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斎藤由多加のブログだよ

人生の縮図について

いま、とても不思議な経験をしている。

北京原人を育成するキット、という、すこし人をくったようなキャッチの『シーマン2』、は、ここだけのはなし、その子孫として登場する人間の営みがメインになってくる。ジャンル名は、『箱庭型人間関係構築ソフト』とする予定である。(これも人をくったなジャンル名だが、今日のセガさんとの会議で発案した言葉である)

ただサブタイトル名には人間ではなく北京原人としたのは、人類の自我の芽生えから体験してもらいたいから。言葉のはなせない北京原人を育成するのは、ただの「人間育成」とはスケール感がだいぶ異なるだろうから。(くわしくはこちら)

そんなシーマン2というソフトは、まったく意図せずに、しかしあたかもそれが必然であるかのように、旧約聖書のような世界になってきた。企画当初から4年間、コンセプトはいっさい変えていないのに、そして宗教的な考えは一切排除するポリシーで進めてきたのに、ここにきて忽然と出現した世界は、あたかも聖書世界のように思える・・・。

天地創造、禁断の果実、アダムとイブ、ノアの箱舟・・・人がたどる道を凝縮すると、やはりこういった構図になってしまうのだろうか? 自分でも不思議でならない。

僕は、ゲームにBGMを入れるのが嫌いだ。
断片で構成されるシミュレーションと、直線的なBGMは背反する関係だと決めつけている節がある。だから、環境SEにはこだわる。心地良い環境音は音楽よりも音楽的だから。

しかし、旧約聖書のような世界の中に突然と発生する絵画の象徴的シーン、それが、ただの偶発的な『他人のそら似』ではないよ、といいたい瞬間がある。そのシーンをつくりだしたのはまぎれもなくユーザーであるが、それは偶然ではないよ、必然なんだよ、といいたい光景。

どうやってその意思表示を伝えようかと考えているうち、バッハのG線上のアリア、が脳裏を行き来するようになった。

今日、自宅にYAMAHAの電子ピアノを運び込み(I君、Y君、T君ありがとう)、楽譜を探し出した。母の記憶、父への提言、そして死別、動物の捕獲、樹木の伐採と砂漠化、温暖化と島の水没。G線上のアリアは、人生を俯瞰する光景にとても明るくそして切なく響く曲だと思う。

ユーザーが育成する人類の生へこだわればこだわるほど、環境はどんどんと悪化する構造がここにはある。多くのスタッフたちによって実に精巧につくられた生命環境、いや,人生の縮図が展開するためのシミュレーション構造ができあがりつつある。