斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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あけましておめでとうございます

世の中は、すこし景気がよくなりそうな気配がありますね。

若い人は不景気な日本しか知らないんだろうけど、バブル時代を"脇目ですこしだけ"目撃してきた僕の世代からすれば、日本が元気になるのは、ある種「悲願」みたいなところがあります。

僕も、すこし元気を出して自分と向き合っていこうと思っています。最近、こちらのプログが休眠していたんだけど、こちらもあわせて今年からすこしづつ、更新していこうと思っています。

本年もよろしくおねがいしますね。

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EarhBooKという名のアプリをつくったのでお知らせします。

 ●視点がガラになる理由・・・地図と教科書

「肌色という色は英語にありません」というコピーは、たしか二十五年くらい前の某英会話学校の広告につかわれたものでした。

最近は携帯電話だけでなく、僕ら日本が、いや日本人の価値観そのものが「ガラ」といわれています。かつては「島国根性」なんていう言葉とともにいわれてきたけれど、学生時代には「航空機でこれだけアメリカが近い時代に、いまさら島国根性もないだろう」と、ピンとこなかった。でも、それが、なかなかそうでもないと思うようになったのは海外で仕事をするようになってからのことです。

人間の発想は、おもしろいほど、見ている地図や教科書表現や名前などに歪められるものです。で、僕たち日本人がもっている価値観は、どうしても「ガラ」です。どうしてか?といったくわしい話は今後もこちらのプログで書いていこうと思いますが、要するに「日本史」と「世界史」をバラバラに学習してきた僕らは、この二つが頭の中で紐づいていない。いや紐づけなくてもよかった。それは「島国」という地形の影響が大きい。ヨーロッパのように地続きの国はそうはいかないわけですからね。

●EarthBooKというアプリ

さて本題に戻ります。

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EarthBooK(R)は、オープンブックがこの夏にリリースする"地球儀"をプラットフォームとしたアプリ(シリーズ)です。我ながらいい命名だと思っています。

さて、この第一弾コンテンツとして出すのは「世界の領土の変遷」といいます。日本とアメリカを手始めに、イギリス、ロシア、スペイン、ポルトガル、etcと順次プラグインで発売してゆく予定です。順次購入いただいた国別の領土変遷地図がひとつの地球儀上に追加で配置されていくというしくみです。(今日の時点でアップルの承認がえられていませんが得られ次第)日本とアメリカ版がリリースされてゆくことになります。

●このアプリを制作した理由について

このアプリは足掛け3年かかりました。調査と開発に要した費用は回収できる自信は正直ありませんけれど、やっと出せるのが嬉しいタイトルです。

なぜこんなアプリを作ったのか? それは、「動かしてみないと見えてこないこと」、「分けて見ていたのではわからないこと」が、地図にはたくさんあると気づいたからです。これはゲーム業界の人にとってはあたりまえのことです。「大国アメリカ、が、実は最初はすごく小さい領土だったということを知ってるか?」と言葉でいわれるよりも、絵で見た方がずっとわかる。

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その一方で、ただのちっぽけな島国の、イギリスという国。この国の領土が今のアメリカを遥かに凌ぐものだったことを今の子供たちはどれだけ知っているでしょうか?

第二次大戦で「原爆」という究極平気を偶然持ってしまったアメリカは、「ヘイ、イギリスさん、いいかげん、おまえらの植民地を手放せよ。」といい、植民地にはしない方針でアメリカは「軍力配置」という帝国政策をとりはじめます。

●資源と植民地と帝国主義

大戦前にあちらこちらで起きていた欧州列強の「領土拡大の時代」が、日本の戦争に踏み入れる理由にも影響を与えているわけです。でもそれはどんものだったの? どの規模だったの? え?まじ?こんなに? といったように時間軸を「行き来」させながら、歴史と領土の変遷を俯瞰してみたいというのが、このアプリをつくった同期です。内容はゲームではありませんが、表現手法やデザインは、いかにもゲームクリエーターが得意とする領域といえるかもしれません。

そもそも地図というのは、紙のような二次元に変換させる時点で歪んでしまいます。そこに時間軸をいれることは、紙ではとうてい無理です。だからこそ、コンピューターでやる意義がある。

操作イメージ

 

上の写真にあるように、時間軸をいったりきたいすると、領土も変化する、とか、上の国タプを選ぶと、対象となる国が変わる(このタブを追加でコンテンツ販売してゆくのがうちの商売となります)。その時代ごとの国の領土面積を比較する小画面があって、バーグラフ表示して比較することができる、といったことができるのが特徴です。地球儀だから回転と拡縮もできる。つまり、向きやサイズ、時間軸、を国ごとにいじくりまわせる地球儀です。 

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●制作途中に発見したこと

実は私のいるオーブンブックという会社。ここは、YAHOO世界地図の引きの地勢情報を提供している会社でもあります(リンク先のYAHOO地図の画面下のクレジットを見てください。NASAと並んで(C)のクレジットされてるでしょ?)。立派な地図の会社(!)なんです。

ところで、「イギリス」という英語の国名が存在しないという事実を考えてみた事ありますか? 
僕たち日本人が「イギリス」と読んでいる国の定義が、そのせいでかなり曖昧なのです。イギリスという言葉は、スペイン語ないしはポルドガル語 から来ています。じゃ英語で言うとどうなる?となる。すると多くの日本人は「イングランド」というのではないでしょうか?イギリス人を「イングリッシュ」と呼ぶように、ね。しかしイングランド、とは英国に属する一つの国に過ぎない。だからもし、スコットランドから来た英国人に、「あなたはイングリッシュですね」というと、「おい、ちょっとまて」、となる。英国人を英語では、「ブリティッシュ」といいます。

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いわゆる「大英帝国」は、では、この四つの島国の事をさすのか?

ではイギリス連邦ってのは?  わからんようになってきた、えと、どこからどこまでがイギリスやねん??といった疑問の中に、日本人がなんとなく理解してきた概念と現実のギャップが象徴されてます。

話は長くなりましたが、そんな思いがたくさんつまったこのEarthBooK(R)は、時事とともに、そしてユーザーの皆さんとともに成長してゆくアプリだと思っています。近々に発売です。なにとぞみなさんよろしくお願いします。




 

 

 

 

 

 



 

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Galaxy note 8.0/ 3G & LTE

前回は、Galaxynote 10.1について書きました。今回は、こちらも海外発売のみのモデルだけれど、おなじくGalaxyNoteのタブレット版の新製品である8.0を入手したので、引き続きこのシリーズについて書きます。サイズを除いて基本仕様は似てますからね。

あ、そうそう、最近ほんと、こちらのプログを更新していないという事実があります。ツイッターとfacebookにエネルギーが分散してしまって、書くという行為に対する集中力というか情熱が薄れしまった感を自分でも感じていて、ようやく、たぶん二年半くらいでしょうか、を経てすこしづつ気持ちが戻りつつあるという状態であることも付記しておきます。

さて、日本では(本来的にはドコモから)発売されることのないSamsung製のこのモデル。本当にいいのであります。

というのも、ペンでスクリーンに手描きで書き込みができるというのは、体験しないとわからないかもしれないけれど、本当にすばららしいことなのです。通常のスマホのような(実に脆弱な)テキスト入力環境でただ文字を綴るのとはまるで違う感覚がそこにはある。僕は、大切なテーマの時は、会議中にノートパソコンを使う事をスタッフに遠慮いただいているのですが、それはその場でイラストとともに説明しながら話している内容を、発言をせずにかちゃかちゃとキーボードをたたく事に費やしてほしくないからです。議事録? この内容をテキストで記録できるほど文章力のある人だったら会議する必要がそもそもないわけだし・・。

さて、そういう考え方の僕なもんだから、イラスト入りで手描きができるモバイルドキュメントマシンとして、このGalaxy8.0は並行輸入可能となる時期を待ち望んでいたわけ。このモデルは電話でもありますが、10.1よりさらに現実的な電話サイズである・・・といってもスピーカーモードでの電話会話、つまり会議専用ですが。

●LTEモデルを買っても、ハイスピードは出ないようです

さて、並行輸入で購入した、いわゆるSimロックフリーモデルに、僕はクロッシーの契約をしいるDocomoSIMを挿してつかっています。SIMサイズは、10.1の標準サイズからマイクロSIMに変更になっていますので、使い安くなっています。

さて一台目としては、まちあぐねた僕が急ぐがあまり3Gモデルを購入してしまったのだけど、いまいちスピードが遅く、つい先日、3Gより遅れて発売になったLTEモデルを追加購入。しかし、残念になことに、LTEのスピードはでていないようです。先日ようやく入手したLTEモデルに挿してさっそく通信速度をベンチマークするアプリでためしてみたけどこちらも3G程度のデータ通信スピード。その理由はDocomo社純正製品でないから、と思われます。Xi(クロッシー)の性能をフルに使うためには電話機がドコモ製でないとロックされしまうようです。日本通信などから発売になっているSIMロックフリー向けLTE SIMをいま手配していますが、こちらについてはまたテストが終わり次第報告します。データ専用SIMだとせっかくの通話機能をおきらめるのが残念ではあります・・。

●SMS

さて、僕はデータ通信専用タブレットとちがってGalaxy Noteが電話機であることにすごく価値を感じていて、その違いとなる機能一つにSMS(=ショートメール)というのがある。

で、もしかとしたら並行輸入の電話機にドコモSIMを挿して使用している人は、SMSの受信はできても送信ができないと困っている人がけっこういるんじゃないかな?僕もむかしはあきらめていました。しかしそれは違います。"GO SMS"などフリーのSMSアプリを使えばなにごともなかったかのように使えますからね。ご安心ください。いやむしろキャリアが提供するSMSアプリよりも便利だったりしますよ。おススメです。

●PhotoShopTouchはプリインストールされていない

前回10.1モデルにブリインされいると書きましたPSタッチは今回は入っていません。なのでペンタブレットのグラフィックマシンとして期待している人は、すこし考えた方がいいかもです。PSをタブレットで使える環境というのは得難いものがありますから。

Androidというのは不思議なところがあって、メーカーによって使用感が良かったり最悪だったり、と落差がある。カスタマイズに依存するぶんiOSよりもメーカー色が圧倒的に出る。でSamsungのNoteシリーズは、そこが秀逸なのです。10.1だと、どんな画面でもキャプチャーできる画面キャプチャーアイコンが、たとえばそれにあたるのだけど、今回8.0で感じたのは、同梱されているペンの機能がそこにあたる。WACOMのデジタイザーペンについているボタンをかちゃかちゃと押すたびに、ペンの色や太さが事前登録した設定間でローテーションする、これがすごくよい。手描きノートは、SamsungIDを登録すると、他のSamsung端末と自動共有されるのも、複数台を使っているものにとってはなかなかよいんだが、そういう人は稀だろうから、あまり一般的なアドバンテージではないかな。

つづく

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Galaxy Note10.1

最強のアイデアスケッチャーの絶賛コメントとともにの紹介その1

 

              iPadやアンドロイドtab、VAIO Duo,Surfaceなどいろいろなモバイル機が店頭を賑わせています。しかし、「どれをとっても本当に仕事をするためにはどれも中途半端なマシンだな」と思っている人も多いのではないでしょうか?

