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今回のタワーの、ちょっとした苦労点

いま、最後のマスターアップである。

今回のタワーは、6月29発売予定であるが、ぎりぎりのスケジュールで進んでいるので、ひとつでもなにかあると、発売延期になる。余談を許さないというと聞こえはいいが、6月29日はダビスタの発売日だそうだ。ユーザーはかぶらないだろうが、ずれてもいいんじゃないの?なんて思う僕がいる。

しかし、新会社が最初のタイトルから遅れていたのでは今後よろしくない、という気合のもと、社内は弾丸特急のようにデバッグがすすんでいる。

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TowerDSには、シナリオが4つある。こういうのはシリーズ初である。ちなみにシナリオは

●分譲マンション
●ビジネスホテル
●ショッピングセンター
●複合ビル(本来のタワー)

の4つである。

分譲マンション編は、マンションを分譲するだけで切り抜けないとならない、シンプルなミニマップだ。シンプルだが奥が深い、というバランスになるようチューニングが進んでいる。

ここでは、クリアイベントとして「休日にバスが訪れる」という設定をした。交通手段のないこのマンションも、規模が大きくなると「バス停」がつくられる、だからそれに向かってがんばろう、という笑えるような設定だ。

そしていよいよ条件が整った休日の早朝にバスは訪れる。寝ている住人たちを声で起こして時間内にバスに乗せなければならない・・という操作は、日常的体験からの発想である。バスが出発するまでに住人をたたき起こしてバスにのせられたらGOOD・・・・まるで田舎の村のような話。この企画はずっと以前からやりたかったものだ。SP版でもマイクなしで試みたが、結果ボツになった。DSでマイクがついて実現した。

ビジネスホテル編では、「チェックイン時間と翌朝のチェックアウト時間」のバランスに苦労してほしい、これもミニマップだ。管理者としては宿泊者が去った部屋のベッドメイク時間をなるだけ長く取りたい。だから、なるだけ遅いチェックインと、翌朝早くのやいチェックアウトにしたいことになる・・・・だが、客はどうかとなると、その逆で、なるだけ遅くまで寝ていたい・・・・・この「サービス」と「自己利益」のジレンマを軸とした。
これも出張などでの体験に基づく。

といったように、おなじ文法のようですこし違うミニゲームを新規で作ってDSの冒頭につくってもってきている。
だから、時間がかかってしまっている。ただやみくもに、時間をかけているのではないのさ。

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そうそう、今日は店頭用ビデオの最終納品日だ。

デジトイズという会社は、「自分らしく」がモットーなのでこんなビデオをつくった。
いまから48時間限定のダウンロードだっ。
VIDEOsample.wmvをダウンロード
△ご周知のとおり、禁複製、禁転載がこちらのブログの了解事項となっておりますので、同意いただける方のみとさせていただいております)

最終版はテキストテロップなどが変更になる予定だが、ま、別に秘密なものでもなし、むしろたくさんの人に見てもらったほうが関係者は嬉しいにちがいない・・ということで、アップします。このブログを見に来る人の中に、応援団がすくなくないのでね。
(最終版は近々に公式サイトなどでも見られると思いますが・・・・。)

最後に、ザ・タワーDSは4800円なのだけれど、「税込みで4800円」というのは他とは違う。ROM製造費やなんだかんだを引いたうちから240円ちがうんだから、事業計画上これは大きかったぜ。

エンターテイメントは安くすりゃいいってもんじゃない、とはわかっているんだけど、すこしでも買いやすくしたかった・・・のである。「クリエーターは経営が下手だ」と、また言われるんだろうなぁ・・・・・

応援団の人は、予約してくださいね。
本もがんばって書いてますんで・・・。(←これの苦労も、けっこうしんどい)

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連休が終わりました

楽しみにしていた連休がおわってしまった。
でも最後の今日が、とても気持ちよい日になったので、それだけで満足である。

今日は、部屋の大整理をし、カーテンを付け替え、娘に手伝ってもらいバリカンで頭を高校球児みたいな坊主にまで刈った。 すこし閉塞的だったいままでの自分をすこし入れ替えて、夏モードに向かえるようになればいいな、という思いをこめた。

部屋が整理されると気持ちがいい。風が、あたらしい厚手のコットンのカーテンの匂いとともに部屋に入ってくる。

夕方、いとこの敦士夫婦が突然訪れた。
小学生だったときに敦士の家庭教師をやっていたことがある。いまは四十過ぎの男だが、この敦士iにすら
「兄貴のブログは難しすぎて読めねぇよ」といわれた。

