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斎藤由多加のブログだよ

依存する権利

今日の会議で、メンバーに妙な話をした。
「所有していない者の権利」という話。

**********以下たとえ話******

飛行機代払うから一緒にロスいかない?
「ほんとすか?」
「ああ。」
「タダならいきます!!」

そして二人は搭乗し、太平洋上にさしかかったあたりで機内食の時間となる。男は両方の機内食をパッとかすめ取って一言。
「これはあげない」
「な、なにすんですか!?」
機内食を二食たべたかったから僕は君を誘ったんだよ。そのために航空運賃を二人分払ったのさ。だから食事は僕のものなんだ。俺が代金を払ってんだからさ。」
「だめですよ、これは僕の食事なんだから」
「いいや僕のだよ。」
そういって男は二食目のメインディッシュまで口をつけてあとはゴミとして下げてしまう。
険悪でやりきれない雰囲気・・。

代金を払ってもらった目の前のラーメン。そのチャーシューだけもっていかれたら、合法的にドロボーされたようなやり場のない怒りにとらわれる。

長年かわいがって気た犬が、突然あらわれた実の所有者に連れて行かれた時も、ある日最愛の恋人に「さよなら」と一方的に出て行かれた時も、近隣の環境が突然の再開発で激変してしまった時も、はたまたマックのCPUが突然インテル製になってしまった時も同じような感覚になる。そこに依存して生きてた自分には何の権利も主張できないのか?とね。そういう時のわだかまりって、どうやって主張したらいいんだろう?どうやって定義できるんだろう?所有権ってなんだろう?

世界のトラブルってのは、実はみな、この定義できない、主張できないわだかまりに起因していることに気づいた。所有権というのは、物質からつくった考え方。モノを中心につくられた今の法律ってのは、人間のほんのごく一部しか定められていない、しかし世界最強の権利。これは不思議だ・・。