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斎藤由多加のブログだよ

僕といつも一緒にいる人

忘年会、クリスマスパーティーなどのシーズンです。
こういう時期は、ふだん会わない、いろいろな人と会うわけです。
で、帰宅して自分の部屋に戻ると、とつぜん一人になる。
この「一人」というのは、僕なわけですけど、この「さいとう」という人と僕は何十年間にもわたり寝食をともにきた。このだんごっ鼻も、特徴の太めのまゆげとも、何十年間をともにして来た。あまり好きではないこの肉体に、いつのまにかシンパシーをもっています。この「さいとう」という肉体にいちばんメリットが多くなるように日々の選択肢を生きている。この話のキモは「この肉体に」というのがミソで、カネも、美味い食事も、快適な睡眠も、居心地のいいグリーン車も・・ぜんぶ、「この肉体」を基準にしているところがある。

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最近の携帯電話は、SIMMカードを入れ替えると、いきなり他人の電話になってしまう。形もデザインもそれまで僕が所有していたものと同じですが、他人の電話番号を持ち、そのアドレス宛のメールをダウンロードしはじめる。愛用していた電話機が、いきなり他人のために働き始める姿をみていると、なぜだが嫉妬にも似た、切ない気持ちになってくる。そんな経験ないですか? 愛用していた何かを手放した時とか。
きっとこれって、長年つれそった妻や恋人が他人のものになった姿を見た時の気持ち、かもしれません。

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整形手術をして自分の顔がすこし変わったくらいでは、このシンパシーは揺らがないのでしょうが、からっきし違う肉体になったらどうなんだろうか? たとえば僕がある日、北川景子(の肉体)に移り住んでしまったとしたら・・。
肉体が違うから、タバコも焼酎といった刺激物は美味しく感じないかもしれない。そのうちきれいなワンピースを着てみたいと思うだろうし、チヤホヤされるうちにいつしか、若いイケメン男に恋するのかもしれない・。それって「女」そのものではないか・・。

むかしから人は「内面を磨け」とはいうけれど、実は内面ってのは実は外からつくられるのではないだろううか? オオカミ少年みたいに、ジャングルでたった一人で生活していたら、見栄もなければみかけも関係ないわけで、欲しいものもずいぶんと違うものになってくるんでしょうからね。


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携帯電話のSIMMカードみたいに、エッセンスだけを残して知人の肉体と入れ替わってしまうことが可能となったら、そもそも肉体なんてものは、携帯電話機の筐体くらいの価値しかもたないのかもしれませんね。人間社会は人間の肉体にいちばんの重きをおくように作られて来たけれど、そんな法律はすべて意味をなさなくなるでしょうし。

そんなことを最近考えてしまうのは、おそらくこれは肉体的な老化現象のひとつではないかと思うのですが、それはひとえに「いつしかこの肉体を脱ぎ捨てる日が来る」という予感から来ているのだと思います。
で、その晩、気がついたらその知人の肉体で時間を過ごしていて、次のパーティーでかつての自分の肉体をみたとき、「こんなに太らせやがって」と、人に貸した自分の車を見る時のように、かなり客観的に感じるんでしょうかね。

僕が、いやあなたがいま欲しいとおもっているもの、それは車であったり、家や不動産、服や時計であったりですけど・・・それらすべて、こういう「肉体交換」という欲望の疑似実現ではないでしょうかね。人間というのはそうやって、外部から固めて、自分というものをつくっているんではないでしょうかね?