斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

« 2006年7 月 | メイン | 2006年9 月 »

|

第四回 出資

「面倒見のいい知人の社長が100万円出資をしてくれることになった」、といって喜んでいる男が、かつていた。その頃は彼もまだ脱サラしたての時期だから、100万円という金額はかなりの高額である。有限会社の資本金300万円のうちの100万円だから比率も小さくない。
関係を聞くと、サラリーマンの時代からなにかと懇意にしている中小メーカーの社長だという。男は嬉々としてその出資を受け入れた。

一般的に資本金というのは借金とちがって、「返さなくてもいいお金」と認識されている。それがポーンと入金されるのだから、彼にとってはうれしくないわけがない。

さて男がこれから創業するその会社はどんな会社かというと、いわば編集プロダクションだ。社長である彼はその才能をウリとして切りまわしてゆく業態である。「ソフトの時代到来」と騒がれ始めた90年代のことだから周囲関係者は漠然とした期待を寄せていた。
そして無事登記が完了し、脱サラした彼はあたらしいオフィスに什器を入れ、編プロを開始した次第である。
やがてしばらくするといつしか彼の口からはこのエンジェル氏の名前が出てこなくなった。

関係が芳しくなくなったらしい。

何が起きたかというと次のようなことだ。
しばらく会社をやっていて資本金はなくなった。事務所は自転車操業になった。ここまではよくある話である。だがそこで重要なのは、資本金がどんな姿の資産にかわったか、である。

従業員を何人も雇いいれて拡大してゆく、というような類の業種ではないので、しかも合う合わないの激しい彼の性格がら、社員はひとりも採用していなかった。その結果、売上は彼がひとりで稼いでいる状況で、あがった利益の支配権はおのずと社長である彼のもののようになっていった。配当があるわけでもなく、懇意にしていた出資者の社長が、「せめてうちの会社案内をつくってくれ」などといった仕事をうける余裕もないまま、時間は過ぎていった。
やがて出資した社長も「出資している意味がない」ということとなり、ついには返金を求めてきた。そうなると返せ、いや返せない、という議論はついには喧嘩となってしまったそうだ。
結局その100万円がどうなったのかはよく知らないが、ひとつだけ明らかなこと、それは、彼とその出資者との人間関係は完全におわったということである。

出資というのは元金をかえさなくてもいい金である。だが寄付ではない。その違いはというと、寄付は見返りを求められないが、出資は求められる。一般的には「配当」であったり、百歩譲って、芸能プロダクションだったら宴会に売れっ子タレントが出席するような「優待」だったり、レストランだったら「特別割引」といったように、とにかく出資者というのは投資先からのなんらかの見返りを期待している。いわれてみればなんてことはない、これは資本主義の大原則である。

つまり、だ。資本金、というのは使うものではなく運用して増やすものである。姿をかえてチャリンチャリンと利益を落とすドル箱製造機にならなければならないのだ、ということを僕が知ったのはここ数年のことである。
彼はひとりで仕事を受けてきてはこなし、事務所の経費も払い、とそれなりにやりくりしてなんとか廻っていた。そのドル箱製造機が工場や利権ならいいが、このような個人労働ではいつまでたっても産業化しない。そこから産み落とされたチャリンの行方で揉めることになる。

僕がこの一連の件で学んだことというのは、投資と回収はペアである、というありきたりのことだった。ただ一点、この回収は、継続的、つまり半永久的に続くのがミソである。誰がいったか知らないが、「資本金とは返さなくてもいいお金」というのは詭弁で、運用し続けなければならない元金、それがその正体である。もっといえば、返済することができないお金、それが資本金だ。

しかし、この大原則はあくまで原則であって守らないと罰則があるわけでもない。出資する側は確認するまでもない常識と思っていることも、これから会社を始める側の頭には、からきしそんなたいそうな意識がない。これがすべての元凶である。

たった一度きりの好意をうけたばかりに、なんでこんなに付きまとわれなければならないのか、みたいな愚痴が酔った彼から口から出てきた時には、すでに関係は修復不能の状態になっているなということくらい、僕にもわかった。

仕事は日々大変な思いをするものである。そういうきりもりしていると、出資のありがたみなんてものは日々薄れるものだ。しかもこういった個人事務所がわかりにくいのは、どんなに業績がわるくても「つぶれない」ことである。つぶれないから経営責任もくそもなく細々と続いてゆく。だから面倒なのである。
この状態では見返りを求める出資者はいつしか厄介者扱いされるようになる。逆ギレした返済者が恩人をボコボコにする傷害事件は後を絶たないが、好意が裏目に出るという点ではどちらも似たようなものかもしれない。

