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斎藤由多加のブログだよ

〈第六回〉世界観

ゲームには世界観というものがあります。
いや、あるというよりも
制作者によって作り出されます。
ゲームにはなぜ世界観が必要なのか、
今回は「シーマン」を例にして
お話ししたいと思います。



ご存じの方も多いと思いますが、
シーマンにはやけに緻密で
リアルな背景世界が存在します。
ファミ通というゲーム雑誌で初めて掲載した予告広告は、
広告性を一切排除した、
挟み込みの科学雑誌の体裁をしたものでした。
そこには、古代エジプトの伝説から
シーマンが発見されるまでの経緯などが
詳しく記されていました。

シーマン発売時の予告広告で使用された画像

英語版発売の際にも、
これら世界観は英文にも翻訳され
米国で広く紹介されました。
実在する話なのか、
セガの米国法人には多数問い合わせがあったようです。
もちろんこれらは架空の話です。
なぜ、ここまで手の込んだ世界を
作り上げる必要があったのかについて
おはなしします。

「ペット」というメタファー


ゲームというのは、いってみれば
「かけひき」の文法です。
そこにはかならず目指すべきゴールや、
守るべきルールというものが存在します。
これらが共有されていなければゲームは成立しません。
ですから、当然これらの情報は
マニュアルに記されるわけですが、
それまでに前例のないカテゴリーのゲームの場合、
ゼロから説明することになります。
したがってマニュアルがかなり厚くなります。
すでに了解ずみのルール、
たとえばゴルフゲームや野球ゲームの場合、
ゲームマニュアルにはゴルフや
野球そのもののルールは省略されます。
広告のコピーもたとえば
マリオゴルフ」という一言で、
ゲームの概要を伝えることができるわけです。
シーマンはそうはいかない。

ヤンキースの松井選手のヒット一本に観客が沸くのは、
観客全員がルールを共有しているからにほかなりません。
ルールを知っている人にとっては、
ある局面における松井のヒットがどういう意味を持つか、
瞬時に意味が理解されます。
文法がすでにあたまの中に入っているからです。
しかしルールを知らないひとにとって対して
説明するとなると、困難なくらい膨大になるわけです。
この点で、
「広く知られたルールは、
 それそのものがゲーム提供者にとっての
 巨大な資産である」
といえるでしょう。

シーマン」の場合はどうかというと、
はたしてこれがどんな分類のゲームなのか、
知っている人は、皆無です。
それをすべて説明することは、容易ではありません。
こと音声認識なんていう、
まだまだ認知の低い入力をユーザーに強いるわけですから、
なおさらです。
本来、あたらしいタイプのゲームが紹介される場合、
チラシや広告のスペースはとうとうと
ゲーム説明に費やされることになります。
これが新分野を作り出す際の、
メーカー側のリスクとなります。

シーマンセガから投入される時期に、
あまり大きな宣伝費を期待することは出来ませんでした。
そこで、シーマンは、
「ゲーム」という言葉を一切使わず、
すでに多くの人が知っている言葉を使うことで、
説明を回避する策に出ました。
その言葉とは「ペット」と言う言葉です。

マニュアルは必要悪


ペットと言う言葉を聞けば、ほとんどの人は、
何をしなければならないか、
即座にイメージすることができます。
「餌をあげる」
「世話をする」
「交尾させる」
「産卵させる」
「酸素を供給する」
「温度を保つ」
「空腹が続くと、餓死をする」
・・・といったことがそうです。
シーマンでは、パッケージからマニュアル、
広告にいたるまで、
「ゲーム」と言う言葉を一切使わない、
というガイドラインを打ち立てました。
つまりすべて「ペット」と言い切ることで、
シーマンはユーザーに知ってもらいたい
マニュアル数十ページ分の説明を
省くことに成功しました。
マニュアルというのは、
ユーザーにとっては必要悪です。
分厚いマニュアルはユーザーに恐怖感を与えるのです。
もしこれせが簡略化できれば、
それだけユーザーの負担が減ることを意味します。

