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斎藤由多加のブログだよ

花の印税生活

「僕の家のげた箱に下駄は一足もないし、筆箱に筆など入っていない。風呂はあるけど、そこに呂などというものは見当たらない」といったことを「ハンバーガーを待つ三分間の時間」の中で書いたのだけど、それは、あたらしい技術は古くて見慣れた姿を借りて日常に入ってくる、という話。

今回はその先のさびしさの話をかこう、つまり言葉としてははのこっていても、そのイキさがすっかりなくなってしまったもの、という話。

「花の印税生活」というフレーズがある。
では何で印税って呼ぶか、となる。もともとは著書に著者が印鑑を押して、その数を数えてもらっていた対価だから印税である。印鑑を一冊づつに押すというのは、いわばすべて直筆サイン本なわけで、著者にしてみれば手がかかるけれど、お金に関してはクリアな方法だったろうし、地味だが、ちまちまと楽しい時間だったに違いない。駆け出しの作家にしてみれば、至福の時間だったろう。

ということで、古い本にはこうして丁寧にはんこが押されている。
このはんこの数だけ徴収するから、印税というわけで((印紙税ではない)、どこのどなたが呼び始めたか知らないがかなり絶妙なネーミングだ。


柳田國男さんのサイン本だぜ、イエイ

でも、最近は、「著者の検印を廃止しています」という表記だけで(いや、それすら書かれていなくなって)、さびしい限りである。

copyrightという英語は著作権という意味だが、なぜか言葉は「コピーの権利」と書く。つまり著作権は、複製行為と表裏一体の関係である。

だったら、その承認は、ぜひ自分の手で、しかも捺印でやりたいですね。自分の著書を愛でるようにね。ちゃぶ台の上のノートに正の字でも貴重しながらね。でへへ。これが花の印税生活の真実となると、その対価はやはり「手数料」ではなく、「印税」であるべきだ。

しかし、いまは検印なんて廃止、印税は銀行振り込み、部数は出版社の自己申告。

「印税」、ああ、このロマンティックな作業はどこへ消えてしまったのだろうか?

サラリーの語源が塩という話は有名である。
塩や香辛料が貴重品だったという時代は、つまり食事はかなりまずかったにちがいない。そんな日々に、「塩もらってきたぞ」と帰ってくるお父さんは、給料日にはさぞやうまい料理を堪能したにちがいない。

今の「サラリーマン」には、サラリーという言葉と月給というシステムだけが残り、風情は失せた。印税はこれにとても似ている。