痛いところをつかれた。最近の僕はなにかに取りつかれている。しかも体調不良とストレスが重なってここのところ更新すらしていなかった。

最近の僕はといえば、暇を見つけては、逃げるように車で葉山までいき、将来の別荘候補ばかりを見ていた。ある種の現実逃避なのだろうか? いや、作品を発表前になると、よくこうなるから「癖」かもしれない。そう、「逃避壁」ってやつ・・・・。

僕の夢は「ブラックジャックの家」みたいに、断崖絶壁に建つ木造の家で書き物をすることだ。そんな物件いまどき、なかなか、ない。あったとしてもパカみたいな値段だ。

でもいずれ大儲けをしたら、海沿いの家を買おう。
黒澤さんは富士山がみえる御殿場だったけど、僕は夏に蝉時雨が聞こえる葉山の家がいい。
そこから相模湾を見下ろして、四季を感じながら、書き物をして暮らすんだ・・・・、この日本がどんなにだめな国であったとしても、結局、僕は日本人なのだ・・。

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だから今日は、カンタンな日記を書いてみることにした。たしかに、こういう気持ちのいい日は、難しいことを書く気にはならないし。

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ずっと自宅のトイレ棚に陳列したあった何種類ものZIPPO。今日はその中からひとつ選んで、オイルを入れてみた。陳列したあるZIPPO群は、過去にいろいろな人からもらったものをただならべたものだ。うちひとつは、西健一君からもらったものだけれど、最近元気なのかな?と、思い出した。

そういえば西君を通じて知り合った田中君と、小山君が立て続けに結婚するという連絡を先月にもらった。めでたい話だった。パーティーはどちらも土曜日だったので、出れずじまいだった。田中君は個別にお祝いをさせてもらったけど、小山君は花を送った。でもね、出席しなかった本当の理由はね、僕の人見知りのせいだ。高校の同窓会であっても、当日までなかなか決心がつかない、それが僕だ。

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そんな人見知りな僕には、人からもらったZIPPOというのが思い出としてなかなかいいかもしれない・・・。ひとつひとつ絵柄が違うのがその人の、いやその時の、シンボルみたいになっている。

整理していた部屋からは処分に困るほどの名前入り100円ライターが山ほど出てきたのだけれど、これからしばらくはZIPPOを使ってみることにしよう。

これからもし、誰かからなにかを頂戴することがあるとすれば、ZIPPOがいいなぁ。禁煙ブームの時代ではあるけれど、きもちいい風の入ってくる自分の部屋で一服するタバコは最高だ。これが海沿いの家であれば、もっと、にちがいない・・・。

ここのところの胃潰瘍がこの連休ですこし良くなった気がする。

明日がいい日でありますように。

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「正義の正体」

「ムネオハウス」という言葉は英語であって、いっさい英語を使わないロシア人には無縁の呼称であるし、彼らはそもそも姓で名づけるのが慣習だから、こんな命名など彼らの歴史上ありえない・・・・。

道を踏みはずし身柄を拘束された外務省官僚は、検察の提示する筋書きに反論した。

そうか、たしかにそうだ。じゃ、ムネオハウスなんてそもそも誰が命名したんだ!?

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このたび佐藤優氏の著書をはじめて読んだ。で、このエピソードが脳裏に残ったというわけだ。

ホリエモン事件では、テレビでコメンターが「検察が書いた筋書き」という言葉をよく使っていたが、僕たちは、どうせ裁判所が適切に判断するものだと思い込んでいる。いや、裁判所だけは聖域であってほしい、と願っている。よもや、検察に控訴される判決を出すと裁判官は出世から外れる・・・そんな不文律があるなんて知らないわけだから・・・。

この本にかかれていることがすべて事実かどうかはわからないけれど世の中の反応をみると、どうやら事実くさい。もし日本の正義というのが、司法の中核にいる少数の人間たちの目論見によって作られているとすれば、・・日本という国は、とてもこわい。ナチの秘密警察みたいに、こわい・・。

かつてエジプトにいったときに一番怖かった体験、それは取調室にて入国審査官自らが贈賄めいた取引をちらつかせてきたことだ。犯罪者よりも、病気よりも、官吏が機能していないことほど旅行者に怖いことはない。「頼るべき正義が不在」という恐怖は、日本では感じ得ない感覚だった。

だが昨今の多くの指摘にあるように、日本のファシズムが健在なのかもしれない、私たち平民には見えないだけで・・・・。

裁判員制度は、いずれこの構図に好影響となってくれるのだろうか?

