斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
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iPadにすこしがっかりしたのですけど・・

タイトルどおり、ま、要するにiPadにはすこしがっかりです。乱暴な言い方をすると、iPhoneのサイズがかわった、という話と理解しているもので。でもこういう書き方だと、すごく「モノフェチをきどった嫌なヤツ」に思われるでしょうね。なもんですから、すこし、その結論に至るまでの細かな経緯を書きました。

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サイズが変わる、と一言でいっても、技術的な観点でいえば、気の遠くなるようなハードルを越えないとならないわけです。ですから、それなりの決断プロセスを経て、そしてそれなりの理由があって、アッブルはその未来をこの「大きなiPhone」という新機種にかけたのでしょう。

CESなどここ数週間の各社の発表をみていてひとつだけわかること、それは「電子出版の大きな波が来ている」ということ。書籍がCDと同じような案名をたどることになるのかな・・なんて感じている出版業界の人も最近は多いようですし。この世からなくなりゃしないけど、きびしい時代になるんだろうな、などとね。

Amazonのキンドル用タイトルのアマゾンのマージン率が70%と聞いたけど、これじゃ出版社がそうそうカンタンに電子出版に移行できるわけもなく、しかし一方ででも著者からすると、原稿データがあればそれまでの三倍の30%という印税で「自費出版」が可能になるわけで、要するに「仲介業者が不要になってきている」という現象はますます加速している。その「仲介業者」のパートを、いま各社は奪い合っていると理解すると、いまの勢力図はおもしろい。彼らがこれから狙っているのは「流通業」をするための準備です。ハードを売って、ソフトを売る、のではなく、「直販ビジネスの会員獲得のための購入機器をつくっている」とみることができます。
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実は、なんどかこのブログで書こうとしていたことなのですが、タブレットモデルは結局は今回のようなものになるのではないか、と思ってました。その理由は、マックをタブレット用にバージョンアッブしてゆくコスト負担(=ユーザーが負担する負担=価格)を考えると、けっこうな額になることが予想されるわけです。いま最も薄いAirMacに、同サイズで高性能の液晶タッチセンサーと、手文字認識など各種認識ソフトの類の整備、各サードパーティーへのアプリ対応、ハード麺ではそれらに伴うメリー増強とCPU速度の向上、など必要な手間をすべてコストとして入れてゆくと、価格はおそらく25万円を軽く越えてしまう。MacOSという広範囲なシステムに手を入れる膨大な負担がかかるわりには、たいした革新性がアピールできないものになります。Windowsのタブレットエディション(僕はNECのVersaProをすごく愛用していましたが)程度のインパクトでおわってしまう可能性がある、というものになります。つまり「うすく、軽くなったけど、何に使うのかははっきりしない」という製品。キンドルが出て来てオンライン出版の波が来ている中、アップルは、この程度のものでは対抗勢力にはなれない、となる。
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それでも、僕はただのユーザーですから、新マックのタブレット版が欲しかったわけでして、「かっかり」してしまったわけです。そして今回の発表でわかった こと、それは、「僕などが欲しいと思っているものを作っているほどアップルをとりまくビジネス勢力図はノスタルジックではない」ということ。


整理すると、アップルがもしMacをタプレット化したとしても、それは製品が一ライン増えるだけの話に留まってしまうわけで、かといって僕たちいちぶのファンが期待するようなMacとiPhone/iPodラインの間をうめる新製品をいまつくるとなると、当然あたらしいOSというこになりますから、そんなことに資源を費やしていたのではこれではその間にキンドルをはじめ他社製品に水をあけらけてしまう。回収のめどなど立つころには時代は変わっている、その答えが今回のiPad、と見てます。もっと具体的にいうと、「おまえらの欲しがるようなマニアックな製品をつくっているヒマはねぇんだよ」という、つよい口調のメッセージが今回のiPad。

