斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

« 2009年11 月 | メイン | 2010年1 月 »

|

来年移転します

来年そうそうに、ビバリウムは西麻布へ移転します。
今年のクリスマスカードは、現住所のままお送りしましたけど、来年早々に住所変更のご連絡をお出しすることになると思います。
今回は、借金して老舗の料亭の建物をそのまま買い取りまして、値段は10億円程度でしたけど(←大ウソ そんな大金どこにあるんじゃい!!)、いませっせとTさんが内装をやってくれています。これいわゆる「自社ビル」ってことになるんですかね? 実のところそんなたいそうなものじゃないんですけどね。エレベーター付きの一戸建といったほうがいいんじゃないでしょうか。ま、家賃がかからなくなりますから、この不景気をサバイバルするにはそれもいいのではないか、ということになりました。

この料亭のビル、実におもしろい構造をしていまして、中でも厨房空間がやけにでかい。タイルとステンレスと排水加工の床で囲われたこの空間をどうしたものか?と考えていたのがこの秋のことなのですけれど、「実験室にしよう」ということになりました。こわすという案もあったのですが、よくよく考えるともったいない。
普通のオフィスビルって、床に水を流したり、火を使うことができません。ですが、この空間はできる構造になっている。だったら、「実験室しかないだろ?」と内装デザインのT氏にいうと「まじすか?」という返事。「まじす」と答えると「なるほど・・・(15秒の無言)、たしかに、それは大ありですね」となりまして。

Tさんはシーマン2のパッケージ系のデザインをお願いしたデザイナーでもありますが、最近はあちこちのいけてるレストランやカフェを手がける工務店(?)でもある。そのデザインの遊び心が、普通の工務店とはちがって、なかなかよいのです。

ガスも水道もがきているし、高価そうな流し台もあるし、床には排水設備まである。写真の現像やら、ジェットエンジンの点火テストやら、オブジェの制作やら、料理やら、自宅ではできないいろいろな実験をするのに、この「厨房空間」ってのは、実に好都合でして、この新オフィスのひとつの目玉なのであります。

それ以外にも、いろいろとユニークな工夫が凝らされた空間が、ぼちぼち完成しつつあるのですが、これが実に楽しみなのであります。

頭痛の種だったのが、「窓がない」ということ。そのおかげで、このビル内はとにかく暗かった。老舗の料亭にはその方がいいんでしょうが、でも今回はオフィスですからね。で、一階二階三階の壁をぜんぶ、窓のためにぶち抜きまして、そのおかげでずいぶんと明るくなりました。やっぱ、仕事場は、風、と、光がはいってこないといけません。

さて、表記上この建物に「屋号(ビル名)」なるものをつける必要が出てきまして、考えてんですけど、何がいいんだろう? ビバリウムのビルだから「ビバリービルズ」ってのはどう? と思ってんですけど、周囲の反応はいま三です。コテコテですからね。綴りもぜんぜん違いますしね。ビルの屋号をウケだけできめるな、といわれました。

********

ここのところ、セリフ原稿の仕上げ作業をひとりでやっています。なんだかたくさんのマンパワーをかけてきたのに、最後は結局一人か・・。一人になってしまったので、泣きながらやってます。季節がら、徹夜がなかなかこたえるのです。1mgにしたせいで、タバコの量も増えそのせいでからだもだるい。社長ってのは、仕事しても誰もほめてくれないからつまんないのです。

そんなこんなで、こちらのブログの更新も滞り気味ではありますが、そのうちにこのビバリービルズ(暫定名)の「テーマパーク」風内観は、写真入りで紹介しますのでお楽しみに。

P.S
新タイトルに関するお問い合わせですけど、これがおこたえできないんだな。契約しばりの関係で。
ご推測いただくしか、ない。ごめんなさい。がんばってるよ、すごく。

|

僕といつも一緒にいる人

忘年会、クリスマスパーティーなどのシーズンです。
こういう時期は、ふだん会わない、いろいろな人と会うわけです。
で、帰宅して自分の部屋に戻ると、とつぜん一人になる。
この「一人」というのは、僕なわけですけど、この「さいとう」という人と僕は何十年間にもわたり寝食をともにきた。このだんごっ鼻も、特徴の太めのまゆげとも、何十年間をともにして来た。あまり好きではないこの肉体に、いつのまにかシンパシーをもっています。この「さいとう」という肉体にいちばんメリットが多くなるように日々の選択肢を生きている。この話のキモは「この肉体に」というのがミソで、カネも、美味い食事も、快適な睡眠も、居心地のいいグリーン車も・・ぜんぶ、「この肉体」を基準にしているところがある。

