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斎藤由多加のブログだよ

タイトルがやけにかっこいい本

お気に入りの一品

僕はそのむかし、リクルートという会社でサラリーマンをしていたことがある。
この頃職場で出会った人はもうほとんど退職してしまっているが、なぜかその多くは有名人となった。もう会わなくなったかつての先輩や同僚を、日々あちこちのメディアで見かけるというのは、慣れたとはいえ、なんとも不思議な気持ちだ。

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そんな当時の先輩の一人、Dさんがこのたび本を出した。リクルートという会社は多くの逸材を輩出しているが、その片鱗がこの本の中にあることを改めて発見した。

僕はコンピューターのセクションで、Dさんは当時総務の社内イベント担当だった。もう一人、人事部でBという仲間もいて、彼は奇遇にも中学・高校時代からの同級生だった。この3人で当時、居酒屋で作戦を練っては総務のイベント予算でさんざんいたずらをやった関係である。台風の目はいつもDさんだった。
ある時は日比谷野外音楽堂を借り切って、またある時は西武球場に場を移して、そしてまたある時はリクルート事件の真っただ中のTBSのスタジオからと、そのいたずらの規模も(伸び盛りの会社ならではの)際限のないでかいものばかりだった。僕の直属の上司で、最近ではどこぞの公立学校の校長をやっていたFさんやDocomoのimodeを立ち上げたM女史もその道の天才で、そういう先輩諸氏から、会社の予算で企画を実現する、という技を若手はおのずと身につけていったようにいまにして思う。しかしあのころは本当にたのしかったなぁ・・。

その中でもピカイチだったのは、社員と家族を集めての「運動会」だ。
そもそも日曜日に運動会をやったところで、へとへとに疲れた社員がわざわざ来るわけもない。
しかしイベント担当のD氏がいきおい押さえた場所が西武球場というのだから、数千人を集めることが担当者のノルマとなるわけで(当時のリクルートはこの「ノルマ」が全社員に課される会社だった)、集客のためにいいアイデアはないか、とD氏が相談しに来たところからこの事件は始まる。

僕はかねてより「一度やってみたいイタズラ」があったのだが、それをD氏に提案した。
当時、トヨタソアラ、という高級車が憧れの的だった。それに乗じて「クイズ大会の優勝賞品に世界の名車ソアラをプレゼント」というチラシをつくって社内報に挟み込んだのである。
当時リクルートの社員は全国に7000-8000人いて、彼ら全員がこのチラシをみてぶったまげたにちがいない。
僕の隣の課の課長までが「リクルートも社員にソアラくれるほどの会社になったのか!?日曜は親戚の結婚式サボろうかなぁ・・」とつぶやいていたのを記憶している。
だが、いくら伸び盛りの会社といっても、社内の運動会に高級車を出す予算があるわけもない。
賞品に用意されていたのは丸石自転車から出ている「マルイシ・ソアラ」という自転車だった。

「日本一の宝島」と題された当日の大運動会の集客数はすごかった。人数だけで言えば大成功だった。そして当たり前と言ってしまえばそれまでだが、このソアラのオチはウケるどころか、大ヒンシュクだった。二位と三位にはグアム旅行とCDプレイヤー(当時としてはかなり高額)を用意していたにもかかわらず、「ソアラ」に呼び寄せられた来場者たちへのインパクトは大きかった。制服姿で自転車に乗った当時の受付交換室の女性部長がエンジンの効果音とともにダッグアウトから入ってきたとき、場内は静まり返った。そしてネタが明かされたとたん大ブーイングとなった。そのコーナー司会をやったのは、実は新入社員の僕自身だったのだが、西武球場全体に巨大な怒りが渦となって包み込んだ瞬間を鮮明に記憶している。スタジアムのステージ上で、数千の群衆からブーイングを浴びせられる経験などそうあるものではない。僕はそれを二十代前半で経験した。そしてその恐怖の絶頂時、突然、雷がなり、そして大粒の雨がいきなり降り始めた。旧約聖書の「十戒」のような光景だった。午後の部はすべて中止となり、後味の悪いままこの大イベントは終わった。そしてリクルートの運動会はこのとき以来二度と開かれることはなかった。

