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斎藤由多加のブログだよ

食資源と見栄とかマナーとかの関係

ただの日記

「もったいないなぁ」と思うことが多々ある。たとえば、ちょっと高級なとんかつ屋でふんだんに振舞われるキャベツ。

写真のキャベツは普通のキャベツだけど、とても美味しいのである。だがとんかつが腹にたまるから食べきれない。このキャベツは、いったん僕のテーブルに出された以上、残った分はすべて廃棄処分になるだろう。

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「俺が食べないとこいつらはただゴミ箱行きの運命だ」そう考えると、「じゃ、ビニール袋をもらって帰ろうか・・」という考えが一瞬脳裏をよぎる。が、一緒にいる客(仕事関係)とか、そのあとの行動を考えると躊躇してしまう。

一日でどれくらいのキャベツがこの店のゴミ箱に入るのだろう?結局見栄え(みばえ)をよくするためだけに育ってきたキャベツ・・・。

この「完全に捨てられるための食資源」って、日本で一日にどれくらいの量になるんだろうか?

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大手ハンバーガーチェーンでは、小さなプッシュアウトに入ったマヨネーズとかケチャップがとり放題だ。アメリカでは、ごっそりそれらを席にもっていって、そんでもって開封されないままごっそりゴミになる光景がある。やっぱりこれらも一度も開封されないまま。「もったいない」とおもうけど、かといってどうすることもできない自分がいたりする。

僕は贅沢は大好きなんだけど、無駄がどうにも許容できない。
オフィスのレーザーカラープリンターの調子がよくない、となると「買い換えたら」とすぐ人はいうんだけど、そのたびに直して留まってきた。修理の人が出張すると数万円もかかるから、三回お願いするなら買い換えた方が得だということになる。けれどもその性分なもんだからどうにもそれができないのである。

先進国ほど、土地や人件費の方が物資より高い。だから保管やメンテするより、捨てて買い換えるほうが安いということになる。けれども、そこは人間。理屈はどうであれ遺伝子は正直である。「そうかもしれないけど、これ(形あるもの)を捨てるのはやっぱもったいないよ」となる。この直感めいた感じってとても大切な人間的の感性だと思うけど、数式に負けてしまうわけである。

もったいない、という言葉を世界に流行らせよう、というキャンペーンがあったけれど、それでこの言葉は日本語にしかない概念だというけれど、僕にはそうは思えない。人間が本能的にもっている感覚だと思う。それを数式に勝てるように定量化するしくみ、それがこれからの時代に必要な気がする。