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斎藤由多加のブログだよ

人はなぜ独立するのか(後半)

世の中には自己実現を仕事に求めるタイプの人と、そうではないタイプの人がいる。
僕は、自分のすきなことを仕事にしてきたので、いうまでもなく仕事が自己実現の手段になっている。

こういう考え方の人間は、おのずと「ほかの人もそうに違いない」と思い込む習性があるようだ。それが大きな間違えであることに気づくのは、そしてまた、それまで生きてきた自分の価値観と現実とのギャップに愕然とするのは、独立創業よりかなり後の、いわゆる一般社員が入り始めてから遭遇するひょんな出来事においてである。僕はおそらく、かなりの勘違い野郎であったと思うし、それが是正されきれていない節がいまだにある。このあたりに関してはまたあとで話すことにするけど。

何がいいたいかというと、会社や仕事を自分の人生の最大目標においている人というのは、むしろごく一部の人間である、という事実こそが、もっとも大きな発見の一つなのである。

映画には主役がいればその横に脇役がかならず存在する。僕は大滝秀治さんという俳優がとても好きで、ゲーム作品に登場してもらったことがあるのだけれど、この上なく魅力的かつ独特の雰囲気の存在感をもつ役者さんである。でありながら、大滝さんは映画で主役を演じるタイプではない。だからとても長い役者人生を送っておられる。

主役を経験したスターで長く続く人はわずかである。主役しかできない存在になってしまうからではないかと思われる。

蒲田行進曲の銀ちゃんじゃないけど、主役級のスターというのは主役出演か、あるいはまったく出演しないか、その二択しかない(特別出演とかいう謎の出演形態を別とすればだが)。脇役であれば、飽きられることなく多くの作品に出ることができる。主役が変われば、その人の脇でまたちがった味を演出することができる。でも主役というのは言い方を変えると「つぶしが効かない」とでもいいましょうか、転向できない存在のことをいうのではないか、とすら思えるのである。

だから、主役としての出演を決断するには、慎重に判断しないといけない。自分が本物の「主役人生」に耐えていけるだけの資質があるのか、を。

経営者も同じように思うのである。独立して成功している社長たちには、どう考えてもサラリーマンにはなれないというオーラの人が多い。そういう人たちは、このまま自分の会社を成功させつづけるか、あるいはのっとられる/はたまた没落か、いずれにしてもふたたびどこかの会社に勤務しなおせるとはとうてい思えない人が多いのである。(そういう人の雇用は上司になる人がかなりいやがるだろうと思うし) 極端な例だけど、孫正義氏が事業に失敗し、どこかの企業に入社して再出発する、というのがどう考えてもありえない、そういうことだったりする。
だから、経営者タイプの人ってのは、組織になじめない人が多いというのは、そういう観点では「真」ではないかと思う。(その逆の、組織になじめない人が経営者向きか?ついてはまだわからないが)

そう考えていきつく結論というのはですね、そもそも人類には独立するタイプという人が一定確率でいて、そのタイプの人は遅かれ早かれ独立する運命にあるということではないかということである。

そしていったん独立して事業が失敗したときというのは、社長たる人であればあるほど、たどる運命はスター俳優のそれに似ている気がするのである。

だから経営者というのは孤独になりがちで、夜や週末には、どういうわけかおなじ経営者同士で行動することが多い。敵でありながら同志という不思議な感情がそこに芽生えるわけで。

つまり、独立を考える上で重要なのは、自分が独立タイプの遺伝子をもった人間なのか、あるいはそうでないタイプなのか、それを見極めることではないか。もし違うのであれば名脇役を目指したほうが絶対に得である。なにせ主役よりはるから長い役者人生をつくることができるからね。

さて、人はなぜ独立するのか?という疑問への答えであるけれど、僕が思うに、神様が一定割合の人間にそうプログラムしたからではなかろうか、そしてそれこそが人類をして氷河期のベーリング海峡をわたらせたエネルギーだったのではないか、と思うのである。そのプログラムの有無をきみわめる方法を僕はしらないけれどね。

そういえば何かの本で読んだことがあるけれど、アジアから北米へと海峡をわたっていった(日本人と先祖を同じくする)北米のネイティブにはO型とA型の人しか、さらに赤道を越えて南米にたどりついたのはO型の人しか存在しない、という事実に、もしかしたらそのヒントがあるのかもしれない(笑)。なにせBとABが脱落したことだけは生物学的にはっきりと証明されているのだから・・。

ちなみに僕はAB型なのである。