アッブルがOUT of BOX(ユーザーがマックを購入し使用しはじめてからの課金モデル)を強く模索し始めたのは1999年くらいではないでしょうか。当時のアップルジャパンの社長が、「本社からこういう方向性が来ているのだが、ゲームで課金する方法はないかな」と相談されたので強く記憶しています。それ以来まっすぐに突き進んで来たiTunesのモデルが他社に奪われてしまうことは、「ビジネスモデル」で勝負してきたアップルがハードメーカーに戻ってしまう危険がある、ということでしょう。この時期、激戦区に身を置くアップルが新モデルをリリースするということは、弱点をつくることにほかならないわけで、そんなことよりもより覇権を強固にする「課金マシーン」としての新機種を出すことしかないわけで、おのずと、こういう結果になるだろうとなるわけ。
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キンドル系の対抗馬とししてのタブレットとは別に、マックのシリーズとしてのタブレットは、市場へのインパクトが小さいけれど、ニーズはあると思っています。しかし、ジョブスという人は、似たようなもの(タブレットマシン)を複数のライン上に置くような中途半端な真似はしないでしょう。タブレットという操作法(=文法)をユーザーやベンダーに教育するコストは膨大です。日本のメーカーであればぜったいにあると思われるタブレットMacは、以上のような経緯から、これからもない、と思います。それがわかったから、「がっかり」なのです。つまり僕たちが求めるタブレットは、iPadがそこに到達するまで待たなければならない、という点で。

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RHAPSODY NAKED by RC Succsession

「発想の転換」なんてのは、ことば遊びみたいなものだと思っています。これはどういうことかというと、僕らの印象とか発想なんてのは、要するに「ことば」に縛られすぎているってこと。これはその証だと思います。
最近購入したRCの「ラブソディー"NAKED"」なるライブ盤を聞いて、そして興味深いライナーノーツを読んでてそう思ったという話。

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1980年代、ま、いわばレコードの全盛期みたいなもんですけど、アーチストが新作をライブ盤で発表するのはタブー視されていたわけ。ライブ盤ってのは音質や演奏品質が低く、ま、ひとつのファンサービスの企画モノ。正式な新曲をリリースするならスタジオレコーディング盤でなきゃ、というのは誰しもが同感していた。
当時、ライブでは爆発的なエネルギーを持つ新生RCサクセション。ブレイク寸前の予感は誰しも感じているものの、スタジオレコーディングしてもどうもいまひとつ。ライブ盤で出してはどうか?という話の前に、かならず、この「ライブ盤では新作は売れない」ということばが立ちはだかったという。

で、メンバー一同議論の挙げ句、「会場をスタジオに見立ててレコーディングしよう」ということになったというはなしです。観客を同席させた公開レコーディング・・。当時のディレクターが書いた名ライナーノーツを読んでて、すごいことを言い出したんだなと思った。だからジャケットにはライブという文字は一言も書かれずに発売されたそうな。たしかに、初めて聞いた時に「あれ?ライブ?」と思ったことを鮮明に思い出した。
ちなみに虎ノ門にあった久保講堂という小箱がその会場に選ばれたのは「急遽やることになった」からなそうな。笑 勢いがある時は、こういう「ありえない決断」をしてしまう力があって、やけにかっこいい。

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ちなみにこのライナーノーツは、CDジャケサイズでわずか5ページのものだけど、"鳥肌が立つほど"、それはまるで、えん罪の再審裁判で明かされる真証言ほど、の衝撃がある。ちょっとおおげさだけど。

ですので、かつて高校生の時に、童貞のの僕が胸を振るわせたRCの名盤「ラプソディー」は、実はライブ盤ではなかったわけで、その証拠に、コーラスやらボーカルやら演奏の一部は、録り直されていた、という事実もそこに書かれていた・・。

