斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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マッチ売りのローザ(マッチ売りの少女2 のその2)

目抜き通りから一本入ったところに位置するクラブローザという店は、いかにも高級クラブといった雰囲気を持っていた。客として出入りしている者とは会ったことがないが、ここらでは最高グレードの店であることは、少女でも知っていた。

店内には、キャバクラのようにユーロ系のBGMが無意味に流れているわけでなく、またマイクをもった店長の掛け声でギャバ嬢が不慣れな踊りを披露するという下品なイベントもない様子だった。

店内におかれているのは、カウンターと一体化したビアノが一台。おそらくはそこに初老のピアニストなどが毎日決まった時間に、ビートルズの懐メロから始まってビリージョエルの「素顔のままで」などの演奏を繰り広げるであろうことは、むろん少女には想像もつかない。

うすぐらい開店前の店の一角で、少女の面接は時間どおりにはじまった。
開店前の客のいないクラブほど不気味でさびしい場所はない。

面接を担当する店長とおぼしき男は、すでに初老の紳士から聞いているらしく、少女のことをやさしい口調で迎え入れ、対面するソファに座った。

「で水商売は初めて?」
「はい、まったく経験がありません・・・」
「興味はあめの?」
「ないわけじゃ・・・ないけど・・・」
「・・・ちょっとこわいよね」
「ええ・・・」

初対面の店長の言葉遣いに、なんとか少女の緊張をほぐそうとする配慮を感じた・・といいたいところであるが、少女はむしろ自分という存在を認めてくれるこの店長の視線に、これまで感じたことのない懐かしさを感じた。

「君はまだ未成年だから、まずはエスコートからお願いしようと思うんだが、どうかな?」
エスコートという言葉に、少女は少々当惑した。欧米でエスコートというのは特別な意味があることをどこかで読んだことがある。

「はは、そうかそうか・・。ええと、エスコートというのはね、いらしたお客さんを迎え入れる係りのことです。日本ではホステスと区別してそうよばれています。荷物を預かったり、あと席へとご案内する役目。」
「あ、だったらできそうです・・。でも・・・」
「でも、なんですか?」
「その仕事とマッチをするのが得意なこととは関係があるんでしょうか?」
「ああ、たしかにそれは関係はないね。ま、君はかわいいから、ときどきお客さんが席に呼んでくださることだろう。そのときくらいかな・・・」
「はぁ・・・」

少女は、高級クラブという店がどのようなしくみで運営されているのか、しるよしもない。
だがかといって、たんかをきって飛び出してきた手前、ここの店で雇ってもらわないともう行くあてもない。

(ええい、一度死にかけた身だ)
決心するときの潔さはおばあちゃんゆずりだ。
少女はしばらく考えて、顔をあげた。
「わたし、やってみます。やらせてください」
その決断の早さにびっくりして店長がぽかんとあけた口には、火のついてない煙草が乾いた唾液でひっついたままぶら下がっていた。

少女は売れ残ったマッチを懐から取り出すと、すかさず擦ってそこに火をつけた・・・。
これが少女がこのクラブローザで擦った記念すべき最初のマッチとなったのである。

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マッチ売りの少女2

朝になるとマッチ売りの少女は、冷たくなっていた。
手には、売れ残ったマッチの入ったかごを持ったまま・・・。
町の人々は、「あらま、かわいそうに」と、冷たくなった少女を見て口々にいった。

マッチ売りの少女は、僕の知る童話の中でもっともかわいそうな物語だ。
「これじゃ、かわいそうすぎるじゃないか・・・」
子供の頃からずっとそう思ってきた僕は、酒飲みの場で、よくその続編を語ったものだ。

神経性胃潰瘍による胃の痛みがひどくて、自分を哀れむしかない僕は今日、その続編を勝手に書いて自分を慰めようと決心した。

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少女は、長い階段を上っていた。一段一段ゆっくりと。
階段を一段昇るたびに、これまで虐げられてきた日々の辛さが、ちいさな体からすこしづつ抜け出でる感覚を味わった。

カタルシスにも似た感覚の中で幼い少女はうっすらと気付いていた。その階段を昇りきったとき、自分が完全に現世を去るのだということを。

しかし少女にはそのことへの抵抗感はまったくなかった。マッチを売って生計を立てるというノルマはさほど辛くはなかった。辛いのはむしろマッチという廉価で市場ニーズが失われた旧式の消費財を売らせる、その旧体然とした親方一派から抜け出でる方法がまったくないことだった。

