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斎藤由多加のブログだよ

形容詞という魔物

今日車を運転している際に、ラジオから聞こえてきたFM番組。それによると、今年の2月3日はメンデルスゾーンの生誕200周年の日だそうです。

その番組曰く、メンデルスゾーンは作曲家としてだけではなく、一度見た譜面や聴いた楽曲を詳細に記憶する能力に極めて長けていたそうな。完成した協奏曲の譜面が、演奏前に失なわれたのですが、彼は記憶だけですべての譜面を書き直し、その後発見されたオリジナルの譜面との間違えが、なんとわずか7ヶ所だけだった、という話。

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僕は、クラシック演奏には疎く、譜面がどけだけの分量のものかよくわかりません。なので、7ヶ所の間違えが、どれだけすごいことなのか、もわかりません。

ただこの番組による「わずか7ヶ所だけだった」という形容詞に込められた、「きっとこれはあり得ないくらい少ない数字です」というニュアンスに流されて「それはそれはすごいんだろうな」と理解している自分がいるのです。

もし

「じゃ聞くけど、他の作曲家はどれくらい間違えるものなの?」

そう聞かれたら、僕は何も答えられない。そう、実は、僕はメンデルスゾーンの記憶力の偉大さについて何もわかっていないのです。

僕たちが記憶している情報のうち、形容詞の部分はもしかしたらかなり放送局の主観かもしれない、なんてこを考えてしまう。

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メディアの人はいつでも「事実を正確に伝えなければならない」という使命感を持っています。

ですが、長年メディアを見ていると、だんだんメデイアとの接し方もこなれてきて、番組内に「あれ?」という表現が、平然とおかれていることに気づくようになります。

最近ですと、「いまの麻生政権をどう思いますか」という街頭インタビュー。

新橋の機関車前などでロケした会社帰りのサラリーマンたちが各々の思いを語るのです。その大半が「麻生さんはもうだめだ」みたいなコメントなわけです。

こういう報道が続くといつしか「麻生政権はもうながくないな」という風潮があちこちに生まれてくる、これがいつものプロセスです。

街頭インタビューが、何人の人に行われ、どれくらいの人数が不支持で、放送はそのどこをつまんでいるのか、は、まったくわからぬまま、「編集」のさじ加減が僕らの印象に残る。それはまるで先述の、メンデルスゾーンの「わずかXXXだけだった」という印象表現と同じです。

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朝青龍は、数字で結果を証明できる分野の人でした。なので初場所前のやじ報道を封じ込めることができた。政治のように、評判が悪いからといって国民に真意を問う必要はない。しかし、政治のように、答えが出るまで時間がかかったり、結果が見方によってかわるもの、だとメディアの力は絶大です。

いまの日本にとって、本当に必要な総理像はどんなものなのか、そして彼に政治をどうしてもらうすることなのか?とても大切なことなのに、その答えが、少なからずメディアに影響されている自分が歯がゆいんだな・・・。