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それから20年近くして初めてD氏から聞かされた事実がある。社長(江副浩正氏)がこの件でかなり怒って、総務部長とこのD氏を社長室に呼び出したそうだ。そして「君にはもう社内のイベントを担当してもらうわけにはいかない」と、実質の左遷人事をその場で言い渡したそうだ。だが、部署にもどってよくよく検討してみると、たかが入社2年目のD氏はそれ以上の左遷のしようがないほど下っ端である。D氏は高校卒業してすぐに入社したから、年齢は20歳なわけだから・・・・。だいたいこんな大イベントを20歳の社員に仕切らせることそのものが、ふつうの会社ではありえないことで、リクルートという会社はそういうことがあちこちで普通におきている会社だった。D氏の処分は「イベント担当」から「寮担当」へと左遷(というのか?)となったそうだが、非公式にかかわっていた僕の名は最後まで口にしなかったという。僕の耳にも気遣いでいれなかったというわけだ。若いやんちゃ仲間ならではの、ちょっとした友情かもしれない。だが今思えば、時代の寵児江副浩正氏から直接叱られたことの方がよっぽど貴重でうらやましい経験だと思う。

思うに、リクルートでは、イタズラ好きな人ほど出世が早かった。かくいうD氏もBも仕事の成績は抜群によかった。人事にいたBはトップ営業マンになった。僕も在職中はよく働いた。経営成果賞とか、あと名前はわすれたけどいろいろとたいした賞をもらった。楽しいと仕事はどんどんと伸びる。工夫もする。とにかく死ぬほど仕事をした。それが楽しくてしようがないのだから。こじんまりといわれたとおり仕事をしているときは賞なんてもらえないが、好き勝手に企画をすすめるようになると褒める、それがリクルートというめちゃくちゃな会社の特徴だった。会社というよりもまるで学校だった。要するに管理が行き届かない会社のほうが人は仕事をするのだ。
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さてD氏が出したのは、それから何年かあと、社内報に社員から寄せられたサラリーマンならではの悩み相談の連載を単行本化したものだ。タイトルが「食いしばるために、奥歯はあるんだぜ!」
今風じゃないけれどDさんらしい、そしてなんだかやけにかっこいいタイトルだな、とすこし感動した。
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実は僕も、この単行本化にあたり、知人代表の一人として悩みを寄せさせていただいている。
だから、毎度のことながら、ついに手にした本書を感無量で眺め、そして自分の相談ページを探してしまう。新刊独特の、印刷のにおいがぷーんとする中に、あったあった、僕の悩みへのD氏からのアドバイスが・・・。

その悩みへの回答がこれまた、いかにもDさんらしい回答でなんといっていいやら、笑えてしまった。ちなみに以下が僕の相談である。

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僕はゲームの企画をしている斎藤と申します。

さて、ぜひご相談にのっていただきたい悩みがあります。
というのも、私の仕事というのは、世の中にあるありとあらゆることを、数値に変換してシミュレーションモデル化することが要求される仕事で、とてもストレスがたまるのです。

具体的にいうと、自分の周囲の人間関係から、自然現象、性欲のわだかまり、生理現象にいたるまですべて数値化する癖がついてしまったのです。
(中略)

娘は多感な高校一年生ですが、こういう父親を持つと、ちょっとかわった人間に育ってしまうのではないか、とも心配しています。
僕は、我ながらこういう自分にうんざりしています。

職業病とはいえ、どうしたら、健全な父親として、いや健全な一人の人間として社会になじめるか、ぜひアドバイスをおねがいします・・・・。
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この悩みに対するD氏からの回答は、まるで四半世紀を経過した美しき思い出へのラブレターのような内容だった。
リクルートという会社のめちゃくちゃさは、戦後最大のスキャンダルとともにさんざん報道された。当時の若手社員までもが、ずいぶんとメディアからいじめられたが、でもこの会社ですごした時期は、僕らにとってはまるで心の中の宝石箱のように大切な思い出だ。

ここでは紹介できないようなとんでもなく笑える事件がまだまだたくさんあって、まるでそれは青春小説のようなものである。D氏とBと、本にしようという話もあったのだが、しかしそれはコンプライアンスという壁に阻まれて立ち切れになった。

D氏もBクンも今年、父親になった。みんな大人になった。あの頃のような青春時代はもう過ぎ去ってしまったのだろうか?

いや、ふたたびめちゃくちゃなチャレンジをする時期がいずれくるだろう。そうであってほしい。僕の人生はいまだにこのときのノリをずっと続けている気がするが、まるで墓守りのようでもある。同世代の仲間でそんなことをできる機会はめっきりと減ったしね。

ま、まずは、この「食いしばるために、奥歯はあるんだぜ!」というタイトルに、その思いを込めて瞼を熱くしてしまった僕がいたのである。