162段ほど階段をあがったところで上を見ると、その先に小さな扉が見えた。その扉を開いた踊り場に懐かしい人の姿が見える。それはとうに他界した少女のおばあちゃんだ。

「おばあちゃん!!」

少女は叫んだ。
おばあちゃんは、あの時のままの優しい顔で手を振っている。

うれしくなった少女は残る力を振り絞って階段を早足で昇った。

おばあちゃんの姿が近づくにつれ、しかし、その表情が曇っていることに少女は気付いた。声もすこしづつ近くなり、何を言っているのかが聞き取れるようになった。

「だめ、ここに来ちゃ!!帰りなさい」
おばあちゃんはそう叫んでいた。

「早くこっちへおいで」といわんばかりに振られていた手もよく見ると、「来てはならん!!」というジェスチャーであることがすこしづつわかってくる。

消耗し切った体でダッシュをしたことを少女はすこし後悔した。

深夜工事の不慣れな交通整理係のバイトの警告灯ように、「進め」とも「止まれ」とも取れるぎらわしいジャスチャーに少女が腹を立てなかったのは、ひとえにこの少女の性格が純粋でまっすぐで愛情に満ちていたからにほかならない。
もしこれがこの少女ではなく、日曜の朝のバラエティーニュース番組に準レギュラー出演している女医のように自己都合的で短絡的な思考をもつ人物だったとしたら、とうに合法的な方法でそのタレント生命の、いや生命活動そのものの抹殺を試みているに違いない。

「どうして?」

少女は可憐な声でおばあちゃんに聞いた。

おばあちゃんは、昔ながらのよく通る声で返してきた。

「あなたはまだココに来てはいけないの。まだ生きなきゃならないのよ。いますぐ帰りなさい」

「そうか・・。」
少女は自分の予想が正しかったことを知るのと同時に、自分があの忌々しい現世に再び戻る運命にあることを悟ったのであった。そしてすこし落胆した。

少女は、おばあちゃんのいうとおりすぐさま振り返ると、これまで昇ってきた階段を降り始めた。二度とおばあちゃんの方は振り返らなかった。

階段を一段一段下りるとともにその体にはすこしづつ、現実特有の疲れと、虚無な労働に対するだるさと、そしてマッチを買ってくれるわずかな通行人だけに共通する加齢臭が戻ってきた・・・・。

**********

気付くと、少女は、街頭に倒れていた。

目を開けると周囲には人だかりが出来ていた。

それを見て一人が叫んだ。
「少女が生きているぞ」
もう一人はもっと大きな声で叫んだ。
「ほんとだ、少女は生きてる!!」

群集心理というのはこわいものだ。
マッチに見向きもしなかった人間たちが、まるでヒューマニズムの代弁者であるかのように、口々にそのような言葉を発しはじめたのだ・・。そしていつしか、人だかりからは喝采が起きていた。

立ち上がった少女に品のいい一人の初老の紳士がつかつかと近づいてこういった。

「君はマッチをするのが得意なのかい?」

少女は迷うことなく応えた。
「ええ、誰よりも得意です。だって毎日こうしてマッチだけを売ってきたのだから」

「そうか・・。だったら、うちの店で働く気はないかね? うちの店にはたくさんの上品な紳士が来るんだよ。しかも彼らは、100円のガスライターで煙草の火をつけられることに飽き飽きしているんだ」

そういってペンとピンク色の名刺を取り出すとさらさらと自分の携帯番号を書いてさし出した。
「いつでも電話してくれないか」
そういって紳士は立ち去った。
思わず受け取ったその名刺を見ると、「高級クラブ ローザ」と書かれていた。

少女は自分の頬にすこしづつ生気が戻るのを感じていた。

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要するにバグとの格闘

要するに、いまシーマン2の開発チームは、バグとの格闘をしているわけです。

デバグというのは丹念にバグをつぶす作業であり、いわばシステム側の話であって、企画側の案件ではない。

だから、デバグの時期になると、ただ僕は力なく気をやきもきさせるだけなのだが、これが胃に悪い。自分の運命を人に委ねた患者のようなものだ。

相手が人間であれば、着地点というものがたならず見つかる。だが、プログラムというのは、つまり機械が相手の場合は、いっさい融通がきかない。だから甘えるたり説得したり、人為的な作戦がいっさいとれない。