かくいう僕もそうです。ことiOSはどんどんと、「購買マシン」となってしまって、企画書を書くとかアイデアを形にするためにはいまひとつ。アップルの規制がつよくて、どのアプリをとってみてもどうも物足りない。

みなさんはあまりご存じないでしょうが、アップルの規制は最近のアンドロイドのアプリ進化の勢いと比較すると、その使い勝手に与えている影響は少なからずある。アップルが目指す洗練されたインターフェイスとのトレードオフとして、iOSユーザが諦めざるを得ない、そしてアンドロイドが辿りつつある第二段階の利便性の発展に気づくようになった昨今であります。WindowsRTに最近注目している理由もここらでありますが、この手の話は長くなるので割愛するとして、今回、僕がつよく推すのが、GalaxyTabNote10.1というモデルです。

このモデル、日本では正規販売されてません。DOCOMOが商品ラインアップに採択しなかったせいで日本未発売のモデル、ですが保証などをあきらめれば、アマゾンなどの通販で簡単に手に入れることができます。ぶっちゃけ、Samsungの日本法人は、直接の故障対応には、つめたい。

ただ、これ、そんな逆境に逆らってでももっておくといいマシン。なにせゲームなどのプランナーには、最高に使い勝手がいいのであります。今回は、その驚くべき機能性について、ご紹介したいと思うのです。カタログベースの細かい性能比較話はまずはおいておくことにして、このマシンの特徴は大きく二つあげられます。一つは、まず、このTabletは、実は゛「電話機」であること、です。スピーカーフォンで画面をみながら相手と話すことができる。ですからむろんネットにもつがなってます。

 

【電話機でもあるタブレット】

今となっては笑い話ですが、僕はiPad発表の噂が本格的になり始めたころ、このタブレット機には電話機能が搭載されているものだとてっきり思い込んでいたことがあります。

かつてナレッジナビゲーターという未来のコンピューター像をイメージしてつくった参考映像がありました。これに影響されて、音声エージェント(のちにいう「シーマン」です)を作り始めた経緯があります。僕は、コンピューターで電話ができたらいいな、といつも思ってきた。なので、iPadがてっきりその来臨かと思い込んでしまったわけ。GalazyNoteTab10.1は、それをやってくれました。何かの作業をしているところに電話もかかってくるわけです。

 

【ペンマシン】それからもうひとつは、「ペン入力」。専用のペンが付属していて、このペンを中心に、プリインストールされた気の利いたアプリが動作する。

ここご留意いただきたいのてはiOSや他のタブレット向けにもペンが発売されていますが、GalaxyTabはWACOMがつくっているのとおなじ電磁誘導式。iOS用に採用されている静電式とは、その繊細さがちがう。ま、とはいっても所詮紙に描くのとは違って、液晶にスタイラスペンをすべらしても紙特有の摩擦がありません。いくらグラフィックが大切といっても紙の代用品というほどはいえません。かくいう僕もお気に入りの万年筆とA3の紙で描く画面仕様書の繊細さを模倣しているとは言えません。

しかしデジタルデータというのは、紙にはない利便性があって、それをどれだけ駆使できるか、によってその価値は変わる。つまりアプリの自由度でその利便性の評価は大きく変わる。Samsungがインストールしてくるソフトウェアはそのあたりが徹底されていてなかなかよいのであります。

ま、そこについてはソフトのパートで詳述します。

このGalazyTabには、そんなこんなでかつては20-30万円かかっていたハードウェアとソフトウェアの機能(WacomのタッチディスプレイとアドビPhotoShopなどを含んだ意味です)が何食わぬ顔で統合されているのです。(このモデルには画面タッチ式のPhotoShopがプインストールされていることも言及しておきます)

 

日本で発売されているGalaxyTabとどう違うのか、ですが、細かい性能比較は割愛するとして、ペンであることです。この「電磁誘導のWACOMペン」に対応しているタブレットであることが、僕をひきつけてやまないのであります。つづく

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さよなら江副さん。僕のリクルート時代の思い出その1

今朝、メールで妻から江副さんの訃報を知った。

天気のいい三連休の初日の朝を迎えるリクルート出身者にとっては、この上なくセンチメンタルなニュースだったに違いない。事実僕ですら、さして更新することのないブログ画面を朝っぱらこら開く気になったほどだから、

大学を卒業した僕がなぜリクルートという会社を選択したのかは、いまでもよくわからない。就職するのがいやで、自分でイベント会社でも興そうかと就職を猶予した大学五年生の時に、企画していた日比谷野音コンサートがこけて赤字を負った。建築学科に籍を置いていたけどゼネコンに行く気はさらさらない。もともと映画監督になりたいと思い続けていた僕は、メディアやイベントにかかわりたいといあう気持ちが強くあった。だから留年した挙句に僕が、赤字返済のためにいたしかたなく就職を決めたのが、当時なにかと人騒がせな、このリクルートという謎の会社だった。

話しは前後するけど、まだ大学五年の時に、イベントに失敗したあと、僕は再度、日比谷野音の申し込みをした。なんとしてでも集客の高い日程をとって翌年には起死回生の黒字イベントにしたかった。しかし  天下の日比谷野音、人気の高い日は申し込みも抽選である。ラッキーにもそのくじ引きを引き当て、僕は年間を通じて最高といよれる秋分の日の日比谷野音を予約することができのだけど、軟弱なことに、再度留年するのも、卒業したところで就職せずにそんなイベント屋をやることも、親が涙目となって反対するもんだから、その半年後にはこのリクルートのサラリーマンになたというわけ。

さてひとたびこの会社に就職すると、800人も同期入社がいた。新入社員なんていうのは、企業戦士というと聞こえはいいが、ようするに兵隊である。この野音で、片手間でイベントでもやろうと考えていたけれど、で疲れ果てて寝るのが精いっぱい、準備なんてできるわけもなかった。

その権利をいかすこともないまま、サラリーマンとしてこの9.23を過ごすのかと思いきや、その話を聞きつけた上長が、「カモメの日」というイベントをやろうと社内協力者を集い、社内広報のセクションによって予算がとられて、イベントにむけての合宿の招致がきた。

たがが一企業のにわかづくりの社内イベントに、全社の有名人が部門横断で呼び寄せられ、事務局ができいつしか一大規模のイベントとして社内ポスターがあちこちに貼られていた。僕は「俺の場所なんだから、せめて少しは僕にも関わらせてくれ」と上司に苦言を呈し、自分の呼びたいアーチストをよんでいいという了解をもらった。そそくさと爆風スランプの事務所に電話し、当日、ライブをしていだく了解をとった。

江副さんがどこまでこういうイベントを支持していたかはわからない。ただ当日のステージの上でMCをする上司の袖に「会場のそうじのおじさん」の変装をさせられて、江副さんは社員の支持どおり、ステージの上をほうきで掃いていた。そうして中盤に社員をおどろかせるサプライズ企画の出番をまっていた。

爆風スランプのサンプラザ中野さんは、登壇するやいなや家族連れ社員にあふれる観客席にむかって「労働者諸君!」と叫び、当時のシングルカット曲であね「まっくろけのけ」を歌いだした。

 

なにからなにまで、ありえない企業だった。どちらかというと地味なキャラの江副さんが社長をつとめるリクルートというのはどうして社員がこんなに元気なんだろう、と思うことがある。そのこたえは自分で中小企業の社長を20年ゃってみて、すこしだけ理由がわかった気がするのだが、それはこないだ出したこの本に書いておいた

 

さて、この企画をいいだした上司は、テレビやメディアでよく見かける、いまとなっては文化人になってしまわれた。この氏の著書で「斎藤は、自分の彼女にプロポーズすめたに、バースデープレゼントとして会社の予算をつかってとんでもないイベントを企てた」と書いていたけれど、これはまるで事実ではない。この上司は、独裁制のように見えるリクルートがそれだけ自主性が高く、権限移譲の高い企業だったということをこの言葉で表現したかったのであって、たしかにそれはまちがえない。このイベントをおそろしい推進力で実現してしまったのはまぎれもなくリクルートという会社を作り上げてきた先輩方で、ぼくはその日がバースデーである彼女と(この人はいまの僕の妻である)観客席でこのイベントに参加したにすぎない。

当時、はじまったばかりの光ファイバー回線事業やスーパーコンピューター事業は社内では「金食い虫のI&N事業」とよばれていたが、この新事業のテーマソングというのが、なぜかCD化されて社内で配布されていてこの日もイベントのエンディングで合唱となっていた、23歳の僕にとってこの曲はどう聞いてもかっこいいとは思えなかった。ただただ社内バンドが会社のお金でCDを出したかっただけとしか見えなかった。

 

つづく

 

 

 

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「日本の領土/世界の領土」というアプリをつくっていて思ったこと。日本人ガラであること。

明治維新。かずかずのヒーローが生まれて、多くの小説やドラマになった時代。

この時代に対して、僕らは鎖国の時代を経て日本は近代国家への道を歩み始めた、という歴史観をごくふつうに持っているけれど、この歴史観が、実は世界の人のそれとかなりずれているということに最近とみに気づくんだな。

とくにこの5-6年、自分の海外の知人たちがそれなりの地位につくようになってわかるようになった。 学校教育は、「近代国家とはなんだろうか?」ということを考えさせることなく、ただやみくもにそれが起きたのが当然であるかのような教え方をする。

かくいう僕も民主主義とか議会制とか選挙制度とかを学ばされ、それによって国の在り方が進化した、と理解して高校を卒業した。 そもそも、人間が歴史つまり過去を学ぶ理由はなんだろうか? それは先人の経験の習得にある。 習得した経験とすは、そこにもし(if)があるから意味を持つ。もしがないならば、東海道線の駅名をすべて暗記していることにあまり意味がないのと同様、ただ人間の脳を辞書として使う程度の意味しかない。

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明治維新の「維新」という言葉は、実は外国語では「革命」となっている。革命軍による政府の転覆である。幕府政治が近代化へバージョンアップした程度に考えていない日本人に「革命」という言葉はいささかの違和感があるが、よく考えてみればそれがカストロやゲバラらによるキューバ革命と何が違うんだ?という疑問に対しての回答が見当たらない。 アメリカの独立記念日やキューバの革命記念日を例に挙げるまでもなく、革命によってつくられた国は誇らしげに「革命」を国の記念日に指定する。しかし日本にはどういうわけかそれがない。日本の歴史を「みる」かぎり、日本の年表上には「革命」は存在しないのだ。

日本の歴史上の大事件には「改新」や「維新」という言葉はあっても、「革命」という言葉は一度たりとも使われたことがない。不思議だ。そこには何か意図的なものを感じてしまうわけさ。 この、ことばのちがいによるちょっしとたニュアンスの違い、これは誰が仕組んだことなのかわからないが、これこそが日本の見え方を大きく捻じ曲げているように最近とみに思えはじめたのである。

敗戦についても同様であって、諸外国は日本の敗戦を「外国による、国家制度の全刷新と属国化」、と捉えている節がある。つまり「革命」と似た、非連続的な新国家の創成である。が、日本人は、そうではなく、これまでの状態への「復興」のプロセスとみている。 これはあたかも、自分の所属する会社がどこかの「子会社」になったことを社員にはっきりと言おうとしない経営陣と、まるでわかっていない社員の集団に似ていて、親会社の担当役員と子会社の社員の話がずれてて当然である。

一部のアメリカ人たちは、「日本は本来は英語圏のはずなのに、なぜ英語を使わないのか?」と疑問を口にする。そこには「アメリカの属国のはずなのに」というニュアンスが多分に含まれている。敗戦した国の国民に対して、戦勝国が義務教育に「英語」をとりいれさせてまで、属国化政策をしたにもかかわらずに、といわれると、「あ、そっちの感じで見ているわけ?」とすこし残念に気持ちになるが、よく考えれば敗戦国だからね、当然のことなんだよね。

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そもそも国連と訳されている言葉は、第二次大戦の「連合国」と同じUnited Nationsであることをご存じですか? 要するに国連とは、第二次大戦の戦勝国であるアメリカとイギリスとフランス、そしてソ連と中国、の国益をまもるためにつくられた組織なわけだね。本音として彼らの心にあるのは世界の平和という名の、戦勝国の権益確保のための施策にすぎないという見方も強いわけです。もうすこしわかりやすくいうと、ニューフロンティアのために国連はあるのではなく、理事国の利益のためにあるといあうのが彼らの意識なのです。

なもんだから、ある意味、国連がUnitedNationsという名である限り、第二次大戦はおわっていないのかもしれない。 そしてそれをしっかりと義務教育において教えぬまま「子会社化していることすら知らない社員」に仕立てあげられてしまった日本人が、ガラであるのは、ある力によってつくられた「必然」なのかもしれない。

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Windows8パソコンの使い勝手をどう評価するか?その考察2

WindowsRTマシンを試用して三週間ほどが経過しました。

そろそろ、前回書いたWindows8(正確には、これはRTですが)の後半を書かねばと思いつつ、年を越してしまいました。今回は、その後半です。

NECのキーボード付きRTマシンを使っての印象を以下の5点についてまとめてみました。

1.バッテリー寿命はけっこう長い

2.対応しているアプリが乏しい

3.インターフェィス使用感は思ったよりいい。

4.新OSとしての存在意義について

5.今後のモバイル機器への影響について

 