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そしてこの「ラプソディーNaked」は、当時の音源をそのまま、編集なしでリリースされた2枚組というわけ。1980年といえば、いまからちょうど30年前。終戦から数えて大阪万博の年が25年だから、30年といえばそれよりさらに長い・・ずいぶんとオレも生きてんだな・・。

このCDをかけながら、妻と調布や小金井方面へドライブにいったのであります。(RCといえば甲州街道ですからね) でもこれはドライブというよりタイムマシンに乗りにいった感覚とでもいいましょうか。
もう何百回も聞いた「ラブソディー」が、オープニングMCから曲順、音質にいたるまで、そして金子マリがゲスト出演していたという事実まで、オレが30年間知っているものとはぜんぜん違うライブじゃんか!!

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好きな食べ物は?

アンケートなどで、「いちばん好きな食べ物は?」と聞かれても、いつもこたえに戸惑う自分がいます。
いちばんすきって、どういう意味だろう?
毎日のように食べているもの?
それとも、滅多に口にすることができない高価なもの?

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深夜に自宅で仕事をしていて、ジャンクフードがとてつもなく食べたくなることがあって、それは吉野家の牛丼だったり、サイゼリアのリブステーキ/ディアボラ風(←これ裏メニュー)だったり、インスタントのサッポロ一番塩らーめんだったり、桂花ラーメンの太肉麺だったり、金額にしたら、どれもたいしたもんじゃない。しかもそうしょっちゅう口にしたいと思わないものばかりですけど、どういうわけかそういうものほど突発的にたべたくなる。要するに禁断症状みたいなもんで、海外駐在員の人にいわせると、かなり強烈な中毒的衝動として体をよぎるそうです。某海外駐在員にいたっては桂花の太肉麺を「10万円だしてもいいからたべたい」と生唾を飲んで豪語してました。

桂花ラーメンの太肉麺は、高校生からですので、かれこれ30年以上、月一くらいの間隔禁断症状がおきる。渋谷センター街で950円で食べられるただのラーメンですが、国際線ファーストクラスの食事よりも10倍美味いと思ってます。

会食やら接待やら出張やらで、年齢とともに国内外の有名店を知り、いわゆる高級なモノを口にする機会をたくさん経験したのだけれど、最近思うことは、「食べ物の美味さと値段は比例しない」ということ。キャビアとかフォアグラみたいなピンの高級食材はすこし別格ですけれどね。それらを組み合わせた料理ってのは魔法のようなものだと思う。
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こんなことばかり書くと、子ども時代からハンバーグとカレーライスを愛してやまない味音痴みたいに思われるのかもしれないけれど、じゃ、地球が滅亡前日の食事には、ふぐコース料理とカレーのどちらをとる、と聞かれたら、まちがえなく(築地場内の「豊ちゃん」の)かつカレーをとる、というでしょうね。これも950円ですけど。

食べ物の好みというのは、体調とかその日の気分によって変わるものですけど、不思議なくらい、値段にまったく比例しない、というのがおもしろいところです。高い金出せば、毎日美味いものが確約される、というのが真だとしたら、ほんとに世の中はつまらなくなってしまいますが、実際の世の中はまるでそうでないからおもしろい、と思うんです。








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飯田和敏氏へ(私信)

ネットで見かけたんですけど、飯田和敏さん、去年、大学で講師やってたんですか?
その授業聞きたかったなぁ。専門学校では中途半端な講師がゲームの授業やってること多いらしいからね。ゲーム論って難しいですよ、はっきりいって。できる人材はなかなかいないと思います。
あいかわらずNine Inch Nailsのシャツ着て授業やってたんですか?

ネットの情報で拝見する限り「授業中に学生が寝てた」ことにブチ切れて授業を打ち切ったとありますが、これは本当なんですか? 笑  授業をボイコットと いう文字が使われている記述もありましたけど、類推するに、いわゆる「ボイコット」とはちょっと意味あいが違うみたいにも思えますが、真実のほどはどうい うところなんですか?

