斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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子供カット

これは京都で見た看板。
パーマやパンチパーマやアイパー(死語)とならんだ「小人」ってのは、どんなメニューなのだろう? なんて、一瞬考えて、「あ、そか、子供料金のことか・・」と気づいた。

小人、という言葉は、最近あまりみないですね。

ま、いずれにせよ、メニューというのは、おなじカテゴリーでまとめようよ、ゲームソフトも、ビジネスソフトもそうだけど・・・。でないと、見る側としては変に勘違いしてしまうのである・・・・。

ま、「小人カット」って、なんかパンクっぽくて、おもしろそうだけどさ、ここで切るのは、ちとこわいな。

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失恋市場

雑誌の創刊の現場に居合わせたことが幾度かある。

素人からすると、雑誌ってのは「どんな特集記事が載っているか」、とか、「どんな作家が書いているか」、なんてことで評価するわけだけど、業界側からすると読者は「人口」や「マーケット」あるいは「層(ターゲット)」などという言葉に勝手に置き換えられる。出版側と読者というのは、まるで反対側にいて、みている風景がまったく異なるのである。たとえるならば、ステージ上のアーチストと観客、のようなものである。観客の一人ひとりは自分の姿がステージからどう見えているか、なんてまるで意識しない。自分はあくまで自己の都合で振舞っているにすぎない。でもステージの上からだと、おおきな流れのひとつにしか見えない。そう、自分にとっては「個性」でも、業界からすると、流行の断片、なのである。

雑誌の数っていうのは、そこに属する人の人口に比例して出ているのだ、ということがようやく理解できるようになってきた。いわゆるコミュニティー人口って言うか・・・。こんなことをかんがえるようになった自分というのは、もしかしたら、経営者的な視点になってきたということだろうか?だとしたら、すこしうれしいし、すこし寂しいことだ。ま、そんなことはどうでもいいが・・。

つまりね、「ちょいわるオヤジ」でも、「ライカマニア」でも、あるいは「ホモセクシュアルの人」でもさ、なんでもいいからそのコミュニティーに人口が一定数いれば、雑誌が創刊される。世の中そういう仕組み、というわけである。

コミュニティーという言葉。よくアメリカ映画を見ていると、同じ悩みを持つ人たちがどこかの会館に集まって自分のケースを発表しあう、という場面が登場する、あれである。
ドラッグとか、治療法がない難病とか、なにかの中毒とか、失恋などには解決方法がとくに存在しない。特効薬というものが存在しないからそれを解決したいという人が集って情報交換をする。それがコミュニティーだ。コミュニティー人口が会合,会報を経て雑誌になる。

失恋、というのが顕在化していない大きなコミュニティーである、あまり語られてはいないが・・。
携帯シーマンというサービスがあるのだけれど、そこに寄せられる相談の数はおびただしい。そしてそのほとんどが「失恋」ないしはそれに類似するものだから。

だからそのうち、「失恋雑誌」なるものが出るのではないか、という気がするのである。

とおもっていたら、北海道でみかけた写真の「禁酒会館」を見て、「会館という手もあるな」ということに気づいたのである。(どうやらここはキリスト教会によって運営されているように見えた)

日本はこれまで物質主義の国だった。電気会館、とか、通信XX会館、とかそういう商業的コミュニティーによる建造物は多々ある。だがメンタルなことに寄与しようというスポンサー企業はそうそういない。
でもこの失恋人口の多さからすると、「失恋会館」なる場所をつくる団体があってもよさそうにおもう。できたら連日大賑わいになること必至だと本気でおもう。そこで日々何が話されるかはわからないけどね。

でも、それがいつの日か、「失恋市場」となってゆくのかもしれない。

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時代のまくらことば

いかした感じに見せたいために、時代々々でかっこいい「まくらことば」というものがある。
たとえば昭和中期は「電気~」だったし、10年位前だと「~ネット」とか「デジタル~」とか「ハイパー~」とか・・。

大正生まれの父が、母が他界し、長年住んだ自宅を取り壊してアパートを建てた。
「弦巻ドットコムって名前にしようと思うんだが、どうだ?」
そんな電話が突然かかってきた。
「インターネットが完備されてないのになんでドットコムなのよ?」
そう尋ねると
「最先端な感じがするだろ?あと入居者がドッと混みそうで、縁起がいいなと思ってね」

時代のまくらことばなんてそんなものである。

そして、昭和50年代半ばくらいに流行っていたのが「新~」というまくらことばだった、かな。
番組名でも「新XXX記」とか会社名でも「新XXX株式会社」とか、そういうのがあちこちにあったと記憶している。
古くからあるものに新とつけると、斬新なものに聞こえた。