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1.バッテリー寿命はけっこう長い

WindowsRTってのは見た目はPCですが、設計コンセプトはPCではなくタブレットマシンです。その思想に見合ってバッテリーの寿命は期待よりはるかに長かった。この理由は専門家に聞いていただくのが一番いいと思うのですが、ARMチツプのせいか、あるいはOSがCPUを稼働させるポーリング(と今はいうのかね?)のせいか、要はメーカーのハード特性いうよりもOSによるものと思われます。

バッテリー寿命が長いモバイル機器がとても好きです。なぜかというと本格的に外で使う気になる。そのための安心感がある機器が出始めたのは最近になってからです。最近のMacBooKAirもずいぶんと持ちがよくなったので、ファミレスやカフェといった出先で原稿を書こう気になる。バッテリーが脆弱だと、その気にすらならない。で、このNECのLavieは電源にささなくても3-4日間は(待機状態で)動いていてくれる。フル使用でどれくらい持つのかのテストは、時間がなくてまだしてませんけどね。

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2.対応しているアプリが乏しい

なにはともあれ、少ない。あるものを探す方が大変なのがWindowsRT対応のアプリです。ただね、個人的には、これは古いと思われるかもしれないが、「何でもかんでも山ほどある」のがiOSだとすれば、この市場はすこし過剰供給というか、なにをどうすりゃいいの?みたいになっちゃっているからね、W-RTのアプリはすこし育ってほしいくらいなのです。悪口をいうのはカンタンですけれど・・。 

さて、Surfaceとよばれるマイクロソフトのあたらしいインターフェイスは、(携帯サイズはしりませんが)タブレットサイズでの画面で使い勝手はわるくない。むしろ「よい」といえるくらい好きかも。

ただ、古き王国を築いた会社のすべての例にもれず、マイクロソフトは新時代のためのモバイル環境にもWindowsデスクトップをひきずっている。そしてそれが最悪なのです。(RTではなく)本当のWindows8はもっとそうですけれど、指でタッチすることに最適化されたSurfaceインターフェイスと並行して、その裏側に、それはちょうど人間のダークサイドかのように「いにしえのデスクトップ画面」がある。そしてこのタブレット専用OSのWindowsRTでは最悪なことに、プリインストールされたOffie2013が起動するときだけ、この古めかしい画面が登場するのです。

PCとiOSやアンドロイドの最大の違いは、マルチウィンドウの有無です。アプリを立ち上げたら背景のデスクトップが見えたり、他のアプリのウィンドウが見え隠れしなくなるのが昨今のモバイル環境の特徴です。これはPC的にいえばマルチタスクOSのない時代のPCに退化したようなものですけれど、それが使いやすさの源泉です。指はマウスのように細かいウィンドウの端をとらえられないからね、このほうがいい。

だからタッチスクリーンの新マシンに、このWindowsの亡霊がいきなり出現すると、かなりげんなりくる。それでもってこのOffice2013の安定性がかなり低いときてるから、いいことなし。しかも他のアプリとちがってOfficeアプリだけは、いにしえのPC文化の「保存」をいちいちしないとならない。


だから他のモバイルでは消失していた「ストレージのどこになにを保存するか」というフォルダーとかディレクトリーという構造思い出さないとならない。これも面倒なのですよ。IMG_1082

▲久々にみる、「どこに保存しますか?」系インターフェイス。

 

前も言いましたが、iOSやAndroidと同様、RTOS対応アプリはクラウドの専用ショップからのダウンロードのみです。ここにないアプリは、ほかのどこを探してもないことになる。僕が探した限りではevernoteはあってもDropBoxはない。Twitterアプリもない。これからといったところですが、アプリ開発者の人には、まだまだ敵の少ないブルーオーシャンといえるかもしれませんね。

3.(Surfaceの)インターフェィス使用感は思ったよりいい。

RTではアプリもブックマークしたいリンク先も、どちらもが等価に、デスクトップに「ピン留め」という形で保管されます。データこれは個人差が多いかもしれませんが僕はこれがかなりいいと思う。というのも、ベッドサイドにおいて、ときおりのその日のニュースをみたいというときにこのサイズの配置がなかなか使い勝手がいいのであります。

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▲ 情報のチャネルという感覚がなかなかよい。

4.新OSとしての存在意義について

Windows8とRTのどちらに期待するかと聞かれたらもちろんRTと答えますが、それはローカルハードディスクを搭載した重たくて高価なパソコンに嫌気がさしているからですけれど、でもWindows8は普及してほしいと思っています。理由はね、すべてのPCがタッチ式でカメラとマイクが搭載されているとなったら、もっとおもしろいことがたくさんできるから。PCゲーム一つとってもそれは顕著です。遠隔地の人と、ホワイトボード共有して、会話しながらドキュメントに赤入れ添削できるだけで、かなりありがたい。

そしてなんといっても、これでMACの次世代がタッチパネル方式になることがほぼ確定するからというのもある。マイクロソフトがPCをタッチ型にしてきたというのに、アップルの新型パソコンがこれまでどおりマウスとキーボードでいきます、とはいくらアップルでも口うるさい株主が許すはずがない。では、MACがタッチパネルインターフエイスになったら? そう考えるとまたあたらしいことがあちこちで勃発しはじめますよ。すくなくともwebは変わります。だって世界中のパソコンがタッチ式になったことになるわけですから・・。

5.今後のモバイル機への影響について

これが今回のブログの最大の結論ですけれど、現状のスマホ市場がiOSとAndroidに二分されている現状をそのまま同業の皆さんは大前提として受け入れているようですが、今回のMSから投じられた小さな(?)一石は、ネットの表現をゆっくりとしかし大きくかえてゆくと思う。いいかえるとスマホアプリが、これまで取り残されてきた感のあるPCアプリと同時進行的に進化してゆく時代になります。これはまちがえなく大きい。

ぼくはGalaxyTab10.1という、ドコモからは発売されることのなかったSamsung製タブレット兼電話を輸入して使っています。タブレットなのに電話ができるという不思議なマシンです。しかもペンが付属しているタッチ式。

で、今回の10.1にはなんとタッチ専用のPhotoshopがプリインストールされていて、この使い勝手がすごいのです。マウスとコマンドキーになれすぎた多くのPSオペレーターの皆さんには使いにくいといわれるでしょうけれど、画面に直接さわる形での画像編集の使い心地は、いちど体験すると戻る気がしないくらい。(上級者向け機能をフルに使うのであれば話は別だろうけどね)

ま、これはたとえ話でしたが、タッチとマイクとカメラが前提となると今あるwebは完全に変わってくる。ある意味「アプリ化」してくる。マウスを前提に20年、入力面で劇的な進化がなかったwebの定型化された文法が一気にリニュアル化されることになる。webに対して「話しかけ」るようになったり「描き込」む時代になるわけ。俗っぽくいうと"ゲーム化"してくる。マウスやキーボードを作っていたメーカーもつぶれてくる・・・。

話はながくなったけど、こんなようなことがこれからの4年間で起きることだと思いました。

10月に出した前著で、「FaceBookとアップルとGoogleは新時代の電話会社になるべく虎視眈々とネット上の交換機になることを狙っている」と大胆に書いたけど、先日のFBの発表で思ったより早くもそれが現実になってきたみたいだし、もっといろいろなことが早いペースで起きている気もします。

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話はかわるけど今日は大雪でした。

むすめも成人式を迎えてます。

今年がいい年になりますように、と今更ながら祈りつつ、おやすみなさい。

 

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自民党政権再来で日本人はいつもいったりきたり。

今日は衆議院総選挙の日でした。(もう日があけて「昨日」といったほうが正確ですが・・)
僕は性格があまのじゃくなので、今回の自民党の圧勝よりも、過去のこと、具体的には前回の政権交代のこと、それを僕らが当時どう見ていたか、なんてことを、ニュースを見ながら考えてしまっている。要するに自己反省しながらこのプログを書いている。

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ここ数年、テレビ画面を写真にとることがちょっとした趣味になっている僕がいてるのですが、下の写真はまさにそういう時に撮った写真です。(たぶん)九州の空港ロビーで待ち時間にこの写真を撮ったのはね、騒いでもり立てるマスコミの移り気を、そしてそれを真に受けている自分のいい加減さをなんとなく感じたからて、それを記録しておきたいと思ったから。

この画面を見ていた時の僕は、初の黒人大統領「オバマ」の政権と、そして政権交代を果たした日本の民主党のハトヤマに、「新時代到来だ」と浮かれていたからであります。

Obama

この二人の蜜月からわずか三年少々しか経ってません。このころは新時代の気配感に「55年体制の脱却」とか「日本もついに二大政党の時代」などと浮かれていた自分がいました。いや、いま思うと踊らされていた。

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そう考え直すと、今回も選挙前からの「自民優勢」という全日本的な印象があった。これは誰が作ったんでしょうかね? メロスと同じで僕には政治がわかりません。どこの党の政策がいいだ、わるいだ、あるいはこうだ、などはまるでわからない。とくに今回の選挙はね。なのに、いつのまにか「自民優勢」ということだけは感じてきた。テレビを見るたびに、あきらかに「今回の選挙は自民党が勝ちそうですよ」というオーラを感じてた。どこの政党がどういう政策だ、などとわからないのになんでそう思うんだろ?と疑問を感じての今日の結果というわけです。

さてさてそんないまの僕を、さらに今から三年後に振り返ったら、どんな風に思うでしょうかね?

 

今回の、「自民党が勝ちそうですよ。」という全日本的な気配感は誰が作ったかというと、いうまでもなくマスコミです。そのひとつひとつの、テロップ、コメント、ニュースの扱い、スタジオゲストの選択、すべてがニュートラルをたもっているように見えていて、それでいてしっかりとマスコミがこの気配感を醸し出している気がするのは僕だけでしょうか?・・・・。

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ちょっと話が飛躍するけれど、「CIAに潰された政治家たち」という本を最近読んだ。GHQの時代から「正力松太郎と原子力」を経て今に至るまで、CIAというのは影響力をいまだに持ち続けていることはよく聞く話ですけれど、そしてまたこのCIAという組織が敵国の政権転覆の工作をするといったエピソードは映画ではよく見かけるけれど、現代の対日政策においてもまるで同じ活動をしているのだよ、という事が書かれた本。たとえば今回の選挙でいうと、脱原発などアメリカに不都合な意見を推進する大物政治家は、何年も前のスキャンダルがなぜかマスコミに突然リーク浮上して消えてゆくのは、CIAの工作なのかななんてことを考えてしまいますよ。アメリカは政治家の秘密を握ることで未だに日本を支配しているんだなぁとねww

 

僕はいま、インテリジェンス(諜報活動)というものにすごく興味をもっていて、いくつもの世界地図アプリをプロデュースしています。

このアプリはそろそろ発表なので近々にここでご紹介することになるだろうけれど、それはおいておいて、いまの日本人の視点というのはGHQにつくられているものなんだろうなぁ、そろそろそれに気づかないとなぁ、と思うようになってます。

 

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Windows8パソコンの使い勝手をどう評価するか?その考察1 "RTというOS"

ずっと気になっていたWindows8でしたが、店頭では在庫不足で、デザインのよさげなものがなかなか入らない。 2週間待ちとかいれてるし、Lenovoのなかなかよさげにおもえるノートモデルは「世界市場で予想外の大量注文」とかいって発売延期だし、初物ズキの僕としても、もうあきらめようかと思いかけていたところでした。