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TowerDSの特典である文庫本について

次に本にまとめようとがんばっていた原稿は、「ゲーム企画講座」的なものである。

だいたいさ、ゲーム制作を志す者に「技術本」みたいなものはあっても、「企画の教本」がない。だから日本はダメダメ、ハリウッドで味をしめたアメリカに抜かれちゃうよ。

しかも専門学校をしっかりと教えている学校がない。企画を学んだという卒業生の青年たちはフローチャートもろくに書けない。プログラム科の学生と比べてただの素人のままの彼らは、授業料をたくさん払わされている分、実に気の毒である。専門学校は、もっとまじめに教師を教えんかいっ!!! 営利主義をいい加減に改善せんかい!!!と腹が立つ。名指しで学校名と欠陥カリキュラムを声に出したいほどである。

ま、しかし企画なんてのは、なかなか体系化できないものであって、かくいう自分も自己流で試行錯誤しながら、17年間苦労してきた。苦労したんだから、と貯めたノウハウみたいなものをまとめようという気にもなる。

前作の、「ハンバーガーを待つ・・・」で「発想のパート」はすこしだけ記したけれど、「じゃ企画やその先は?」という要望も強く、パート2ではどんなふうなまとめようかがここ1-2年の楽しみにしてきたのである。楽しみではあったけれど、しかし、かなりめんどくさい作業であることも事実。

そうやって出来てきた原稿はそれなりにいい本に出来上がりそうで、「いざ!!!」と出版社にお願いすることになるわけであるが、その時期になって、「こんなにかんばって書いたものならばできるだけたくさんの人に読まれたい」と思うようになった。書く側というのはそういうものだ。印税のために書いているわけじゃない。かかっているかねの方が何十倍もかかっている(笑)!!

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ちなみに普通の書籍の発行部数というのは、やや良くて6000部とか7000部程度、すこしがんばると20000部くらい。前作の「ハンバーガーを待つ3分間」は、単行本と文庫を合わせて35000くらい。さすが幻冬舎じゃなければいかなかった数字だろうけど、一方で「せめて自分らのゲーム作品よりも多く出てほしい」とも思うわけである。

自分らのゲームの場合の出荷数はその5倍から10倍越え。しかも今回からメーカーをやるわけで、「だったらいっそゲームに特典として付けてしまえば?」、ということになった

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というわけで、次の著書は、「週末になったらゲームの企画をしよう~お父さんのためのゲームクリエーター講座Vol 1~」という長いタイトル名である。これは、The TowerDSに初回特典としてつけることに決定した。。(AMAZONさん、もっと取り上げてくれよ 笑)

かつて「本」がおまけについてくる製品がいくつかあった。チョコレートからダイモ、ラジカセに至るまで、すべてその欲求に逆らえず買ってきた。そしていまでも大切に持っている。おまけの本というのは、子供の僕にとってそれくらい魅力的だった。

携帯ストラップなんかを作って付けるより、よっぽど手間と時間がかかるし、だいたい魂がこもっている。こういうおおまけはきっと喜ばれるんじゃなかろうか?と思う。しかも作ってて楽しい。なんてったっていま僕らは、この本を「出版」するために印刷屋さんに、文庫本の見積もりを取っているのであるから・・・

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The Tower DSは、新しい会社もろとも新規に作った。自分らの金で発売するわけだから、その分自由がきく。そんなわけでやりかったことをいろいろな実験をしている。新参メーカーであるわけだからすこしでもやすく、と最後の最後に「税込で4800」案をなんとか通した。

そんなこんなでTowerDSもさることながら、初回付録で付く「この本」にもすこし期待してくださっていい。 ちなみに予定としては6月29日発売、である。

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コモンセンス

ジェロ君が日曜夜の定番銀組「おしゃれ関係」に出ていた。ついつい全部みてしまった(笑)

てっきり奇をてらった企画タレントだと思っていたけど、ジェロ君は演歌が本当に好きなんですね・・。感心してしまった。

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「この人、意味わかって歌ってんのかな?」
外国人が日本語を歌うとき、とか、逆に日本人が外国語の歌詞を歌うとき、人は無意識にそう思う。
わかって歌っていれば染み入る歌も、そうでないとなったらまゆつばっぼくきこえるから。
音源は一緒なのに、それによって印象が違うのは不思議である。

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Common Senceという言葉がある。
辞書では「常識」と訳されている。
日本語の「常識」とは「最低限の知識」とか「基本的な礼儀」みたいな意味。
もしかしたらこのCommon Senseはちょっとちがう意味かも・・。ジェロ君の日本語を聞いていて、突然そんな気がしてきた。
Common Senceってのはもっとメンタルな意味ではないだうか?
「この表現を使ったら相手はどう思うか」
・・それを察知するのがCommon Senseの本当の意味ではなかうかと。
こういうことがわかっていないと、知識や礼儀があっても、人間性としてダメという、そういう人格性というか。

