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斎藤由多加のブログだよ

さよなら江副さん。僕のリクルート時代の思い出その1

今朝、メールで妻から江副さんの訃報を知った。

天気のいい三連休の初日の朝を迎えるリクルート出身者にとっては、この上なくセンチメンタルなニュースだったに違いない。事実僕ですら、さして更新することのないブログ画面を朝っぱらこら開く気になったほどだから、

大学を卒業した僕がなぜリクルートという会社を選択したのかは、いまでもよくわからない。就職するのがいやで、自分でイベント会社でも興そうかと就職を猶予した大学五年生の時に、企画していた日比谷野音コンサートがこけて赤字を負った。建築学科に籍を置いていたけどゼネコンに行く気はさらさらない。もともと映画監督になりたいと思い続けていた僕は、メディアやイベントにかかわりたいという気持ちが強くあった。だから留年した挙句に僕が、赤字返済のためにいたしかたなく就職を決めたのが、当時なにかと人騒がせな、このリクルートという謎の会社だった。

話しは前後するけど、まだ大学五年の時に、イベントに失敗したあと、僕は再度、日比谷野音の申し込みをした。なんとしてでも集客の高い日程をとって翌年には起死回生の黒字イベントにしたかった。しかし  天下の日比谷野音、人気の高い日は申し込みも抽選である。ラッキーにもそのくじ引きを引き当て、僕は年間を通じて最高といよれる秋分の日の日比谷野音を予約することができのだけど、軟弱なことに、再度留年するのも、卒業したところで就職せずにそんなイベント屋をやることも、親が涙目となって反対するもんだから、その半年後にはこのリクルートのサラリーマンになたというわけ。

さてひとたびこの会社に就職すると、800人も同期入社がいた。新入社員なんていうのは、企業戦士というと聞こえはいいが、ようするに兵隊である。この野音で、片手間でイベントでもやろうと考えていたけれど、で疲れ果てて寝るのが精いっぱい、準備なんてできるわけもなかった。

その権利をいかすこともないまま、サラリーマンとしてこの9.23を過ごすのかと思いきや、その話を聞きつけた上長が、「カモメの日」というイベントをやろうと社内協力者を集い、社内広報のセクションによって予算がとられて、イベントにむけての合宿の招致がきた。

たがが一企業のにわかづくりの社内イベントに、全社の有名人が部門横断で呼び寄せられ、事務局ができいつしか一大規模のイベントとして社内ポスターがあちこちに貼られていた。僕は「俺の場所なんだから、せめて少しは僕にも関わらせてくれ」と上司に苦言を呈し、自分の呼びたいアーチストをよんでいいという了解をもらった。そそくさと爆風スランプの事務所に電話し、当日、ライブをしていだく了解をとった。

江副さんがどこまでこういうイベントを支持していたかはわからない。ただ当日のステージの上でMCをする上司の袖に「会場のそうじのおじさん」の変装をさせられて、江副さんは社員の支持どおり、ステージの上をほうきで掃いていた。そうして中盤に社員をおどろかせるサプライズ企画の出番をまっていた。

爆風スランプサンプラザ中野さんは、登壇するやいなや家族連れ社員にあふれる観客席にむかって「労働者諸君!」と叫び、当時のシングルカット曲であね「まっくろけのけ」を歌いだした。

 

なにからなにまで、ありえない企業だった。どちらかというと地味なキャラの江副さんが社長をつとめるリクルートというのはどうして社員がこんなに元気なんだろう、と思うことがある。そのこたえは自分で中小企業の社長を20年ゃってみて、すこしだけ理由がわかった気がするのだが、それはこないだ出したこの本に書いておいた

 

さて、この企画をいいだした上司は、テレビやメディアでよく見かける、いまとなっては文化人になってしまわれた。この氏の著書で「斎藤は、自分の彼女にプロポーズすめたに、バースデープレゼントとして会社の予算をつかってとんでもないイベントを企てた」と書いていたけれど、これはまるで事実ではない。この上司は、独裁制のように見えるリクルートがそれだけ自主性が高く、権限移譲の高い企業だったということをこの言葉で表現したかったのであって、たしかにそれはまちがえない。このイベントをおそろしい推進力で実現してしまったのはまぎれもなくリクルートという会社を作り上げてきた先輩方で、ぼくはその日がバースデーである彼女と(この人はいまの僕の妻である)観客席でこのイベントに参加したにすぎない。

当時、はじまったばかりの光ファイバー回線事業やスーパーコンピューター事業は社内では「金食い虫のI&N事業」とよばれていたが、この新事業のテーマソングというのが、なぜかCD化されて社内で配布されていてこの日もイベントのエンディングで合唱となっていた、23歳の僕にとってこの曲はどう聞いてもかっこいいとは思えなかった。ただただ社内バンドが会社のお金でCDを出したかっただけとしか見えなかった。

 

つづく