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斎藤由多加のブログだよ

恩恵の奴隷

「概念」なんてものには形も重さもない。それを扱う仕事というのはやっかいである。

ことチームでの仕事となるとなおさらである。一言で言うと、空気を、酸素や二酸化炭素や窒素やそれ以外の未知な気体に分別するような仕事といえる。そんな仕事をしていると、「裸の王様」に出てくる仕立て屋が、影も形も重さもない洋服をあたかも本当にそこにあるかのように扱うしぐさをするような羽目になる。。

実はいまプロジェクトで擬似的な人工知能と人口発話をつくっているのであるが、扱っている内容が「概念」とそして「ふつうの日本語」であるからまったく手におえない。口で説明をするにしても、どれが「検証素材」でどこまでが「その人の言葉」なのか判別できず禅問答のようになってくる、会話に「」マークはつけられないからね。

実はビバリウムでは人工知能と人口発話、の研究開発をやってきた。
専門的なアプローチではない。エンターテイメントに使えるような台詞回しは、ひとすじなわではつくれないから、コロンブスの卵の発想と独自のスタイルで暗中模索してきた。

たとえぱ名詞のイントネーションだけで11種類の音声スタイルがある。文字原稿ではどれも同じに見える。

11種類に至るまで、名詞のイントネーションに11種類ものスタイルがあるとは誰もわからなかった。音符で記述するわけにもいかず、だから番号をつけ、つなげたり組み合わせりしながら、名のない気体の種類を互いにいちいち確認しながらすすむわけである。そんなものが一日に2030もやりとりされると、言った言わないは茶飯事で、担当者が忘れてしまったらそれでそのまま失せてしまう。失せても名前も視覚イメージもないので、指摘がきわめて困難である。品質の管理なんていうにおよばず、あまりにじれったすぎて、ちょっとやそっとの忍耐力ではできない。ましてや忘却の彼方に失せた概念は、第三者が見つけることができない。

大学の研究機関がやるならいざしらず、零細の民間企業が自転車操業の利益をけずりながら何年もやるようなことではない。ビバリウムという会社はこれをずっとやりつづけている。数えると、すでにそれをはじめて6年が経過したが、嬉しいことに、最近すこしづつその片鱗が見え始めてきた。O君という根気強く優秀なエンジニアがいてくれなかったら、ここまで具体的になってはいなかったかもしれない。O君ありがとう。

話しは変わるが「言った言わない」の発生頻度といえば、混雑しているレストランのオーダーに勝るものはない。

ひさびさにデニーズのカウンターで食事をしていたら、こんなモニターを見つけた。

この日のデニーズは、めまぐるしいほど忙しそうだったが、そこには「言った言わない」に指先で触れる店員たちの姿があった。

店員は、「XZ番のオーダーどうなっているんだ」と、明確な指摘ができる。「これ」といえる対象があるのとないのでは、理解は雲泥の違いがある。

具体的に指摘できねものがないと、じれったさがフラストレーションとなり、仕事はおろか人間関係まで破綻してくるのである。

「僕らはいままでなにをやっていたんだろう?」

へんてつもないシステムであるにもかかわらず、それを使う店員の仕事ぶりを間近に見てそう痛感した。

僕たちは最も遅れているのかもしれない。

開発会社というのはコンピューターが商売道具なものだから、実はその使い方についてはかなりバランスを欠いている。社内のエンジニアはExcelでマクロを組んで簡易システムをつくってしまうとか、宛名ラベルにプロジェクト名を打ち出す、とか、伝票に電子捺印して転送する、などといったごく簡単な応用について、とても疎いと思う。マシンはコーディングのためにある、という風潮があるから、WordもExcelも、バージョン2.0程度の機能しか使っていない。

デニーズの風景は、まずコンピューターの恩恵に授からなければならないのは僕たち自身であることを思い出させてくれた。気がつくと、人を楽しませようとするがあまり、コンピューター奴隷になってしまった僕たちがいる。