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「そういう言い方しなくてもいいだろう! 」
人が不快に思うその手の発言を、文法や辞書で機械的に解析してもらしき原因は出てこないものだ。
「不妊症」というキーワード検索したユーザーに、「養子縁組」というキーワード関連づけて書籍を勧めてしまい、後日謝罪した米国の大手書籍サイトがある。この二つを関連づけることの非礼さは文法や辞書や数式ではわからない。それがCommon Senseの意味ではないだろうか? この手の情報はたしかに教科書としてまとめることは困難だ。学校で教えること、ではないかもしれない。
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「だれもが共通して思うこと(Common Sense)」が明文化できないのは、シチュエーションつまり「話の流れ」だから。この手ののものは人の脳の中にあいまいとあるだけだ。学問のように体系化することなんてできない。
「お笑い」はこれを利用した技だ。そういう発想は人間の脳にしかできない芸当だし、不慣れな外国語で人を笑わせることほど難しいことはないということになる。

ジェロ君はクォーターの日本人で、幼少時代は自室に隠れて演歌を歌っていたという。
日常にも流暢な日本語を話す彼は、自分が発した言葉が相手にどう伝わっているか、確実にわかっている。
それがこの番組で日本中に伝わったと仮にするならば、日本人の彼の唄に対する聞き方が今晩からすこしづつ変わってくるような気がする。

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とりあえずの結論として

ゲーム稼業をはじめて17年、独立してからちょうど15年が経過した。ずいぶんいろいろなことを経験してきた。この週末の地方出張で、ふと我を振り返ってみた。そんな話。

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初めて訪れる地方都市でついぞ観察してしまうこと、それは都市構造の規則性。

あたりまえだが目抜き通りの交差点あたりには大手デパートがどんとある。そこの一角にはかにらず海外の老舗ブランドが看板を出していて、それらが300mくらいの範囲に点在して続く。そり範囲にマクドナルドとスタバが一軒づつある。

そこからさらに観察してゆくと、次の大きな交差点には、GAPがあって、角地のビルはたいていその都市の老舗飲食が看板を出している。そこから次のブロックにかけて携帯電話ショップ、カメラ・電気の量販店、パチンコ屋、喫茶店が軒をならべ、そして裏道にかけては歓楽街が顔を出しはじめる。

いわゆるビジネス街は、この地域とはすこし離れて、たとえば駅の反対側、あるいは川の反対側、どちらもない場合は、3ブロックくらい離れたところ。ここに大手証券や保険会社のビルが並ぶ。

冒頭の大手デパート一階の一番目に付くところにはヴィトンとそしてシャネル、次にフェラガモあたりが顔を並べ、コーチとディオールがすこし奥まったところに。そしてあったりなかったりするレアアイテムがハンティング・ワールド・・・。

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フラクタルという理論があって、雪の結晶から蜂の巣、植物の葉脈まで自然が織り成す世界を数式で再現するけれど、人の営みが積み重なって出来てくるこの手の集落。そこにはなんとなく規則性があるように思うのだが、地方都市を訪れるたびにそれを数式化できないかな、と考えてしまう。個性豊かな人間たちが行きかう市街地地、群集という観点で紐解くと、何か複雑系が織り成す規則性の上に形成されるのではないかな?、と。人間は否定したがるだろうが、実はアリや蜂の行動を複雑にしただけの世界観のようにも思えるのだ。

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シミュレーションゲームの企画屋の仕事というのは、こんなような規則性を見出すことから始まる。煩雑の中からその規則性だけを取り出し、それらを因果関係のループとして再定義する、という流れへと続く。

こうやって言葉にすると同業の人間は「たしかにそんなかんじ」と思ってくれるだろうけど、たたかだかこれだけの結論に至るまでに紆余曲折して10年以上かかった。平然と書いたがいまの自分の仕事のエッセンスだと思っている。

言葉で言うのは簡単だが、この「煩雑の中から規則性を見出して取り出す」というのが実はなかなかの苦労で、しかもセンスを要する仕事だ。人が興味をもってくれるテーマでなくてはならないし、意外性もなくてはならない。シンプルすぎると面白みがないし、複雑すぎると意味不明になってしまう。シミュレーションゲームのおもしろさとはそういうものだ。

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文明とは因果関係の記述である。解決とはその実践であり、未来予測とはその応用展開である。

これが僕が17年、ひたすらシミュレーションゲームを作って得た、唯一の結論のような気がする。

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発見機

「あなたの好きな日本の言葉はなんですか?」というレポーターの質問に、その外国人男性は「私のすきな日本の言葉は・・」とカタコトでいいながら、「新幹線」と漢字で書いたボードをカメラに向けた。ぼーとテレビをみていた僕だが、このリアクションにはずっこけた。

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でも僕も、実は新幹線が大好きである。
といっても新幹線移動の空間が好きという意味。景色が変わるし、適度なゆれが気持ちいいし、なぜかタバコもすえるし(喫煙者)、空いてるし(平日)、電話がかかってこないし、とにかくいろいろとアイデアを思いつく空間である。すきな弁当と本を買ってここに乗り込む瞬間がとてもいい。

