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斎藤由多加のブログだよ

<第六回>反復と予測

高校生のためのゲームクリエーター講座、今回は書き下ろし新作です。
足りないところが多々あった過去連載だったので、今回は勝手に追加してしまいました。
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写真は六本木ヒルズの正面のものです。
一見時計のように見えるが、時計ではない。
何年間かは忘れたけど、その間は同じ数字の組み合わせにはならにないしくみにつくられた、いわばインスタレーションアートである。

同じ数字の組み合わせがない、となると、ここに表示されている数字は、その期間内では時刻の絶対座標ということになる。
「61478のときにここで待ち合わせね」なんてね。

でもね、同じ組み合わせがないということはさ、待ち合わせができないんですよ。予測できないわけです、それがいつなのか?
いつどんな数字がくるのか、予測できるから「待ち合わせ」が可能なわけです。

人間というのは、繰り返し・反復によって、未来を予測するというすべを見つけてきたのです。
たとえばさ、ソフトバンクボーダフォンを買った値段は1兆円を越えるとニュースでやっている。
でも一兆円って、どれくらい?と子供たちに聞かれると僕たちも見たことがないから、こういうふうに説明するわけです。
「一兆円ってのは一億円の一万倍なわけで、一万円の一万倍が一億円、だよ」と。

一万円ってのは、家庭でも手にしことがあるし実際に日常で使っているから、それらを反復させて類推する。
子供たちは、つまり人間は、こういう形で大きな数字や未知なる数量を理解するわけです。

古代文明が発生した場所にはかならず定期的に氾濫する河、の存在があります。
河の氾濫は、それまで漠然と訪れていた日々に規則性のヒントを与えてくれた。人々はそこに「周期」があることを発見し、やがて「こよみ」を発明したわけです。

でもそれだけでは不正確ということで、さらなる微修正を加えることで「こよみ」の精度を増していった。この手法って、実はすべての知識獲得にあてはまる手法で、エイズの原因究明から青色発光ダイオードの発明にいたるまで、人間は森羅万象を克服するために、実験データから「規則性」をまず見出し、それを反復することで未来や未知を手に入れる術を身に着けてきたわけです。

「文明は規則性を見出すことから開拓されてきた」といいます。(←注;これ「知の技法」という本からと書いたけど、確認したら記憶違いだった)

ゲームも同じと思います。簡単な仕掛けを反復で力を増幅できる。それによって困難を克服するからおもしろいし、力をつけた気になれる。だからゲームデザインの手法というのは、ひとつのパターンの「相似形」を膨らませてゆくことだと思うのです。これが「ループの反復」です。

ゲームというのは、知の獲得そのもの、の縮図なんですよね、画面からじっさいに炎を出すことも、地面を揺らすこともできない。知の中で痛みを表現するわけです。まさに学習のプロセスそのものを具現化したものだと思うのです。

でもね、ゲームが開始されてから、ずっとおなじことの繰り返しでは飽きてしまう。かといって、まったく異なるアイテムが次々と導入されたのでは、いつまでたっても掌握ができず、結果つまらない。そこには規則性が必要です。それをすこしづつ応用(=変化)させながら、あたらしい未知を掌握してゆく。このプロセスがおもしろい。飛びすぎると理解がおいつかないし、このさじ加減がバランスということになる。重要なのは、構造が、相似形でつくられているということではないだろうか?
規則性を見出せば、次に何がくるかを予測できるし、逆にその推測を生かしてステージを進んでゆけるわけで、それがとてもうれしい。そこで重要なことは、「推測可能」だからゲームになり得るわけです。よいゲームというのは、同じ手法でありながら、より難易度が進むから面白い。そこには文字通り「ルール」が必要なわけです。くそげーというのは「よくわからない」「一貫性がない」ものにつけられることが多い。

ゼルダの伝説」が面白いのは、新しいアイテムが古いアイテムの応用になっていること。
たとえば、「たいまつで蜘蛛の巣を焼いて進める」というのは、感動したのですけど、この話を宮本さんに聞きましたら「そういう理屈としては意識してなかったけど、とにかくひとつのアイテムで三つくらい使い道を考えてね、とだけ指示をした」という。

この「ひとつのアイテムでみっつくらい」という指示が、宮本氏の勘というやつで、いま述べてきた反復を見事に実現しているわけですよ。

宮本さんというのは、僕のように理屈を語る人ではなくて、感覚で判断をする人です。だから任天堂の宮本さんや手塚さんと話していると「なんか気持ちよくない」とか、「ここはうれしい」という言葉がよく出てくる。この「うれしい」という表現、これとても重要だと思います。正解だったらほめて欲しい。これも人間が学習する上での必須条件です。任天堂のゲームは、正しいときは「正解だよ!」と思い切り褒めてくれるでしょ?

「気持ち悪い」とか「うれしい」という表現だと、ともするとクリエーターのわがままと誤解されてしまいがちだけど、任天堂の方々は、長い歴史の中でその真意がわかっているのでしょうね。とても重要なことです。
でも僕らのように歴史の浅いチームでは、たれかがそれをきちんと理屈でまとめていかないと、「職人芸」という一言でまとめられてしまう。
だから、僕はこうやって理屈をしこしこと書いているのがもしれませんがね。

ということで、次回は、そのあたりについての最終回となります。