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斎藤由多加のブログだよ

言葉の力、言葉の限界 その1

今日の会議で、めずらしくスタッフをきつく叱った。
そのテーマは、「ことばへの畏敬の念がなさすぎる」という内容である。
テーマであることばの力を試すかのように、今日の僕はとうとうと言葉で語り、そしてまちがえを追い詰め、そして霞のように消えてしまいがちな問題の本質を顕在化させようとあがいたつもりである。

さてでは今回の問題の本質とはなにだったのか?
それは、"混沌とした現象"から問題点をしっかりと抽出できているか? そしてそれを伝達し理解させているか、ということである。

ゲーム制作の途中段階で、「つまらない」という状況判明してきたとする。「つまらない」というのは、たとえばファミレスの新作メニューが「まずい」という現象にも似て、サービスとしては致命的である。しかし、「髪の毛がはいっている」とか「腐敗している」といった衛生基準の致命症とはちがい、発売中止となる要因ではない。

デバグもこれにている。食品の衛生基準をクリアせんとするがあまり仕様をすこしづつ封印しつづけてゆくと、衛生基準を満たした味はぱっとしない料理ができあがってくる。しかし往々にして関係者はそれに気付かない。その結果出来上がってきたプログラム群を一般的には「バグのないクソゲー」とよぶ。

だから、プロはどこがで「おい、味がまずくなってきてるぞ」ということに気付き、大きな声で問題提起しなければならない。それこそが料理の価値であり料理人の本業なのだ。

が、やっかいなことに、「味」というのは、美的なセンスであり、質的な価値観であり、ま要するに感性の問題ととらえられやすい。基準が不明確なだけに誰かが言い出さない限り問題が顕在化しない。しかも、大勢のスタッフが関わるチーム作業の真っ只中にいてそれは摩擦を誘発しやすい行為ともいえる。したがってこの問題を顕在化させるためには、感受性だけでなくいささかの勇気が必要となる。

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プログラムというのは、曖昧な完成を、曖昧さを受け付けない機械語に翻訳する作業である。「味がまずい」という感覚的な問題を、具体的に、論理的に分析して、具体策に転換しないかぎりなにも改善しない。

ということは、誰かが、「まずい」という現象からその問題の原因を発見することでそのレベルから脱却する必要である。でないと、問題解決の術に関しては盲目的という点で素人となにもかわらない。つまりこれは難易度の高い発想作業である。

そこで不可欠なことはなにか?、それは「そもそもどんな味にしたかったのか?」という初心である。これがなければ作業は迷走する。

その初心、(ないしは制作の狙い)をまずは自覚し、それとの対比において問題をきっちりと明確化させた上で伝達し、そして改善策にむかって一丸とまとまってゆくには、問題が論理的な「ことば」で表現されなければならない。「まずい」とか「つまらない」といった現象面だけではだめなのである。

この作業は、つまり混沌の中から問題発見をし、それを解決させる方法を論理的な構造体として記述する、つまり非言語→記号への変換行為そのものである。

このプロセスにおいて、説明が不完全、つまり手抜きがあると、とんでもなく大きな二次災害へとつながる危険性がある。

つづく