この快適空間に乗り込むのに、ちょっとしたイニシエーションがある。
それは当日チケットを購入する自動券売機でなんだけど、手続きがおわると無機質な女性の声で 「発見しています・・・・発見しています・・・・発見しています・・・・・」と繰り返される。この「発見しています・・・・」という声が、僕を暗示にかけてくれるようで、なかなかいい。実は「発券しています」という意味だろうが、盛り上がっている僕には「発見しています」と聞こえるのである。

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実際のところ、乗り物ではいちいち些細な発見が多い。
たとえば、新幹線の座席はすべて同じ方向(前方)を向いていて、何の不思議も感じずに僕はそこに着席していた。
とろこが座席表をみているうちに、へんなことに気づいた・・・・実は新幹線の車両はUターンができない。車両は納入されてからというものずっと同じ向きで往復しているわけだ。

つまり、客席は折り返し駅で作業者が毎回座席の向きを変更していることになる。ということは、全席後ろ向きに設定した新幹線というのも(リクエスト次第では)十分あり得るわけで、景色が前へと流れてゆく空間は、これはこれでけっこう酔うだろうが、その体験はかなりそそられるぞ、と思うわけ。

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実はアメリカで国内線飛行機には、最前列がなぜか「後ろ向き座席」になっているものがある。通常の「前向き座席」では気づくことが少ないが、離陸上昇時の飛行機の機体はかなりの上向きになる。最前列の後ろ向き座席に乗ると、シートベルトに下腹部を支えられる形で、全乗客の顔と、機内全体を高所から見下ろす格好になるわけで、これがかなりの恐怖だ。後楽園の海賊船アトラクションに似ている。

遊園地のアトラクションと旅客機ではどちらが安全なのか、いまの時代よくわからないけれど、この「後ろ向き席つき旅客機」にあたった人はけっこうなスリルを味うことができる。

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と、ま、どうでもいいことなんだけど、新幹線チケットを買うときに「発見しています・・・」と暗示にかけられていると、新幹線に乗ることが、ちょっとしたアトラクションに思えて楽しいのである。

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新参ゲームメーカーの船出

シーマン2のセールスがいまひとつだったのは、発売元のセガのせいでなく、開発者である僕ら、いや、責任者である僕のせいだと思っている。

だから、セガには借りがあるわけで、「じゃ、起死回生の新作をもう一本やらせてください」というのも筋じゃない。セガはどうやら台所がいろいろと大変そうなのだ。

自分らでできることでどうやって借りを返そうか?あれこれ考えて、自分たちでメーカーをすることにした。セガには流通をお願いすることにした。他社流通より条件がいい、というわけではないが、人間のつながりというのはそういうものだ。これならばセガが開発リスクを追う必要はないし、売れるだけ多少なりとも利益還元できる。

デジトイズは、6月29日に「ザ・タワーDS」を皮切りに、インデペンデントのメーカーとしての船出をする。オリジナリティーの高いタイトルを年間4本目標に「発売」を計画している。流通は当面はセガでいこうと考えている。

すべてを自分たちでということは、つまり資金繰り、宣伝、品質精査、製造、パッケージ、販売・販促、なにからなにまで自分たちで手配するということ。これは口でいうよりも大変だけれども、こんなに楽しい時期はない。自分たちののれんを作ってゆくというのは、それくらいやりがいがあるのだ。「メーカーをつくる」という究極のゲームメイキングには業界の真の姿が見えてくる。この「会社のメイキング」という突拍子もないメイキング物語は、週間ファミ通で数回で連載してくれることになりそうだ。

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個人的には、新作の企画もどんどんと浮かんできて、それらは、とてもシンプルだけれど骨太で、それでもそれらをそのまま完成までこぎつけるには、相当な山があるだろう。だが、この感覚というのは自分の未来を自分で舵取りしている感触である。エンジンがフル回転に近づいてきた社員の顔をみるたびに、自分にもアドレナリンがすこしづつ分泌されているのがわかる。

開発責任者の砂塚氏が「プログラマーが何人いても足りない」という。
創業というのはそういうものだ。

転職をかんがえているプログラマーの人、毎日に飽きたというゲーム開発の人、まだまだ小さい、けれどこのあたらしい船をどうか見に来てほしい。そして一緒に参加してほしい。

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実は

前回のブログ表現が意味深だったせいで、知人や読者の方から、連絡を複数もらった。心配した妻が、出先の携帯までメールを送ってきた。ストラスブルグでとったモノクロのキリストの写真が余計な不安を煽ったようだ。

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実は金銭系のちょっとした件が発端となり、年下の友人から絶縁状のようなメールをもらうことになった。