***********
最近の携帯電話は、SIMMカードを入れ替えると、いきなり他人の電話になってしまう。形もデザインもそれまで僕が所有していたものと同じですが、他人の電話番号を持ち、そのアドレス宛のメールをダウンロードしはじめる。愛用していた電話機が、いきなり他人のために働き始める姿をみていると、なぜだが嫉妬にも似た、切ない気持ちになってくる。そんな経験ないですか? 愛用していた何かを手放した時とか。
きっとこれって、長年つれそった妻や恋人が他人のものになった姿を見た時の気持ち、かもしれません。

*********
整形手術をして自分の顔がすこし変わったくらいでは、このシンパシーは揺らがないのでしょうが、からっきし違う肉体になったらどうなんだろうか? たとえば僕がある日、北川景子(の肉体)に移り住んでしまったとしたら・・。
肉体が違うから、タバコも焼酎といった刺激物は美味しく感じないかもしれない。そのうちきれいなワンピースを着てみたいと思うだろうし、チヤホヤされるうちにいつしか、若いイケメン男に恋するのかもしれない・。それって「女」そのものではないか・・。

むかしから人は「内面を磨け」とはいうけれど、実は内面ってのは実は外からつくられるのではないだろううか? オオカミ少年みたいに、ジャングルでたった一人で生活していたら、見栄もなければみかけも関係ないわけで、欲しいものもずいぶんと違うものになってくるんでしょうからね。


*********
携帯電話のSIMMカードみたいに、エッセンスだけを残して知人の肉体と入れ替わってしまうことが可能となったら、そもそも肉体なんてものは、携帯電話機の筐体くらいの価値しかもたないのかもしれませんね。人間社会は人間の肉体にいちばんの重きをおくように作られて来たけれど、そんな法律はすべて意味をなさなくなるでしょうし。

そんなことを最近考えてしまうのは、おそらくこれは肉体的な老化現象のひとつではないかと思うのですが、それはひとえに「いつしかこの肉体を脱ぎ捨てる日が来る」という予感から来ているのだと思います。
で、その晩、気がついたらその知人の肉体で時間を過ごしていて、次のパーティーでかつての自分の肉体をみたとき、「こんなに太らせやがって」と、人に貸した自分の車を見る時のように、かなり客観的に感じるんでしょうかね。

僕が、いやあなたがいま欲しいとおもっているもの、それは車であったり、家や不動産、服や時計であったりですけど・・・それらすべて、こういう「肉体交換」という欲望の疑似実現ではないでしょうかね。人間というのはそうやって、外部から固めて、自分というものをつくっているんではないでしょうかね? 

|

命ある肉体に刃物をいれる


娘が高校の生物の授業で、「解剖」をすることになったそうですが、肝心の「動物」を納入している業者にいわせると、今年はカエルの冬眠が早いそうな。なので、カエルが実験に必要な数集まらず、その結果、解剖の授業は急遽「ハツカネズミの解剖」となったそうな。

娘の報告によると、白いハツカネズミというのは、目はうさぎのように赤い。ところが解剖が進むにつれて、眠ったままネズミは死んでゆく。それにつれて、この赤く透き通った目が、だんだんと白濁してゆくんだそうです。
最近の多くの子どもたちは「ハムスター」を飼った経験が多いことも手伝ってか(うちの娘もその一人ですが)、生徒たちは「泣きながら」の解剖授業となったという話。

この手の話は、細かく書くと「残酷だな」とか「かわいそう」とか「きもちわるい」ということになる話ですけど、敢えてその先まで書くと、解剖の最後には、ネズミの頭蓋骨だけをとりだし、それを硝酸にいれる。硝酸によって頭蓋骨が解けると脳を傷つけることなく取り出す事ができるんだそうで、それを標本にして考察するそうです。女子高生の授業にしてはかなりリアルで、かつ手を汚す体験です。