この経緯をみていた僕の結論としては、独立祝いで出資、はしてはならないということだった。「黄色いモンシロチョウ」といってるようなもので、祝い金、と出資金、は完全に矛盾した概念なのである。

お互いよかれとノリで結んだ関係が、やがては人生の思い出までをも悲惨なものにしまうという点で、出資というのは恋愛に似ているかもしれない。

|

第三回 資本金

僕が会社を脱サラしたとき、たしか31歳だったのだが、いうまでもなく、資金なんてろくになかった。
だから、最初はごく近しい友人の有限会社に、貯金をつぎ込んで増資をし株式会社とし、その半分の株主としてスタートした。

この会社はそもそも社長を含めて三人という会社で、僕が4人目の社員(正確には役員だが)ということになった。その会社の取締役として電子出版の新事業をするのが僕の独立というわけである。

そもそもたいした資本がなかい会社にわずかに増資したわけだが、この資本金ってのがまずは最初のくせものである。

自分で独立して会社を開業するのに、なぜ1000万円も必要なのだろうという? 有限会社だと300万。この二者のちかいはなにか? ハンバーガーとチーズバーガーのようなランクの違いだろうか?

独立して13年経過するが、その明確な回答は得られないまま、今年新法律が施行となり有限会社という存在が消滅した。300万円でも株式会社がつくれるようになったのである。

「けっきょくのところ、300万円で株式会社を作ってはならない理由はなんだったんだ!?」

税理士というのはこういった分野の専門家である。だからあたらしい法律のしくみ・ルールはあますところなく教えてくれるけれども、その意図というか意味までは教えてくれない。だから社長というのは、時間をかえけ、その意味を自分なりに体験し解釈してゆくことになる。

そう振り返ると、株式会社というのは、一人で独立する人向けにお勧めする形態ではない、といまは思えてならない。
「最低1000万円集まらないなら株式会社は向いてないよ、お客さん。お金がないならもっとちがうものにしておきな・・・」
お役所は法律という名で私たちにそういっていたのである。
その証拠に、同族会社(一人ないしはごく少数の株主によって所有されている会社)は普通よりも法人税が高い。

税金が高いというのは大雑把に言うと、国が、「あまりよろしくないよ」といっている意味だ。だから、少数で経営している会社はあまりよろしくない、という意味である。それを加味するとなおさら、株式会社の資本金が一千万という法律がきまったのは前述したような価値観があったのではないかと思うわけである。

ここのところのベンチャー促進の意味か、あるいは企業の意味合いが変わってきたせいか、その枠組みがだんだん変わった。最近では資本金が少なくても会社が作れるようになった。だたらなおさら、これまでの資本金って何だったんだ!?という問題に帰る。

そもそも資本金というのはさ、自分始めようとしている事業が軌道に乗るまでに必要な資金のことである。スタートするのにこれくらい無いとはじまらんぞ、というお金。

軌道にのるというのは、入金がはじまり、回転し始めることである。だから、もし皆さんがたとえば、作家として個人事務所を始めようとしているならば、正直1000万円の資本金なんて絶対にいらない。ワープロ、最初の原稿を書き上げるまでの交通費や調査費、カメラ、FAXぐらいのものだろう。1000万から比べると,屁というものでもない。

そうなると、1000万円なんていうあるいは300万円なんていう資金をわざわざ資金調達させていたことが「へんだ」という話になる。

で、たぶんですけど、この商法はそもそも、個人事務所を開業するための法律ではなかったのではないか、と考えるようになった。法律が意図していたのは、「そんなことは個人事業主としてでやりなさい、会社になどにせずにさ」とね。

つきりここでいう会社というのはさ、アイスクリーム工場を開設くとか、出版社をはじめるとか、とにかく一人ではできないことを資本という形であつめてやることである、という意味なのである。パソコン一台ではじめるようなことではない。

たしかに個人でやるだけなら金をかけてまでわざわざ「会社」なんて名乗る必要はない。

|

今日は手抜きしました

毎週水曜日に、ニュースコラムを連載しているのであるが、たまには読んでみてください。なぜか、ゲームのコーナーにいまは置かれていますけれど。

MSN→ニュース(毎日新聞)→ゲーム

あるいは、バックナンバーはこちらのほうが読みやすいかもしれません。

http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/category/cat11/cat37/

今日は、ちょっと手ぬきです。おやすみなさい。5時だ・・・。

|

人はなぜ独立するのか(後半)

