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斎藤由多加のブログだよ

<第二回>企画書とプレゼンテーション

前回は「発想」に関して触れました。今回は「企画」についてお話します。
 大玉の企画を任天堂さんにお見せしたのは、2003 年の初頭のことです。見せる、といっても自分の頭の中を見せることはできませんから、企画書という資料をつくってのプレゼンテーションということになります。
 企画書というのは、一般的にプレゼンテーションのために作られる資料といわれています。でもゲーム開発においてはそうではありません。企画者が、何か創作物を思いついたとき、それを言葉ないしはビジュアルで表現する、それが企画書であって、その意味では私はまず自分のためにつくりはじめます。私はこの企画書を書く時期が一番すきです。企画書の作業がそれ以降の作業と一番異なること、それはたった一人でできる作業であることです。何も書かれていない紙に自分のアイデアを書き連ねること、これは企画者にとってこの上ないよろこびですから。
 ではなぜ企画書がプランナー自身のためかというと、紙の上にアイデアをつづってゆくうちに見えていない部分があからさまになってゆくからです。ことゲームではこのプロセスが大事です。
 まず初期の大玉の企画書をここでいくつかお見せしましょう。この企画書の日付は2003 年3 月になっています。(あ、言い忘れておりましたが、自分のための書類であっても日付をいれることは大切です。こうして過去を振り返るためにも。)

上にある第一回目の企画書はイラストなどによってビジュアル化されています。それぞれの個性が光るイラストですが、おのおのが全体のどこにあたるのか、抽象的つまり断片的であることがわかります。全体の企画が難航していることがはしばしに表れています。(蛇足ですがここに描かれている内容は開発時期に困難とおもわれたことは変化しています。しかし音声認識機能については企画初期から明記されていました。音声認識は、このあと一度ボツになり、そして後半戦になって不死鳥のように復活することになります。この機能によって大玉は泥沼から救われることになりますがそれについては後述します)

●●何度も没になったプレゼンテーション●●

さて、私の場合は、この大玉というゲームでは大きいところで4 回プレゼンテーションを行いました。最初の2回は、企画を理解してもらうため、3回目は、契約に際しての確認、そして4 回目は試作が終わりいよいよ本開発に進むか否かを判断する上でのもの、でした。いいかえると私は3回プレゼンテーションで落第しかけているのです。何回プレゼンしても「それでもわからない」といわれた企画が「大玉」だったのです・・。
 さて、上記のプレゼンテーションより行程がさらに進んでくると、3 ヶ月のプロトタイプ(テストプログラム試作)を経ているので、企画書はかなり具体性を帯びてきます。

こちらの企画書は、4 回目のプレゼンテーションで使用したものです。イラストよりも表や図が多くなってきています。全体の関連性の中でそれぞれのアイデアが企画者の頭の中でかなり具体的につながりはじめていることを表しています。
 しかし、実際のゲームをプレイすればわかるのですが、このゲームの一番の特徴は、たくさんの兵がわらわらと動いていること、そしてそこに大玉が絡んで作用しゲームプレイに影響してくることです。
 こういったダイナミックな動きは、それでも紙の上には表現されていません。最後まで紙の上でシミュレートすることができなかったのがこの部分でした。企画者とプログラマーとの意思の疎通が一番大変だったのが、紙では書ききれないこの部分でした。
 今振り返ってみると、大玉ほど企画書が無力なゲーム企画はなかったと自分でも思うことがあります。しかし企画書はそれでも何度も何度も書き直されファイルされていったのです。それは、つまり、自分の頭の中に動いている環境を静止させ固定するための最低限の努力だったのかもしれません。なぜならば、これらの企画書をいちばんチェックしていたのは企画者でありプロデューサーであった私自身だったからです。

