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斎藤由多加のブログだよ

言われないと存在しないもの  ~その3~

「ちょっといいですか?」

市街地の路上でそう声がけして、「はい、なにか?」と止まってくれる通行人なんて、いまどき皆無である。

要するに、路上で声をかける=関わってはいけないこと、という公式が都会人の頭の中には出来上がっている。決してそんな悪意がないとわかっているのはこちらだけの話。わかってもらいたい一心で何度も声がけしようものなら「大声出しますよ!!」とか「警察呼びますよ」とか、あるいは極端に険悪な無視をされたりと、声をかけた側が逆にビビってしまうことが起きる、それも都会の特徴だ。

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ところで僕は、オフィスを出たらタバコを一服することにしている。しかしなぜかそういう気分のいい日にかぎってライターを持っていないことが多い。なもんだから、そういう時は喫煙歩行をしている人に火を借りるしかない。しばらく路上に立ってターゲット(=火を持っている人)を探すことになる。

で、ターゲットを発見すると、すたすたと近寄って声をかける。だが僕のようにいい年の、しかも男の場合、この「ちょっといいですか?」は、禁じ手だ。うっかりそう声をかけて邪険にされると、こちらの気分まで堕ちてくるし。

じゃどうしているかというと、「ちょっといいですか?」という挨拶句を省いて、いきなり本題にはいらさせていただく。つまり「火を貸してくださいませんか?」と、唐突に声がけするのだ。

このときターゲットとなる人の反応は、というと、あやしい人物(=僕)が近づく気配に感づき早足に通りすぎようとする。そして僕の声を聞いた一瞬の後、「あ、はいはい」と立ち止まってくれる。

この作戦で対応してくれなかった例は、今のところ一度もない。中には丁寧に、ライターをくれる人までいる。

つまり、都会の人は冷たい、のではない。ただ、最初の一言だけで判断してしまうだけだ。

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人間というのは、理解できることには寛容になるものだ。とくに喫煙といういまやマイノリティーの嗜好には、同胞意識が働いてさらに顕著である。「都会人が他人に冷たい」といわれるが、その迷信の原因の多くは、これらによる誤解だと思う。

都会の路上というのは、最初の一言でしか意図を伝えるチャンスがないという、いわば特殊な状況による誤解。ま、都会人論うんぬんは今日はおいておき、この「最初の一言でしか伝えるチャンスがない」というのが、今日の話。

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世の中にはさまざまな話法がある。その人固有の挨拶句や状況表現や婉曲表現があって、それらを織り交ぜながら人は話をする。聞く側もそれと同じだけいろいろだから、実は要点をとりちがえて会話が成立している二者というのが、社内だけをみててもとても多い。

「あなたの言いたいことって、一言でいうと何ですか?」

そう切り返されるケースというのは、だから幸運なケースだ。たいていの聞き手というのは、よくわからない話に対しては、「わかりました」と言う常套句で答えてしまうだけに。

若手芸人と同じで、わかってほしい時ほど、相手との間には温度差があるものだ。そういう時にかぎって、余計な説明をしてしまう。で、相手の忍耐のキャパティーを超えてしまう。

たとえば、多忙な役員へのプレゼンテーションしかり、大規模ゲームの冒頭の説明ムーピーしかり、「理解してほしい一心」が話を膨らませ、論点を濁す

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すぐれたマニュアルほどシンプルなものだ。それは頭でわかっているけれど、実践することは難しい。新しいゲームのマニュアルをつくるときに、いつも「番言いたいこと、なんだっけ?」と自問自答する。そしてたいせつなことが膨大な贅肉と化していることに気づく。

いや、実は、大切なことが贅肉に埋もれているときはまだいい。

得てしてそういう時、悪いのはマニュアルではない。一言でいえないゲームのコンセプトが悪いのだ。

マニュアルを書く段になってコンセプトが贅肉そのものであることに気づくのが最悪なのである。

だから企画書を書く時点から、なるだけCMのコピーを同時に考えるようにしている。CMの15秒というまはちゅうど、路上で火を借りるときの時間と同じなのだ。

「相手は最初の一言だけしか聞いてくれないぞ」と。

ここでいう相手とは、むろん、任天堂など業界の人の意味ではない。商品を買ってほしい、路上を歩いている通行人のことである。