世の中には自己実現を仕事に求めるタイプの人と、そうではないタイプの人がいる。
僕は、自分のすきなことを仕事にしてきたので、いうまでもなく仕事が自己実現の手段になっている。

こういう考え方の人間は、おのずと「ほかの人もそうに違いない」と思い込む習性があるようだ。それが大きな間違えであることに気づくのは、そしてまた、それまで生きてきた自分の価値観と現実とのギャップに愕然とするのは、独立創業よりかなり後の、いわゆる一般社員が入り始めてから遭遇するひょんな出来事においてである。僕はおそらく、かなりの勘違い野郎であったと思うし、それが是正されきれていない節がいまだにある。このあたりに関してはまたあとで話すことにするけど。

何がいいたいかというと、会社や仕事を自分の人生の最大目標においている人というのは、むしろごく一部の人間である、という事実こそが、もっとも大きな発見の一つなのである。

映画には主役がいればその横に脇役がかならず存在する。僕は大滝秀治さんという俳優がとても好きで、ゲーム作品に登場してもらったことがあるのだけれど、この上なく魅力的かつ独特の雰囲気の存在感をもつ役者さんである。でありながら、大滝さんは映画で主役を演じるタイプではない。だからとても長い役者人生を送っておられる。

主役を経験したスターで長く続く人はわずかである。主役しかできない存在になってしまうからではないかと思われる。

蒲田行進曲の銀ちゃんじゃないけど、主役級のスターというのは主役出演か、あるいはまったく出演しないか、その二択しかない(特別出演とかいう謎の出演形態を別とすればだが)。脇役であれば、飽きられることなく多くの作品に出ることができる。主役が変われば、その人の脇でまたちがった味を演出することができる。でも主役というのは言い方を変えると「つぶしが効かない」とでもいいましょうか、転向できない存在のことをいうのではないか、とすら思えるのである。

だから、主役としての出演を決断するには、慎重に判断しないといけない。自分が本物の「主役人生」に耐えていけるだけの資質があるのか、を。

経営者も同じように思うのである。独立して成功している社長たちには、どう考えてもサラリーマンにはなれないというオーラの人が多い。そういう人たちは、このまま自分の会社を成功させつづけるか、あるいはのっとられる/はたまた没落か、いずれにしてもふたたびどこかの会社に勤務しなおせるとはとうてい思えない人が多いのである。(そういう人の雇用は上司になる人がかなりいやがるだろうと思うし) 極端な例だけど、孫正義氏が事業に失敗し、どこかの企業に入社して再出発する、というのがどう考えてもありえない、そういうことだったりする。
だから、経営者タイプの人ってのは、組織になじめない人が多いというのは、そういう観点では「真」ではないかと思う。(その逆の、組織になじめない人が経営者向きか?ついてはまだわからないが)

そう考えていきつく結論というのはですね、そもそも人類には独立するタイプという人が一定確率でいて、そのタイプの人は遅かれ早かれ独立する運命にあるということではないかということである。

そしていったん独立して事業が失敗したときというのは、社長たる人であればあるほど、たどる運命はスター俳優のそれに似ている気がするのである。

だから経営者というのは孤独になりがちで、夜や週末には、どういうわけかおなじ経営者同士で行動することが多い。敵でありながら同志という不思議な感情がそこに芽生えるわけで。

つまり、独立を考える上で重要なのは、自分が独立タイプの遺伝子をもった人間なのか、あるいはそうでないタイプなのか、それを見極めることではないか。もし違うのであれば名脇役を目指したほうが絶対に得である。なにせ主役よりはるから長い役者人生をつくることができるからね。

さて、人はなぜ独立するのか?という疑問への答えであるけれど、僕が思うに、神様が一定割合の人間にそうプログラムしたからではなかろうか、そしてそれこそが人類をして氷河期のベーリング海峡をわたらせたエネルギーだったのではないか、と思うのである。そのプログラムの有無をきみわめる方法を僕はしらないけれどね。

そういえば何かの本で読んだことがあるけれど、アジアから北米へと海峡をわたっていった(日本人と先祖を同じくする)北米のネイティブにはO型とA型の人しか、さらに赤道を越えて南米にたどりついたのはO型の人しか存在しない、という事実に、もしかしたらそのヒントがあるのかもしれない(笑)。なにせBとABが脱落したことだけは生物学的にはっきりと証明されているのだから・・。