公私ともにいろいろと破天荒なことが起きるのが飯田氏の人生の特徴で、ご本人からそういう話を直接聞くのがボクのこの上ない楽しみでした。僕がめげてた時に、ずいぶんとなぐさめてもらったこともあります。そういうところが彼のこの上ない魅力なんですけれど、残念なことに、ここ数年会ってません。


携帯に電話したら「この番号は現在つかわれておりません」となったし、どうせメアドも使われてないだろうし連絡のとりようがありませんよー、飯田さん!!

飯田氏は、とても心やしさい人で、離婚する時も、幼い息子さんのことをずいぶんと心配していましたね。ふたりで最後の旅行する、という時に、JALの優待割引券(!)をカンパしたっけな。
ふだんは無口で、自己表現が下手で、シャイで、そしてこの上なく苦労を背負い込む星の下に生まれた人、それが飯田和敏という人物です。たぶん。 「授業中に生徒が寝ていた」ということくらいで飯田氏がブチキレたっていうのが本当だとしたら、だからとても笑えますね。ガンコおじさんになったということでしょうかね。あるいは、その生徒さんと一悶着あったということかな? いや、いずれにしても、この話、おかしいですね(淀川長治調)。

飯田サン、とにもかくにも一本電話ください。僕の電話番号は、かわってません。オフィスは引っ越しましたけど。

で、最近の近況と、そして本件の顛末を、ぜひ、対談などで聞かせてください。

斎藤より




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いまいち好きになれないコンビ漫才の理由

出かけずにテレビ番組はずっとお笑い番組ばかりを見ていた今年の正月休み、娘が芸人情報にくわしいおかげで、いろいろな意味で楽しめました。

「笑える理由」って何だろう?と考えた人は多いと思いますが、ボクもそこがまだよくわらない。論理的に解明できた人なんてこの世にいない分野だと思いますけれど、わからないなりに、年末年始のお笑い番組を「所属事務所の傾向」として俯瞰するのがおもしろかったという話。

で、面白い芸人の共通点はなにか、となりますが、セリフそのものが面白いかとなると、実はそうでもないことに気付く。
前回の「間」の話と関係が多少あるんですが、おもろい芸人さんは、そのあとの「どうする?」という「間」のあと、のもっていきかたがすごく巧(うま)い。
そもそも笑いの根底にあるものって、「あるある」みたいな「共感」ないしは「え?そっちいくかよ!?」みたいなその裏返しではないかと個人的に思うわけです。で、この「間」の長さの取り方で、観客の意識の代弁や、逆に意表をつくようなひっくりかえしが表現されてると思うのです。

ダウンタウンの松っちゃんのように、自らが落としどころのないヤバい墓穴をつくって、間でそれを表現するという、実に高度でギリギリの事を仕掛けてくる芸人 もいる。(どちらかというと通ウケ気味な、この独特のギリギリ感を集めたのが「してはいけない24時間シリーズ」のリアクションで、逆にそれらを排除したのが「す べらない話」だと思ってみてます。最近すべることも多々あるみたいですけど。)
正月番組をみていると、吉本系の人は、そのあたりがけっこう徹底されている印象があるのだけれど、一般的なタレント系事務所の芸人たちはどうもバラツキが大きい。

正月に出演している人気芸人の中でたった一組、どうしても面白さがわからないコンビがいるとしたら、それはナイツというコンビ。
ひ とりがひたすらボケて、もうひとりはそれを拾っては突っ込むんだけど、突っ込みに耳を貸さず、我が道を行くといわんばかりにひたすらマシンガンのようにボ ケを連発する、というタイプの漫才。リアクションもないから「ああ、なるほどね、ははは」とオチない。「なんでこの人ボケ続けてるんだろ?」という疑問だ けがのこる・・。

