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斎藤由多加のブログだよ

物騒な時代ですが

最近、日本は物騒になった・・・・・とニュースを見ていて思うのは、実はちょっとした勘違いなのだろうか?
いやいや、日本が平和になったというつもりはない。ただね、実は、メディアが発達したせいで顕在化する事件の数がやけに多くなったのでははないだろうか?と。
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報道を見ている限りここ数年でのセクハラ事件は急増している。が、実はセクハラ行為はずっと以前からたくさんあったわけで・・、いや、むしろ昔の方が多かったのではないだろうか?そう、かつてうやむやにされていたこの手の事件がここにきてオープンになっているならば、逆に言うとセクハラという概念ができてからは実際の発生件数は抑制されてきているのではないか、という気がするのである。あるいは公務員によるわいせつ不祥事などもね、「最近はこんなに毎日おきてるの」とネットニュースをみていて思うんだが、要するに、実はずっと昔から起きていたんじゃないの?とね。
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テレビを見ないかわりにネットでニュースを「読む」ようになってから、ひとつ、ちょっとした変化が自分の中におきている。
ニュースの重みづけがなくなったせいで、信憑性の判断が、あるいは事態の重大性が、あいまいになってきた。ちなみに重み付けというのは、新聞で言うと、見出しの大きさだったりする。
テレビではNHKの夜ニュースとか、TBSのバラエティー番組のニュース、といったように、ニュースにも重み付けがあった。プロの局アナの張った声と映像での盛り上げがあり、順位付けがあった。そのせいでニュースは重大っぽくに見えるんだな。いわゆる演出効果というやつ。僕らはその事件の重大性を、しらずしらずにこの「演出度」で計っていた。
ネットで読むニュース記事にはそれがない。ただのテキストは、個人ブログの書き込みとさして変わらない。ほんの些細なことまでが事件風に書かれている。なのでそのぶん、どれがどこまで本当なんだか、わかんなくなった。ついぞどれもインチキくさく見えてくるのである。人間というのはいいかげんなものだ。
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そう思い始めると、ネット上のあちこちのニュースがどれもまゆつばもののニュースのように思えてくる。ネットのおかげでメディアの敷居が低くなって、ニュースが、いや事件はつくりやすくなった。
しつしか、事件とは発覚するものではなく、人によって作られるもの、という意識が芽生えている

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青島刑事は「事件は会議室じゃない、現場で起きているんだ」というが、殺人事件ならいざしらず、些細な事件なんてものは当人たちも気づかなかったりする。メディアが取り上げてはじめて意識の中に「事件」として出現するわけだ。

なもんだからり、じゃ、果たして「本当の事件数」は、増えているのだろうか?減っているのだろうか?となる。それがわからなくなってきた。