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斎藤由多加のブログだよ

学習とインターフェイス論

いままとめようとしている「ゲーム論」という本の原稿をすこし紹介することにしよう。この本はこれまであちこちで書いてきた「ゲームクリエーター講座」を一冊にまとめたものだ。
僕は、ゲーム開発を「おもちゃ」の商品開発だと思って取り組んでいる。

新機軸のゲーム開発は、開発というよりもむしろ発明に似ている。過去の作品のノウハウがこれほど生きない産業はないのである。だからおのずと、それはあたかも防衛本能のように、アイデアのまとめ方くらいはと自分の中にノウハウを蓄積しようとする自分がいた。
実のところ、商品開発の分野においてそのノウハウが生かされるのではないか、とひそかに思っているのである。

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生物は、学習という行為を通じて、未来を有利に導いてゆく術を身につけてゆく習性がある。人間においてこの習性はこと顕著である。

ここ数年の人間観察を通じておぼろげな仮説が見えてきた。それはなにかというと、どうやらこのプロセスがうまくいくと人間の脳は「おもしろい」を感じ、うまくいかないと「ストレス」を感じる、ということだ。

これは僕にとってきわめて重要な発見であった。

さて、ではこのプロセスの正体は何か、ということになるがそれは、「規則性の発見」である。
混沌の中に規則性を発見すれば、それを逆に利用することで、偶然を必然に変えることができる。人類文明の歴史はすべてこの手法によって行われてきた。

仕事がおもしろくなってきた、という事象も、あるいはゲームがおもしろい、も、はたまたマスターベーションを覚えたオスの猿がひたすら行為を繰り替えするのも、すべてはこれで説明がつく。必要なモノをオンデマンドで取り出せるということは、神という仮想的に対する魔法をあたかもマスターしたかのような感覚をもたらす。モチベーション論ではこれを「自己実現」と呼んでいる。

さて、有利な未来へ、と冒頭でいったが、その「有利」の定義は、ゲーム空間ではスコアという名で与えられる。ユーザーは、この「スコア」が人工であることを周知であり、ゲームデザイナーが与える試練にチャレンジするか否かは、与えられる自己実現の快感によって決められる。この快感が充分なものであれば、人はそれを受け入れプレーを開始する。それがちょっとしたバランス調整のミスで「ストレス」になってしまうこともあるわけで、私たちクリエーターはそのぎりぎりの境界線にいることを理解しなければならない。

その様は、ちょうど、学校の授業が面白かったり、あるいは拒絶するほど苦痛だったり、の違いが教師のちょっとしたやり方の違いに依存している事実に似ているだろう。

その点で、ゲームにおけるインターフェイス・デザインはきわめて重要なファクターである。インターフェイスが秀逸であれば、社会のおよそどんな事象であっても、ゲームになりうると僕は考える。