広告の伝達効率にも、その好影響は及びます。
「3Dの技術によるリアルな育成環境で、
 未知なる生物と対話するゲームです」とか、
音声認識技術により、マイクを通して・・・」
というかわりに
「これはペットなんですよ、ですから、
 細かい説明がなくてもわかりますよね」
っていう説明で、すべてやり過ごすことで、
メーカー側の広告伝達効率が飛躍的に高まりました。
この点は誰にも指摘されることはありませんでしたが、
効果は絶大でした。

あたらしいゲームに取り組むに際して、
ユーザーは期待感と表裏一体の恐怖感と
立ち向かうことになります。
その払拭は、ゲームが複雑化する昨今、
いまのゲームメーカーが気をつけなければならない
重要なポイントです。
音声認識技術を駆使した」
なんて言葉が誇らしげに描かれている時点で、
一般の人はかなり高い敷居を直感することになります。
こういう言葉に惹かれる人々がいるのも事実ですが、
それは特殊な興味を持った人です。
ゲームは、IT的な要素以上に
エンターテイメント要素が重要ですから
「マルチプレイヤー対応のシステム搭載」とか、
「マルチエンディングシステム搭載」とか
「ネットワーク対戦により」とか、
「3D機能がさらに強化」などといった技術的な言葉は、
セールス文句である以上に、
煩雑な障害ともとれる危険な表現です。
雑誌などメディアでは「ことばを話す魚」という、
ともするとローテクでバカバカしい表現が
与える安心感を使ってもらうようにしました。

「生きている」という合意


糸井さんがこんな話をしていたことがあります。
「僕は、ハリウッド版のゴジラを褒めた
 数少ない日本人だよ」と。
その理由は、ゴジラをみて
「あっ、ゴジラだ」と叫ぶ登場人物が
誰一人として映画内にいなかったからだそうです。
なぜゴジラが現代に登場したか、を
きちんと説明する姿勢が、
ハリウッド映画の肝だ、といいます。
ジュラシックパークにおいても、
恐竜が現代によみがえる根拠が
きっちりと示されているので映画が生きる、
というわけです。
(事実かどうかはともかくとして)
もっともらしい根拠が示されていれば、
ユーザーは安心してその世界に
はいってくることができます。

シーマンは実在する」
といわんばかりの背景が緻密に構築されたのは、
「あなたのペットは、こういう経緯で、
 いまお手元にとどいたのですよ」
という説明を自然につけるためでした。
ですからこれらの世界観は
ゲーム本編そのものに重要なのではなく、
育成を安心して開始してもらうための、
付随情報でした。
結果、シーマンが社会現象的なブームになった頃には、
これらの世界観は
もう用なしになっていた感がありました。

生命感を演出するためのゲームデザインの手法について
ここからは、ゲームデザインの手法の話になります。

「この生き物は生きています。本当にいるんです」
とずーっと貫いてきたわけです。
その生命観を演出する上で、
ひとつの課題にぶつかりました。
大別するとゲームには二通りの種類があります。
一つは終った時にそのままの状態で保存されているもの。
シムシティでも、なんでもそうですけど
従来の大方のゲームがこれにあたります。
もう一つは、次に起動した時に
ゲームが勝手に進んでいるというものです。
ネットゲームなどがこれにあたります。
さて、生き物を飼うそのリアリティを出したい、
となった時は、どちらがより生命の
リアリティを演出できるでしょうか?
やはり三日も四日も餌をあげないで
ほったらかしにしておいたら、
やはり死んでないと
生き物のリアリティは失せてしまいます。
生命というのは、死と表裏一体のものですから。
しかし、所詮コンピューターゲームである以上、
その手法はユーザーにとって、不親切ではないか、
という議論も出てきます。
2~3日間、帰宅が遅くなるケースというのは、
現実では多々あるものです。
どうやって、この問題を回避したらいいか、
開発チームがぶつかった問題は、ここでした。