*******
僕の同級生は医者になった者も少なくないのですが、彼らにいわせると、手術メスを握って死体の解剖実習している初期の医学生の時期は、食欲がめっきりなくなるそうです。中でもとりわけ「スパゲティー」が食べられなくなるらしい。が、いつしかそれにも慣れ、そうこうしているうちに、いっぱしの医者になると、スパゲッティーを見ても何も感じなくなる。感覚が麻痺する、と一般人がいうのはたやすいけれど、僕たちがもっているものをひとつ犠牲にして仕事をしているという点で、これはすごくありがたいことなんだろうな。

僕の兄は、医者ではなく歯科医ですが、口腔外科ですので、頭蓋骨に囲まれた独特の部位を手術するのが仕事。僕自身、歯の根が腐った時、この兄に処置されたことがあるんですが、歯ぐきをひっぺがし、頭蓋骨と顎の間の部分を開くので、のみととんかち(のようなもの)でがんがんとやられたわけ。このときの恐怖はいまだに夢に出てくるほどですけど、自分自身のことですから、記憶に幸か不幸か映像がまるでない。しかし医者である兄は、自分の弟が血を噴き出させて「うわー」と叫ぶ中、そ口腔部の頭蓋骨を開くわけですから、まっとうな神経でやっていたら手術にならない。ま、図太さがないとやってられない仕事なわけです。

*********
はなしは突然かわるけれど、「すいざんまい」で寿司をたべていると、時々ちりんちりんという鐘の音がして、「みなさぁん、いまから、石鯛をさばきまぁす」というかけごえとともに、水槽からいきのいいのを取り出してさばくイベントがある。
カウンター席でその様をみていると、こういう「解剖」とか「手術」と似たようなシーンが繰り広げられるわけ。ピンピンと飛び跳ねる石鯛の頭を、まな板の上に押さえつけ、頭をハンマーで一発どかんと叩く。失神している鯛の後頭部の局所に板さんはすかさず細身の包丁をずはりといれ、血抜きをする。まったく動かなくなったかに見えるまな板の上の鯛は、しっぽだけが条件反射でときどきぴくり、とする。あっけに取られている客を尻目に、あれよあれよという間に形ある生命がたんなる肉体だけになり、その直後は切り身と骨だけになる。そのまま皿に乗せられ、そのひとつを箸で口に運ぶことを待っている人間たちがカウンターに並んでいる・・。

*********

医者は「生かす」という大義が、そして板さんは「食する」という大義が、それぞれあって生命ある肉体に刃物をいれます。その間にいる僕らはというと、何も考えずに、日々をのうのうと生きている。で、「うわー残酷だぁ」とかいいながら、ビールを片手にそれらを食ってる。こういう僕らがいちばん命を知らない人種なんでしょうね。医者も、板さんも(それ以外の食材を手がける人も)、ぼくらのようなただの人間を生かすために、自分の手を汚し、命を向き合っているわけで・・・。

解剖実験を通じて、17歳の娘がそういう人たちに、そして動物たちに対して感謝の念をもってくれればいい、と口にするのは簡単ですけれどね。親である僕たち自身だって、そういうことの本当の意味をからきし理解できていないんでしょうね。人間社会は役割分担でできてますから。それこそが、なまぬるい「平和ぼけ」ってやつなんでしょうね、たぶん。

|

CDショップが見当たらなかった週末

柳沢慎吾の新作CDが欲しくて、都内のあちこちの大手CDショップに電話したけど、どこにもない。ま、今はやりの、というわけではないですからね・・。Amazonだと数日かかる、との表示。ならば、と車で都内あちこちを走ってショップをしらみつぶしにまわろう、ということになり、妻とまわったのですが・・・CDショップ(レコード屋というのは古い?)、本当にすくなくなりました!!あらためて痛感なのです。昔は商店街にひとつかふたつところどころにありましたよね。・・。いまはTSUTAYAが、でんと鎮座している風景しかみあたらないのでありまして・・・。
「いっそ、iTune Storeを検索したほうが早いんじゃ」という声もあるのですが、なにせこの商品、付属のDVDが目玉なもんで・・。
********
柳沢慎吾のCDってなんだ?という話ですれど、これ、ちまたでいまちょっと話題の「効果音まで完全一人芝居もの」でして、先週12/2に発売されたのは氏の真骨頂の「刑事モノ」なのであります。まだ手に入れていないのでこまかいところまではわからないが、要するに動機としては「カーステ搭載しておきたいCDナンバー1」といったところでしょうかね。