この骨董品屋も、そんな時代に創業したのだろう。中国地方をドライブしていて看板を見かけ車を止めて撮影した。

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なんでもかんでも「新」とつければいいというものではないという貴重な事例を教えてくれたのがこの看板である。
あとに続くことばを考えないと、まるで「黄色いモンシロチョウ」みたいな、その意味がちんぷんかんぷんになってしまったのではウリ文句にならないことがあるのだ、ということを教えてくれた。

振り返れば簡単であるが、その時代の真っ只中にいる時には、頭の中にある言葉がただの時代の流行のまくらことばであるのか否かを見極めるのは、容易ではないと思った。

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コンピューター占いが当たる理由

060530掲載

1986年の春のことだったと思う。
土曜日の銀座四丁目を同僚の女の子と歩いていた僕は、路上に屋台を出しているコンピューター占いをやった。
「どうせ、ちぐはぐな文章が出てくるんだろう」

正直、このまゆつば物の屋台占いをバカにしていたのだが、女の子と一緒だからアトラクションのつもりでトライしたのである。
だが、手相のスキャン画像の横の余白に打ち出された文章を見て、すこしびっくりした。コンピューターが生成した文章がきちんと意味をなしていて、しかもその内容がおどろくほどあたっているのだ。

「あなたは一見大胆に見えますが、実に繊細なところがあり、周囲からの見られ方にギャップを感じるタイプです。日々の仕事などでは・・」
そんなようなことが書かれていたと記憶している。

いまは信じられないだろうけど、この時代、コンピューターという言葉はそれだけで宣伝文句になる存在だった。
「コンピューターによる恋人探し」
「コンピューターによる適性診断」
コンピューターという文字が書かれているだけで、すごく高価な機械がとてつもなくすごいことをやってのけているんだぞ、という響きが一般人に対してあったのだ。間違えなく社会はコンピューターを上に見ていた。人間ではできないことをするのが当時のコンピューターだった。

「なんで当たるんだろう!?」
「どうやって生命線とか結婚線とかを読み取っているんだろう!?」
当時大型スーパーコンピューターなるものを商品にしていた部署の僕と女の子は、この占い師が広げている屋台のあちこちに、センターマシンとつながっている電話線がないか、と詮索したのである。なぜならば、パターン認識という技術は当時の仕事で扱う大型コンピューターが扱う分野だったから・・。

すると、その屋台の上の機械にOASYSという文字がちらりと見えた。
「OASYSって書いてあるよ・・。OASYSって汎用計算機の端末になるんだっけ!?」
「あれ?それって富士通のワープロの名前じゃなかったっけ?」

そんな会話を交わしているうちに、僕らは気づいたのである。
このコンピューターは何もしていないから当たるのだということを・・。

手形をコピーした用紙をプリンターにまきつけながら、占い師は相手の風貌をチラチラと覗き見し、あらかじめ文章が登録された番号のボタンを押す。すると余白に文章が印字されてくるしくみだ。

そう、占っているのはコンピューターなんかじゃなくて百戦錬磨の経験を持つ的屋のおやじの経験と勘だから当たるのである。そのおやじにとってぼくは、「一見大胆」だが、どうということのない兄ちゃんに見えたに違いない。

あれから20年。この写真は2-3年前に都内で撮ったものだけど、マシン構成は何も変わっていない。
このおじさんが相手の顔をみながら、「ははぁ、こいつはこういう奴に違いないぞ、だったら8番だ」
とか考えながら、OASYSのファンクションキーを押しているにちがいない。

「コンピューターなんて所詮たいしたことはできないのだから、だったら最初からあてにするな・・・」
まるでIT業界全体をバカにしたようなこの思想(といっていいものかどうか)はシーマンをはじめ作品の中のトリックめいた仕掛けでも応用させてもらっている。

そういえば、マックを発売する以前、創業間もないアップルのアニュアルレポートの表紙には次のようなシャレた言葉がいかした字体でかかれていたっけ・・・。

Human Brain is still the most extraordinay computer..(人間の頭脳は依然として、最もすぐれたコンピューターでありつづけている)

そしてこの的屋の占いサービスも、依然として日本のあちこちで客を集めている・・・。

やっぱり人間は偉大なんだな。

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緑茶にクリーム&シュガー

漢字は中国から来たものだが、カナは日本特有の文化だ。
だから、ここの中華レストランの壁にあるメニューは、おそらく中国人のシェフが書いたものだろう。

日替り
A定食

とあるべきところの、「り」が「日替」の一部とはとても思えなかったのか、

日  替
りA定食

となってしまった看板。

本場中国の人にとって日本のカナ文化というのは、緑茶に砂糖とクリームをいれて日本人をもてなそうとしているアメリカ文化のようなものなのかもしれない。

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手描き感覚

ORIGAMIプロジェクトの新製品を見ていて、そのデザインの悪さにぞっとした。
これはメーカーによるものだから、いずれ改善されるだろうけど、やっぱり、「所有したい」という気持ちを起こさせるデザインは、かなり重要と思った。
仕様にも、バイオUをつかっていたせいか、新しさを感じなかった。バイオUはWindowsがTabletEditionではなくオリジナルの手書き入力だったからやや非力だったけどね。

