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斎藤由多加のブログだよ

リクルートが上場するというニュースに向けて

つい先日、大正生まれの父が一年早く、自分の"米寿の会"を開くと言い出し、そこで初の親子競演をしないか、と打診があった。課題曲は古賀政男の「影を慕いて」というド演歌だという。最初はイヤだったけど、妻のすすめもあって、独特のギターイントロとそして間奏を、YouTubeを参考に、指が痛くなるほど練習した。

その会に顔を出してくれた父の旧友の紳士が三名。どなたも、父の勤務先である「小松製作所」の関係者だった。僕が演奏後のスピーチで、僕の学費も、安物のフォークギターも、サッカーのスパイクも、そして僕という人間を構成するすべての要素は「小松製作所」から父がもらってきたサラリーから捻出されたものです、という話しをした。ついでに「我が家のレコードプレイヤーではじめてかかったレコードは小松製作所の社歌のソノシートでしたからいまでも覚えてますし皆さんより唄えます」と話すと、妙にウケていたのを記憶している。そのあとの歓談で、けっして高給取りとはいえない、「小松製作所」に人生のすべてを捧げ、高度成長期の日本を支えた企業の人たちの人生のEXITをそこに見た。

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ここ数年間に、「元リクルート社員が書いたXXXの本」などと書かれた書籍の帯を何度も書店で見かけた。その多くは在職中に会った事も聞いた事もない人によって書かれたものだった。リクルートという会社は、成績が目立つ人は社内的にも有名になる会社だったから、書籍を書いている方々は、ともすると、リクルートという社名をセールスコピーに使っているだけのように思えた印象がある。

なぜこんな話しをするかというと、僕は、リクルートという会社に在籍したことにたいした価値があるとは考えずに生きてたきたふしがあるから。というか、元リクルートの人は、なにかにつけてそれを自慢する性癖がありすぎるとずっと思ってきたところがある。

ずいぶんと昔話しになるが、リクルートを退職し、最初の自社ゲームソフトがヒットしたある日、リクルートの広報を通じてY新聞の記者から取材依頼の電話を受けたことがある。「リクルートOBはいま」、といった取材内容だったが、ゲーム開発という商売によってリクルートOBであることはまるで看板にはならないし、過去の話しに立ち返る気持ちになれなかった。電話口で取材を丁重に断るその口実として、「僕はラーメン屋をやっているようなもの。過去の看板は関係ない」と言ったところ、数日後のY新聞に、このコメントが僕の名とともにそのまま掲載されていたことがある。この記事、読みようによっちゃ、僕の仕事がまるでラーメン屋であるかの引用記事だった。

だから、そのあともときどき、自分が退職した企業を、人はどこまで客観的にみられるのだろうか?どこまで自分と切り離してみれるのだろうか?なんていうことを、ときおり考えていた僕にとって、父の米寿の会は再考するヒントになっていた。

そして今回のリクルートの株式公開のニュース。ひさびさにこの古巣の会社のサイトを見てみると、自分よりも後輩の代が取締役の中核をしめている。在籍時代には雲の上の人だった人たちの年齢を、すでに自分が追い抜いてしまっている・・・・青春の時代をすごした当時の同僚の面影とともにいろいろな思い出が脳裏をよぎる。

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子供時代の僕が「小松製作所」に育てられたとするならば、社会人としての僕はこの「リクルート」に食わせてもらって出来上がった。入社直後にリクルート事件という大事件が起きて、自分の社名を外で名乗るのがはばかられたほどの事件であったわけだが、よくもまあ、ここまで立派になったなぁ、と生意気ながら一OBとして思う次第である。

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僕の代の入社式は日本武道館で行われた。江添社長(当時)が、その壇上で「近々にリクルートは株式公開を目指している」と宣言したのを記憶しているが、株式公開というのが何を意味することなのか当時の僕にはさっぱりわからなかった。その意味を知ったのは政治家とコスモス株にまつわる「ぬれ手に粟」というニュース表現によってである。思えばリクルート事件というのは、関連会社の公開株にまつわる事件なわけで、この件のせいで、公開から一気にオーナーチェンジへと運命が大きく変わってしまったのだから因果なものである。あれから20年。いまのリクルート株は、公開するとさぞや高値がつくだろう。多少の遺伝子は僕も引き継いでいるつもりだから、この会社がもつ底力は容易に予想できる。

僕は退職後も、フェローという名誉職にしばらくの間就かせていただいたことがある。僕ごときにはもったいないような、たとえば五輪マラソンランナーの有森裕子氏をはじめ異能をもったOBの方々が就いた名誉な職であった。いまも治らないへんな「クセ」を含めて、社会人の僕の人格形成には、このリクルートという会社が、いや、そこに在籍した人々が、とても大きく影響している。直したくてももう直らないクセの責任を、彼らに問いたいくらいだし。(笑)

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ネットによるとリクルートの大株主は社員持株会だそうだ。それが公開するとなると、この会社を立ち上げてきたかつてのOBたちは、もしかしたら羨望とか嫉妬とかそれ以外の複雑な気持ちとともにこのニュースを耳にしているかもしれない。組織というのは残酷だ。早期に貢献してきた社員でも、はなれればただの人としてしまうわけだからね。

でも父の友人の方々の話しを聞いた僕はこう思うのです。自分が過去に身を置いた会社がいまも残っていることのほうがどれだけ貴重なことか、と。事件以降「もうつぶれる」「もう買収される」と言われ続けてきたリクルートがついに成人する時がきたのは、嬉しいものだ。

僕は、子供のころからの夢である「映画監督」になる準備をはじめている。あいかわらずリクルートとは関係ない仕事をしている。でも、同時にこれから僕は、まるで異業種だけど、照れずに、リクルートにいたことを自分の一部として誇りにしようと、おもったわけ。今回の公開がどうたら、とかそういうことではなく、父の同僚の人の話しを聞いててそう思ったわけです。もし映画を撮れたら、劇場で売られるパンフレットの監督プロフィールに、この社名がはいってたり、なんて考えると、笑えるしね。