●●企画書の最初の1ページ●●

企画書には何がかかれていなければならないか?という話になります。
 とくに発案した初期のもの、これは完成度は高くはありませんが、とても重要です。「自分はそもそも何をしたかったのか」について一番純度を高く認識できている時期だからです。ですから私はまず最初の1 ページ目にかならず設けるページがあります。それは『コンセプト』と呼んである項目です。この1 ページ目に書かれたこの内容は、他のページとちがってとても重要なのですが、それは前回にお話しした三つの要素が具体的な言葉に置き換わって書かれているのです。これはちょうど国の憲法のようなもので、ソフトが出来上がるまで決して変えてはならない礎となります。企画者というのは開発が進むにつれて、そもそも自分が何をしたかったのか、わからなくなってしまうことがあります。そういうときに、つまり道に迷ったらここを見よう、というものが発案したときに書かれたこの「コンセプト」です。
 私は大体2-3 行で、しかしなるだけ条件付の文章と独特の言い回しでこのコンセプトを書くようにしています。
 たった三行の文章で何が語られるべくもないのですが、書いた本人であれば、このページを書いたときの企画のにおいや皮膚感覚まで思い出すことが出来ます。それがこの企画を進める上での前提になるわけです。これがころころと変わるようでは欠陥住宅といわれてもいたしかたがありません。
 要素大きなゲーム会社に勤務するクリエーターの方々には、この企画書をあまり書かないで開発工程にはいってしまう例があるようです。それは社外からの提案とちがってプレゼンテーションがさほど必要ないからでしょうか。
 ですが、企画者が最初に書くこの企画書こそが、ゲーム作りの屋台骨となります。
 どんなに言葉が達者で、それを聞いた人が「なるほど」と思ったとしても、企画書でならなければらないのです。というのも言葉というのは線形をしていて、点や線の役割を果たすことが出来るけれど、面になることはない。だから口にしているアイデアがただの断片かそれとも全体がひとつのループとして閉じてきているか、企画者自身をふくめて評価する側全体を見渡さないとわからないらからです。後述しますが実際にプログラムを作る上での設計図面にあたるものは「仕様書」とよばれます。別の専門家が関わって書かれる別の内容のものです。
 企画書というのは、詳細が書かれていなくてもいい、いや書かれていないほうがよいものです。まずは外観があればいい。紙上にアイデアを綴ってゆくうちに見えていない部分があからさまに見えてくるからです。ゲームソフトを複雑な建造物に喩えるならば、企画書は完成予想を描いたラフスケッチのようなものです。「スペイン風の平屋建てのホテル」などと言葉で表現するのとは大きく違うのです。
 ですから、この企画書がきちんと書けないのは、実は企画者の頭の中でまだ企画が出来上がっていない証拠です。
 さて、冒頭のプレゼンテーションに戻ります。大玉が、では任天堂の審査を通ったのはなぜか?という話になります。これは任天堂さんの投資判断です。「わからないならばやってみよう」となるか、それとも「わからないから止めておこう」となるか、これは仕事の流れとして、お金を出す人が判断することです。
 こういういくつものハードルを乗り越えながら、企画はテストされます。ですからチャンスをものにしてきた「プロ」というのは、実はプレゼン(以下そう省略します)に一発で合格する人を指すのではありません。建築家がそうであるように、プロだからこそどんどんオーディションやコンペティションを落ちるべきです。落とされるとプライドが傷ついた、などといって、せっかくのその企画を取り下げてしまったり、あるいはその会社そのものへの提案をやめてしまう人を周囲でみかけます。これがゲーム業界を不毛にしてきた要因ではないかとすら私は思うのです。せっかく何年もの間暖めてきたアイデアが結実したのであるならば、そのネタを何度でも手を尽くしてプレゼンを繰り返すのがプロだと思うのです。延べ数時間におよぶディスカッションの末、任天堂さんの会議室には疲労感の空気が漂い始めました。
 その雰囲気を察知してか「いくら考えてもわからないから、三ヶ月間だけ試作をやってみようか」宮本茂さんが笑いながらそういってくれました。宮本さん独特の「勘」でしょうね。そしてこの瞬間が、大玉の開発が進み始めた瞬間といえます。

●●通りやすい企画、通りにくい企画●●

通りやすい企画、通りにくい企画なんて言葉があります。大手企業のプロデューサーの人は、新機軸のゲームというのが紙で表現したり判断するのが困難ですから、ともすると、誰もがイメージしやすい内容、具体的にいえば有名なヒット作の焼き直しや続編、を提案してしまいがちです。そのほうが考えるのも楽ですし説明されるほうも想像しやすい。
 ですがそういう方法ばかりを選択しているとやがてゲーム業界というのは焼き直しみたいな作品にあふれたものになってしまいます。独自性にあふれた企画というのは、その中で競合がいない。存在が新鮮なのです。企画者というのはリスクをとってでも、そういった新分野のゲーム制作にチャレンジしなければなりません。それを狙った大玉の開発チームに課される試練は、ここから始まったのでした。