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むかし、会社の運営で悩んでいた時、先輩社長からこう指摘されたことがあります。
「斎藤君さ、(社員から会社の運営に関して質問された時に)、君は即座に答え過ぎだ」と。「たしかに論理的で、かつ要領を得ているのかもしれないが、話し方がプロっぽ過ぎて説得力がまるでないよ。すこしは社員と一緒に考えるフリをしなさい」と。
「ああいえば即座に答える」型で答えていたのでは、「情報」は得られても「共感」がえられない、ということと理解しています。10年以上前の事ですけど、いまだに頭から離れない一言です。

さて漫才の話に戻りますと、笑いのネタは誰にもひとつやふたつ経験がありそうな失敗談。
突っ 込みによってボケてる意味が観客にわかるまでのぎりぎりの時間が「間」だとすれば、その取り方が「共感」のための時間なんだと思うんだな。ボケてる側の方 が人気が出る理由も、この「共感」だと思います。ネタセリフの連発だけで、突っ込まれてもまるでうろたえることのないボケ役は、まるで人間性とかが伝わっ てこない、だだの「変な人」となってしまう。ナイツの漫才を見てて、ボケ役の人(はなわの弟さん)は、「きっと頭がいいんだろうな」とは思うけど、実はど んな人柄なのか、ぜんぜんわからない。結果、わらえないし、興味がわかない、そういうことなんだろうと思います。

ま、これは私見でして、もっとちがった楽しみ方が多々あるんでしょうけども。

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会話の「間(ま)」にかけるコスト

Skypeが普及したおかげで、国際電話をする人が激減した昨今、久々に長い国際電話をしました。

某国某メーカーの人らしいんですが、会った事もない初めて話す相手。もらってたメールの意味が不明で、これではらちがあかないから電話したのだけど、通話がはじまって30分をすぎたあたりから、「しまった」と思いはじめた。1時間を過ぎたあたりには相手の用件でバカ高い国際電話をしている自分が愚かにすら思えて来た。相手の意図がおおかた確認できたのでよかったという点ではよかったんだろうけどね。

ま、開発前の製品に関しては奥歯にモノのはさまった言い方しかできないわけですが、それにしても、「なんでメールでは相手の意図が確認できず、電話だとそれができたんだろう?」なんていう、ま、どうでもいいようなことを電話を切ってからしばらく考えたわけ。

で、電話で話してはじめて、その会話の「間合い」から本件が、この「奥歯にモノのはさまった言い方である」ことがわかったという話なわけです。「こっちのことははっきりいえないけど、あんたのことはいろいろと教えてほしいんだよ」という、実に不可解な質問をしている、という事実がね。

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無音状態だと録音が停止するレコーダーってのがあります。音に反応し録音を即座に再開する。
この手のレコーダーでの録音は、ですからセリフが数珠つなぎのようにつながっている。これが、画像圧縮や音声圧縮の基本原理でもあります。

さてこういうレコーダーで録音したものは、再生しても、いまひとつニュアンスがつかめない。質問に対して即答する「わかった」と、10秒間あけてから返事する「わかった」では、その意味がまるでちがうわけですからね。
人間は、この<空白>の意味を意味に変換する高度な頭脳を誰でも持っています。

警察無線のような半二重(両者が同時に話せない通話をこういいます)の音声通信は、「了解しました。どうぞ」(間) 「よろしくおねがいします」(間)といったように、この(間)が日常会話とは異なる不自然さを発生させます。どこまで理解してくれているのか、よくわからない。人間同士の会話で「間」というのは想像以上に大事です。


国際電話の話にもどりますが、話者が話をしていようが、黙っていようが、電話というのは回線を占有するわけで、だから料金がバカ高い。相手の吐息とか間、回答に悩んでいる時間、といった「情報でない情報」を割愛しないためのコストが、「国際電話」の価格とチャット系の違い、ということみたいです。

その点で、このうざくて長い国際電話は、もしかしたらかけた甲斐があったのかもしれない、という話です。