ちなみに僕はAB型なのである。

|

やっぱこれしかないんだな

たくさんの人に心配をかけていたようだ。
自分のような人間が人に心配してもらえることを妙に幸せにおもった。

僕は、とりたてて魅力的な人間ではない。
こと最近、自分に自信をもっていない。
僕という人格をもった人物がもうひとり別にいたら、とても嫌いになっているだろう、と思うことが多くなった。
もっと具体的にいうと、この年齢まで、自分をかいかぶって生きてきたとでもいいましょうか、思っているほど自分は魅力のない人間であることによく気づくようになった。

そんな僕を見切って離れていった知人も過去多くいる。
でも僕本人はというと、自分自身を去るわけにはいかない。
いやがうえにもこれからもずっとつきあっていかなければならない。
そこにあるのはどうすることもできないやるせなさである。
誰しもが感じたことがあろう挫折感とも共通しているのではなかろうか。

だけど、死を意識したときに、ふと、そんな自分に感じる「おつかれさま」にも似た同朋意識と、すこしばかりの愛着を発見したのである。新居にいざ引越しという時になって、いろいろと苦労した狭い部屋に感じる郷愁に似ていた。日々の中にうもれて、いざ去るときはじめて思い出す本来の思いというか。

クリエーターというのは、その人間性が見切られると、作品の魅力までなくなってしまうものだ。総論でも各論でもね。だからクリエーターはファンの人とは直接会わないほうがいいという説もある。ファンを一人失うことになりかねないから。

でも、僕の場合はプロデューサーでもあり、そしてまた社長でもあるから、どうしても苦手な状況で人と会わなければならないことがおおい。そこで細かいお金の話もしなければならないこともあるし、いやなことを無理強いしなければならないことも多々ある。嫌われ役となるのが仕事である。
あたらしく入ってきたスタッフや外部の方から「想像していた人とイメージちがうなぁ」みたいな雰囲気が漂ってきたときが一番つらい。仕事を恨んだことだってある。

それでもやらなければならない、伝えなければならないことがあるから、しかたなくそうしてきた。

それらの厄をすべて払ってくれるものが日常の中にひとつあるとしたら、つまり正当化する機会があるとしたら、それは「結果を出す」でしかないようだ。
長期間、多くのスタッフに無理を強いてきても、いいものができあがってヒットすれば、なぜか免責となる。それによってスタッフの人生も報われる。逆にヒットしなければ、「ほらみたことか」となり、「あいつとは仕事をしない」となる。
結果というのはそれくらい冷酷で、かつ雄弁である。

**********************************:

最近ひとつだけ気に入っている古い言葉がある。
「継続は力なり」という言葉である。

ひとつを失敗して結果をだせなかったとしても、信じたことを続けていれば、そしてそれが本当に正しければ、振り返って価値を見出してくれることがある、という意味に理解している。いや、そうであってほしいという、ほのかな願い、と祈り。

セールス的には空振りだった「大玉」。たいへんな苦労から愛着も深い。
この「大玉」、不思議なことに、ここにきて見方が変わってきた気配がある。
「企画としては決して間違っていない」と任天堂のO氏はなんども言葉にして僕に語ってくれていた。彼なりの愛情表現ととっていたけれど、最近になって次世代機にむけての話も出るようになった。氏がそれに肯定的であることにとてもありがたく思った。

氏もその一人であるのだけれど、どこかのどなたかがこのブログへ寄せてくれたコメントをみていると、こんな僕に期待してくれている人がいるようだ。このたびの一連の件は、堕落したクリエーターへの鞭である。
そういう人の厚意にものづくりで答えてゆくのも、人として、クリエーターとしてのつとめである。

|

憎まれっ子世にはばかる

憎まれっ子世にはばかる、とはよくいったものだ。
今日の朝、医師から、「結論からいうと、肝臓がんの疑いは消えましたよ」
としごく事務的にいわれた。
したがって、僕はもうしばらくのあいだ、この世で皆さんとご一緒させていただくことに決定したのである。ということでこれからもよろしくな、へへへへ。

この結論を聞いたあと、病院から(感無量のまま)ぼーぜんと一人で歩いて会社に行き、心配そうな同じフロアのメンバーにそのことを伝えた。
じつは、結果がどちらであったにせよひとりでいたくなかったので、今日の午後の予定は、ごく普通にぱつんぱつんに入れていた。いわゆるごく日常の開発会議の間にこの報告ブログを書いている。

思えば、今日の通知はいままでもらった合格通知の中で一番嬉しいものかもしれない。でもそういう実感というのはあとから湧いてくるものだ。何に感謝していいのかわからないけど、感謝の念でいっぱいなのであるよ。