で、買ったのがWindowsRTのノート。
目的は、Winodws8(とRT)のタッチインターフェイスの実用感。 

そもそもMacBooKユーザーの僕がいまさらなんでWindowsノートマシンに食指をうごかしたのか?についてですが、理由は二つ、あります。

理由1 現行タブレットは大好きだけれど、入力マシン(原稿書きとかドキュメント作成)用としてはいまいち非力。

理由2 かといって巨大メモリーとローカルハードディスクを前提とした巨大アプリをぐりぐりと動かす設計のマシンはもう使いたくない。

ということです。

いまのメインマシンであるMacBookAirはたしかに薄くて軽くてスタイリッシュだけれど、そしてアップル製品の特徴である(スリープ状態からの)レジューム復帰もとても安定しているけれど(かつてのWindowsマシンの弱点は実はここでした)、でも所詮その設計は旧世代的。プログラムサイズがでかすぎて、たとえばPhotoshopひとつとっても、使いもしない機能の集積に重くて重くて使う気になれない。

実はゲーム市場が何度か繰り返してきた、肥大化したゲームへのユーザー疲弊と、そこからのゼロリセットの歴史。昨今のスマホの流れは、これとおなじ歴史の原
点回帰だと思ってみています。つまりスマホがつくりだす新しい軽量化のためのインターフェイスが、パソコンの肥大化・巨大化したシステムサイズをいったんリセットする、20年に一度のタイミングだと思うわけ。1983年のLISAから30年続いているマウスオペレーションの呪縛から、人類が解放されはじめているのが今ですから、ここへふたたび後戻りしたくない、という気持ちもある。

そんでもって店頭で悩んだあげく購入したのが、NECのWindowsRTモデル。ほとんどWindows8と同類にみえますが、ちがうものです。

店頭価格で84800円。実購入価格は79800+10%ポイント。「ノートPC」としては安い印象で、一方「タブレット」としては普通の価格帯といったところでしょうかねぇ。

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ここで気を付けないとならないことがあります。今回購入したノートが他の一般的な(そして店頭のコーナーをほぼ独占している)Windows8タッチスクリーンモデルと違うのは、この"RT"というOSです。画面の外観も、そして名前もややこしいほど似ているけれど、WindowsRTというのは、いわゆるPC用のOSではなく、タブレット向けのもの。なもんだから、通常のWindows向けアプリは動作しないし、インストールも「ストア」からのみ、いってみればアンドロイドやiOSと同じような位置づけのものです。

 「なんだよ、それだったらパソコンとしては中途半端じゃん。」と思う人もいると思います。でも、僕がこのモデルを気に入っているのは、(といってもその評価は今はじめたばかりですが)、このクラウドを完全に前提としたパソコンだったから。クラウドを前提としたパソコンというといかにも今っぽい書き方だけど、要するに、バッテリー寿命の長い、そんでまた無駄なローカル処理が肥大化していない、そういうPCの姿あをじわってみたかったのであります。

 

かつて、同じような思いで、ASUSのキーボード付きAndroidタブ゛レットを使ったことがあります。ま、要するにAndroidOSのノートPCですね。

ところがこれがすこし実使用にはきつかった経験がある。理由は長くなるので次回にかきます。

 

さてさて、写真にあるのが、今回のWindows RT搭載のNECノートです。

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 これが開いたところです。見た目はいわゆるWindowsノートのまんまですね。

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画面は、360度まわるので、ぐるりと一回転させると・・・

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・・・・いわゆる、タブレットになるわけ。バッテリーのもちも、カタログベースだと、8時間とあるが、一日使った印象だと、一度の充電しかしていないのに、いまもまだ持ち続けているので、いわゆるパソコンのような電力消費はないようです。

 

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ごく最近、新刊をだしました。この手の大きな仕事、とくに原稿ができて校了までの後半の作業においては、この手のクラウド型マシンではとっても処理がおいつきません。一冊の本のデータなんてものはグラフィック含めてデータ量がでかすぎる。ローカル処理型の、俗にいう「バソコン」でないと作業は困難です。こういう「特殊処理」の時は、業務用のPCが威力を発揮するものです。

けれど、連載のような日常の書き物は、まるでちがう。ブログもそうですが、出先で書きたいわけで、それが社内のドキュメントならばどうせ誰かと共有することがわかっている。出先で更新をかけてゆくわけですから、おのずとその書類はDropBOXやEvernoteにおく運命にある。だったら、安くて軽くてバッテリーは長持ちのほうがいい、ということになっての今回の選択です。フルスペックのWindowsパソコンは(いやMacであっても)もう持ち歩く気にならないす。

今回のモデルはね、MSOfficeがプリインストールされていますから、その意味では安いもんだ、という判断での今回の購入ですが、今後の実際での使用感については、次回に書きます。引き続き(興味ある方は)お楽しみに。


 

 

 

 

 

 

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老化現象と日本語とグルメ度について

「最近、テレビをみてておもしろくないし」とか、「スマフォゲー作ってるやつらはまるでゲームをわかっていないし」とか「若いやつはどいつもこいつも日本 語がへんだし」とかという愚痴を聞く事が多くなった。この理由は明確で、僕自身を含めて周囲には「高齢者」が多くなったということでしかないのです。 今回はそういう話し。(←Blog更新原稿をそのままコピペしたので長文です)

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「日本語が崩壊している」というフレーズは何十年前から使われてきただろうか。僕が子供の頃から壮年者たちは若年に対してそう指摘しながら、それが瓦屋根 のようにそれが繰り返されていて、いつのまにかそれをいう側に立っている。 でもね、女子高校生の会話が意味不明だからといって、それを「日本語の崩壊」といってしまうのは、自分の老化を認めているだけに過ぎないようにも思うので あります。

ちょうど、東証取引所とか築地市場の競りのやりとりが部外者にまるでわからないのと同じで、身内同士というのは会話が省略効率化されたあまりに 暗号のように聞こえてしまうことはどこの国でもよくある話しではなかったかな、それと同じではないかな、と思うのであります。 むかし、何かの洋画で壮年のオトコが「いまの若いヤツはカッコつけて"COOL"などと変な言い方をするけれど、おれたちの時代は"HOT"といってたん だ。ヤツらの言う事はわけがわからんぜ。」と愚痴るシーンがあって、当時「ああ、たしかに、ストーンズもカッコいいものは"HOT"と唄ってるよな」と納 得したことがある。

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「新しい」を「"あたら"しい」と読むのは、江戸後期の"スノッブな人たち"によるスラングで、じつは「"あらた"しい」がそれまでの正しい読み方だった そうな。たしかに「新」の一文字だと「あらた」と読むのはそのあからさまな名残りと思われる。この"スノッブな人たち"がひっくりかえした読み方は、しか しいまでは正式な日本語になっているわけで、同様に「秋葉原」も当時の「あきばはら」がひっくり返ったものだったといいます。 言葉というのは、刻々と流転し変化するから、古い日本語にあまりに固執し続けている人いうのは、ちょうど「バソコンというのはキーボードがしっかりとつい たものをいうのであって、いまのタブレットはけしからん」といってる頑固なエンジニアくらい(そんな人が本当にいるのかは知らんが・・)、偏屈な存在にな るんだろうね。

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味覚ってのもそれに似ていると思う。
「魚の焼き加減」から「飯の炊け方」まで、加齢とともに、出てきた料理の出来の違いがわかるようになってくる。それは、もちろん経験にもとづく高度な識別 能力なわけだ。そういう人たちにとっては、魚肉で作った「かに風味」をほんもののカニとおもって食べている連中のことをバカにしたくなるのもわからんでも ない。 だから、小姑が嫁がつくる料理に指摘をするのに似ているけれど、「いろいろと知っている世代」は、若い人がすることにいちいちケチをつけたくなるわけだろ うね。 かくいう僕も、若い、とくにオトコの社員たちが、ハンバーグとカレーと焼き肉であればなんでもうまいというのを見て、「こいつらを高いレストランに連れて 行ってもどうせわからんにちがいない」と思い、連れてゆく場所をついぞ安いところでごまかしてしまうのです・・・。

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でも、僕の大好きなDJ、小林克也氏はある番組で「Rock'nRollという音楽は、アーチストの肉体があるホルモンを分泌している若さでしかでき得な い音楽ではないか・・・」と語っていたことがあって、妙に納得してしまった。もっというと40代が近い当時の自分はこの言葉にかなりのインパクトを受け た。その真意を解釈するとたぶん、「若い時しかできない芸術分野が確実にある」ということになる。

たしかにあたっていると思ったけど、同時にこれは、年長 者の自信を奪う言葉だった・・。

なぜかいま六本木ヒルズのTSUTAYAの二階を占拠している「ビートルズ」は音楽界の伝説だけれど、すべての名曲は当時の彼ら20代の小僧が作った曲で あるわけで、解散後の30代以降の彼らのソロ活動をみても、たしかにその勢いは、20代の小僧でしかできないものだったような気がする。

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僕はあと一週間で50歳になる。 今日電話で話した旧友のN君(シーマンシリーズの3Dをかつておねがいした、現在45歳の敏腕デザイナー)と今日電話で話したんだけど、「いやいや、斎藤 さんはまだまだ大丈夫ですよ」といってくれた。「いまのスマフォのゲーム開発者はひどいもんですからね」と、その世代比較においての文脈。ま、彼は常日頃 から僕のことをとてもレスペクとしてくれている人で、ありがたいことではあるんだけれど、でも実は心の中でこう思ったのさ。「"まだ若い"などとオレたち はいってちゃいけないんだぜ」と。「まだ」という言葉は、時限立法みたいな意味の言葉であって、要するに過去にゴールをおいている。それじゃノスタルジーみたいじゃない か、と。

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50歳になる記念に、今月下旬に、新刊を出版します。50代の中小企業のオヤジ社長はどこにむかうへきか、というテーマでまるまる書いてみた。(完成がず いぶんと遅れてしまったけれど・・) この本は、べつにたいした本じゃなくて、むしろ反省の本なわけですけれど、いまの僕にはとても意味がある本で、50歳になる前に出しておきたかったのであ りまして、誕生日ぎりぎり当日に出版社が納品を間に合わせてくれたものです。 「かつての日本語は美しかった」とか「むかしの人は米の炊き方が上手だった」などとノスタルジックに口うるさいオヤジになるんじゃなくてさ、もっと先にあ る未来に向かって前傾姿勢で生きるかっこいいオヤジになるためにはさ、いまの若い世代がヘタクソなところばかりをみて優越感に浸っていてはダメなんだ、と いう自戒の念をこめて、ね。 つまり、いま、この時期は、僕にとって半世紀ぶりの反省期なのであります。(爆)

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リクルートが上場するというニュースに向けて

つい先日、大正生まれの父が一年早く、自分の"米寿の会"を開くと言い出し、そこで初の親子競演をしないか、と打診があった。課題曲は古賀政男の「影を慕いて」というド演歌だという。最初はイヤだったけど、妻のすすめもあって、独特のギターイントロとそして間奏を、YouTubeを参考に、指が痛くなるほど練習した。

その会に顔を出してくれた父の旧友の紳士が三名。どなたも、父の勤務先である「小松製作所」の関係者だった。僕が演奏後のスピーチで、僕の学費も、安物のフォークギターも、サッカーのスパイクも、そして僕という人間を構成するすべての要素は「小松製作所」から父がもらってきたサラリーから捻出されたものです、という話しをした。ついでに「我が家のレコードプレイヤーではじめてかかったレコードは小松製作所の社歌のソノシートでしたからいまでも覚えてますし皆さんより唄えます」と話すと、妙にウケていたのを記憶している。そのあとの歓談で、けっして高給取りとはいえない、「小松製作所」に人生のすべてを捧げ、高度成長期の日本を支えた企業の人たちの人生のEXITをそこに見た。

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ここ数年間に、「元リクルート社員が書いたXXXの本」などと書かれた書籍の帯を何度も書店で見かけた。その多くは在職中に会った事も聞いた事もない人によって書かれたものだった。リクルートという会社は、成績が目立つ人は社内的にも有名になる会社だったから、書籍を書いている方々は、ともすると、リクルートという社名をセールスコピーに使っているだけのように思えた印象がある。

なぜこんな話しをするかというと、僕は、リクルートという会社に在籍したことにたいした価値があるとは考えずに生きてたきたふしがあるから。というか、元リクルートの人は、なにかにつけてそれを自慢する性癖がありすぎるとずっと思ってきたところがある。

