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斎藤由多加のブログだよ

「最初」の力

吉野家が本日11時より再開するとのCM。
秋葉原にさっそく買出しにいったら、長蛇の列。

一人4つまで、という上限があったので、とりあえず"並"を4つ買って会社の休日出勤組に差し入れた。

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吉野家が牛丼の販売中止を大々的に宣言してからというもの、アメリカ牛肉輸入解禁云々のニュースを見るたびに吉野家の牛丼を思い出したのは僕だけではあるまい。他の牛丼屋が販売中止しても、たいした騒ぎにはなかったのではないか?

そもそも牛丼は、チェーン店でなくても食べることができる。人が禁断症状をおこしたのは「ただの牛丼」ではなくて「吉野家の牛丼」である。その理由は吉野家によって牛丼の存在を知ったからである。それくらい「吉野家の牛丼」は、よそとは違う。

今日、久々に社員たちと牛丼をたべて「なつかしい」という者はいたのだけれど、「うまい」という者はいなかった。自分も同様だった。
吉野家というのは味が美味しいかというと、必ずしもそうでもない。毎日たべたいというものではない。そういうものだ、と刷り込まれてしまったから、なぜだが定期的に欲するのである。これはつまり中毒症状のようなものである。

14-15歳の頃、吉野家が妙な演歌CMソングと「明日はホームランだ」というコピーで宣伝しなかったら、日本人は牛丼なんて食べ物はしらないままだったろう。オリジナル商品ではないのかもしれないが、日本国民に牛丼を紹介したのはまぎれみなく吉野家だった。その功績は、「依存」という形で僕らの遺伝子に組み込まれている。

ほかにどんなものが無くなったら禁断症状になるか考えてみた。清涼飲料水ではデカビタCCCレモンが販売中止になってもたいした騒ぎにはならないだろう。でもそれがオロナミンCだったら、やはり、似たような現象になると思う。日清カップヌードルもカルピスもボンカレーもコカコーラも同様で、要するにオリジナルというのは、そういうものである。妙な味だが、知らず知らずのうちに依存している。