それに比べて最近のWinbdowsXP TabletEditionの進化はけっこうなものだ。マイクロソフトががんばっているのを感じる。
IBMのタブレットを入手したのだが、デザインも含めてこれがいいのである。キーボードがついていなきゃもっといいのだけれど・・。
スタバの屋外席で、ペンと画面板でしゃかしゃかとメールに手書きの返事を書いて即送信できる感覚は、使ってみないとわからないかもしれない。
手描きの重要な点は、間違えなく、画面がでかい事、だ。画面まで小型である必要はない。それと薄いこと。
薄い板にペンで、到着メールに手書きの赤をいれて返信する。この機能が意外と知られていないようで、周囲にびっくりされた。いちど店頭で試してみる価値があると思う。

昨日、某社にこのTabletPCを持ち込んだ。プロジェクターに接続して開発会議をやった。
でかいスクリーンに、「こんな感じで、ここがね・・」と描く絵が投影されると、スタッフの理解度がぜんぜんちがうことがわかった。
多機能のPCとして使うのではなくて、便利なホワイトボードとしてPCを使ってみるといい。
それだけでも十分元が取れると思う。

人を説得するのに、手描きというのは重要のようだ。
とくに描かれたもの、よりも、描きながら、が効果的。
ニュアンスや力点が、絵がへたくそなほど、荒々しいほど、逆に伝わる。
トレースされたイラストにはそれが消されている。

今日配布のR25にも、企画段階の手描イラストノートが掲載されたので見てください。

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公衆電話

携帯電話の普及で、公衆電話がすっかり姿を消した。
バッテリーがなくなったときにあわてて公衆電話を探してはじめて、どこにもないということに気づく。

思うと、公衆トイレ、公衆浴場、公衆電話、およそ公衆とつくものがこの世から姿を消しているではないか・・。

僕たちには公衆という概念が不要になったのだろうか?
公衆というのは個人専用とちがい不潔そうなイメージがあるのも事実。でもふと困ったときに、お金を持ち合わせていなくても助けてくれそうなやさしさがある。
分割民営化が進んで街のサービスが有料サービスになったとき、世の中は本当にすごしやすくなるのだろうか?
路上のポストがなくなってはじめてその有りかだみに気づくということにならないといいけど・・・。

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ずるい看板

「斉藤さんがみえてはるなんて知りませんでしたわ」
なんて京都弁で言われると、それだけてぐっとしびれてしまう。

この看板を京都御所の近くで見つけたときも、最初は京都特有の丁寧な言い回しにちがいないと感動したものである。

「さすが京都言葉はわかりにくいというか、奥が深くいてかっこいいなぁ」と思いこんでいたので、実はただの送り仮名の間違いであることがわかった時はすこしがっかりした。

それも含めて、京都の言葉というのは、実にわかりにくい。すべてが思わせぶりなのである。
深読みしてしまうというのはコンプレックスがなぜる技だ。
ひっかかるたびに「ずるい」、といつも思う。

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トろピカル・ジユースと麻ジユース

「漢字とカタカナとひらがなは何のためにあるのですか?」
外国人からそう聞かれてはっきりと説明できる人は少ないが、でもぜったいに日本語には、漢字とカタカナとひらがなが必要である。でないと文章なんて読めたものではない。

さて今回も、前回とおなじくグアムのフードコートの韓国料理店での1コマ。
人参が旧字体であったり、ジュースのュが大文字だったり、と、なんとなく歴史的な背景を感じてしまう表記の中で、トろピカルという表記間違えは、わざとではないかと思わせるくらい絶妙のニュアンスをかもしだしている。さらには、そのあとに続く「ピカル」って言葉とのコンビによって、あたかもこれが、とてもシュールな飲み物のような感覚を与えてくれる。

それにしても、下から二番目の「麻ジュース」ってのが実に興味をそそられるのだが、これって何か正体を知っている人いますか?

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写真だけの結婚

数年前に大塚近辺を車で通った時に写した看板。

「結婚式を写真だけで済ませてしまえ」という若いカップルのための場所なのか?

はたまた、「せめて写真の中だけでも結婚しよう」という禁断の関係の方々の場所なのか?

あまりに両極端だけに、この結婚式場を使う人に興味が尽きないのである・・・・。

060521(日)掲載