へへへ、憎まれっ子世にはばかる、とはよくいったものだ、である。

これからもしぶとく生きていきますのでね。

へへへへ。(シーマン風)

|

目標という名のゴール

「人はうまれた瞬間から死に向かって邁進する。それが生きるという行為である」
7年前にシーマンに言わせた言葉である。

わざわざ公言することでもないのだけれど、2週間前の今日、肝臓がんの疑いがある、と同級生の医師にいわれた。
「ありゃー」ということでその日のうちに大病院に行き、そして同様の検査、そして一週間たってようやくCT検査。盆を挟んでいることと、そして大病院であることなどから、待たされっぱなしで答えはまだ出ていない。
恐ろしくじれったくもあるが、自分の人生を振り返るにはよい機会でもあった。

かわいい後輩のD.Jが昨年突然新幹線の中で「腹が痛い」といいだして病院にかつぎ運ばれたそうだ。
それから一ヶ月半後、彼は棺おけの中にいた。死因は進行の速い肝臓がんだった。だから僕の意識の中では、この病気はそれはとてもスピードかはやいという印象がある。

だから2週間前からずっと、万が一のときにはこれからどう生きるべきか考え続けている。
結果によっては、手術や延命措置のために、多くのメンバーと3年作り続けてきたシーマン2(周囲の人はみな知っていたけど、実はこんなに長いこと作っているのですよ。)の開発をあきらめなければならないのだろうか?あるいはPS2があるうちに仕上げることに専念するべきか・・どれが本当には正しい選択なのだろう??

この二週間、恐怖心と隣り合わせの、いわば「飼い殺し生活」だったおかげで、僕はずいぶんと成長したのかもしれない。なぜかというと、自分にとって重要なこと、そしてそれ以外のこと、の境界を曖昧にしてきた霧が、さーと晴れた日々が続いたからである。自分がいますべきこと、というのが、とてもよく見えるのである。

 (十番祭りを挟んで) どうということのない時間を一生懸命にすごしながら、二年前にスティーブ・ジョブスがスタンフォード大の卒業式で行ったスピーチのことばかりが頭をよぎっていたのだけれど、その話をすこし書くことにする。

「実は、私は癌を告知されました。そしてそれからというもの、これほどまでに、今日一日で何をすべきか、明確だったことは日々はない。一日々々がかつてないほど重要でした。みなさんはいま大学を卒業したばかりで、これからなにをしたらいいか、決めかねていることとおもいます。しかし残されている日々が有限とわかった瞬間に、なにをすべきか、明確に見えてくる・・・」というのがそれだ。かなり要約であるけれど。

***********

この原稿を書いている今から8時間後には、第二次の所見が医師から伝えられていることだろう。
「見立て違いでした、ただの良性のものですよ」
そう告げられるとおもっている。
いまの僕のカラ元気の源はこの根拠のない自信だとわかっているのだけれどね、とても元気なのですよ。

もしちがったら・・・どうなるのかな、とときどき考えるけれどね。
それはそれですから。

|

さあ

数時間前に、十番祭りもおわり、あたらしい週がまたやってくる。
ひとつひとつの週が、いまの僕たちによっては、貴重な資源である。

今週末にいろいろな意味で大きな節目をひとつ過ぎた僕たちだが、今日からは気持ちを新たに、残された仕事にとりくんでいこうじゃないか、と
青年のような気持ちでおもう。

|

十番祭り

今日から、十番祭りである
今年は何十万人の人がくるのだろうか?

ま、いずれにしても、今年もシーマン焼きをやるのである。
過去二年間は、金型までつくっての「たいやき」だDsc02143ったけど・・・。  Cimg0042_1

                                                                    今年はイタリア優勝記念で、カットピッツァということになった・・。Photo

そして、昨日は、業務用冷蔵庫のはこびこみ、うちわの納品、新作ハッピの納品、と関係者はみなてんやわんやだったのではないかとおもう。お疲れ様でした。

写真は寺ちゃん。(合唱団副団長/イタリアンレストラン"Bar del Soleのオーナー)
納品されたばかりのうちわでトラック誘導してます。

R1062743

さ、どうぞこの三日間、熱気むんむんの麻布十番祭りへ。

|

太陽の下の原人シャツ

オリジナルT、太陽光の下でみると、という写真です。

モデルはチームで一番イケメンの独身男、Iクンです。(バツイチ)

身長182cm 体重78でサイズMを着用しています。

L1070222