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斎藤由多加のブログだよ

「らしさ」とは

いまからローマの空港に向かうのである。
モスクワ経由で日本に戻るためである。

ここのところ日本にこもりきりだったから、自分をリセットする意味でもよい旅だったと思う。

そういえば僕はパスタがすきである。

だけどなかなか上手にたべられない。

フォークにくるくると麺をまいてひと口で「ぱく」ときれいに食べたいのだけれど、そばのように、口からはみだした部分を吸い上げてたべてしまう。ゆでたてで麺が熱いときなどはとくにそうである。

昨日、ホテルの近くのリストランテ(っていうんですよね)で、ばかみたいにずっと観察していた。ここでスパゲティーをオーダーしたイタリア人たちの食べ方を、ね。
そうしたら、なんてことはない、みな口からはみ出したスパゲティーをすすりあげているじゃないですか。ちょっと安心した。(スプーンをつかっている様子はないのである。フォークとスプーンでたべるという習慣はイタリアにはあるのだろうか)

「みんな」と表現したけど、本当はこういう言い方はとても大雑把なまとめかたで、危険かもしれません。というのも、レストランのクラスとか、その人たちの世代とか、彼ら特有だったからかもしれないからね。でも、そういうイタリア人たちが堂々とそうしている、という時点で、安心したというわけである。

「日本人って食事するときに大きな音をたてるっていうじゃない!?しんじられないわ。すごく下品!!

アメリカに住んでいるころに、とある女性からそういわれたことがある。

きっとラーメンやそばの食べ方について聞いた情報が彼女の頭の中で肥大しているんだろう。

いちいちそういうことを説明するのが面倒くさかったから、まっこうから
「音を立てるのが美学なんだよ。ガムを噛んだりコーラー飲みながら企業の受付をやっていることだって日本人からみたらかなり下品だぞ」

そう言い返した。そしたらこの人物はなんだかんだいいながらプンプンしてどこかへいってしまった。(その彼女は僕の親友と結婚しいまでは立派な母親だ)

それから数年たつけれど、麻布十番で盛りそばをたべるとき、どうやって音をたてないでたべられるか時々実験することがしばしばあった。

実験の結果、やはり、音をたてないで盛りそばを食べることが困難であることがあらためてわかった。いや、そもそもそばを音をたてて食べないということは、概念からはずれてしまう。

そして僕はこれを下品だとは思わない。むしろ美しいとさえ思う。

らしさというのは、いろいろなものがあるべきで、他国とちがうからという理由で恥じたり否定してはならないと思う。

むしろ僕たち日本人がこれからしてゆくべきことは、「らしさ」を美学としてきちんと主張してゆくことではないかと思うのである。