読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

YOOT.COM

斎藤由多加のブログだよ

広告は露出されてりゃいいというもんじゃない

「そろそろ、iPhone版のダウンロードとか始まるし、DSiダウンロードももっと認知度を高めたいし、ファミ通とか一般誌に広告うちたいね」「もっと廉価なメディアはないの?」という話が最近の社内の話題なんですけど、すこしそれに関連した話。

*********

開発スタッフと入ったファミレスでライターを借りたら、客が忘れていった(とおぼしき)ホテルの100円ライターを貸してくれた。
ライターというのは、見も知れない土地の忘れ物が、バトンタッチリレーのように流通するもので、そのほとんどは、スナックや、クラブや、ラブホテルだったりしますけれど、今回もそのケースで、怪しげな地元のホテル名が入っていて、その名も「ザ・ホワイトハウス」。

「あれ、これ、ラプホテルのライターじゃないですか?」と一人がそのネームに気づいた。
「そりゃそうでしょ。100円ライターじゃなくてダンヒルZIPPOのライターだったら店側も客には貸さないよ、この、人がほしがらない感じ、が大事なんだ」と僕。


そう、同じ忘れ物でも、ネーム入りの100円ライターや100円傘は、手にした人に「ま、いらねぇか」と所有権を放棄させる独特の逆引力がある。高級品にはないオーラ。人から人へと渡り鳥のように流れては、決してとどまらせる事のない安物だけが持つ感じ。これはすごい力ですよ、という話でもりあがったわけです。「なるほど、100円ライター広告ね・・」
**********
かつてネット代理店と「隙間広告」のブレストをしている際に、「世の中で人手から人手へいちばん渡り歩くモノはなにか、その広告権を買い上げて広告をいれられないか」という話になったことがありました。その時の結論は「ライター」でも「マッチ」でも「傘」でもなく、「お札」というオチになりました。お札に広告をいれる国はありませんけど、ある意味お札こそ資本主義社会の最後の聖地、税収確保のために都バスのように民間広告が広告が入るのも、もしかしたら時間の問題かもしれない・・という意見も、若手の代理店ならではのうさんくささだけど、なんとなくうなづけなくもない。

たしかに、電話番号と名前が走り書きされているお札を見ると、無性に電話してみたくなる衝動に駆られることがあります。お札広告の効果はたしかに知りたいところです。1000万円でも3000万円でも、現金を借りてきて、そのお札にひとつひとつ手書きで、広告をいれ、銀行に預ける。たとえば、「浅草で宿泊するならXXXホテル 03-3XXX-XXXX」などと広告したいコピーを油性マジックで走り書きし、かかってくる電話の数を調べる、とかね。ま、固い話をすれば、お札に手を加えるのは改造したら犯罪ですけれどね。でもその効果は興味深い。
**********
こういう話になったとき、「この某湘南地方のホテルのライターに、GPSを仕込んでその分布をサイトでみれたら面白いな・・」、という話を開発スタッフがし始めたわけですが、ちょうど絶滅の危機に瀕したイリオモテヤマネコにするように、ひとつのものが以外な場所へバトンリレーされていく状況を追跡できるサイトが本当にあったら、かなりおもしろいサイトといえるかもしれません。
**********

これまでの人生で、あちこちで見かける謎の広告看板を三つあげろ、といわれたら、

一位 「新堀ギター」の手書きの看板

二位「人類が平和でありますように」の白い看板

三位 「桐タンス」と書かれたバス停にあるベンチ(東京ONLY?)

ではないかと思うのです。

この三つの看板は、人生で何回見かけた事か・・。だけど、よく考えてみると、何十年間も謎のままの広告ということはつまり広告効果としてはかなり疑問符なわけ。

そういう目で僕の手元にある黒いライターに目をやると、名古屋市内の番号とスナックの店名がかかれてる。たしかに、だからといって、名古屋に出張したときに、ここに書かれている「楊貴妃」というスナックに電話するか、となると、それはまちがえなくない。同様に、街角で配られるティッシュも、路上のビラも、麻布十番祭りのウチワも、電話した事、ないですし、広告メディアには、「お札」のように、出元の正体というか、安心感のようなものが必要ということなんですね。

おい、だめじゃん。