ずいぶんと昔話しになるが、リクルートを退職し、最初の自社ゲームソフトがヒットしたある日、リクルートの広報を通じてY新聞の記者から取材依頼の電話を受けたことがある。「リクルートOBはいま」、といった取材内容だったが、ゲーム開発という商売によってリクルートOBであることはまるで看板にはならないし、過去の話しに立ち返る気持ちになれなかった。電話口で取材を丁重に断るその口実として、「僕はラーメン屋をやっているようなもの。過去の看板は関係ない」と言ったところ、数日後のY新聞に、このコメントが僕の名とともにそのまま掲載されていたことがある。この記事、読みようによっちゃ、僕の仕事がまるでラーメン屋であるかの引用記事だった。

だから、そのあともときどき、自分が退職した企業を、人はどこまで客観的にみられるのだろうか?どこまで自分と切り離してみれるのだろうか?なんていうことを、ときおり考えていた僕にとって、父の米寿の会は再考するヒントになっていた。

そして今回のリクルートの株式公開のニュース。ひさびさにこの古巣の会社のサイトを見てみると、自分よりも後輩の代が取締役の中核をしめている。在籍時代には雲の上の人だった人たちの年齢を、すでに自分が追い抜いてしまっている・・・・青春の時代をすごした当時の同僚の面影とともにいろいろな思い出が脳裏をよぎる。

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子供時代の僕が「小松製作所」に育てられたとするならば、社会人としての僕はこの「リクルート」に食わせてもらって出来上がった。入社直後にリクルート事件という大事件が起きて、自分の社名を外で名乗るのがはばかられたほどの事件であったわけだが、よくもまあ、ここまで立派になったなぁ、と生意気ながら一OBとして思う次第である。

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僕の代の入社式は日本武道館で行われた。江添社長(当時)が、その壇上で「近々にリクルートは株式公開を目指している」と宣言したのを記憶しているが、株式公開というのが何を意味することなのか当時の僕にはさっぱりわからなかった。その意味を知ったのは政治家とコスモス株にまつわる「ぬれ手に粟」というニュース表現によってである。思えばリクルート事件というのは、関連会社の公開株にまつわる事件なわけで、この件のせいで、公開から一気にオーナーチェンジへと運命が大きく変わってしまったのだから因果なものである。あれから20年。いまのリクルート株は、公開するとさぞや高値がつくだろう。多少の遺伝子は僕も引き継いでいるつもりだから、この会社がもつ底力は容易に予想できる。

僕は退職後も、フェローという名誉職にしばらくの間就かせていただいたことがある。僕ごときにはもったいないような、たとえば五輪マラソンランナーの有森裕子氏をはじめ異能をもったOBの方々が就いた名誉な職であった。いまも治らないへんな「クセ」を含めて、社会人の僕の人格形成には、このリクルートという会社が、いや、そこに在籍した人々が、とても大きく影響している。直したくてももう直らないクセの責任を、彼らに問いたいくらいだし。(笑)

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ネットによるとリクルートの大株主は社員持株会だそうだ。それが公開するとなると、この会社を立ち上げてきたかつてのOBたちは、もしかしたら羨望とか嫉妬とかそれ以外の複雑な気持ちとともにこのニュースを耳にしているかもしれない。組織というのは残酷だ。早期に貢献してきた社員でも、はなれればただの人としてしまうわけだからね。

でも父の友人の方々の話しを聞いた僕はこう思うのです。自分が過去に身を置いた会社がいまも残っていることのほうがどれだけ貴重なことか、と。事件以降「もうつぶれる」「もう買収される」と言われ続けてきたリクルートがついに成人する時がきたのは、嬉しいものだ。

僕は、子供のころからの夢である「映画監督」になる準備をはじめている。あいかわらずリクルートとは関係ない仕事をしている。でも、同時にこれから僕は、まるで異業種だけど、照れずに、リクルートにいたことを自分の一部として誇りにしようと、おもったわけ。今回の公開がどうたら、とかそういうことではなく、父の同僚の人の話しを聞いててそう思ったわけです。もし映画を撮れたら、劇場で売られるパンフレットの監督プロフィールに、この社名がはいってたり、なんて考えると、笑えるしね。

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脳の RESET

幻冬舎からあたらしく出す本の原稿がほぼできあがって、もちろん以前にツイッターなどではなしたとおり、その大半は日経ビジネスオンラインの連載なんだけどさ、やはり一冊の本を出すという以上、バッケージとして残るわけだから完成度にこだわってしまうわけで、半分以上追加で書き下ろしたわけです。

で、今日は、最後の書きたかった原稿をいれまして、これから校正にはいるわけですが、その原稿を、ひさひざにブログにアップしようと思ったわけです。原稿をそのままコピペしただけになりますけれど。

本のタイトルは、「離れ小島のVISAカード」としようと思っています。その理由についてはまだ書きますが。

あと、ツイッターがいちばんリアルタイムにそのあたりつぶやいているので 知りたいという人は、

@YootSaitoをフォローしてくだされば、と思います。

ということで、以下今日書いた最後の原稿。(誤字あり)

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おなじ場所で異なるテーマで複数の会議が立て続けにあると、あたまのリセットができないまま会議に参加することになる。 ゲーム制作の仕事において、企画者の仕事とは、ま、これは商品開発の会議でも番組の編成会議でも同様だと思いますが、こ映画監督が役者に演じさせてフィルムを回している現場にあたるほど、重要です。会議という場そのものが本業のステージであって本業の合間に互いの無事を確認しまうようなレベルのものではないと思ってください。 たとえば、こんな話しがあった。 いよいよ発売日も決まり、大詰めに入った見えてきたタワーの携帯ゲーム機用へのゲーム移植開発。ある日、その完成までのカウントダウンが始まったドタバタの中に、プログラマーが僕のところに来てこんになことをいいだした。 「斎藤さん、ビル建設が容量の限界にきた時は”もうこれ以上はアイテムを配置できません”というダイアログを表示すればいいですよね?」と。 はて、彼が何のことをいっているかよくわからいのでよく聞き正すと、高層ビルを建築するこのゲームにおいて、メモリー容量ぎりぎりになった時には、もうこれ以上何も設置としてくれるな、という警告をださないとシステムがダウンしてしまうという。だけど、それはこっちの理屈。ユーザーとしては突然そんな開発の事情をいわれても「だからなんだ」となる。この手の、手前都合な話しというのは、いわゆるクソゲーというやつに多いパターン。 「容量っていっても何の事かさっぱりわからないじゃないか。消費者のクレームと同じでごまかしてはダメだよ。なにがどうなったのかを具体的にいってあげないと。その限界の容量ってのはなんだ? ビルの住人の人数か?、それともフロア階数か?エレベーターの数か?」 「プログラム的にこまかくいうと、いろいろあるんですが、要するにぜーんぶ関係しています」と。 「じゃなにが限界なのか、ユーザーに具体的にいえないってことか?・・」「そうです。だから、容量オーバーでいいかな、と」 「ばかやろう、そんな突然なルールをいきなり持ち出されても、それまで一生懸命ビルを建ててきたユーザーは納得するわけがないだろ。」 「じゃ、いったいどうすればいいっていうんですか!」 「エレベーターはもうこれ以上設置できません」というようにいわないとだめなんだ。しかもそういうことは大前提のルールとして冒頭からいっておかないとユーザーは納得してくれないよ」。「そんなのこの時期になっていきなり言われたって、知りませんよ. こういう時期の会議というのは、ひとつひとつが致命的とも思える案件が上がってくる。出口が無いように見えるこんな無理難題ひとつひとつに起死回生のアイデアを発案して返すのが、ゲーム開発終盤における企画者の仕事である。 で、本題にもどると、こういう会議で起死回生のアイデアを出すためには、いったんその議論の経緯から離れる必要がある。目の前にある問題に引っぱられ過ぎてると、コロンブスの卵は生まれてこないのである。 ずいぶん前の話しになるけど、音楽プロデューサーの松任谷正隆氏と雑誌の対談をしたことがある。氏は、マックで演奏をすべてつくっておいて、ミュージシャンがレコーディングに来る当日、それを聞かせて生の楽器を弾いてもらうという。その時に、「あなたはコ最後は人間に弾かせるのに、なぜわざわざコンピューターでそこまで精緻にダミートラックを作り込むのですか?」と聞いたことがある。 氏はこう答えた。 「私たちのレコーディングスタジオに来る直前まで、そのミュージシャンはまったく別の仕事をしているわけで、それがどんな音楽だったのわからない。ただまちがえなくそのノリが彼の頭の中を占めているわけで、それをリセットしないと、その前のノリのまま演奏されてしまったのではちがう音楽になってしまう」と。 要するにそのミュージシャンの意識をはっぱりと切り替えてもらうためだけに、緻密なコンビューター演奏を作り上げているわけ。 この話しはすごくよかわかるんだな、とくに自分に置き換えると。 その直前に決算の会議をしていて、そのまま同じ場所で冒頭のような起死回生のアイデアを出せといわれてもろくなアイデアなど出てこない。 冒頭の「容量の限界」の話しは、したがって、いったん外に散歩に行かせてほしい、とだけいってその会議を終えた。 近くの公園で、僕は二時間ほど、興奮する心を鎮めて 代替案を考えて、その案とともに帰社し、そしですぐに指示をした。 その指示とは、その社員がいう「限界容量」の全体を100として、その1/4を超えるたびに、画面をまっくらにして、次のようなメッセージを出せと。これならばプログラマーでも簡単にできる変更だから。 そして「停電です。ビル内の電源容量が不足して停電となりました。ビル建設を再開したければ100万円払って、電源容量を増やしてください」と。 そして、そのダイアログ内にて(全部で4つある電源装置の)二つ目のスイッチをオンにした絵をいれておいてくれと。 この案は、ディズニーランドのホーンテッドマンションが使っているようなすげ替えの手法で、我ながらよく思いついたと思っている。 ホーンテッドマンションは、乗車事故があるとスキー場のリフトのように「ただいま乗車事故がありましたので、リフトを停止しております」という代わりに、「おやおや、いたずら好きのお化けがまたなにかしでかしたようだぞ」というアナウンスを流して、停止を演出の一部に思わせているのだ。 この案だと、25%、50%、75%を通過するたびに停電が起き、ユーザーは100万円払ってゲームを再開することになる。そうすることによって、「本当の限界」をいつのまにか正当化する心理的な効果が目的だ。電源装置は全部で4つしかないので、後半には、「もうそろそろ電源容量の限界がくるぞ」という覚悟をユーザーはしているので、「もう容量の限界です。これ以上アイテムを設置できません」というセリフがあたかも当然、という説得力が出てくるしかけだ。 この発想のおかけで、僕は救われた。納期ギリギリに発覚したトラブル(プログラマーはこれをトラブルとは認識しないものだ)を回避させてくれたその発想は、脳のリセットにあったと思っている。まったくの猶予が許されない時期に、この手の瞬間的な発想が必要になると、そのためにいくら費用がかかってもいいとさえ思うようになるわけだけど、それってゲーム業界に限った話しではないと思う。 相手の会社を訪問するならば、移動というリセットの工程がある。だけど社内の場合だと、会議と会議の間に、ただいつもとおなじ風景があるばかりで、このセットっていうのができないわけで、いまでは、なるだけ打ち合わせは相手先に出向くようにして、移動もハーレーダビッドソンでするようにしている。安座できるオフィスなんてもっていない、日本中を列車で移動する若手芸人たちのネタが面白いのは、かわる景色にいつも身を置いているからだと思っているのだが、逆に景色が変わらないと人間の脳なんてそうやすやすとリセットしてくれないものだとも思っている。 その仕事が重要であればあるほど、意識のリセットの違いというのは、金額換算すると膨大になるということを、ゲーム開発という仕事を通じて学んだ気がする。

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自己証明のための携帯電話番号と連絡先としての携帯番号の分離の時代

最近はじめた「路上で100万円を発見する方法」というメルマガがあるんですが、そのメルマガにはどんなことを書いているかといいますと、もともとはゲームの発想法を書こうという趣旨だったんだけど、開始してから約一ヶ月半、ずっと自分の興味の対象である「モバイルアプリ」について語っちゃってます。

そもそも僕は、マーケッターではないから、どこの会社がどういう動きをしているとか、どことどこがいくらの規模でどうだ、とかそういう現在完了形のニュースには疎いのですよ。僕が得意なことがあるとすれば、「世の中はこういうものが必要だ」とか「こういうものがあれば絶対におもしろい」といった、いわば客観的な根拠のない、現在取得可能なマーケデータとは非連続な場所にある、自己潜在願望の発見物のようなことを書いていて、それはつまりいつもやっている自己対話の中で次の製品を発想する体験そのものだったりします。

下に紹介するのは、ついさきほど書いた今日配信するメルマガの原稿の一部(前半)です。こういうのが送り届けられるメルマガ、おもしろいと思ってくれたら読んでくださいね。(初回登録がやや面倒ですけど)

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海外とのテレビ会議が無料なのに、音声通話だけはバカ高いことに疑問を抱いた人はいませんか?

