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斎藤由多加のブログだよ

境界線

060717掲載

不言実行、という言葉がある。
一方で、それが転じた有言実行、なんて言葉もある。

だけど、言ったことと行動がぜんぜんかみ合わない、という人がいる。
なんど指摘してもかみ合わない状況が続くのである。
これはなんと呼べはいいのだろう?
僕は勝手に、有言反実行障害と名づけることにした。

社会生活において、人の習癖を「病気」とか「障害」とするのはきわめて失礼きわまりない表現である。
だから通常はそれらは性格とtか特徴と呼ばれる。
性格や特徴が著しく本人および周囲に不都合を及ぼす場合、周囲としてはふたつ選択肢をもっている。指摘するか、あるいは黙視するか、である。
勇気を出して前者を選択した場合、大きなリスクが伴なう。人と人とが感情的に対立するリスクである。
だからなかなか難しい。
なんとか共通の問題として取り組めないかと思う場合が多々あるのである。

*************以下、仮定の話である。

「斉藤クンさ、職人ってのはさ時間にうるさいからね、時間にルーズじゃだめだよ」
と、ある一度知人に叱られたことがある。
もっともだが、実はこの人自身が、時間や事業計画に極度にルーズだと仮定しよう。当の職人からも、「あまりに時間にルーズすぎて仕事が難しい」というクレームが入るくらいに。
かくいう今日も約束時間の15分前にメールでドタキャンを食らった。正直、「またか」とその人の人格にまで不信感が及んだ、と仮定しよう。

「このビジネスが成功するまで徹底的にやる。だから失敗という文字はない」
そういいきった人が、延々と続く赤字に対して何も手を打たないままだと仮定しよう。
周囲のアドバイスを頑なに聞き入れずに、ただ日々をすごしている、といったような。

実はこの人物、この有言反実行障害のせいで、仕事もパートナーシップも失敗に終わるケースが多いことが判明している。
本人が気づいていないから、周囲はこの人の話と行動のギャップに戸惑いながら、やがてはすこしづつ離れてゆく。
これはその人も会社も、とても損をしている状況が継続することを意味する。
なんとかしなければならないが、習癖になるとどう取り組んだものか、周囲もあきらめ気味である。
最後に損をするのは本人である。

解離性同一性障害、という病気がある。
トラウマなどが原因で、別の人格が姿を現してしまう、いわゆる多重人格、というものである。
多重人格などと書くと、自分たちとは無縁のことのように思えるが、病気と健常の違いっていうのは実は曖昧ではないだろうか。
今回のようなケースも、むしろ、周囲と共同で取り組むべき問題のように思える。というのも損をしている点において関係者はみな味方といえるから。

かつて仕事の許容量を超えると極度のパニックになる人のケースに遭遇したことがある。一般的にパニック症候群と呼ぶのだろうか?表現が難しいが、なんとも手に負えないという状況がそこにはあった。乱れ飛ぶ罵倒の言葉の末路に絶望的な虚無感を味わうことになる。むしろ病気だとしたほうが周囲としては冷静かつ協力的でいられると思った。

トム・クルーズがLD(Learning Decease;学習障害)だったという話を聞いたことがあるけれど、誰かが宣言しないと判断できないものだ。僕自身も、会社であれこれと忙しく声をかけられているうちに、もともと自分が何をやろうとしていたかわからなくなってしまうという症状が最近頻発していて、その病名が何なのか調べようと思っている。

周囲を見回すと、病気と呼ぶにはたしかに疑問だが、やや近いと思えるケースが少なくないことに気づく。
病気というのは合意の上に定義されているものだから、素人が一方的にそう宣言することは不適格である。
しかしもし病気が見当違いであれば、障害、とか、症候群とか、とにかく本人の人格とは別に名前をつけて立ち向かわなければと思うのも事実である。
そうすることを臆するがあまり、蓋をしてしまっているといつか爆発するものだ。

事実、最近日本のビジネス界は水面下で危機に瀕しているといわれる。業務と密接に関係する精神的負荷によるものだ。残念なことにそれに対処するカウンセラーが育っておらず、それが日本が精神の分野において後進国である証になりつつある。精神科というのは意思免許をもった医師が処方箋を書くところだ。心の病の原因に直接取り組む医師はいない。カウンセラーがその役割を担う。だが日本にはその資格が存在しない。

一部の大手企業がようやくそれにとり組もうとしているという事実を最近知った。30年来の友人が、自ら企業内でその役を買って出たという事実からである。

「病気です」
そう診断されるとショックなものである。
だけど、それがすべての改善へのスタートなのも事実であって、蓋をしていたのでは先送りにするだけとなってしまう。

ちょっとしたずれが、実は病気であるとしたとたん周囲の理解と改善協力が得られるのであれば、むしろそう宣言して協力体制を組んだほうがいい結果になるかもしれないと、思う。