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斎藤由多加のブログだよ

リセットのコスト

人間は、定期的に自分をリセットする行為が必要だ。それまでの自分をばっさりと切り捨てて、真新しい自分と出会う、そういう意味でのリセット。ちょうど失恋した女性が、髪型を変えたり、長期の海外旅行で昔のボーイフレンドを忘れる、といったような・・。

過去をばっさり断ち切るには、景色を変える必要がある。だからそれには「廃棄物処理」にも似たエネルギーとコストがかかるものだ。所詮人間の脳みそなんてそうそう変わってくれるものではないから、こういう行為でもしないと、煮詰まった挙句に、枯渇した自己の否定に矛先が向いてくる。これは避けないとまずい。

学生時代はそういうリセットが定期的に、そして自動的に僕らを訪れた。同窓生たちとの別れと、見知らぬクラスメートたちとの出会い。インクのにおいがプンプンする新しい教科書と、あたらしい制服、そして見慣れぬ校舎が自分の新しい門出を演出する。「きまりごと」だから当たり前のようにしてきたけど、「脱皮」という一大イベントには家族ぐるみで大変なエネルギーを費やしてきた。

しかし大人になってくるにつれいろいろなものを所有するようになる。だから脱皮のタイミングってのが、どんどんと減ってくる。とくに自分で何かを営んでいる人は、サラリーマンのような転勤とか転職という機がない。だからあちこちで歓送迎会をやっているのをみるとうらやましく思えてくる。事業をたたんで、人間関係を変えて、住まいも移る、なんてことがあるとすれば、それは「夜逃げ」くらいだ()。もし自分をたちきりたいなら、意図的になにかを行わない限り何も変わらない。

僕たちは日々見慣れた景色の中で生きている。そのいつもの景色の中に、たとえば昨日や先週や先月の痕跡がたくさん残っていて、そこにはいいこともわるいこともぜんぶ含まれている。そんな景色をかえてしまわない限り、しがらみの記憶を断ち切ることができないものだ。

そんな中で「はやくリセットして新しい企画に取り掛かってください」というリクエストがくる。言葉で言うのは簡単だけど、この「リセット」というのはなかなか大変なイベントだ。

日々というのは瓦屋根のように前後関係を持っている。先々月に納品した仕事の入金を待ちながら意識をリセットする、なんてできるものではない。

僕の人生で新機軸を企画した時期というのは、きまって周囲の景色ががらりと変わったときだった。ヒットタイトルが人生の転機とかぶっていたのは偶然ではないと思えてくる。脱サラしたり海外に移転したり、といった転機がそこにあった。そしてそういう環境をつくるためにけっこうなコストとエネルギーがかかっていた。その名目は「引越し代」とか「立ち上げ費用」であって「企画」とは無関係に見えるけれど、とても重要なことだったと今にして思う。

だけど一方で、こんなことを繰り返していて会社経営なんかできるわけがない。「転石苔をむさず」なんてことになる。

なもんだから、新しい企画を立てる、という仕事は過去をばっさり捨て去らならとならない、という点で、事業を営むことと背反している気がする。「新」という言葉ではじまることは、それくらい無駄な(?)金がかかるものだ。自分をリセットするという「膨大なコスト」。

「開発にいくらかかる?」ってのが常套句であるゲーム業界は、実は企画にあまり敬意を払わない。敬意はともかく金は払わない。あくまで開発の付属品、それが企画である。もし「企画にいくらかかる」なんてことを聞いてくる人がいたら大した人にちがいない。"ふつうの人"は企画をただでできると思っているふしがあるから。

だから企画者は開発チームの一部でいないと生活できない構造がこの業界にはある。それが肝心の企画の幅をせばめてしまう。

それでも前に進まないとならない僕らは消耗品なんだと思う、文字どおり。

でもそれでいいのかもしれない。

ゲームなんかよりももっと厳しい環境にあった先人の作家たちは、それらのさまを「自分の血を売る商売」なんて表現したくらいなのだからね。