そもそもバグというのは、人為的なミスである。しかし、これは綺麗ごとであって、実際は迷路の宮殿の中で、落としたコンタクトレンズを探し回るような作業である。

「人為的ミスであるということは、なんらかの共通点があるはずだよ」などと先輩面をして若手に講釈する僕がいた。担当者のクセが原因だったり、あるいは時期的なものだったり、仕様の勘違いミスであったり、何かしらの共通点があれば、突き止める手かがりになる。

などといいながら、僕は何もなす術がない。納期が迫っている中で、バグとの格闘をしてくれていいるメンバー諸君には、とくに4階チームの諸君には敬意を表したい。

僕はというと胃潰瘍がかなり悪化してて、資金繰りとか、工場入れだとか、プロモーション計画だとか、とにかく追い詰められているのであって、もう二度とゲーム開発などするものか、と思ったりしている。

しかし、デバグの時期になるとひとつ思うことがある。
人の力というのは偉大だ、ということだ。

自分の力の小ささに嘆くとともに、メンバーたちの力の大きさに、いつも脱帽する。
今回も、その力を信じていたい。

でないと、胃の穴からすべてが流れ出てしまいそうだ・・なんて正味な話を書けるのは、そして人に話せるのは、自分のBLOGくらいのもんだ・・。それくらい、この時期は、消耗する。

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更新してますぇん

とにかく、更新しておりません。

すべてが休止している私です。

本当にごめんなさい。

そんなみんなに、ビッグニュースがあります。

来週になったらこちらでお話しします。

ではでは。

追伸

シーマン2のスタッフジャケットが出来上がってきた・・。
以下若手スタッフの艶姿。

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追伸の追伸

誤字修正しました。来襲→来週

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ライカM8はどうなんだ?

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これがわたしのいまの宝とも言うべき、ライカM8とエルマリート24mmの姿である。

カメラを形で誉めるのはライカマニアくらいのことだろうが、なかなかきれいである。

だが、どうもホワイトバランスが、よろしくないのである。そしてなんといってもバグらしきもの。新橋のモスバーガーの店内でとっていたら突然下の写真。これは、いったいなんなんだ?

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ソラリゼーション効果が、自動でかかってしまっている!?

今月のアサヒカメラにプチ特集があったので、あれこれ読んでいるのであるが、ま、とにかく、かっこはいいし、ブランドもいいし、もっていてもデジカメどころか「レトロなカメラですね」といわれるくらい、風貌もいいのであるが、ライカはデジタルには弱すぎるのである。

デジタルというのはすべてが人為的な原因による世界である。その点でアナログを相手にする方がはるかに難易度が高い。

そのライカがいきなりお粗末、というのは残念でならない。
初回のM8を買った人が、ライカに絶望しなければいいが・・・。

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囚人

クリスマスから意識がずっとつながったまま毎日が過ぎている。
昼も夜も、連休も年末も、ずーとつながっている。
世の中で何が起きているのか、さっぱりわからない。

体調は、すこしよくなってきたけれど、精神状態は、くもりがかったままだ。

唯一の楽しみが、ライカM8と24mmで写真をとることだけれど、色実がよろしくないし、なんたってとる場所がいつも同じだと、写真を撮ろうという気すらおきてこない。

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朝、新橋に時計台ラーメンをたべにいったら、オープン前だった。

しょうがないので周囲をパチパチとっていたら、クルマが動かなくなってJAFを呼ぶ羽目になった。

人っ気の無い新橋のバス停で、乗客をまつバスの運転手さんに、聞きたい気持ちになった。

「いつになったら僕のバスは発車するんでしょうか?」

テトリスで、長い棒がおりてくるのをずっとまっているような精神状態。どんどんと水面が上昇してきて、いかんともしがたいテンパリ状態。
そんな景色の中に長居するのは、人間なかなかつらいものだ。

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キューバに行きたい

仕事から解放されたら、キューバにいきたい!!

