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斎藤由多加のブログだよ

老化現象と日本語とグルメ度について

ただの日記

「最近、テレビをみてておもしろくないし」とか、「スマフォゲー作ってるやつらはまるでゲームをわかっていないし」とか「若いやつはどいつもこいつも日本 語がへんだし」とかという愚痴を聞く事が多くなった。この理由は明確で、僕自身を含めて周囲には「高齢者」が多くなったということでしかないのです。 今回はそういう話し。(←Blog更新原稿をそのままコピペしたので長文です)

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「日本語が崩壊している」というフレーズは何十年前から使われてきただろうか。僕が子供の頃から壮年者たちは若年に対してそう指摘しながら、それが瓦屋根 のようにそれが繰り返されていて、いつのまにかそれをいう側に立っている。 でもね、女子高校生の会話が意味不明だからといって、それを「日本語の崩壊」といってしまうのは、自分の老化を認めているだけに過ぎないようにも思うので あります。

ちょうど、東証取引所とか築地市場の競りのやりとりが部外者にまるでわからないのと同じで、身内同士というのは会話が省略効率化されたあまりに 暗号のように聞こえてしまうことはどこの国でもよくある話しではなかったかな、それと同じではないかな、と思うのであります。 むかし、何かの洋画で壮年のオトコが「いまの若いヤツはカッコつけて"COOL"などと変な言い方をするけれど、おれたちの時代は"HOT"といってたん だ。ヤツらの言う事はわけがわからんぜ。」と愚痴るシーンがあって、当時「ああ、たしかに、ストーンズもカッコいいものは"HOT"と唄ってるよな」と納 得したことがある。

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「新しい」を「"あたら"しい」と読むのは、江戸後期の"スノッブな人たち"によるスラングで、じつは「"あらた"しい」がそれまでの正しい読み方だった そうな。たしかに「新」の一文字だと「あらた」と読むのはそのあからさまな名残りと思われる。この"スノッブな人たち"がひっくりかえした読み方は、しか しいまでは正式な日本語になっているわけで、同様に「秋葉原」も当時の「あきばはら」がひっくり返ったものだったといいます。 言葉というのは、刻々と流転し変化するから、古い日本語にあまりに固執し続けている人いうのは、ちょうど「バソコンというのはキーボードがしっかりとつい たものをいうのであって、いまのタブレットはけしからん」といってる頑固なエンジニアくらい(そんな人が本当にいるのかは知らんが・・)、偏屈な存在にな るんだろうね。

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味覚ってのもそれに似ていると思う。
「魚の焼き加減」から「飯の炊け方」まで、加齢とともに、出てきた料理の出来の違いがわかるようになってくる。それは、もちろん経験にもとづく高度な識別 能力なわけだ。そういう人たちにとっては、魚肉で作った「かに風味」をほんもののカニとおもって食べている連中のことをバカにしたくなるのもわからんでも ない。 だから、小姑が嫁がつくる料理に指摘をするのに似ているけれど、「いろいろと知っている世代」は、若い人がすることにいちいちケチをつけたくなるわけだろ うね。 かくいう僕も、若い、とくにオトコの社員たちが、ハンバーグとカレーと焼き肉であればなんでもうまいというのを見て、「こいつらを高いレストランに連れて 行ってもどうせわからんにちがいない」と思い、連れてゆく場所をついぞ安いところでごまかしてしまうのです・・・。

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でも、僕の大好きなDJ、小林克也氏はある番組で「Rock'nRollという音楽は、アーチストの肉体があるホルモンを分泌している若さでしかでき得な い音楽ではないか・・・」と語っていたことがあって、妙に納得してしまった。もっというと40代が近い当時の自分はこの言葉にかなりのインパクトを受け た。その真意を解釈するとたぶん、「若い時しかできない芸術分野が確実にある」ということになる。

たしかにあたっていると思ったけど、同時にこれは、年長 者の自信を奪う言葉だった・・。

なぜかいま六本木ヒルズTSUTAYAの二階を占拠している「ビートルズ」は音楽界の伝説だけれど、すべての名曲は当時の彼ら20代の小僧が作った曲で あるわけで、解散後の30代以降の彼らのソロ活動をみても、たしかにその勢いは、20代の小僧でしかできないものだったような気がする。

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僕はあと一週間で50歳になる。 今日電話で話した旧友のN君(シーマンシリーズの3Dをかつておねがいした、現在45歳の敏腕デザイナー)と今日電話で話したんだけど、「いやいや、斎藤 さんはまだまだ大丈夫ですよ」といってくれた。「いまのスマフォのゲーム開発者はひどいもんですからね」と、その世代比較においての文脈。ま、彼は常日頃 から僕のことをとてもレスペクとしてくれている人で、ありがたいことではあるんだけれど、でも実は心の中でこう思ったのさ。「"まだ若い"などとオレたち はいってちゃいけないんだぜ」と。「まだ」という言葉は、時限立法みたいな意味の言葉であって、要するに過去にゴールをおいている。それじゃノスタルジーみたいじゃない か、と。

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50歳になる記念に、今月下旬に、新刊を出版します。50代の中小企業のオヤジ社長はどこにむかうへきか、というテーマでまるまる書いてみた。(完成がず いぶんと遅れてしまったけれど・・) この本は、べつにたいした本じゃなくて、むしろ反省の本なわけですけれど、いまの僕にはとても意味がある本で、50歳になる前に出しておきたかったのであ りまして、誕生日ぎりぎり当日に出版社が納品を間に合わせてくれたものです。 「かつての日本語は美しかった」とか「むかしの人は米の炊き方が上手だった」などとノスタルジックに口うるさいオヤジになるんじゃなくてさ、もっと先にあ る未来に向かって前傾姿勢で生きるかっこいいオヤジになるためにはさ、いまの若い世代がヘタクソなところばかりをみて優越感に浸っていてはダメなんだ、と いう自戒の念をこめて、ね。 つまり、いま、この時期は、僕にとって半世紀ぶりの反省期なのであります。(爆)