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斎藤由多加のブログだよ

プランナーの拠り所

人間、どんなに想像力が豊かであっても、人というのは複数で企画をすすめてゆくには「拠り所」が必要になる。

無限にある音の中から人間は12の音だけをピックアップした。作曲家は、この12という音符を拠り所に作曲をする。あるいはギターコードのような簡易的な音楽展開のライブラリーを利用する。

ゲームは何を拠り所にするか、というと、RPGであれば、セリフ入りの物語である。それを軸とし、そこにグラフィック、そして音、を肉付けする形でゲーム作りは進んでゆく。

アドベンチャーでは、それがマップとなるであろう。開発スタッフは企画者の描いたマップのスケッチを拠り所として全体像を理解してゆくことになる。

では、セリフや物語のまったくない、たとえば「テトリス」では何を軸にするか、となると、物語にあたるものがない。いや、実はあるのだけれど、プログラム言語以外に記述する方法がない。何がどうおきるか、をことばで朗々と書き連ねたところで、それはゲームがおこす現象を描いたものであってゲームの構造を記述ものではない。

この「拠り所」がないゲームというのは、開発チーム内で統一のイメージを持つことが困難である。

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シーマン1は、セリフにあわせて表情をつけてゆくという手法をとっていたのだけれど、それは大きなまちがえだったということに、最近(シーマン2がメインとする自律型キャラ)になって気づいたはなしをする。

人間の表情で一番重要なのは、実は、セリフとセリフの間の空白である。 魚のキャラクターでは、セリフとセリフの間もただ水中に浮かんでいればいいから、さして目立つことがなかったこの「間」。だけれど重力に逆らって立っているキャラクターだとそうはいかない。待っている間イライラしたり、もう片方に足に体重移動をしたり、腕を組んだり、飽きて関係ない方向をみたり、といった表情がないと、何をしているのか、まるで壊れたロボットのように見えてしまう。だから、このセリフのない空間、に表情をつけることになるのだが、それこそが、前後関係のないシミュレーションならではのやっかいさである。スタッフは真っ白な台本に対して作業をするようなものなのだから。

固定的な物語があるわけもないのが「シミュレーション」の特徴である。その仕様書というのはというのは、セリフがまったくないパントマイムの、しかもアドリブ進行の台本のようなものである。なにをどの順番で書けばいいのか譜面にあたるものが存在しない分野というのは、なかなかやっかいである。