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斎藤由多加のブログだよ

ランチ・バイキング食べてきました

ただの日記

「バイキング料理」ってのは日本語の造語だから、英語圏では通じないわけで、最近はビフェという本来の単語に日本でも置き換わりつつあるようだ。

それでもまだときどき見かける、時代がかった感のあるこの「バイキング」っていうサービス名は、年齢とともに魅力的でなくなる。大食いの若者むけというか、質より量というか、味がまずそう、というか、つまり食のサービスとしてはすこし蔑んだ気持ちで見るけらいがある。

今朝、もうほとんど正午近い時間、京都のホテルをチェックアウトし、その一階にあるレストランでひさびさにこの言葉を見つけた。そんでもって、ついうっかり入ってしまった。

なんで入ってしまったかというと、看板に写真入りで「XXX牛のステーキ」などと、実に旨そうな目玉メニューが掲げられていたから。

千葉真一じゃあるまいし、起き抜けからステーキ喰うんかい!?」と思いつつも、その写真にうつっている牛ロースの芳醇な色合いにむざむざと引き寄せられてしまったわけである。すこし良くなってきたとはいえ胃潰瘍のせいで食後はかならず胃痛になる。だから、まさに、「にもかかわらず」、である。

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テーブルに座り、ウェイターの持ってきたメニューを見ながらながら料理の陳列カウンターに目をやるとを見ると、パンプキンのスープからカレー、ピラフ、パスタ、揚げ物、各種デザートにいたるまでずらりと用意されていて、あとはスタートの11時半を待つばかりという風景。

ここのバイキングは2800円で、考えようによっては安いのかもしれないが、ランチにしては高い。だから、「もとをとれるか?」というあさましい計算をしてしまう。もととはなにか?というと、結局、分量であり、選択肢の種類である。おいしと思える眼環境、はここにはいってこない。迷ったけれどあとで後悔するとうすうすわかっていながら、結局「バイキング」を注文。

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バーゲンもそうらしいが、このバイキング、人間の欲望の権化を目の当たりにすることになる。時間になったとたん、いままでどこにいたんだ、という数のおばちゃんが一斉に出現し始め、「大玉」の兵のようにステーキカウンターの前に集まり、シェフが焼きあげたステーキ第一弾を奪い漁ったのである。

「あんた、そんなもんでいいの!?」
体格のいい娘にそう叱咤する母親と思しき女性は、娘が脇にスライドしたことでできたスペースにその体を滑り込ませ、完全に他の客をシャットアウトする。そしてその肉々しい体で配膳トレイの前を完全にガードしながら瞬時のうちにカットされたステーキを器具でつまんで選別し、よさげなものからさっさと自分の皿にもった。それはまるで観光地で餌をつばむかもめにも似た光景だった。

このような行為が幾度となく繰り返され、皿の上にいつも残るものは引きちぎられた脂身部とたれの混合物。いい歳の男であるが故の「かっこつけ」、あるいは「照れくささ」もあって、陣営の中に飛び込んでゆけない自分は、遅ればせながら数分後にステーキを獲得し関に戻るわけだが・・・・・・

こういうのって、やっぱ僕には向いてない、とあらためて確認。 

闘争心むき出しのおばちゃんが下品で嫌いだ、というのではない。「自分はそうじゃないよ」と上品ぶる自分が、いつまでその演技を続けられるか、まったく自信がないのである。所詮自分も同類である。いや、正直に闘争心をむき出さないぶん、僕のほうがさらに下品である。

******************************ステーキを食べながら、昨日新幹線の中で読みかけていた本のことを思い出した。
桐野夏生の「東京島」(新潮社)
無人島で漂流した男31人、女1人がセックスを交えながらサバイバルする小説である。
そのリアルなえぐさがたまらない作品でご一読をお勧めする。

で、この「バイキング」という謎の造語。・冒頭で馬鹿にしたけれど、実は意外に、このサバイバル闘争のニュアンスをいい当ててるかも・・・理由はうまくいえないけれど・・。

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