今回だけはちょっと理屈っぽくて、長いメールになります。前回の「アップルが電話事業をおっ始めるんじゃないか?」という勝手な憶測の続きから。

 

●電話ビジネかの意味が変化していること

さてここでいう電話事業ってのは、アンテナを敷設して・・ということではない。前回のコカコーラ方式と同様、グローバル勢からしてみればそんなのはローカルの企業がやればいいことです。

 

電話事業のカギって何か、となると、「アドレシング」ってことに行き着きます。電話で言うならば電話番号を割り当てる権利。サイトでいうならばURL、メールでいうならばメールアドレス。このアドレシングを行う権利はこれまでは公的機関が多かったけれど、ワールドワイドな複合サービスになると、競争に勝ち残ったどこかの企業ということになる。その企業は、人類のコミュニケーションの行く末を左右する影響力をもつことになります。かつて旧電電公社によって「取り次ぎ交換」や「番号案内」が独占されていたのも、この覇権をもっていたのが理由。

 

これまでの電話事業では、政府の小会社である旧電電公社(NTT)がこの「電話番号割り振り」を一手にやってきました。しかし携帯電話では3キャリアに分割されておこなわれてきた。しかしそこに「個人情報保護法」も登場したので「携帯電話の番号案内」は不在のまま。昔の分厚い「電話帳」がなくなったことがSNSの必要性を押し上げているともいえる。

アンテナや巨大なケーブルの敷設投資がおわった時代の先に出現するものはなにか?それは電話会社の「ソフト化」です。いいかえると、一般消費者による「てっとり早く人を探して、その人に接続してください」というサービスへの欲求です。巨大に長い番号を入力する時代は、もう終わりました。「本人特定→(承認)→接続」です。

 

●本人認証

僕たちがいまつくっているアプリは、かつてのように携帯メアドやツイッターIDなどを使いません。本人認証にはその人の「電話番号」でする建て付けになってる。

その理由は、申し上げた通り、この電話番号がとても重要になると思っているからなんだけど、でもそれは、本人が本人であるための担保としての意味です。

社会保険番号みたいなもので、「だれもがひとつもっているひと」と「連絡先でもあること(=SMS)」そして「ころころと変わらないこと」が重要なだけでして、ツイッターIDのようにそれを他人に広く公開するためという意味ではない。今までややこしいかったのは、この「電話番号」という日本の電話キャリアが割当てた「個人ID」意味と、もうひとつ、「連絡先」としての意味がひも付いたまま、だからです。そろそろそれを分離する時代がくる。(以下つづく)

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「手を抜いた企画」の意味・・・レベル5「ギルド01」参加のビデオにかけた想いとして

昨日と今日に開催されたレベル5さんのイベントで発表された「ギルド01」という4本のミニゲームで構成される作品にクリエーターとして参加している。

仮称で「エアポーター」というこのタイトルに関して、イベントで流すためのビデオで、けっこう今の時代に重要と思われることを発言したつもりなのだけど、残念ながらほとんどがカットされてしまったので、(このカットは必ずしも誤った選択ではないと思うが)、製品PRの意味も込めて、何を語りたかったのかについてこのプログですこし補おうと思うんです。話したかったことは、実は大切なことと思っているので。

さて、そのビデオの中で僕は、「いかに自分が手を抜くかを最優先にして企画した」と言ったんですね。これは奇をてらったのではなく本意です。仕事的背景がないわけではないが、でもいちばん大切なことは、(そのインタビューの中で説明したんですが)、実はユーザーが払う「ラーニングコスト」が小さい新規ゲームをつくりたい、という意味。

物語性とか世界観がバカみたいにでかくて、お金もかかってて、しかも新機軸で・・というゲームは、いまどきはなかなかつくれる環境ではない。なぜならユーザーが「どんなゲームか?」を理解するために相当な時間を費やす事になるでしょ。 これ、定価とは別にユーザーが負担しなければならないコストで、僕は「ラーニングコスト」と呼んでる。このラーニングコストは安ければ安いほど、いい。中身が浅いこととのジレンマにクリエーターは悩むことになるが、いずれにしてもこの考え方だけでもいまのコンシューマー業界に広まればいいなぁという想いをもってます。

お約束のRPGだったら、まだいいんです。世界観が違うだけでゲームそのものはだいたい同じですからね。でもそれじゃ新機軸にならないわけです。新機軸のゲームってのは、「このゲームはこうするとこうなる。これが面白いんですよ」って文脈構造がわかるまでに何分、いや何時間、かかるか、が問題になってくる。とくに最近はSNSゲーム儀主流になってきているから、コンシューマーは忍耐強くない。ライト性は普遍的に重要です。

今回のエアポーター(仮称)に関する説明では、テトリスがそうであるように、「あ、なるほどね」と、できればゲームを最初に立ち上げて1分以内にユーザーにルールを理解してもらえるものにしたかった、という話しをしたんです。そのために企画者がすべきことは何か?というと、たったひとつの切り口で、ゲーム性が成立するところまで至らせることなわけで、これすなわちミニゲームの極意なのです。企画をいろいろとてんこ盛りにして質を量でごまかしてはならん部位です。それを「いかに自分が手を抜くかを最優先につくった」という言葉で表現しました。(笑)

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レベル5さんの担当者は、若いけど熱意のある好青年で、この好青年が熱く誘ってくれたからこの仕事は引き受けたのです。でも一方で、やはり若いから当然なのですが、時期によって要望がいろいろとブレてくる。とくに今回のように一般公開した後とかにはね。こういうのはよくある話しで過去も何度か体験してきたんですけど、そういう時に、クリエーター側は「でん」とゆずらず、コンセプトを貫くってのがこの手の仕事ではとても大切です。

クライアントとかテレビ局の発言に影響され過ぎてこの一本のコンセプトを見失っちゃうと、それはCMでも小説でも映画でもすべておなじだと思うんですが、増改築のつぎはぎだらけの建築物になっちゃう。そうなっちゃうと目も当てられないわけ。ゲームでもこれはぜったいにやっちゃだめなんです。

ちなみにこの7月と8月が、クリエーターとしての僕は失業状態だったので、この期間ですべて企画が終了できる程度の「ハマれるゲームをかんがえろ」ってことになるんだけど、かなり難易度が高くておもしろそうだった。オムニバスってのは、予算も納期も、鉄板ですから。ちなみに開発は社長が信頼できる外部のとある会社さん。

ま、これは制作側の話。

結論的にいうとプレイヤーの印象として「ちょっと物足りない」くらいにいわれるのがベストと考えた。新機軸のミニゲームで「ちょっとものたりない」ってかなり得難い褒め言葉です。なぜかというと、そういえるまでプレイヤーはそのルールを完全に理解した、ということですからね。そうなったらそれを続編でたっぷりやりゃいい。てんこ盛りにしすぎて「よくわからなかった」という消化不良の事態こそが、ゲームクリエーターとしての僕の最大の敵、ということになるのです。

 

そんな思いで、「かなり自分を押さえて」つくったという意味で、新境地といえると思ってる。いや、むしろこれからの時代のキーワードだとすら思ってます。

そんなこんなで、このオムニバスにはヒットしてもらいたいし、プロとしては、その牽引を自分の作品が担いたいとは思ってます、いつも通りに。しかも、ニンテンドー3DSにはヒットしてもらわないとね。「日本の外貨獲得産業」の担い手ですから、任天堂は。

ちょっとかっこつけすぎたかな・・。

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本を出しました。

昨日自社から(オープンブックといいます)出版社として名乗りを上げてまでして発売した「林檎の樹の下で」という本があります。この本を、ぜひとも読んでほしいんです。お断りしておきますが、商売の意味ではありません。商売するんだったら書籍の出版なんてぜったいやらないと思う。

 

 

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実を言うと、この本はねジョブスと日本人のノンフィクションである以前に、30代になった僕が6年かけて書いた本、という意味でも読んでいただきたいのです。独立したての頃に、国際電話をして取材申し入れをして(ネットなんてあってない時代ですから)、当時のどんな人たちと会ってきたか、書籍化の予定もないくせに、どんなことを聞いて回ったのか、という記録でもあるのです。言い換えると娘が生まれた直後の僕は、いたいなにやってたんだ?という、脱サラの記録でもあるわけです。

30代の人は30代なりに、同世代の人は、当時の僕と比較しながら、ね。 三回目の復刊なので、あとがきが7年おきに三つ収録されていて、あとがきはいつも脱稿の最後の一時間で書くクセがあるんですが、そのぶんそれぞれの時代(僕だけではなくアップルそのものも変化してますよ)の生の言葉が書いてある。直接の知人の皆さんにはそこも、おもしろいところだと思うのです。 http://amzn.to/r8pPZQ

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auがiphoneを発売するに際して思う

メルマガを最近やってます。「路上で100万円を発見する方法」というタイトルです。

なぜいきなりメルマガを始めたかというと、読者から質問とかが返ってくるという特徴が楽しそうだったからです。ツイッターでも返ってくるけど、140文字は少なすぎるしね。あとお金をいただくことになるわけだから、本気でがんばらないといけないというプレッシャーも久々に味わってみたかったから。編集部からもらう原稿料とちがって、読者が直接払う「投げ銭」だから、著者としてはちょっとドキドキしますし、かなりのプレッシャーです。ちゃんとしたこと書かないと、という感覚。これがいいと思って。

ご存知の方も多いでしょうけど、ツイッターを始めてからというもの、このプログはほとんど休眠してました。ですが、最近すこしだけ、「ちょっと更新でもするかな」という気持ちが戻ってきたのですが、それも、この「メルマガ連載」の影響ではないかな。

で、どんなことを書いてるかというとね。今日書いた原稿は(配信前だけど一部のせちゃうと)下のようなものです。そもそもが理屈ぽいことを書く男なもんですから、いちいち読みにくいし、かつてのこのブログのように論文調になってしまわないように、メールのように短く書くようにしてます。

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○携帯キャリアがこれからたどる道

auがソフトバンクに続きiPhone販売権を獲得したというニュース。

これによってアプリ開発のターゲットとかSNSゲームの課金のあり方がどうかわるのか、ということに僕の周囲の人たちはやっきになっている。

スティーブジョブスは、各国のキャリアをアップル製品のただの”サードパーティー”程度にしか思っていないんでしょうね。

そうなってくると携帯電話のキャリアはいままでのような表舞台の主役でいつづけられるのか?などについて考えてみたくなるわけです。

○ローカル業者がサードパーティーとなる 

携帯キャリアとアップル(ないしはグーグル)の関係って、クレジットカードと相似形の気がするんですが、そんな建付けでこの推論を進めていこうと思います。で具体的にいうと、僕は三井住友VISAカードのユーザーですが、ある日ふと「三井住友」と「VISA」の二社の棲み分けはなんだろうって考えてみたわけですよ。そのへんみなさん考えたことあります?・・・  (以下つづきはメルマガ本文にて)

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ということで、つまらなかったらお金返すから(非現実的だけど気持ちとしては本音)、購読してみてください。質問もどんどんと欲しいんです。

ということでよろしく応援のほどお願いいたします。

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http://www.mag2.com/magspe/interview83/

 

 

 

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Steve Jobsという人物とアップル

唐突だけど、ジョブスに関して書いた文章をアップしてみました。

実はこれ、某雑誌に依頼されて書いた原稿の原案でしす。最終的には、全面的に書き換えたので、この原稿は日の目を見ないままハードティスクの片隅にちょこんと鎮座していたのですが、なんだか可哀想に思えてきてて今日アップしてしまいした。

