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斎藤由多加のブログだよ

ハロウィーン

ただの日記

こと外国人の多い六本木近辺で日々を生きていると、「ハロウィーン」の到来を肌で感じることが多いのですが、逆にそのせいで「どうせここらだけの盛り上がりだろう」とたかをくくっていたりするわけです。

「クリスマスとバレンタインだけでじゅうぶんだろ」、などと思いながら、しかしここ数年、この「ハロウィーンの到来」があちこちの地域で目立つようになってきたではないですか。新浦安のぺこちゃんがこんなお面をかぶってスーパーの店頭に立っているくらいですから、これはもはや日本の一般人のイベントの仲間入りをしたという理解でいいのでしょうか?

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世界で国と国が戦争を繰り返していた時代、征服者は、まずすべての基準となる暦をとり替え、その国の神話や歴史観を変えるために教科書を書き換え、図書館を燃やしました。そして自国の言葉を教育するために、授業の内容を刷新したものです。
国境線や法律を変えるだけでは人の価値観はかわらない。その価値観とは、じゃなにか、というと、歴史と、言葉、と、そして暦、というわけです。

そして振り返ると、戦後の日本も、それと同じことをアメリカにされてきた。だから、アメリカ人からすると、日本は「英語圏」なんですね。誰も英語を話そうとしない不可思議な英語圏

近代アメリカは、そこでハリウッドという名の魔法を巧妙に駆使してその帝国主義を浸透させてきた。クリスマスというキリスト教イベントは、いつしかロマンティックな恋の舞台となって日本人の暦を書き換え、ディズニーからコカコーラ、マクドナルドやスタバやギャップらの企業がそれを突破口にどんどんと入ってくる、という仕組みです。ま、やや強引な表現ですけれど、そういうバトンリレーの展開がアメリカはとても上手い。その結果、日本のCDショップの「洋楽」の90パーセントが英語で、日本のこどもたちは白人を無条件に「アメリカ人」と呼ぶ国となりました。不二家のぺこちゃんが、ハロウィーンのお面をかぶっている姿を見て、それらはまだ続いているんだな・・なんて感慨深くおもってしまうのは「日本のおじさん化現象」なのでしょうかね?

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▲だってちょっと恐いよ、このぺこちゃん。これ、キャラ的にありなんですかね?

アメリカ経済が崩壊しつつあり、ユーロがものすごい勢いであがる今(ここ数日で6円くらいですかね?)、僕たち日本人は60年以上続いたお手本を失い、「じゃ、誰の背中を追いかければいいんだ?」 となっているのが今だと思うのです。

洋画と邦画、洋楽と邦楽、和食と洋食、日本語と英語、カナ打ちとローマ字打ち・・・僕ら戦後の日本人はこれまで常にふたつのモードを使い分けることを訓練されてきたように思うのです。

ただやみくもにアメリカ、という文化を受け入れる時代は、しかし終わりに近づいているのかもしれません。「実は世界には、ほかにももっともっといろいろな国があるよ」、ということを、21世紀の前半は、僕たち日本人が学ぶ時代になるのかもしれません。そして、それはとてもいいことだと思います。