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斎藤由多加のブログだよ

第一回 人はなぜ独立するのか(前篇)

トヨタ自動車日産自動車とホンダ技研が合併したら、市場を独占する一大コンツェルンになるにちがいない。でもそんな優良企業に運よく所属することができたとしても、社員の一部はその会社から独立しようとするにちがいない。そしてタケノコのように別のあたらしい自動車会社がにょきにょと生まれることになる・・・。

独立する、自分の会社をつくる、という言葉は麻薬のように人をひきつける魅惑的な響きがある。危険でも、安定がなくても、人は独立起業したいと思う。
動物は(かもめのジョナサンを除いて)わざわざ危険にチャレンジしない。だから人間というのはかなりひねくれた動物といえると思う。

じっさいのところ、独立というのはそんなにかっこいいものではない。たしかに自分で会社をつくれば「社長」という肩書がもれなくついてくるわけだけど、この社長という響きがクセモノなのである。豪遊人の代名詞みたいに歌舞伎町のキャッチで使用されるこの「社長」という肩書の実態が、実はどれだけかけはなれたものか、を人は独立すると思い知ることになる。

日常僕たちが「会社社長」と聞いてイメージするのは立派な高層オフィス、かっこいいエントランスと受付、ふかふかの絨毯と大きな会議室、その奥にでーんと構えた社長室・・・といったところだろうか。でもこれは、「雇われ社長」とかそういった類の出世コースの延長あたりにあることで、実際の「独立」をした人がたどるコースとはちと違う。実際はさ、雑居ビルの一角に構えた職住を兼ねたようなオフィスに、コンビニ袋をぶら下げて深夜に買い出しから戻る、そんな風景に甘んじることであったりする。
このあたりはおいおい触れてゆくのでここではくわしくは言及しないけれど、そういうステータスに憧れて独立するのだとしたら、むしろ起業なんて考えずに優良企業にいい条件とそれなりのポジションで転職することをお勧めしたいのである。

それでもなぜ独立するのか?
僕のことを振り返って考えてみると、それはやはり、「会社」という母体をつくりたかったからだと思う。つくりたいとはいうけれど、それはいまのベンチャーブームや株式公開ブームとはまったく違うものだった。会社をつくりたい、というのがモチベーションではなく、その先にあるものが会社がないとできないことだったのである。
それはどんなものか、というと、当時1993年のことですけど、マルチメディア媒体による電子出版ブームというものが吹き荒れていたことに起因している。すこしだけその話をしよう。

電子出版ブームというのは、出版社が電子媒体で出版を行うという趣旨のものではなく、それまで大手の出版社が支配してきた「出版」という権威的な領域を個人に近い市民が対等に入っておこなえるぞ、といっただった。

当時は自分の書いた/作った書物かCD-ROMの形で流通することができる、というのはとても魅力的でかつ革命めいた雰囲気があった。いまとなってはインターネットの普及により、フロッピーやCD-ROMである必然性そのものが消滅したが、黎明期当時の人たちがインターネットのコンテンツ供給を支えていたのだから、その目論見はかたちをかえつつも結実したといえるだろう。

当時のそういう潮流の中心に米国ボイジャー社という会社があった。この会社はさまざまな書籍に文字だけでなくクリック表示可能な注釈、音と音楽、画像、場合によっては動画、をくっつけで、フロッピーやCD-ROMで販売していた。また、彼らはエクスハンドブックというツールキットを販売していて、これを使えばワープロで書いた原稿を流し込むだけで美しいフォント(いまではもう普通ですがいわゆるアウトラインフォントですね)でレイアウトされ、しかもそれをランタイム版の電子出版物としてすのまま複製することができるというものだった。読者はそれをフロッピー版の書籍のように、いや書物よりも多機能に読むことができるというもので、ハイパーメディアの先駆け的な象徴として、そしてまた西海岸のカリスマベンチャーとして君臨していた。

ここの創業者の人はマルチメディア業界の立役者的な存在でもあり、その手のカンファレンスではいつも率先して壇上にたち、知の解放を訴えていた。場内は、いまのしらけたようなコマーシャリズムとはちょっと違い、革命にたち向かう同士のよなう熱い雰囲気がみなぎっていたものだ。

マスコミはこの妙に熱い人々をみて「マック文化は宗教だ」と書きたてたけど、それはあまり正しくないかもしれない。当時のプラットフォームがマックしかなかっただけのことで、それ以上の意味で宗教色があったわけでもない。

もっと正確にいうと、実のところエネルギーに溢れたはぐれものの彼らにとって、自分が親方になれるあたらしい生き場所が必要だっただけの話であって、マルチメディア技術をあたかも人生のチャンスとしてうかがっていたのである。

だからおのずと「自分がいかに便利になるか」、ではなく、「いかに人を便利にさせるか」、として見ていたわけで、彼らのコウマイな理想がゴウマンな語り口とあいまって宗教的な雰囲気を醸し出していただけにすぎない。

そんな彼らにはなにか大きな大義が必要だった。当時のそれが、商業主義の大手出版社に独占された知識の分野を取り戻そう、といった内容のことであっただけのことで、まちがえなく僕もそんな一人であった。

こういう妙に熱い雰囲気というのは新興の分野にすべて共通したものなのだと、いまにして思うわけだが、その潮流にうまく乗ると、たとえそれが昨今のネットビジネスだったり携帯コンテンツだったりしてもいいのであるが、起業がうまくいったりするわけである。

で、話は戻るけど、僕が最初におこした会社名である「オープンブック」も知の開放にちなんでのことだった。

つづく