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斎藤由多加のブログだよ

企画者向け「コラボレーションノ勧メ」の本

橋本忍、という脚本家の名前を知ったのは「八ツ墓村」(松竹)の時だったと思う。つまり中学生の頃。

野村芳太郎(監督)、橋本忍(脚本)、芥川也寸志(音楽)と、誇らしげに広告に書かれていた。最初のお二人は「砂の器」のコンビ、とかともかかれていた記憶があるが、砂の器は見ていなかったので(当時)あまりピンとは来なかった。(砂の器をDVDで初めて見たのは4-5年前である。圧倒されすぎて、デジタルリマスター版を欲しいと思っている)

それから25年以上たって、「大玉」の製作準備あたりから現在にいたる5-6年、なぜかクロサワ作品の研究がライフワークのようになってしまい、この「橋本忍」という人の名前が最近の僕の中で急浮上したわけである。この「複眼の映像」という氏の著書もその流れで読んだわけだ。

僕は脚本家ではないから(でもその実、いまはシコシコとまるで学生のように取り組み始めているのだが・・それについてはまたいつか紹介するとして)、この本が脚本家志望の人向けのバイブル的存在なのか、あるいはきわめて高度かつルール違反的な技法の秘伝書なのか、今の僕にはわからない。

ただ、アマゾンから昨日とどいたばかりの本書にはすでに10回ほどバットで頭を殴られており、本書内のその「バット殴打部分」にはアンダーラインが引いてある。エッセイでバット殴打の経験は久々だ。

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黒澤組の脚本家チームは旅館に籠もるという話は有名だが、実際にそれが一つの部屋で、しかも日曜なしで二ヶ月近く休みもなく続けられたという話を読むと、そのどえらさがすこしわかる。業界違えど自分たちの努力不測、根性不足を嫌が上でも思い知る。

どんなに優れた職人でも、独りよがりの視点から抜け出だすのは容易ではない。そんな方法は僕も知りたいのだけれど・・。本書のタイトルの「複眼」という言葉には、その抑止的な意味がこめられている。予想以上に深いその意味は、たとえば黒澤作品の出来不出来にもこの共同執筆体制が大きく影響しているという事例の中に具体的に明かされている。

ちなみにクロサワ映画の脚本クレジットに、黒澤明の名前が入っていたりいなかったり、トップに黒澤氏の名が上げられていたり最後に来ていたり、という表記の違い。ずっと疑問に思っていたのだが、それらは貢献度などによる意味はまったくなく、脚本執筆の最後を締めくくったのが共同執筆者の誰か、による違いだけという意外な事実。これも驚かされた。

そのずばぬけた透視眼ならでは、愛に満ちた著者の指摘は「影武者」や「乱」に対しても向けられる。他では見ることができない角度の分析である。

何はともあれ、すばらしい本と出会ってこの週末はずいぶんと得をした。(最近視力が落ち過ぎて、なんとルーペバイザーで読んだ!!)

企画者は是非読婿とをお勧めする。