とても残念なのだが、自分が正しいと信じることを伝えたことが原因である。いたしかたないと思っている。伝えたことは正しいと信じているので余計つらい。もし間違っていたら、あやまれるぶん楽だ。相容れない状況に無力感だけが残る。それ以来の数日間、めげてメールを開くことができなかった。

このやるせない思いの中、たのしい思い出がたくさんあるその人物とはまたあえるかもしれないし、もうあえないかもしれない、その思いをこめての個人的なブログメッセージであった。

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自分の信念を曲げてまで優先させる人間関係の輪というものが、人には、やはりあるんだろうか?この年齢になってもなお、自分の過度の性分を、もてあますことがある・・・・。

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さようなら

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とてもとても残念です・・・。

またあう日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

それまで、さようなら。

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僕という人間・・・

自宅マンションのエレベーター室の一面が鏡になっていて、帰宅するといやが上でも自分の顔をまじまじと見てしまう。

最近体におきている急激な変化に気づいているのだけど、それは前頭葉部における白髪の急増だ。 ま、同窓会でたまに会う旧友たちとくらべると変化が少ない方だとたかをくくっていたが、ここ数ヶ月の老化現象は、そのうぬぼれに冷や水をくらわしている。

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「らも」というタイトルの書籍を今日から読みはじめた。故中島らも氏の奥様が書いたらも氏の、というよりご夫婦の自伝本だ。

アル中でヤク中の天才詩人中島らもを面白がってみてたけど、奥様はちゃんとした人だったんですね。いろいろなことが意外だ。しかも文章がうまいな。書店では関係者が書いたタレント本のように見えたけど表紙のモノクロ写真が気に入ったのでつい買った。で読み始めたら没頭してしまった。

そもそも比べること自体が非常におこがましいのだが、照れずに書くならば、中島らも氏とは幼少期の生い立ちがやけに似ているなぁ。それは家庭環境や母親の性格とそのしつけ、受験校や兄が歯科医なありもそうなんだけど、らも氏の本名が裕之(ゆうし)ということ(僕の本名は「裕」)にはすこしびっくりした。

しかし、似ている点が多いわりには、僕はずいぶんと中途半端でちゃちい人生を送っているなぁ・・とか、もっともっと冒険的な人生を夢想していたなぁ・・・(過去形)とか比べてしまう。若き日にいずれ訪れるであろうと期待していた「青春」と、どこかですれ違ってしまったことを痛感しつつ、日中は今晩から何回かBSで再放映が決まっている、例の番組(NHK)のことを考えてた。

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前にも書いたが、例の番組のドラマ部で描かれている少年は、演出家の創作世界の人物であって、僕では、ない。奇妙なエピソードを含めて。

だけれど、どれひとつ「正しいくない」というつもりもなくて、あるすればこのなんとも中途半端な感じ、だろうか?

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ちょうど今日、むかしむかしに勤務していたリクルートという会社の社内報の取材があった。取材中に、これまた中途半端だったサラリーマン時代のことを思い出しながらふと気づいた。この時期の思い出は僕の中で、まるでモラトリアム(死語?)の悶々とした匂いを湛えていて、われながらとてもとても社会人という自意識があった痕跡がないのであるよ。給料もらいながらまるで社会人研修を受けていたような、そんな感覚なのである。

脱サラしてちょうど15年、じゃ、いったい僕はいつ社会人になったんだろう?会社の資金繰り地獄を抜けたときだろうか?

いや、もしかしたらまだモラトリアム(死語??)の途中かもしれないぞ。 冷静に考えるとたしかにその可能性は低くはない。本当に自分がやりたいことは、達成はおろか見つかっているとはいい難いし、それがある気もするが、朦朧と自分の外のどこかにふわふわ遊泳しているだけという気がするし。

すこしづつ自分に迫っている老いの予兆、たとえばエレベーターの中で見る前頭葉の大量な白髪などが、「いまさら冒険なんてやめとけ」と無難な選択肢を訴えているようにも思える。

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僕はちゃちっぽい人間だ。占いをする実印屋にもいわれた。資源を使って出版した本だってたいしたことないし。そういう自分に気づいないかというと逆でむしろそれをもてあますことだってある。ゲーム業界などという未開な分野に身をおいているからそれが露呈していないだけで、音楽界や文芸界や役者の世界に身をおく友人たちと比べられたらひとたまりもない。数億かけたゲームだって、一冊の本に勝てない実情があるわけだし。

法的には結婚できる年齢の娘に、よき父としてこのまま無難に人生を軟着陸させるのが果たしていい人生なのだろうか?それとも、虫取り網を片手にこの年齢から浮遊する物体にもう一波乱突入してゆくのが充実なのだろうか?

