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斎藤由多加のブログだよ

「態度の度合」の究明報告

漢和辞典にも何ものっていなかったけど、一晩考えてやっとわかりました。「態度」が何の度合いの意味なのか・・。そもそもこんなこと一晩考えている状況じゃないのだがね。

さてその結果だが、「態度」の度は、採点結果の点数という意味である。その意味ではやはり「温度」や「湿度」と同じように、度合いを示すカテゴリーの言葉である。

ではどういう度合いなのでしょうか?
それは、他人に対してその人の振る舞いの品位の点数という意味です。つまりね、観察者が「振舞い方がよくないぞ」「気に食わないな」という意味なのですが、そう表現したのではあまりにも観察者一人のエゴとなってしまう。これでは説得性がなくてよろしくない。仲間を集い対象者を叩くための大儀とはならない。日本社会ではなにをするにも仲間と大儀が必要なのであるからして。

そこでこれを「度合い」として客観の事実としたいわけである。

「気にくわない」を言い換えて「品位の点数がよくない」とするといかにも大儀となる。国会でいちゃもんをつける際に「国民の血税をつかって・・・」と野党がいうのと同じでね。

それで、態度、である。
今回の究明結果は、我ながらの大発見となった。
じゃみらの死亡年度が1994年だと、科学特捜隊の本部が練馬区中村橋だと、特定した功績に匹敵するかもしれない。(くわしくはまた今度ね)

この手の表現のすげ替えというのは、よくよく見回すと周囲にいっぱいある。小さいチームは気をつけないと悪者にされてしまうよ。
たとえばね、新規事業を提案してほしい、と依頼してきた企業から、
「いただいた提案は検討した結果、当社のドメインとは異なるという判断が下りました。ぜひまたの機会を・・」という、もっともらしい大儀の断り文句が来るのに似ている、「ごめん、この企画、よくわかんないわ」では断ったことで悪者になっちゃうからね。(でもさ、新規事業とは異なるドメインに進出することをいうんじゃないか?と)

これと同じで、つまり態度が悪い、の度合いは「態」の集計得点と見せるための「度」である。ま、要するにそこにあるのは自己を正当化したいという観察者の強い欲求であり、対象者を孤独に感じさせるための多勢の威圧感であり、なんといっても徒労を組んだ多勢による集団意識なのである。

つまり「態度」とはマイノリティーに使われる言葉であって、仮に「態度が良い」といわれたところですでに採点された結果、つまりやや見下された視点による表現なのだろう。

となるとだ、前回のBLOGで若者に態度がよくない、と感じた僕はいったい何様なんだ!?

だいたい、こんなことを明け方に書いている僕は、たぶんとてもひねくれものだ。
だがゲームの企画者なんて、そんなものさ。
ものごとを数値化することしか考えていないんだから・・・。

かなり煮詰まってるいぞぉ・・・・と。