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斎藤由多加のブログだよ

創作者よ、PCを捨て街に出でよ

社内を見回すと、ずっとPCに向かっている人がほとんどである。
何をしているのか知らない。
かつてはそれが、「仕事をしてますよ」というアピールだった。

だが、最近はそうではない、と思う。
PCにむかって、どれだけ人間の右脳が活動しているか、はなはだ疑問である。
1984年以来なにも進化していないマウスと、キーボードと、そしておなじみのソフト群。
この環境の、あまりの進化のなさに、いや極論すればその退化に、PCに向かうのをやめよう、と社内でも言い始めている自分がいる。

かつてPCは、創作の道具だった。発展途上ながら、情報のコンストラクション・キットだった。
しかしいまは閲覧の道具であって創作の道具ではなくなっている。

たとえば、容易に行えた、ちょっとしたアニメーションをつくって「うごかしてみる」という行為。あるいは録音した声を加工してメールに貼り付けてみる、なんて行為。いま、このBLOGを見ている貴殿のPCでは、どうやって実現しますか?

1992年あたり、24ドットの身長のタワーの住人(PC用)のシルエットはスタジオ8でドットをデザインし(黒一色だったので充分だったのも事実だけど)、それをハイパーカードで動かして、歩くドット絵の滑らかさをしこしこと試したものだ。

初回のタワーの中に登場する声は、地下鉄駅のアナウンスから、映画館の田中邦衛ばりの音声のまで、これもすべて自分でやった。(商店内のレジの女の子の声だけはKさんの奥さんだったけど) 録音は、PowerBook180とバンドルされていた円形マイク。犬のカーソルがでてくるSoundEditで編集し、エフェクトをかけておわり。わざわざスタジオで撮るようなものじゃない。それで充分だったし、楽しかった。
画面と対話し、企画と創作が並行して進んだ。「つくっている」という手ごたえが僕のpwerBookには溢れていた。
まこんなことができたのも、ハイパーカードといった、マックの時代の環境の話だが。

ここ10年でPCは大衆化し、大方のソフトは市場から淘汰され、ドット絵を描くにはちょうどいいサイズのソフトは消滅し、PhotoShopが巨大なプロのツールとして君臨している。音で遊ぶにも2-3秒で機動するSondEditなどは消えうせ、ProToolsが幅を利かせている。占有メモリーが肥大化し、コマンド数が膨大になり、「ちょっと使う」ための選択肢が、数十万円で購入するセミプロの道具となってしまった。もちろん肌の合うフリーウェアをネット子上で掘り出すという手もあるのだろうが、おおくの一般ユーザーがそんなことをするわけがない。

だから一般ユーザーのハードディスクに入っているのは、バンドル品であるPhotoShop ElelmetとiTunesと、iExplorerと・・・・つまりこれらはすべて情報を閲覧・保管する、いってみれば「プレイヤー」ソフトばかりである。

メールをあけると声が出る仕掛けで人をちょっとおどろかせてやろう、なんて人はすっかりいなくなった。

つまりPCは再生専用のWalkManのような存在になってしまったわけである。ユーザーは「創る」から「探す」へと以降し、メールとせいぜいビジネスマンがPowerPointでつくる、誰が見ても同じようなプレゼンシートの製造機である。これじゃテレビと一緒である。

こうなってくると、PCに向かっているという行為が、「考えている」から「遊んでいる」に近い存在になっていると考えたほうがいいのではないか? 受身専門になってきている、という点で。(無論、プログラマーのようにCPUを商売道具にしている人種は別だが・・。)

だから、企画を志す諸君、それは、商品企画でも、ゲームの企画でもWebのコンセプトでもいいのだが、PCを捨て、紙と万年筆を手にして、街に繰り出してはどうだろうか?
場所はかつての企画者のメッカであった喫茶店でもいい、あるいは学生時代に通った図書館でもいい。ぼつんと自分の頭脳と向き合いさえすれば、それでいい。

業務時間内は自分の席にいなければならない、と思うがあまり、ネットをみながら、なにをやろうとしていたかすらねわからなくなってしまうくらいだったら、PCは君たちの邪魔モノ以外のなにものでもないのである。

右手でペンを持ち、真っ白な紙に向かい、それで何もかけないようだったら、たとえそこにPCがあっても:結果はおなじはずだ。なにせPCはただの機械なのだから。

だったら、意味なくマウスを動かすことよりも原稿用紙の前で髪をかきむしる姿の方が人間的かつ自然体、だと思う・・・・なぜならば、自分がなにも創作を出来ていないのだ、という事実を、白い紙の方がより雄弁に君自身に語ってくれるのだから。