お暇でしたら読んでください、って感じです。

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「スティーブジョブスって人はもともとプログラマだったんでしょ?ちがうの?」という話しを耳にすることが多い。ジョブスは技術者ではない。最初に理想的な完成形をイメージし、それを技術者たちにつくらせるビジョナリーである。彼の委細の妥協を許さない「完璧主義」は、エンジニアたちを疲弊させてきたが、その製品は(すくなくとも外見とそのコンセプトにおいては)一分の隙もない完成度となって市場に出まわることになる。この方法論は、アップル創業以来徹底しておりジョブスが追放された時期のアップル製品の低迷を見ればその違いはあきらかである。

アッブルに戻ったあとの製品レビューにおいて、エンジニアがもってきた新製品の基盤をみて「基盤のレイアウトがうつくしくない」と否認した話しは有名である。エンジニアが「基盤なんて誰も見やしないよ」と反論したら「オレが見る」とつっぱねた。Nagraなどアナログ技術の逸品で目を肥やしてきたものだけがもつこういうセンスは、デジタル世代には、理解がいかないものかもしれない。

若き頃にジョブスが傾倒したインド仏教の影響もあってか、純粋主義であることも製品に大きく影響している。20xx年に発売されたiPhoneは、背面の鏡面加工デザイン性を貫くためだけにバッテリー交換を放棄したことは業界関係者を呆れ返らせた。業界の慣例や常識にまどわされず、この「あるべき理想型」をつらぬくこともジョブスの力である・・。

 

*********アップルの創業。

英国のクリスティーズのオークションに突如出展された、1976年製のマイコンボード。この、むき出しの一枚の基盤に、213600ドル値づけがされて落札された。

ディスプレイもキーボードもないこの基盤こそが、「二人のスティーブ」によって起業されたアップルコンピューターの最初の製品であることを誰もが知ってる。

200台ほど制作販売されたこの「アップル1」を手作りで作ったのは、当時ヒューレットパッカードに勤務し、ホテルのケーブルテレビに接続するセットトップボックスなどを担当していたエンジニア、スティーブン・ウォズニアック、通称ウォズが制作したものである。

この製品の販売を担当したのが、「二人のスティーブ」のもうひとり、スティーブ・ジョブスである。アップルの創業者のふたりのファーストネームがそろってスティーブだったため、互いを区別するために「ウォズ」、と「ジョブス」と呼れるようになる。

このアップル1を制作するのに必要な部品を購入するために、ウォズは愛用するHPのミニコンを、ジョブスは自分の愛車フォルクスワーゲンを手放すことになる。しかしよもやこれが本業になると当時ふたりは思っておらず、あくまで趣味としての活動だったが、販売先であるバイトショップの要請で、会社法人を設立することになる。社名は、果実主義であるジョブスが以前いたことのあるリンゴ農園から、「アッブル」と名付けられた。

アメリカ西海岸、いまではシリコンバレーと呼ばれる一帯では、マイコンボードがちょっとした勃興機にあった「マイコンブーム」の中心でもある「バイトショップ」にこの「アップル1」を販売委託したジョブスは、予想外の評判に、資金調達をしての本格的な操業を決意する。ジーンズにサンダルという、いわゆる「ヒッピー姿」のまま、みずからベンチャーキャピタリストを訪問し、これもまた奇妙な「金の卵エンジニア」、ウォズにHP社を退職して新会社に専念するよう説得する。

*********ジョブスのこだわり

 マッキントッシュという名前は、カナダ産のリンゴの品種名から来ている。未発表の新製品にはコードネームがつけられるのが通例だが、この「マッキントッシュ」の命名者は、音楽家でもあるアップルの社員ジェフラスキン。「理想的な家電コンピューター」のプロジェクトとして始めたものだった。

だが、このプロジェクトを乗っ取って、名前だけを残しそれ以外のすべてを「自分の理想とするコンピューター」へと変貌させてしまったのは、ジョブスだった。

********ゼロックスパロアルト研究所PARC

ゼロックスのパロアルト研究所で、後にパーソナルコンピューターの父としいて知られることになるアラン・ケイ博士らを始めとする科学者らが実験的につくったのが、ALTOと呼ばれるミニコンピューターだった。

ミニコンピューターという名称は、当時遠隔からタイムシェアリングで利用される「大型コンピューター」の小型版という意味が込められていたが、「パーソナル」にまで廉価に至ってはおらず企業や研究所が所有できるレベルのものを指していた。

このALTOは、試作品とはいえ、マウス操作、アイコンインターフェイスなどを備えた、いわば今のパソコンの原型をほぼすべて備えた芸術的な発明品だったが、ゼロックス自身が商品化をしなかった。200台(?)ほどつくられたこの試作品の一代はホワイトハウスに納品されたことでその存在を業界に知らしめた。

当時、アップルというベンチャー企業の株主でもあったゼロックスは、アップルというベンチャーのエンジニアがこの「名品」の試作品を見学したいという打診をなぜか受け入れた。そして、スティーブ・ジョブスや後にアッブルの名誉科学者となるビル・アトキンソンをはじめとする「盗人チーム」の天才エンジニアらは、ここで見たデモに衝撃を受け、マッキントッシュの最終形をマウスとアイコン操作とすることが決定された。

*******トースターのような家電製品

ジョブスが理想したアップルの新型コンピューターの姿、それは、すべてが一つのボディーにまとめれたシンプルで美しいワンボックスコンピューターだった。ユーザーが裏蓋をあけたり、ボードをとりつける必要などのない、家電店で売られ、専門知識のない「普通の人々」向けのトースターのようなコンピューターだった。

********ジョブスのリーダーシップ

「海賊チーム」は、アップルが孤立した部署だった。ジョブスが許したものしか出入りすることができず、どんなものが作られているのか社内の誰にもわからなかった。たった6名の社員の手で、そのほとんどが開発されるという驚異的な作業は、後に伝説となり、関係者をスーパースター化すこととなった。

自分が革命者であるかのような言動をすることで、周囲の協力者を煽動するのがジョブス流のやり方だった。自分がカリスマとなることで、願望が実現できるまでエンジニアを酷使する。その仮想敵としてしばしば使われたのが「コンピューター界の巨人」IBMである。

後発のIBMがIBM/PCを発売したときは、ウォールストリートジャーナルに、「IBMさん、ようこそ、私たちが作った市場へ」という皮肉に満ちた全面広告を打ち、世の中の注目を集めた。

********ジョブスとディールを結んだ最初の日本人

日本を代表する合繊メーカー東レの研究所の研究員、水島敏雄が、理化学分析のために、さまざまなセンサーと相性のいいコンピューターを求めてサンフランシスコで開催された「第一回ウエストコースとコンピュターフェア」を訪れたのが1977年のことだった。

水島は東レを退職し、ESDラボラトリーというマンションカンパニーを設立し理化学分析機器の開発を行う若きエンジニアだった。

当時はボードマイコンしか存在しないコンピューターの黎明期だが、それだけに西海岸で起きている手作りコンピューターブームの動向は技術者の注目を集めていた。水島が自費で訪れたこのフェアの会場にて遭遇したのが、初デビューしたばかりのアップルIIだった。社員が数名しかいない無名のアップルのブースで新製品のデモを行っていたのは24(?)才の副社長、スティーブ・ジョブス自身だった。水島は「すべてのエンジニアに開かれたオープン設計のI/O」に惹かれ、日本の輸入代理店を申し出る。

********アッブルの日本の総代理店は合繊メーカー「東レ」

水島は湯島の雑居ビルの店舗スペースで「アップルII」の販売を始める。製品も評判も上々のアップルの伝道者として「総輸入元」を打診するも、急成長を遂げるアップルの成長に資本力がおいつかず、古巣の東レに、その総代理店の提案をおこなう。

この時期の東レは、構造不況からの活路を見出すために脱繊維を図ってやっきになっている最中だった。磁気テープやフロッピーなどのハイテク素材へでのイニシャティブを手に入れるために、この「青い目をしたパソコン」の輸入を決定する。

日本は、NECPC98が時代をつくる直前、これはつまりアップルも、そして東レも、互いに過度な期待を寄せたままの「見きり発車結婚」がこのとき成立してしまったのである。

*******ジョブスの解雇

ジョブスの解雇は、アップル信者たちには賛否両論だった。アップルユーザーと言えば已然として「アップルII」のユーザーを意味していた一方で、マッキントッシュという製品ラインはアップルを潰すと考える関係者も多かった。秋葉原で大々的に売られるPC98が帝国を築いていた日本では、アップルというプランドの認知度がまるで低く、今のようにジョブスの動向がいちいちニュースになることはなかったが、米国では、No jobs(もうおまえに仕事はない!)といった揶揄があちこちのマニアらによるBBS系ネット(この時期まだインターネットはない)に書き込まれた辞任劇だった。

********Windowsの台頭とジョブスの復帰

“問題児”ジョブスを追い出した公開企業「アップルコンピュター」を率いたのは、ペプシコーラーの社長からヘッドハントされた典型的な優等生のCEOジョン・スカリーだった。ジョブスの遺産であるマッキントッシュは、「CD-ROMとマルチメディア」というコンピューター業界を訪れた追い風に乗ってすこしづつ離陸を開始していた。スカリーは時代の寵児のようにメディアに登場し、コンピューターと教育、エンタテイメントの融合をアピールし始めた。ビジネス用途では無意味と思われていた「音が出る」「グラフィック性能が強い」「マウスとアイコンによるフレンドリーなインターフェイス」といったマック独自の機能が市場となりはじめたのである。

しかし、この時期から10年間にわたってアップルは迷走の時代に突入することになる。

*******迷走の時代

アップルが西海岸のサードパーティーらとこつこつと切り開いてきたマルチメディア市場の開花を予期していた宿敵マイクロソフトは、事業の主力であるOS製品をテキストベースのDOSから周到に用意していたマックに酷似したOS「Windows」へと舵を切り替えた。Windowsは、マックが作り上げてきたGUIの代名詞をいつのまにか引き継いでしまったのである。

ウリをなくしたマックは、市場では存在意義をうしない、アップルのCEOはクビのすげ替えのバトンリレー状態になる。

日本の内閣のように日替わりでリーダーが変わるようになると官僚は言うことを聞かなくなる。

リーダー不在のアップル社内も、信者に近い古参社員たちが手に負えない硬直化した組織を形成しはじめていた。にっちもさっちもいかなくないダッチロール状態のアップルに必要なカンフル剤は何か?その答えとして「もう一度ジョブスを招いてはどうか?」と発想したのは、つまり封印されたパンドラの箱を開いたのは、ゼネラルエレクトリックから来た最後のサラリーマンCEO、ギル・アメリオだった。

******ジョブス復活

ジョブスがアップルに戻ったというニュースが電撃的にインターネットを駆け巡ったのはクリスマスも近い1996年12月のことである。

ジョブスは、自分がアップルを追放されたのとまったくおなじやり方をつかってCEOのアメリオをアップルから追い出した。

そして、暫定CEOという奇妙な肩書きを名乗りながら、あるいは年間たった1ドルという役員報酬を見せつけながら、こり固まったアップルの風土変革に取り組み始める。

 

*******捨て去る力

パソコンはすでにカラーがあたりまえになっていた時代に、「神のようにクっきり表示させる」ために、マッキントッシュはモノクロモニターを搭載していた。

日本での広告は、横山大観らの水墨画が用いられ、ジョブスの禅思想とあいまって独特の世界観を醸し出した。

「シンブルであることが最大の美」というジョブスの哲学は、広告デザインからインターフェイス、パッケージにいたるまで、全世界に徹底されている。

たったひとつ、かつてのジョブスと違うことがあるとすれば、すでにアップルは巨大な力となってしまったことだ。巨悪に挑む革命家だった時代はとうに過ぎ去り、1984に登場する「世界を支配する権力」に、ジョブス自身がなりはじめていまっていることだろう。しかし、いまのジョブスは、そしてアップル製品は、低迷することなく、カリスマ性も失っていない。ジョブスが健康状態を維持し、その哲学を発揮している限りは、その駆動力は失われることがないだろう。

 

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携帯メアド文化は過去のものとなり、SMS時代がくるのだろうか?