「いつまでも女々しいこといってんじゃねえよ!」
せめて勝新太郎みたいなおっさんに、そういって2-3発なぐられてぇな。

しかし実際は誰からも催促されないまま、えらそうなゴールドカードが入った財布とともにちゃちぃ自分の未来は一日づつ硬化している・・・・・。

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No Computer Used !!

高校生の頃、つまり70年代から80年代にかけて流行ったアーチストのひとつにBOSTONというバンドがある。

彼らの二枚目のアルバム"Don't LookBack"のLPジャケットを観音式に開くと、内側にはでかでかとしたフォントで"No Computer Used, No Synthesizer Used"と書いてあった。「コンピューター、シンセサイザーは一切使用していません」という意味。

彼らのもたらした音は当時は斬新で、たとえばオフコースの後期の「愛をとめないで」などにはサウンドにとどまらずメロもそのまんま使われている。それくらいそのサウンドは独特だった。それらをすべてアナログの組み合わせで作り出すには結構な手間があったにちがいない。

武道館での来日ライブでは、どでかいパイプオルガンをステージに設置して演奏していたが、その運搬や設置コストは膨大だろうな、と子供心に感じた記憶がある。たしかリードギターのメンバーがエンジニアだったはずだから、意図的に、確信犯的にアナログで作ることにこだわっていたんだろう。

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こういった「懐かしアーチストもの」は、時おり紙ジャケットでCD再販されるわけで、僕も先日そそくそと購入したわけである。

そんでもって、車のCDプレイヤーで懐かしく聞いていたわけだが、ふと気づく。「コンピューターを一切使用していない」と誇らしげに宣言された音源を、僕らはいまデジタルで聞いているではないか。

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アーチストが、素材屋と違う点は、それが完成した作品である、ということ。それが特殊合成の映像であっても廃品から作られたオブジェであっても、あるいはスナップ写真をコラージュした絵画であっても、作品は作品だ。そこに使用されている素材はあくまで素材にすぎない。

しかし、デジタル技術は、アナログ作品をすべて「素材」にしてしまったのかもしれない。

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ゴジラの泣き声を、音効さんが古釘を抜く音と、錆びた閂から作ったという話は有名だ。アナログの時代は物質を熟知した専門家が、経験を駆使して音源をつくった。ところがデジタル時代のサウンドアーチストは、ProToolsのオペレーション技術に長けていても、「作る」という経験が希薄だ。だから過去の音源にその矛先を向けようとしがちだ。音源はそもそも「存在する」もので、彼らはそれを加工するという意識である。

だからゲームのサウンドアーチストは素材集のCDをたくさんコレクションする。けれど、マイクで音をロクハンするという発想はない。だから作れない理由を「素材集にはいっていないから」とする。「だから君がいるんだろう」という話になる。

僕は、だからいつも作品を作るときのサウンドはkさんというラジオの音効さんに依頼する。彼らはだから、必要に応じてマイクをもってロクハンにいく。そこにはアナログだけが持つ空気感、がある。だから、いい。

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「コンピューターは万能」という誤った意識が先走りしすぎて、「音を創る」という技術を若いクリエーターは失ってしまったのだろうか? 三谷幸喜の「ラヂオの時間」にも描かれているが、音というのは、空気空間をどう切り取るか、に面白みがあるはずなのに・・・。

事実、ビートルズの最新アルバム(?)は、4トラックのテープをジョージ・ハリソンの息子が特権でサンプリングしPCで加工して作ったものだという。そそくさと買って、そして聞いてがっかりした僕は、そういう理由からだと妙に納得したのである。

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記憶と記録と物質

フランスに立つ前のどたばたの理由は、ちょうど確定申告のシーズンだったから。

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3月にくる「確定申告」というのは、要するに前年度の個人決算だ。
会社の決算と異なるのは、経理担当者などがいないということ。つまり、経費台帳などが存在しない。(サラリーマンの場合は、会社が年末に調整してくれているので、原則、申告不要である。)

だから、経費(控除)にどんなものがあったかは、一年間の記憶と記録を辿ることになる。
僕のように、日々すったもんだして生きている人間にとっては、経費履歴なんていちいち残してないし、すべては忘却の彼方にすっとんでしまっている。要するに記憶は曖昧だし記録なんてないということだ。

ところが、出版社からは印税の源泉票とか、病院からは年間医療費の領収書とかが送られてくるわけで、それらのはいった缶をあけると、ありがたいことに、ここに必要な情報が紙という形で残されている。意識からは忘却されていても、これらの紙が物体として僕の記録を留めてくれているわけだ。僕がどれだけ酩酊したとしても、質量保存の法則があるかぎりこれらは存続し続ける。、春の暁の夢のように記憶がふっ飛んでしまう、なんてことはない。

