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斎藤由多加のブログだよ

ゲーム専門学校の学生諸君、および関係者の方へ

以前ここのブログで、生意気ながら専門学校の関係者の方へ、苦言を呈したことがある。
「産業界が本当に必要としていることを授業の中でしっかりと教えてほしい」と。

「おいおい、じゃ、斉藤という奴だったらいったいどんな話をするってんだ!?ちょっと聞かせてもらおうじゃねえか」
そう思うひともいたのではないだろうか? いや実は、ひそかにこういった反応が戻ってくることを期待してのことであったのだが・・。

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そもそも産業界というのは、培われた才能たちを学校という場から預かり、それを糧にして発展してゆくものだ。だから本来、産業界にとって学校は多くの生命を育む珊瑚礁のような存在だ。
いっぽうその見返りとして産業界は、学校という若き才能が集う土壌に対してその実地の情報をフィードバックする。学校はそれらの情報を軸に新しいカリキュラムを開発・提供する・・・この産と学の循環がいいループに入ってくると業界は栄えるというしくみだ。

さてゲーム業界はどうだろうか?
大学にゲーム学科はない。たぶんこれからも、ないだろう。
ゲームというのはそれだけ俗っぽい分野として見なされている。(実はとても応用範囲の広い手法であるにもかかわらず)整理して体系化を試みる者も業界にいない。結果、専門学校にその役割を担ってもらっているわけだが、じゃあ専門学校側はというと、なにをどうおしえていいやら、と困惑した状況のようだ。専門学校の卒業生諸君を見ていると、ただただ高い授業料を払わされているのがまったくの気の毒にも思えることがよくある。

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入社したての若い社員に、仕事中でこういう質問をすることがある。
「そもそもゲームとはどういうソフトウェアを指すと思う?」とか、「いいゲームは何がすぐれているものだろうか?」

彼らは、「自分の好きなゲームはFFとモンスターハンターだ」といった類いのことしか答えない。「ゲーム」という現在進行形の表現手法論について、基本的な議論をする場を学校は提供していないのだろう。

じゃあ技術や実地的なノウハウにシフトして教えているのかとなるとそうではない。「プロたちは予算や納期はどうやってまもるのか?」「どうやって工程管理をすると成功するか」「ゲームの設計はどうやって記述するのか」なんてこともまったく教わったて覚えがないという。そもそもそういう経験やノウハウを持った講師は学校にはいないらしい。その結果、専門学校はいわば業界へ就職したい学生のただの斡旋業者と化しているのである。

これではいつまでたっても、産業界と学校との関係は好循環には入らない。
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学校側にも諸々の経営的事情があるにちがいない。しかし学校と名乗る以上それは理由にはならない。あるいは、経営という点では企業と同様、改善を絶やしてはならない。
提案なのだが、もしそういう改善への取り組みを真剣に考えている専門学校の関係者の方がいたら、ぜひ私の所属する会社(でもいいし、接触のあるゲーム会社でもいい)にメールなどで接触していただけないだろうか。
時間の許す範囲で、私を含めたスタッフが、「産業界が実は必要としていること」とか「学生さんに知っておいてほしい産業界がもつノウハウ」などをお伝えしたいという希望を持っている。

それが講義や授業という形態でもいいし、学生さん相手と限ったものである必要はない。むしろ講師の方々、カリキュラムを作っている方々(そういう担当の人がいればの話だが)にも時間を割いていただく価値のあるものではないかとも思える。
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こんなことを唐突に書きはじめたその理由は次のとおりだ。
年末が近いということで、ここ数日の間にゲーム会社の役員らと会食をする機会が多い。
そして彼らが最近もっとも懸念していること、が、「人材のワンパターン化」なのである。
具体的にいうと、「発想力を持った人材が、最近全然いない」というのである。

発想は、教えるものではない、という考え方がある。いわば個々が自己責任で培え、という考え方がそれだ。
しかし、この発想の訓練こそ、社会競争に組み込まれる前から伸ばすことができる最大の手みやげのように僕には思える。諸先輩の前で萎縮していたら発想力なんてついぞ失われてしまうものだからだ。

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しかしそもそも学生は、どの業界でも新しい血、あるいはカンフル剤だ。
逆説的だが、企業が彼らを育てるのではない。彼らが企業を育てるのだ、という視点を学校の関係者たちはお持ちなのだろうか? いったん立ち止まって、オペレーター養成ばりの教育カリキュラムを再考してはどうだろうか?

学生は残念ながら、個々で購入した「ゲーム製品のプレイ体験」から学んでいるだけという事実が、いじらしく、そして切なく思えるのである。