運転中に「爆笑したい」のであります、最近。

|

エレキギターの都市伝説

1950年代に製造されたギブソン・レスポールの初期モデル(=オールド)は、程度のいいものだと2000万円から3000万円ほどするわけで、ヴァイオリンでいうとストラディバリウスみたいな存在です。

この価格の根拠が「その希少価値」ということであれば、「ま、なんとなくそんなものか」、と思えますし、「木のトラ目が美しいと価値が高い」というのもわかる。が、それ以上に「その時代のギターは音が乾いていてこの上なくいいのだ」となるとね、電気楽器なだけに「いまの最新技術ではもう作れないの?」と思えもするわけで、僕もその一人だったりします。

「ちがうんだよ、木が違うんだ、使われている木がね」
そう答える諸先輩たちの気持ちもわかるのだけれど、そもそもエレキギターの仕組みに「木」がどう関係するんだよ?となると、その論点は曖昧になってしまう。

***
フレミング右手の法則ってのがあって(左手ってのもありますが)地場に張られた金属線がゆれるとコイルに微弱電流が発生します。これがピックアップ。その電流を増幅し(アンプ)、センサー部と同じ構造をした機器(スピーカーコーン)に逆に流してやると、音が再生されるという、考えようによっちゃかなり謎の多い自然界の仕組みが、いわゆる音の採取と再生技術の基礎です。エレキギターもしかり。ま、ここまではいいとして、この「フレミング右手の法則」に、「周囲の木がどう影響するんだよ!?」ってあたりが、本ミステリーの本質なんですよ。
*******
50年代後期に彗星のごとく出現した「エレキギター」は、20年間で劇的な進化を音楽にもたらした。ベトナム反戦運動やら公民権運動、あるいはヒッピームーブメントなどを背景に、「エレキサウンド」はそれまでの権威的な楽団の構成を覆し、「4人編成のバンド」という時代のテンプレートとなっていったわけです。ま、ここまでの歴史は誰でもがご存知の「サイケ時代」とか「ロック・ゼネレーション」ってやつ。

この時代に青春を過ごした世代にとって、だから、ジミーペイジやら、ジミヘンやら、ジェフ・ベックやら、その他多くのギタリストが醸し出すサウンドが神格化されているのも、ま、影響されたんだからそうだろうなと納得できる。しかし、そのサウンドが、いまのギターでは出ない優れたものだ、ということになっちゃうと、「なんで出ないの?」となる。数十万人、いや、数百万人のフアンが「木が原因だ」と信じているとなると、「ほんとかよ?」とあまのじゃくな僕としては言いたくなっちゃうわけです。「それって、さもありなんな理由だけど、実は都市伝説なんじゃないの?」みたいな。

**********
厳密にみてゆくと、弦の振動はソリッドなボディーに伝わり、そしてネックを通じてふたたび弦の振動にフィードバックされる、したがって、ボディーは不純な音を除去し弦へと返すフィルターの役割をしている、ともいいます。
L9990506

これがどこまでの真実なのか、僕にはわからないのです。ボディーがないエレキもあれば、プラスチックのものもあるし、なんといったって先端素材技術を駆使すれば、木の個体差を補完しフィルタリングの能力の高いものだってあらわれてもよさげなはずだし。
でも、楽器屋にあるスタンダードなギターはすべていまだに「木製」なんだよな・・。木って、そこまで人類の技術をよせつけない「すごい素材」なんですかね? わからないのです。
**********
オヤジ世代を惹き付けてやまない、このミステリー、こんどギターメーカーの職人さんに取材にいってこようかとも思っているのですが、かくいう僕も、このミステリーを信じたいところがあるのも事実。貴重なハードメープルボディをしたギブソンの59年モデルの復刻を、なぜか引き寄せられるように一昨年買ってしまいまして・・。はたしてこの21世紀版59年モデルの音は「味がある」のか「ない」のか、どっちなんでしょうかね? それきがよくわからないまま買っている僕も僕なんですけどね・・。


L1011214
古いものには味がある、と信じたい心理ですかね?

追伸

なんか写真が表示されないぞ・・

ブログシステムのバージョンアップのせいですか?