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斎藤由多加のブログだよ

創作のための言語論 その1 テンプレート

言語にはどんなものがある? と聞かれて、自然言語(=つまり日本語です)以外にアタマに浮かぶものはなんだろう?

数式、音符、フローチャート、列車運行のダイアグラム、築地まぐろの競りセリフ、FLASHBASIC・・・

どれも、目的に最適化するために、余計な曖昧さを排除した言語だ。猪瀬直樹の「ミカドの肖像」によれば、旧国鉄にはスジ屋とよばれる職人が三人いて、天皇を乗せたミカド列車をある条件を満たして運行するための職人業を発揮したという。

ある条件とは、他の列車と並走しない、他の列車と交差しない、在来列車のダイアを乱さない、というものだそうだ。

これを満たしたミカド列車を在来線の運行ダイアの中に通して行く、それが職人芸。

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言語というのは、なにかの対象物を「記述するもの」だけど、それだけでじゃない。その言語をつかって「シミュレートする機能」(あるいは人間が推論できる環境)をもたらす。これが「言語」がもたらしてくれる最大の産物だと思う。そのために、言語というのは、表記される、つまり視覚化可能であることがとても重要です。

 発せられた瞬間に消えてゆく「音」を音符にすることで、音というつかみどころのない対象物をいったん凍結し、前後しながら確認することができる・・音符によって人間が音を理解することが可能になった例である。眼に見えるものに人間は引っ張られるものだし、同時に、眼に見えないものを理解するには別の特殊な能力をより多く必要とするものですから。

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1オクターブを12の音で定義したのはビタゴラス教団の功績である、という事実をご存知だろうか? 紀元前のギリシャで、「数字崇拝」の一環として彼等は、ある一つの発見をした。一本の弦が発する音と、その1/2および1/3の部位を押さえた弦が発する音の親和性が極めて高い、という事実に着目したのである。ちなみに楽器をやっている人はご存知だろうが、1mの弦を弾いて発する音、そして、その1/2の50cmの場所で押さえて発する音は1オクターブちがう同音である。

当時は、「同音」という概念がまだなく(=しかし今もってこの「同音という表現が本当に正しいか」はだれにもわからないが)、親和性が高い、と考えたわけである。

1/3で押さえた音は、完全5度の音、ドとソの関係で、これも極めて親和性が高い。

このふたつの繰り返しを何回かおこなっているうちに、おなじ音に戻ってくるのではないか、と考えた彼等はある方程式で12という値に行き着いた。これが1オクターブ=12音、の原点である。(この方程式はそんなに難しいものじゅないけど、指数がはいるのでうまく表記できません。ここでは割愛します。ちなみに、この解が、12ではなく、あくまで近似値だったので純正律と平均率の問題に人類は1600年間悩まされることになる・・・)

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音符がなかったならば、16世紀の作曲家の作品はいまのこっていない。
だが、実際の音が残っているかというと、そうではない。現代人は、それらを推論して、あるいは解釈して、音を再現しているわけである。これはまさしく「音楽言語」という言語の特徴と限界を象徴していると思うわけ。曖昧さを排除して最適化するためには、同時に、犠牲になるものもかならず、ある、という意味で。

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1960年代になると、そこにテンプレートという便利なものが生まれはじめる。コンピューター言語でいえば、機械語に対する簡易言語である。

コード、である。コードの登場とギターバンドの登場は必然的にシンクロしているようで、つまり、ドラム、ベース、ギター、ボーカルというテンプレートを継承することで、そしてA→D→E→Aというコード展開を繰り返すことで、ロックが演奏出来てしまう、という極めて便利なテンプレート。

このテンプレートのおかげで音楽は身近になり、と同時に、「どれも似たようなもの」になっていたのは、ホームページビルダーやイラストレーターのコマンドに創作物が制限されているのと同じである。

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本当は無限にある音を12と割り切ってしまうことで、音は言語化した。さらにそこに、便利な入出力装置(たとえばギターのようなもの)と、そのためのテンプレートが登場し、簡易化してゆく。いつしか聞き手もそのテンプレートに乗ったものでないと違和感を感じるほど脳が馴らされてしまう。8ビートや16ビート。あるいは4ビートというグローバルな言語テンプレートは、世界中に普及した。それらのテンプレートに乗らない民族音楽、あるいは実験的な試み、たとえば伊福部 昭氏の「ゴジラ」のテーマのような変則的な楽曲に、ちょっとした拒絶反応を人類の脳は示すようになっていったのも事実である。

もしピタゴラス教団が1オクターブ=12音という数字をきまぐれに変えていたら、もっと違う音楽世界になっていたにちがいない。それがどんな音なのかは創造がつかない。だが一つだけ言える事、それは、僕らの脳が「それがどんな音か想像がつかない」となっていること。それくらい、言語というのは、人間の思考のテコや車軸のように発展させ、どうじに、足かせとなって制約している、ということであります。

つづく

 

 

 

一つ間違えると暗号だ。言語ってのは、