YOOT.COM

斎藤由多加のブログだよ

「日本の領土/世界の領土」というアプリをつくっていて思ったこと。日本人ガラであること。

明治維新。かずかずのヒーローが生まれて、多くの小説やドラマになった時代。

この時代に対して、僕らは鎖国の時代を経て日本は近代国家への道を歩み始めた、という歴史観をごくふつうに持っているけれど、この歴史観が、実は世界の人のそれとかなりずれているということに最近とみに気づくんだな。

とくにこの5-6年、自分の海外の知人たちがそれなりの地位につくようになってわかるようになった。 学校教育は、「近代国家とはなんだろうか?」ということを考えさせることなく、ただやみくもにそれが起きたのが当然であるかのような教え方をする。

かくいう僕も民主主義とか議会制とか選挙制度とかを学ばされ、それによって国の在り方が進化した、と理解して高校を卒業した。 そもそも、人間が歴史つまり過去を学ぶ理由はなんだろうか? それは先人の経験の習得にある。 習得した経験とすは、そこにもし(if)があるから意味を持つ。もしがないならば、東海道線の駅名をすべて暗記していることにあまり意味がないのと同様、ただ人間の脳を辞書として使う程度の意味しかない。

+++++++++++++++++

明治維新の「維新」という言葉は、実は外国語では「革命」となっている。革命軍による政府の転覆である。幕府政治が近代化へバージョンアップした程度に考えていない日本人に「革命」という言葉はいささかの違和感があるが、よく考えてみればそれがカストロゲバラらによるキューバ革命と何が違うんだ?という疑問に対しての回答が見当たらない。 アメリカの独立記念日キューバ革命記念日を例に挙げるまでもなく、革命によってつくられた国は誇らしげに「革命」を国の記念日に指定する。しかし日本にはどういうわけかそれがない。日本の歴史を「みる」かぎり、日本の年表上には「革命」は存在しないのだ。

日本の歴史上の大事件には「改新」や「維新」という言葉はあっても、「革命」という言葉は一度たりとも使われたことがない。不思議だ。そこには何か意図的なものを感じてしまうわけさ。 この、ことばのちがいによるちょっしとたニュアンスの違い、これは誰が仕組んだことなのかわからないが、これこそが日本の見え方を大きく捻じ曲げているように最近とみに思えはじめたのである。

敗戦についても同様であって、諸外国は日本の敗戦を「外国による、国家制度の全刷新と属国化」、と捉えている節がある。つまり「革命」と似た、非連続的な新国家の創成である。が、日本人は、そうではなく、これまでの状態への「復興」のプロセスとみている。 これはあたかも、自分の所属する会社がどこかの「子会社」になったことを社員にはっきりと言おうとしない経営陣と、まるでわかっていない社員の集団に似ていて、親会社の担当役員と子会社の社員の話がずれてて当然である。

一部のアメリカ人たちは、「日本は本来は英語圏のはずなのに、なぜ英語を使わないのか?」と疑問を口にする。そこには「アメリカの属国のはずなのに」というニュアンスが多分に含まれている。敗戦した国の国民に対して、戦勝国が義務教育に「英語」をとりいれさせてまで、属国化政策をしたにもかかわらずに、といわれると、「あ、そっちの感じで見ているわけ?」とすこし残念に気持ちになるが、よく考えれば敗戦国だからね、当然のことなんだよね。

++++++++++++

そもそも国連と訳されている言葉は、第二次大戦の「連合国」と同じUnited Nationsであることをご存じですか? 要するに国連とは、第二次大戦の戦勝国であるアメリカとイギリスとフランス、そしてソ連と中国、の国益をまもるためにつくられた組織なわけだね。本音として彼らの心にあるのは世界の平和という名の、戦勝国の権益確保のための施策にすぎないという見方も強いわけです。もうすこしわかりやすくいうと、ニューフロンティアのために国連はあるのではなく、理事国の利益のためにあるといあうのが彼らの意識なのです。

なもんだから、ある意味、国連がUnitedNationsという名である限り、第二次大戦はおわっていないのかもしれない。 そしてそれをしっかりと義務教育において教えぬまま「子会社化していることすら知らない社員」に仕立てあげられてしまった日本人が、ガラであるのは、ある力によってつくられた「必然」なのかもしれない。