YOOT.COM

斎藤由多加のブログだよ

<第三回>本開発でわかる企画の落とし穴

●●本開発開始●●

大玉」の本開発のメインプログラム部分はすべて、岡安啓司さんというディレクターが率いるチームにお願いしてスタートすることになりました。プロトタイプ(試作)をお願いしていたチームはタイミングのずれなどから本開発への参加が見送りとなったのです。
 そもそも開発を社内で行わなかったのはGameCubeの開発経験とノウハウの蓄積がなかったからです。経験豊富なチームとコラボすることで完成をなるだけ急ぎたかった。このときはまさかここまで時間がかかることになろうとは予測しておりませんでした。

 さて、実は、開発に時間がかかった、といっても、規模が大きすぎて手が及ばなかった、といった類の理由からではありませんでした。理由を正直にいうと、ゲームがなかなか面白くならないのです。おなじ企画のまま手を変えてずっと攻めているのですが、その試行錯誤に時間をかなりとられました。
今回は、企画段階では予測困難な開発の壁、についてお話します。

●●最初の壁"Re-playabily●●

まず最初の壁は、「このゲームは長時間あそべるゲームか」という任天堂からの疑問でした。任天堂はこの点についてとても慎重でした。
長時間プレイできるゲームをつくるには二つの方法があります。

1. マップ数やルートをたくさんつくる。
2. (テトリスのように)シンプルだが何回もプレイしたいゲーム性をもたせる

 1は、物量作戦ですから、増やせば増やすほど長時間あそべます。本でいうと分厚くするわけです。その分エンディングまでの道のりは遠大になります。私は分厚い本はあまり好きではありませんので、2のような、ちょうど薄いが何度も読み返す詩集、のようなゲームでありたいと考えていました。いや、たぶんどんな企画者もそうだと思いますが、後者の方が明らかにゲームとしては洗練されていると感じるわけです。
 そこで、もし2でいくとなると、「長時間=何度でも」遊べるような、つまりリプレイアビリティー(re-playability)が必要となってくるのです。
ところが、この「リプレイアビリティー」というのは、企画書上では測定することが極めて困難なのです。

 この点は任天堂から本開発へのGOサインが出るまでなんどもディスカッションがもたれた、まさに「最初の焦点」でした。対戦型にできないか、あるいはマップ数を100に増やせないか、などなどいま思うとぞっとするようなアイデアも出てきました。しかし幸いなことに、ちょうどこの時期、開発費用が膨大になる重厚長大ゲームからのユーザー離れが指摘されていた時期であり、いまのNintendoDSがそうであるように、任天堂タイトルも一般ユーザー向けにLight & Cheapを目指す転換期にあったころのようです。

当初の企画段階ではマイク入力が企画されていた「大玉」も、マイク製造の予定が明確にはなかったため、途中で、タルコンガ ( ドンキーコンガに付属の太鼓デバイス ) に企画を切り替えていました。結果的には、このタルコンガをオプション対応させ、「 2 人プレイなどいろいろな遊び方ができる」という方向性で行こうという決着をみることになります。 ( このタルコンガは気に入っていたのですが、諸事情から後に没になり、マイクデバイスへと回帰してゆくなど誰も夢にも思いませんでした )

第二の課題「兵の数とふるまい」
そして二番目の壁は、「どこまで 3D の兵を出現させることができるか」。 試作品は処理落ちを避けるため 2D の板ポリ兵を動かしていたのですが、それですとカメラ位置を変えるとばれてしまう、ということでの 3D 化です。

●●第二の壁「兵の数と振る舞い●●

そして二番目の壁は、「どこまで 3D の兵を出現させることができるか」。 試作品は処理落ちを避けるため 2D の板ポリ兵を動かしていたのですが、それですとカメラ位置を変えるとばれてしまう、ということでの 3D 化です。