なぜかその思いが強くなってきた。
キューバか、そうでなければ、チベットあたり。

チベットは、北半球だからかなり寒い。だったらやっぱキューバかな、と思い六本木ヒルズのツタヤの南米コーナーに本を探しにいったら、置いてあるのはゲバラの本ばっかりだった。
ゲバラの本というのはなぜか裏原宿の美容室にかならず一冊おいてあって、もう読み飽きた感がある。と思いきや、ふと、そこに見覚えのある名を冠した本があったので手に取った。

それはI君という、かつての後輩による本であった。
「Iのキューバ日記」というのがそれで、ページを開くと、冒頭に僕の状況とそっくりの記述がある。
「六本木ヒルズの書店のキューバコーナーにいったがゲバラの本ばかりでがっかり・・」云々。

「おお、そうだよな!!」
僕は、まさにその書店のーまさにそのコーナーで、まさにゲバラの本に囲まれながら、あいづちをうった。

Iによるこの本は、キューバの観光情報とは程遠いものとすぐにわかったけれど、デジャブのような感覚に、うっかり買ってしまったのである。

Iとはずいぶんと会っていないけど、サラリーマン時代に、シーラカンスを刺身で喰おうと、長期休暇をとってアフリカに探索に出かけた男だ。

その意気込みは男のまろんってやつだろうが、ヤツは寄生虫のコワさを知らないな、と思った記憶がある。(僕は、なぜか寄生虫にやけに詳しい。)

ま、幸いにもIはシーラカンスとは遭遇しなかった。ただそのときにつづったイラスト入り大学ノートの日記を、僕の上司がおもしろがってそのままハードカバーの書籍にしてしまい、ちょっと話題になった。(売ったわけではなく会社案内として学生に配布したのだから、その会社も変わっている) 

その上司は上司で、いまはどこかの中学の校長になったと聞くが、IはIで当時から稀有なキャラクターで、ちなみに文壇の知人にいわせると、いまでは、「大変な存在」だという。それ以外にも、あそこのあの人、だとか、あちらのあの人、が普通に勤めていて、今思うとこんな人間図鑑みたいな会社、静かなサラリーマン生活を望む僕に勤まるわけがなかったのも無理ない。30過ぎにとっとと脱サラし、僕は今に至る・・・。

さて、そんな懐かしい思いもあってこの本を読んだのだが、結局キューバのことはさっぱりわからず(そういった注意書きが本書内にも書かれているようだが)、このブログを書き終わったら、1200円を取り戻しに、ツタヤに談判に向かう予定だ。

そもそも僕が欲しいのは、キューバの市街地図付きの免税店ガイドマップや、ヴィトンが激安で手に入るショップリストや、JALとポイント提携しているホテルの案内や、すっちーと知り合いになれるビーチ情報や・・つまり山下マヌーが書くような生粋の日本人向けのトラベル情報なのである。

と、ここまで書いて、思った。
あんまり好き勝手なことばかり書くと、きっとまた方々から失笑を買うぞ、
「斎藤さん、あんたキューバとグアムを完全にまちがえてますよ・・・」なんて。

いや、それでも僕は、キューバに行きたいのである。

今日届いたばかりのライカ24mmとM8のコンビを首からぶら下げて・・。

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水や空気

一日16時間仕事をしているせいで朦朧としている。

昨日は、起きて「ひさびさにしっかりと歯でも磨くか」とはりきって自宅の洗面で、奥歯の隅々まで歯を磨いていたら、ハミガキの味がちょっとちがうことに気付いた。いつもよりまったりとしている。

チューブを見たら、「クレアラシル」と書いてあった。
これは娘のニキビ予防の洗顔フォームである。風邪が治りかけだというのに吐きそうになった。最近のハミガキは、なぜにチューブを洗顔剤と似せているのか?

夕食のときに「この家の家長は俺だ」といわんばかりにその話をしたら、「鏡に向かって左にあるのは洗顔系です」と女二人に口を揃えられた。

それでは、いままで僕はずっとクレアラシルで歯を磨いてきたというのか?いやそんなはずはない。

言葉にしてくれればわかるものも、そういう暗黙の了解というのが、いちばん、やっかいだ。そういう不文律には形が無い。形の無いものほど駆除に困るものはない。

ゲームの仕上げもしかりである。
開発チームでは当たり前になっていることが、初めてプレイするユーザーには、さっぱりわからない、ということがある。しかも多々ある。当たり前のものだから関係者には見えなくなっている。そのぶん駆除に困る。

開発チームのみんな。
忙しくて手が回らない、とか、目が回りそうだとか、女と別れた、とか、一週間パンツ換えてない、とか、いろいろとあるだろうけれど、すこし視点を変えてそういうことに気付いていこう。そして口に出していこうではないか・・。

