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斎藤由多加のブログだよ

3という数字

先日、天才数学者の卵、みたいなアメリカ人青年と食事をした時の話。

「人間が直感的に把握できる分量は3から5程度だ」という話で盛り上がった。

この『直感的』というのが重要で、論理的にはもっともっと把握できるのである。音符の音は12だし、聖徳太子憲法は十七条だし、アルファベットは26文字だし、三より大きな数字で構成されるものを、僕らはぱっぱと答えることができる。

でも、これって直感で把握できているわけじゃないんだよな。数字で格納されているだけの話なのです。アフリカ部族民が、片手より大きい数を「たくさん」と呼ぶのはとても正直な現象だ。

人に何かを理解してもらう上でも、とにかく3という数字がとても重要で、
「このソフトの特徴はみっつあります」というと、その三つを覚えてくれるし、その三つの要素が交差融合してかもし出す雰囲気を人はイメージしてくれる。

でも、「ポイントは全部で8こあります」なんていったら、ぜったいに覚えてくれない。直感してもらえないし、説明者ですらランダムにはいえないにちがいない。

高校時代にサッカーの試合の途中で、相手チームの選手が一人多いことに誰も途中まで気づかなかった、という事件があった。
「かぞえないとわからない」ということで世の中はあふれている。12人の選手が試合に出ていても直感ではわからないものだ。選手交代の際、交代出場する選手が、退場選手のピッチアウトまで線を越えてはならないのは、そういうことが往々にしてあることの象徴といえる。

だから、大切なことはたいてい把握しやすい数字、つまり3などの要素で構成されている。
日本国憲法の基本原則であってもオリンピックのメダルの種類も、マージャン牌のマークも、非核三原則も、僕の母校のスローガンも、ぜんぶ3だ。こと日本という国は、三という数字が好きなのかもしれない。

先日研修があったのだけど、「今日のポイントは三つあります」という文句ではじまった。そういいきってから、あとづけで三つポイントを考えている自分に気づいた。ほんとうはもっともっといいたいことがあるのだけど、ルートディレクトリーはとにかく「みっつ」であることが重要なのだからしょうがない。そういうと、覚えておこう、というモードに人はなるのだから、と思ってのことだけど、
「斉藤さん、かれこれ、もう五つ以上言ってますが・・」とTが突っ込みを入れる風景にうちの社内会議はときおりでくわすのである・・・。

年をとると、言いたいことが増えるのだろうか?