処理落ちというのは、描画計算が本来の時間内にでききれず、アニメーションの動きが遅くなってしまう現象をいいます。いわばコンピューターの限界値です。企画ごとに異なる要素が多すぎて、これらの上限はつまるところ実際にプログラムを組んで動作させてみないとわからないものです。
シミュレーション系のゲームというのは、ユーザーによって展開がかわる性質を持っています。出兵させる兵数もしかり。何人の兵を戦場に出兵させるか、はユーザーの判断でかえられるというのがおもしろみでもあり頭痛の種でもあるわけです。
「タワー SP 」のときもそうでしたが、「最大何人の住人が移動できるのか」は企画段階ではわからない。開発途中であっても他の処理との兼ね合いで上下するわけで、これはすごくやっかいな問題です。
 ですからシミュレーションゲームのやっかいなところは、可能性として考えられる「上限値」を基準にしなければならないことといえます。画像表現が「しょぼい」となりがちな理由はこれです。しかもひとつの画面内にすべて表示しなければならない。ここがシナリオ型タイトルとの最大の違いということになります ( 実は誰も気づかないと思いますが、「大玉」では面ごとに出てくる兵の最大数が違います )

●●「どこまで兵のポリゴンを下げていいですか?」●●

初期に岡安氏から頻繁に確認された質問はこれでした。
「もっと下げちゃって結構です」きまってこれが私の答えでした。
「人間らしさは、俯瞰した時の動きで表現しますから。」得意げな口調で私はそう付加したものです、これがあとで泥沼にはまる原因になると思わずに。

人間はエンターテイメントにおいて、ことゲームにおいては、実際の世界とは異なる世界を体験したいものです。私は兵たちがわらわらと交わる合戦場をすべて神の視点で俯瞰(ふかん)させたいと思っていました。しかもそこにリアルタイムに介入したい・・・。
 一般的に物語りを伴うゲームの場合、3D処理落ちの問題を回避する手法として、主人公に部屋を移動させたり、場面をかえたり、あるいは回想シーンを挟んだり、ムービーでつなげたり、といった、実は一度に見える範囲を制約することで品質を維持することを行います。しかしピンボールが高速に移動する「大玉」では、こういった手法は使えないことがあらかじめわかっていました。
「最大何人の兵がだせるのか」を限界まで引き出すために、本タイトルにおいては、兵一人ひとりのポリゴン数(CGオブジェクトを構成する多面体の頂点数)をぎりぎりまで下げています。クローズアップ画像で兵のからだがほとんど板のように見えるのはそのためです。

●●単体ではなく群で表現する●●

「大玉」のプレイ画面を見た人は、まずば爆笑します、人種・国籍をとわず。
私は、ゲームにおける「笑い」というのはとても重要なサインだと思っています。これは「完全に理解し、緊張を解いている」という状態だけが出すサインだから。
 ボーリングのピンが吹っ飛ぶのをみて笑う人はいません。「大玉」で爆笑させられているのは、プレイヤーがそこに兵たちの人生を感じているからです。「一生懸命に」「わらわらと」「無力にも」「不運に」といった兵たちの人生と、それに反して冷酷なまでの「大玉」の威力。プレイヤーは知らず知らずにこれらの起承転結を脳裏で構成しているのです。
 こう言葉でいうとたやすいのですが、いざこれらを言葉を使わずに「絵」だけで笑わせるというのは、四コマ漫画の手法に似ていて、けっこう高度です。これを実現するために、兵たちがロボットのように見えないように状況によって「ゆらぎ」を与え、あたかも意志を持っているように見せる必要がありました。
 たとえば「集まれ」というコマンドで呼び寄せられる兵たち。普通にプログラムされたものでは、だれもが一斉に、一直線に、同じルートで移動を開始してしまいます。まるでロボットです。
 これでは誰も笑わない。かなりよくないサインです。


●●文字では表現できないもの●●

 出陣するときは、元気よくいっせいに、でも中盤あたりでは、疲れているから、ばらばらと、ちんたらと、といった表情を、一人ひとりのモーションとしてではなく、全体として表現するには、兵たちに条件文を持たせることになります。これが、仕様書では、もはや、伝えられない、ちょうど映画監督の演技指導のような状況を生み出すわけです。しかも演じてみせる、ものではないので、プログラムを変更しては再度プレイする・・・。これがかなりのストレスとなって企画と開発の間に立ちはだかった課題だったといえましょう。場所が近ければ頻繁にやりとりできるのでしょうが、遠隔でとなると、深夜まで延々と電話で数百・数千の言葉を駆使して岡安氏との議論を繰り返すことになる日が続きました。

企画合宿でのスナップ。朝方撮ったもの。どろどろでしたね、Nくん。