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斎藤由多加のブログだよ

人間メッセンジャー

大学3年の春休みに、1ヶ月ほどアメリカに一人旅行をしたことがある。
そのほとんどはニューヨークに滞在して、帰りにL.Aと、ホノルルにたちよって帰国した一ヶ月だった。

たいしたお金がないので、ニューヨークではYMCAに宿泊していた。ビデオカメラとデッキ(当時は一体型ではなく、いまのテレビロケ用ほどの大きさがあった)を同級生の盛田君(ソニー一族のご子息)から借りてもっていったのだが、その映像の一部は後に建築学科の卒論ビデオに使用した。

だけど、このビデオが一番に役立ったのは、このYMCAで知り合った初老の男性の映像をホノルルに住む日系のギャルに届けたことだったと思う。なんとなくノスタルジックにその話を今日はしよう。長文になるが・・・

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退役軍人のその老人は、ニュージャージーあたりから癌の治療で市内の病院に通院するためにYMCAに滞在しているという。名前は完全に忘れた。

さてこのYMCAというのはいわゆる格安の宿泊施設で、そのかわり最低レベルの空間を提供してくれるだけだ(最近はどうなのかわからんが・・)。だから学生とか貧乏旅行者しか宿泊しないんだが、そこでの隣人として僕はこの人と知り合った。

ある日「ミソスープを買ってきてくれ。日本食は癌にいいんだ」彼はそういって僕に味噌汁を買いに行かせたいようだっだけど、僕はどこに買いに行ったらいいものやら、てんでわからない。たいした役に立たなかったけど、親子以上に年が離れたぼくらは夕方会うたびにとても仲良くなった。

そのおじさんが、「ホノルルに行くのだったら是非会って欲しい知人がいる。独身の美人だ。オレがキューピッドになるから」とある日言い出し、僕に住所をくれた。「知らない土地で、用件もないのにいきなり住所をいきなり渡されたってなぁ・・・」と生返事で答えていた。

ニューヨークでは日々何処を訪れたか、についてはろくに覚えていない。グリニッジビレッジあたりをただ回ったり、地下鉄でセントラルパークあたりに行ったくらいは記憶にあるのだけど・・・ただウォークマンにいれてきたサザンの「がんばれイエローニューヨーカー」が流れてきていたことを強く記憶している。あ、それからコロンビア大学に留学していたT君も訪れた・・けど、引越しで忙しいととても邪険に扱われたっけなぁ・・。友達がいのないヤツだとその時は思ったけど、今でもすごくそう思っている(笑)

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そもそも二十歳の学生がいきなりニューヨークに行く、と言い出した理由なんてたいしたことはない。深夜のオールナイトニッポンで桑田圭祐が、佐野元春のことを「単身で乗り込んでゆく勇気はすごい」といつも褒め称えていただけのことだ。後に佐野元春はその時に制作したVISITORというアルバムで日本にラップを持ち込んだ。

さて、話はもどって、いよいよNYを離れる日が近づくと、ある日突然、その老人が軍人時代の帽子をかぶり僕の部屋のドアを叩いてきた。驚く僕にかまうことなく部屋に入り、「ビデオを廻そう」と言い出す。そして回りだしたカメラにむかってああだこうだと彼女向けのメッセージをいれたのである。とり終えると「このビデオを絶対に届けてくれ」といい、そしてすこし涙ぐんだ。

最後の夜は、ビレッジのBlueNote(老舗ライブハウス)で、ジャコ・パストリアス(ベーシスト/words from Mouthというバンドを従えていた)のライブを一人で見た。酔ってタクシーで帰宅し、その翌朝僕はNYを後にした。

そのテープとともにホノルルに到着したのはそれから1週間のことである。

その「彼女」の連絡先は、たしかFirst Hawaiian Bankのホノルル支店だったと思う。勤務先に電話をいれメッセージを残すとあとでホテルに折り返し電話がかかってきた。それまでの経緯を簡単に説明し、翌日ランチをご一緒することになった。

どうやって落ち合ったのかはよく覚えていない。連れて行ってくれたのはたしか座敷がある和風のレストラン(観光地に多いタイプ)で、スキヤキだか天ぷらだかをご馳走になったんだけど、味はおろかろくに料理なんて覚えていない。なにせ彼女にその老人のメッセージビデオをみせたくてうずうずしていたし、それ以外のことを考える余裕はいろいろな意味でなかった。

(モニターがないので)カメラのモノクロモニターとイヤホンで、それはまるで不慣れな放送局のスタッフみたいにファインダーを覗く彼女を横で眺めていただけなのだけれど、、彼女の眼からは大粒の涙がぽろぽろと落ち始めて、ただただおどおどするしかなかった。

いわゆる日系アメリカ人の彼女は、日本語はまったく話さない。名前も忘れてしまったけれど、一つ年上で、とても明るい、そして美人だったことだけは記憶している。

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帰国して数週間して、手書きの(とても読みにくい)手紙がその老人から届いた。それを解読するように読んで、僕も手書きで手紙を返送すると、またその返事が届いた。

あたらしい学期が始まっていたのと、学園祭の準備があるので、といってもいちばん正直な理由は「とても面倒な作業だったから」なのだけど、僕の返事は遠のき、老人からの手紙もいつしか途絶えた。 もう25年近く経っているから生きているとは思えない。電子メールがあったなら、と思う事がいまも時々ある・・。いや、もしメールがあったなら、ビデオメッセンジャーなんてこと自体が不要かな・・・となると、この経験は今となっては成り立たないことかもしれない。個人情報やらプライバシーやら防犯やら、やっかいな時代だから・・。

貴重な体験といいたいところだが、結局この旅行で僕は、世界の中心を見てきたようで、ほとんどなにも見てきてはいないことに僕は気付いた。ただの肝だめしみたいな観光旅行だったと思う。無銭旅行を生き抜くつもりで行ったけど、「頼むから持って行け」、と母に持たされたクレジットカードに後半はほとんど助けられて戻ってこれた次第である。このおじさんの体験だって、「いい話じゃないか」という人もいるだろうけど、その日系のおねえさんと後日結婚したというならいざ知らず、どこにでもある程度の話にも思う・・・。

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実をいうと僕はニューヨークは、あまり好きではない。社会人になってから仕事で4-5回訪れたけれど、それらはたとえばNY支社の訪問(サラリーマン時代)、調査のための出張、あるいは世界の著名な方との面会、それらは映画シェルタリング・スカイの音楽制作中の坂本龍一氏やTEDの議長リチャード・ワーマン氏、KISSのジーン・シモンズ氏との面会といったものであるが、いわゆる目的のはっきりした案件で訪れたものばかりだ。 セレブな街というのは僕のような人間にとってはある意味、居心地の悪い街でもある。プライベートにはどちらかというとだらりとマイペースの西海岸が好きで、かつて住んでいたバークレーもそういう理由から選んだ。高層ビルや都会の喧騒はどうも身体に合わないと決め付けているから「ニューヨークでバケーションを過ごす」という人の気持ちがわからない。

だけれど、夜々、我がもの顔で酒を飲んでいる愛すべき六本木も、旅行者から見れば排他的で、セレブで、いかにもまゆつばっぽいビル街にちがいない。この土地でうまい酒を飲んでいるという自分を逆分析するならば、ニューヨークももっと深く食い込んでみれば、実は水の合う街かもしれない、とも思えてくる。

そう思うと、もう一度、ニューヨークにいってみようかな、という気持ちがすこしだけ沸いて来るのである。