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僕がカメラにはまる理由 その1

はじめてデジカメに触れたのがアップルのQuickTake。数えてみたらまだわずが10年前のことである。自分の記憶では20年近い印象があるけれど・・

デジカメで美しい写真を撮ろうなんて発想は、コンビニに高級フレンチの食材を買いに行くのと同じ、あり得ない発想だった。当時デジカメの役割はどちらかというと、メモである。美しくないけど、書類に貼って、で送れる、そういう業務グッズ的なもの。

ほぼ日の連載などで使っている標識や看板の写真も、その発想だから撮れた。露出やピントにいちいち凝っていたら多くの瞬間を逃していたにちがいない。移動中に10秒以上立ち止まってはいられない、それが日常でのカメラの優先順位というものだ。

だからそれまでのカメラの選択基準は次の4つだった。

1.起動が早い
2. 片手で取れる
3.ズーム(内臓)装備
4.パンツの後ろポケットにはいる形状

この機能さえあれば、よかった。フォーカスやフライデーじゃないが、その場でとっさに発見を記録できさえすればよかった。光学式ズームがデジカメについたのは後半になってからの話だがこれは看板を撮るには重宝した。だがいちばん重要なことはいつでもカメラがポケットに入っていることだ。手ぶらで歩く僕にとっては後ろポケットしかカメラの居場所はなかったから。名刺サイズであることがなににもましての条件だった。

「ハンバーガーを待つ3分間の値段」はそうやってできた本だ。あの本の写真のほとんどは愛用していたサイバーショットが活躍した。サイバーショットは、レンズがせりでてこないので使いやすかった。

街で見かけたちょっとした発見をカメラに収める・・これは僕の日課となっていた。もちろんそういった連載などに使う目的もあったけど、一番の目的は本業・・・つまりゲームの題材を発見するためのメモ的なものだった。これについては後述する。

ところが、ここ一年これまでとは比べ物にならないほどの大金をカメラにつぎ込んでいる。R-D1とM8というレンジファインダーのカメラがそれである。しかもそれらのカメラはまったく上の条件を満たしていない。でかいし、かなり重い。

明日代金着払いで届くレンズは、僕が買う初のライカレンズである。エルマリート24mmという単焦点のレンズ。たかだかレンズで値段は24万円。定価だと34万だ・・。
24万円といえば、普通のデジカメ本体の値段の数倍である。いやいや、R-D1の本体の値段である・・・。R-D1を買うとき「デジカメで24万円か?」と躊躇した思いはどこへいったのか?

いつからこんなにカメラの趣味が変わってしまったのか・・・。

おもいあたる鮮烈な記憶がひとつある。

十番の寿司屋のおかみさんが趣味でやっている六本木の外人バー。
そこで、友人とできたての著書(上述した本である)をにんまりと眺めながら飲んでいた。
その席についた金髪のホステスさんが、その本を見せろという。
日本語がまったく読めない彼女は、偉そうにパラパラとページをめくったあと、本文中のある写真を指差して、カタコトの日本語でこういった。
「へた」

その写真は、ある看板をとったものだが、フラッシュの光で反射していた。

みていた友人が爆笑した。

「この本はね、写真のきれいさは関係ないの」
そう説明したが、
「でも、へた」
とつっ返された。

この瞬間にまちがえなく僕は「この本の印税で次はマニュアルカメラを買うぞ」と強く思った。

つづく

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迷信の根拠

根拠のない昔からのいわれを「迷信」という。
でも、僕は迷信にはそれなりの根拠があったんじゃないか、とおもうことがある。

たとえば昔の人は、写真にとられると魂を抜かれる、とか、早死にする、と思っていたという迷信。それを嫌って写真にうつらなかったひとも多いときく。

そんなの何の根拠もない迷信だ、と決めつけるのは現代人の早とちりではないかとカメラをさわっててつくづくと思う。

当時のカメラってのはさ、露光時間がやけに長かったから、ずっと静止していなければならなかった。その結果として、街の雑踏をとっても映っているのは建物ばかり・・となる。

L1021038

できあがった街の写真は不思議にも「人間が一人も写っていないぞ!?」となるわけで、理屈がわからなければ、誰でもそう信じてしまうのではとも思える。

理屈が解明されたおかげで僕らが当たり前におもっていること、それが、時々、なにかを見えなくさせてしまっていることがある。