーターはファンの人とは直接会わないほうがいいという説もある。ファンを一人失うことになりかねないから。

でも、僕の場合はプロデューサーでもあり、そしてまた社長でもあるから、どうしても苦手な状況で人と会わなければならないことがおおい。そこで細かいお金の話もしなければならないこともあるし、いやなことを無理強いしなければならないことも多々ある。嫌われ役となるのが仕事である。
あたらしく入ってきたスタッフや外部の方から「想像していた人とイメージちがうなぁ」みたいな雰囲気が漂ってきたときが一番つらい。仕事を恨んだことだってある。

それでもやらなければならない、伝えなければならないことがあるから、しかたなくそうしてきた。

それらの厄をすべて払ってくれるものが日常の中にひとつあるとしたら、つまり正当化する機会があるとしたら、それは「結果を出す」でしかないようだ。
長期間、多くのスタッフに無理を強いてきても、いいものができあがってヒットすれば、なぜか免責となる。それによってスタッフの人生も報われる。逆にヒットしなければ、「ほらみたことか」となり、「あいつとは仕事をしない」となる。
結果というのはそれくらい冷酷で、かつ雄弁である。

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最近ひとつだけ気に入っている古い言葉がある。
「継続は力なり」という言葉である。

ひとつを失敗して結果をだせなかったとしても、信じたことを続けていれば、そしてそれが本当に正しければ、振り返って価値を見出してくれることがある、という意味に理解している。いや、そうであってほしいという、ほのかな願い、と祈り。

セールス的には空振りだった「大玉」。たいへんな苦労から愛着も深い。
この「大玉」、不思議なことに、ここにきて見方が変わってきた気配がある。
「企画としては決して間違っていない」と任天堂のO氏はなんども言葉にして僕に語ってくれていた。彼なりの愛情表現ととっていたけれど、最近になって次世代機にむけての話も出るようになった。氏がそれに肯定的であることにとてもありがたく思った。

氏もその一人であるのだけれど、どこかのどなたかがこのブログへ寄せてくれたコメントをみていると、こんな僕に期待してくれている人がいるようだ。このたびの一連の件は、堕落したクリエーターへの鞭である。
そういう人の厚意にものづくりで答えてゆくのも、人として、クリエーターとしてのつとめである。