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斎藤由多加のブログだよ

記憶と記録と物質

ただの日記

フランスに立つ前のどたばたの理由は、ちょうど確定申告のシーズンだったから。

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3月にくる「確定申告」というのは、要するに前年度の個人決算だ。
会社の決算と異なるのは、経理担当者などがいないということ。つまり、経費台帳などが存在しない。(サラリーマンの場合は、会社が年末に調整してくれているので、原則、申告不要である。)

だから、経費(控除)にどんなものがあったかは、一年間の記憶と記録を辿ることになる。
僕のように、日々すったもんだして生きている人間にとっては、経費履歴なんていちいち残してないし、すべては忘却の彼方にすっとんでしまっている。要するに記憶は曖昧だし記録なんてないということだ。

ところが、出版社からは印税の源泉票とか、病院からは年間医療費の領収書とかが送られてくるわけで、それらのはいった缶をあけると、ありがたいことに、ここに必要な情報が紙という形で残されている。意識からは忘却されていても、これらの紙が物体として僕の記録を留めてくれているわけだ。僕がどれだけ酩酊したとしても、質量保存の法則があるかぎりこれらは存続し続ける。、春の暁の夢のように記憶がふっ飛んでしまう、なんてことはない。

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パソコンで仕事をするようになってから、この手の記録が少なくなった。サーバーにある企画書は日々動的に更新可能で、しかも伝送可能である。その対価として、かつてのようにバインダーに閉じられたエビデンスとして日付とともに保管されるということがなくなった。

サーバーのハードディスクが飛ぶと、だから僕の記録は消滅してしまう。物質はそう簡単には消滅しないけれど、デジタルデータは一瞬だ。

思いで深き光景を捉えた写真も同様だ。幼い頃の娘の写真は形を伴わせないままハードディスクに保管していて、いつしか消滅してしまうのではないか、という恐怖心が時おり自分の中を走ることがある。

P1060001

さてこれは40年以上前の、僕の子供時代の写真。両親が、この一葉の写真を「物体」として残してくれたことに感謝している。紛失することはあっても物体は絶対に「消滅」しない。デジタル世代の申し子である僕は、恥ずかしながらその存続する力に感服したわけである。

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日本橋の三井本館にある金庫。いまではすでに重要文化財に指定され、「建造物」ではなくなったと聞く。(これつまり法律上はオブジェや彫刻の扱いになるらしい) そのおかげで隣の区画に高層タワーが建造可能になったそうだ。博物館になった今もこの金庫だけはいまだにその体をしっかりと留めて活躍していると聞く。(写真は2002年に撮影されたもの)

2002_0308_145523
ここには、明治時代以前からの三井財閥の権利の記録がすべて物体として保管されている。ここに記録されている膨大な不動産の権利を金額に換算したらいくらになるのだろう。

人類の記憶というのは形がないだけに曖昧だ。だから人は、そこに質量を与えて保管することを発想した。100年以上前に当時の人々が合意した内容がこの金庫の中でいまだに形をもって後世へと主張をし続けているわけだ。その体はポロポロに劣化しながらも・・・。

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確定申告の時期になると、缶から出てきた領収書という紙製の物体が、地球上に生まれたその存在をすべて捧げて僕の記録を体現してくれていると思うと、愛おしく思えてくる。

情報ってなんだろう?
時々そう感じてしまう。