SMS(←いわゆるショートメール)がキャリアを越えて送受信できる日が、あと1ヶ月後にくる。僕は、実はこの日をずっと待ち望んでいたのですが、もうすこしゆっくり来ると思ってました。なにせここは日本ですからね、公約されたことだっていつになることやら・・とね。

なぜ待ち望んでいたか?という話になりますが、要するに人の連絡先を聞くのに、番号がわかっている人なのにどうして長たらしい(←これは人によるけど、ガラ携テンキーでローマ字と英数字をいれるほど辛い仕事はない)メアドを転記入力しなければならないんだ?という疑問が払拭できないからでして、携帯メールアドレスがない日本以外の国では、実に不可思議な行為に思われる習慣だったと思います。「プッシュ型であればGmailでいいじゃないか」、というに決まってる。

たしかに無料のGmailがあるのに、携帯料金にiMode代315円/月、を付加して払うってのも、よくよく考えるとよくわからない。もともとがPC文化の人間なもので、iModeという閉鎖系世界が好きにならないってのもありますが、特有の「半角カナ」の文化がどうにも嫌いなのも含めてあまり価値を感じないのです。

だから、とっとと315円など解約して、番号だけでメールを受信できたらどんなに便利だろう、と思っていたのが一つの理由(SMS一通につき発信者に3.15円かかることになりそうですがそれでも現在の固定費の1/100ですからね) そしてもう一つはですね、メアドは人によってはときどき「変わる」からなのです。うざい人間関係のしがらみの中で、メアドを変えたい理由もわからないでもない。しかし、番号はそのままでメアドが変わる、しかもこのふたつが紐づいているという「ねじれ構造」にあまりエネルギーを使いたくないってのがある。

ガラ携の時代では、MMS(キャリアのメール)は、待ち受け画面にも着信が表示されるので、いったん登録してしまった人とのやりとりでは、これほど使いやすいメールサービスはないことも事実。だけど、いまのようなスマフォの時代では、MMSのアプリの弱点がまるだし、DOCOMOメールはSPモードと名を変えて最悪の使い勝手となっている状況もある・・・(使ったことのある人ならわかると思いますが、専用アプリを使うわりにトップ画面に着信告知がないからメールがきたことに気付かない)

ソフトバンクが立派だったのは、iPhoneローンチの数ヶ月後に、XXX@softbank.ne.jpというMMSメアドを前ユーザーに提供し、しかもiPhone上で、ガラ携と同様のトップの着信通知に対応させたことでしょぅか。これがなかったら、日本ガラパゴス分かのユーザーにとってiPhoneは愚図でノロマなスマート携帯といまだに見なされていたかも知れないと思う。

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クラウドの時代になると、本人認証ってのがいろいろと大事になります。これまでは提供側が「おまえは本当に、この番号の持ち主なのか?」という確認がとれなかった。だからiModeの時代では「公式サイト」という名でキャリアがそれをすべて担ってきました。これからは、「あなたの電話番号さえわかれば、こちらからメッセージ送りますので、そこに届いた暗唱コードを入力してくれればいいですよ」となるわけで、長たらしいメアドをいれる必要もないし、キャリア決済を経由する必要も薄れる。ついでに着信した端末が世界で一つの携帯電話であることも確認できるわけです。携帯メールアドレスなんてのは「インターネットからの送信物はうけとらない」に設定している人がほとんどなわけで連絡先になり得ないんだから。

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ガラパゴスだった日本のユーザーは、スマフォの到来とともにすこしづつ、「携帯で使用するメアドはキャリア依存しないものにしよう」という気にすこしづつなってきてるんじゃないかな。そこに来てのSMSオープン化ですから、情報提供者はこれから「電話番号収集合戦」に入ると思います。相手が携帯ユーザーであることが確実にわかる方法で、かつ連絡先でもあるわけだから。

ま、知らない人に番号を教えることには抵抗がありますし、写真貼付とかデコメ文字のように長く土絵割れてきた日本のユーザー文化ってそう簡単には変えられないものでしょうけど、最期はそういう世界標準に変わってくるものではないのかな、と・・・。

 

(ツイッターをはじめてからブログ文体がかわったとつくづく思う自分がいる・・・)

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久々の更新のテーマとして「SMS」

ひさびさにブログを更新しております。今日は日曜日の早朝で、しかも会社で迎えた朝です。

久々の更新のテーマですけど、今回はSMSについて。

SMSってのは、相手の番号でそのままおくれるメッセージ、いわゆるショートメール、ってやつです。最近このSMSの利便性に目覚めてしまっている、その話しです。

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僕はSIMロックフリーのiPhoneにDocomoのSIMをさしてつかってます。

このDOCOMOのiPhoneでは、

1.SMS

2.iModeメール

3.テザリングWIFI基地局

の機能はひととおりつかえるのです。ただし3については今は違法ということになりますので個人の責任でということになりますが1と2は堂々とドコモショップでサポートを受けることができます。ま、どの店舗でもあまり情報がないようで「他社さんの携帯についてはあまりサポートできないのですが」と消極的ですけれど、(iMode.NETという付加サービスとiPhone用のアプリを利用すれば)すくなくとも最低限のドコモ携帯としては使えることになります。ま、そんなことはいいとして、ドコモのSIMをさしてiPhoneをつかっていると、要するに海外ユーザーが利用している携帯環境を体験することができるわけ。それがおもしろいのです。

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たとえば、iPhoneで動作する海外製のメッセンジャー系アプリ、ちょうどViberのような音声チャット、などは電話番号で紐づけられたサービスです。つまり、起動して最初に自分を登録するIDは「電話番号」です。

つまり本人確認としてPassWordが「携帯メアド」ではなくSMSで届くわけですが、日本人は最初にこの体験をするとびっくりする。「なんでここにとどくの??」と。

僕たち日本人はキャリアを超えてメッセージのやりとりができないという先入観があるから、キャリアを伝えていないのにいきなりSMSメッセージが入ってくるとびっくりするわけ。

このViber0は登録時のみならず利用しておこることがいちいち、ガラ文化にいる僕らには結構おどろきです。自分の電話帳に登録させている人の中でだれかがViber の使用を開始すると、知らされてくるのですが、これは電話番号という一意のデータで、利用者の行動をサーバーが監視しているからです。つまりViberのサーバー上では電話番号をキーとしたソーシャルグラフがどんどんと形成されていることになる。で、誰かがユーザーになったとたん、その関係者には告知がいくしくみ。(たぶん、ですが)

要するに、僕が日本の「携帯ガラパゴス化」を痛感するのは、実はこのSMSという便利な機能の封印なのでありますって話しです。

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日本以外のほとんどの海外では、ちょっとした連絡はこのSMSが主流です。キャリアを超えてのサービスがあたりまえになされている国では、いいかえると、携帯メアドなんてものはまるで不要となります。まあってもいいんだろうけど、わざわざ315円云々の付加料金を払うことがナンセンスとなる。それがあたりまえなっている僕らには想いもよらないだろうけれど・・・。写真貼付などちゃんとしたPush型メールを使いたければ無料のGmailということになる。つまり本人確認とそれにともなう連絡先が「電話番号一つでOK」という文化がここにはある。余談ですがツイッターの「140文字」の文字数制限の源流はこのSMSの文字数制限から来ています。

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この「番号だけでOK」というのは、想像以上に便利です。「XXX@docomo.ne.jp」「XXX@ezweb.ne.jp」「XXX@softbanl.ne.jp」などという長たらしいタイプを携帯キーボードでする必要もないし、ややこしいメアドの交換間違えもない。

で、日本ではどうか、というと、3キャリア間の話しあいで、このSMSをキャリアをこえて使えるようにしましょぅ、という合意はとっくにすまされて発表されているのだけれど、その実行がなぜかずっと保留にされたまま。まおそらくは、iMode類の課金だとか絵文字サービス打とか、その他のサービス料金をすべて失うリスクをさけているのではないかと邪推してますが、ある日このサービスが実行されることになると、携帯メアドが不要になってくる。キャリア替えのリスクもほとんどなくなる・・。

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僕は、あまり遠くない将来、この「携帯メアド」が「SMS」に取って代わられると思っていて、そうなった時に消滅するサービスと新たに出現するサービスがけっこうあって、それらが激しく入れ替わると考えているのであります。

 

つづく

 

 

 

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人類タイマー

カーナビ特有の、親切でいて、でもなんとも無機質な音声ガイドを聞いていて、ふと、こんなドライな語り口調で、「お客様が怒り出すまであと200メートルです」なんてタクシー運転手が予告されたら、どきりとするだろうな、と考えたことがあった。

そんな事を考えていたら「あなたの運命の分岐点まであと500mです。そこを右折、です」とか、「今の一言で、恋人はあなたに愛想を尽かしました。破綻まであと3日と4時間20分、です」とか、そういう未来ナビをテーマにしたゲームをつくれないかな、なんて考えるようになって、「人生タイマー」というタイトルに至った。

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地図というのはすべて人が踏破した場所の記録だ。だから、地図は言い換えると、「常に過去」を表している。だからたとえば未来地図なんていうフレーズ、これは、「黄色いモンシロチョウ」と同じくらい、矛盾した造語なわけで、永遠に手に入ることのない人類の憧憬。未踏の惑星の地図のようなもの。でも、だからこそ人はそういうナビを欲してしまう。より有利で恵まれた人生を歩みたいという、飽くなき人類の強欲さの象徴なんだと思う。

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スタンフォード大学の人類学の教授である別府春海氏が、「Shougai(生涯)」というアプリを教材として制作したのは15年以上前のことだ。それはごく平凡な日本人の少年の人生を分岐選択型ゲームとして描いただけのものであった。主人公はその中で太平洋戦争を体験することになる。アメリカ人の生徒たちは主人公になりかわり焼夷弾が降りそそぐ中を、「右に逃げる」か「左に逃げる」かを選択する分岐に直面する。ちなみにユーザーは、左に逃げると生き延びるし、右に逃げると、死ぬ。

この選択肢にどういう意味があるのか、ゲームクリエータの駆け出しである僕は別府先生に訊ねた。すると「まったく意味はありません。ただ、私はこの時に、たまたま左に逃げた。そして生き延びた。右に逃げた友は、死にました。それくらい、人間の命なんてはかないものだ、ということを、自己合理主義のアメリカ人に教えたかったのです」と氏は答えた。これほど深いゲームの選択肢を、僕は、まだみたことがない。

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現代人は、人の命の重さを何よりも尊いと規定して、その大義をふりかざすことで自然を亡ぼして生きてきた。「人の命100人くらいだったら海洋資源のほうがよほど大事だ」なんてことをいったら袋だたきにされるのが、民主主義の世界だ。

でも、動物たちは、いや、昔にいきた人たちは、きっと、もっと自分の命をはかないものと考えていたに違いない。大きな力の流れの中で、あっという間に失われてしまうもの、そして生物というのはそれを受け入れるしかない、力ない存在。種というのは、自分一人だけが生きることに固執してはならない、全体主義の中の、ごくわずかにな存在・・・

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テリー伊藤氏が、先進国の出生率が低いという話題において、、バラエティー情報番組内ではからずもいった言葉を、いまでも記憶している。「人間、豊かになればなるほど、子どもはつくらなくなる。どんどんと自分が可愛くなっちゃうから」

学校に怒鳴り込んだり、購入商品のことで企業を脅したり、人前で店員を叱りつけたり・・そういうモンスター化した現代人たちの行動は、自分がかわいくてかわいくてしかたがない、というその兆候なのだとしたら、人間が生き残る術は資源枯渇による氷河期を再体験するしかないのかもしれないなぁ・・。そんなことを考えているうちに、「人生タイマー」ならぬ「人類タイマー」を誰かが発明しないとならないぞ、なんて60年代のSF小説家みたいなことを真面目に考えるようになってしまったのであります。

HiromiBirthday0712 082

△人間ってのは、自然が長年かけてつくった秩序を、ただひたすら壊して豊かさを手に入れてきた生き物だと最近とみに思う。