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斎藤由多加のブログだよ

「現象」の反対語を答えなさい

企画屋の発見的考察

 

過去の自著の序文でも引用したことがあるのですが、小学生の国語の問題で、以下のようなものがあります。

 **********「現象」の反対語を答えなさい*******

答えは「本質」だそうです。この問題文と答えは、娘をもつ親になってはじめて遭遇したものですけど、ものすごく元気づけられる反対語ペア(ちょっと変な表現ですけど)です。 ちなみにこの時、僕は考えたあげく「原因」と答えてましたけど・・笑

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XXX症候群という言葉があって、たとえばAIDSSがこれ(症候群=シンドローム)にあたりますげど、要するに「原因がよくわからないままある現象が発生するので、暫定的に名前をつけよう」というのが「症候群」の意味です。目にははっくきりと見えるけど、その本質にあたる原因はわからない、だから、病気と断定することすらもできない。むろん治療もできない。しかし、これからそれに取り組む事にしよう、そういう意味あいがこの「症候群」には込められている。


人類は、ある現象が発生するその原因を見つけることで、その法則性を応用し、道具としてきました。原因さえつかめば、それを繰り返したり、防止することで、現象を再現したり回避できる、というわけです。

「石を打てば火がおきる」という法則性を発見することで「火を手に入れた」わけです。これをどんどんと拡張してゆくと「川が氾濫する周期を数えることで未来を予測できるようになった」のと同じです。(←これ、つまり、「暦」ですね) 

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さて、この反対語になぜ元気づけられるのか、という話をします。
それは、僕の仕事が、ゲーム企画者であることと関係があります。


ゲー ムの構造というのは、文章とちがって、回転構造をしているものです。映画は二時間、とか、小説は250ページというように、長さをもっていますが、ゲームの長さは定義不能です。何もしなければずっと待機して、それはちょうど回っているコマのように、ぐるぐると回転している。プレイヤーがそこに手を触れると、それに応じて位置を変え、そしてまたまた回転を繰り返す。何もしなければその状態がずっと続くけど、何かをすると変化し、その状態でループを繰り返す、これがゲームの長さが定義不能である理由です。

だから、言葉で世界観を書いて、物語を書いて、キャラクターの設定を書いて、そういう「線形な情報」をどれだけ用いて記述してもゲーム部分の記述にはなっていない。

いプランナーたちは、過去の名作ゲームにあこがれて業界に入って来ていますから、こういう「背景設定」をすこし変えて、それっぽく企画書を完成させるのが得意なんです が、肝心の「ゲームのエンジン」部分についてはどう触れていいのか、わからない。およそ9割の「企画者」と名乗る人たちが書く企画書はそこに触れていない。私見ですがこれは、専門学校とか職場の教育に原因があると思いますが、とにかくそこを考えることを完全に放棄してしまっている風潮があるのです。だから業界のプランナーのほとんどは「新しいゲーム」の企画者ではな く、「既存のゲームエンジンをそのまま使った焼き直し企画の、設定を考える人」となってしまっている。


たらしいゲームの企画とは、ゲーム性の根幹、いわば「骨」の部分を作り出す事です。曲でいうと、サビのメインメロディーです。世界観とか物語とか、キャラ クターの設定、というのは肉付けです。曲でいうと、バックの演奏です。メロディーを引き立たせる役割を担っていますが、メインのサビメロとは違う。

この「骨」というのは、ゲームの場合、ユーザーのコマンドを待ちながらぐるぐるとアイドルを繰り返している、ま、自分流の言い方ですが、回転構造をしているのです。

この回転構造というのは、フロー図で書くと、最後の部分が「最初に戻る」と書かれている事を意味しています。

ゲー ム企画者というのは、こういう構造をもっているものを世の中で見つけ、そこに肉付けをしてゆくことになります。だから、そのプロフェッショナリティーは、 社会に散在するさまざまな「現象」の中に、「原因」を見つけ、その因果関係を回転体にしてユーザーに渡してあげること、だと思うんです。回転構造体というのは、ずっとプレイヤーのことを待っていてくれる、という意味です。映画のようにどんどんと進んでいく事はしない。

それを受け取ったプレイヤーはゲームプレイを通じてその因果関係を再体験し、そ発見を体験しながら自分のスキルをあげてゆく。

いったん「火」を手に入れた(←これはたとえです)プレイヤーは、その火をおこす手法を自分の能力として取り込み、より大きな火をおこそうとする。つまり、より高次元の課題をクリアしながら成長感を味わう、というわけです。この規則性があるからこそ、プレイヤーが習得した能力があちこちで生きる。これがなければ、クソゲーです。これはルールの一貫性とも言いますが、ここでは規則性ということにします。

さて、そのためにゲー ム制作者側は、いろいろなイベントを仕込んでおいて、悩みながら試行錯誤しているユーザーを勇気付け、時に戒め、そしてうまくいった時にはおもいきり褒る、のが 仕事です。

この「褒める」とか「勇気づける」ことをしないゲームは、「なにをしていいのかわからないゲーム」とユーザーたちからは呼ばれるわけです。

これは、まさに「学習」のプロセスそのものです。明確なゴール設定だけでなく、プレイヤーのモチベーションが重要という点において。

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さて、こういう世の中に存在する意外な因果関係を発見して題材にする企画者は、「発見力」が試される。そのために、企画者が気をつけなければならない事は、「目に見えるものに触れ回されない事」です。その裏側にある、予想外の構造を感知し、そこに目を向け、むろんこれは目に見えないものであることが多いのですが、それを「心の目」で見る事が仕事です。いいかえると「現象に目を奪われない」ことが重要です。


で、「現象」の反対語が「本質」であるというこの小学生の問題は、いいかえると「目に見えているものは本質ではないぞ」と教えてくれているような気がするんだな。これは、まるで仏教の「心眼」の教えのようですけど、前述したとおり科学文明の本質なわけです。

 

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ふだん開発スタッフと仕事をしていて、かれらが一番効率的に仕事をしてくれる条件というのは、扱っている題材が「目に見える時」です。目に見える物を動かしたり、変化させることはみな大得意なのです。既存のゲームのキャラクターや世界観を変えてゲームをつくるのは、だからとても得意なんです。しかし、その内側にある構造そのものを作り直すのは、誰もが忌み嫌う。「目に見えないもの」を扱うことを、多くの人たちは得意としないからです。だから新機軸のゲーム企画は、開発プロジェクトの納期が遅れがちだったりします。

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ゲームデザイナーという肩書きがあります。つまり、これらの難題に挑む人の肩書きです。この肩書きは、「バランス・オブ・パワー」のクリス・クロフォードとか、「シムシティー」のウィルライトらが名乗り始めた、新種の造語でした。この「デザイナー」という肩書きに込められた意味は、「ゲーミングという手法は、技術ではなく心理表現である」という想いが込められています。

昨今、多くの若い開発者たちが、その意味を知らずに「ゲームデザイナー」と名乗っていますが、目に見える現象だけに目を向けて、既存のゲームシステムをなぞるのであれば、「ゲームアレンジャー」のほうがいいように思うんです。

「現象」の反対側にある本質を見つけるには、目ではない器官で発見する必要がある、それが企画者の力量だと思うんです。