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パソコンで仕事をするようになってから、この手の記録が少なくなった。サーバーにある企画書は日々動的に更新可能で、しかも伝送可能である。その対価として、かつてのようにバインダーに閉じられたエビデンスとして日付とともに保管されるということがなくなった。

サーバーのハードディスクが飛ぶと、だから僕の記録は消滅してしまう。物質はそう簡単には消滅しないけれど、デジタルデータは一瞬だ。

思いで深き光景を捉えた写真も同様だ。幼い頃の娘の写真は形を伴わせないままハードディスクに保管していて、いつしか消滅してしまうのではないか、という恐怖心が時おり自分の中を走ることがある。

P1060001

さてこれは40年以上前の、僕の子供時代の写真。両親が、この一葉の写真を「物体」として残してくれたことに感謝している。紛失することはあっても物体は絶対に「消滅」しない。デジタル世代の申し子である僕は、恥ずかしながらその存続する力に感服したわけである。

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日本橋の三井本館にある金庫。いまではすでに重要文化財に指定され、「建造物」ではなくなったと聞く。(これつまり法律上はオブジェや彫刻の扱いになるらしい) そのおかげで隣の区画に高層タワーが建造可能になったそうだ。博物館になった今もこの金庫だけはいまだにその体をしっかりと留めて活躍していると聞く。(写真は2002年に撮影されたもの)

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ここには、明治時代以前からの三井財閥の権利の記録がすべて物体として保管されている。ここに記録されている膨大な不動産の権利を金額に換算したらいくらになるのだろう。

人類の記憶というのは形がないだけに曖昧だ。だから人は、そこに質量を与えて保管することを発想した。100年以上前に当時の人々が合意した内容がこの金庫の中でいまだに形をもって後世へと主張をし続けているわけだ。その体はポロポロに劣化しながらも・・・。

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確定申告の時期になると、缶から出てきた領収書という紙製の物体が、地球上に生まれたその存在をすべて捧げて僕の記録を体現してくれていると思うと、愛おしく思えてくる。

情報ってなんだろう?
時々そう感じてしまう。

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帰国しました

無事帰国した。
昨日はデジトイズの役員会も無事終了。パブリッシャーとなってゆくための増資も実行。

さあこの四月は、以前ここのブログでもすこし紹介したけれど、航空会社の設立準備に入る、ことになりそうだ。笑

そういえば2日から放映されるNHKの番組の編集を見に行った。
ドラマで描かれた自分の幼少期、本人である僕にいわせると、あくまで演出家による創作の世界、である。他界した母や当時の先生がどういう人だったのか、なんてことばだけでは伝わらないものだ。あるいは自宅がどんなだったか、なんてのも、図面で説明しないかぎり説明できない。少年時代の僕はこんなに可愛らしくないし、僕の部屋は畳じゃない。とにかくゲームと同じで、言葉を尽くして説明しているつもりでも、出来上がりというのはまったく異質に出現するものだ。この番組が「ドキュメンタリー」とカテゴライズされていることがやけに気にかかるし、このまま放送されるということにかなり不安を感じるのだが、監督をはじめとするスタッフの熱意がすごくて「こうしたほうがいいんじゃないか?」とは言い出せず。

制作プロダクションによると6月には地上波で放映というから、親族には電話して説明しておかなきゃ。でないといろいろいわれそうだから・・・。

僕は僕自身についてあまり興味がないが、自分とはあきらかに違う「自分」がマスに乗ることには、それなりの抵抗感を覚えるなぁ。なにせ僕は公人ではない。

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エイプリールフールが近いですが・・・

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日本人にとって四月といえば、花見や進学、はたまた昇格の季節でしょうか?しかし毎年この季節を楽しみにしている私にとって四月とは、1年間溜まったストレス発散の季節なのです。インターネットのおかげで、私はこれまでいままでずいぶんとオオウソをついてきました。

さあ今年はどこでやりましょうか・・・。すごくたのしみです。(ストラスブルグより///写真は昨日パリ市内)

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旅先ねころびインターット

軽さ優先のため旅先に持ってきたのはタブレットいっこ。行く先々で検索するにはちょうどいいがブログは面倒くさい。

だけれど前回なんとなく反省しとりあえず更新してみようと思い立つ。

で今回はタブレットペンで自分のイラストでもかいてみようと思いつきで描いてみた。

ベッドで寝転がりながらネットをみる感じこんなである。

今回はとりあえずやけに文字の少ない更新なのである。

ちなみにこれから目指す行き先はアルザス地方である。

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「できない言い訳」は無限にある

ここのところ、更新が遅れている。
理由を探せばいろいろあって、たとえば「多忙だ」というのがその主たる、そして鉄壁の理由だったりする。でも本音を言えば、実のところ、「何を書きゃいいんだ!?」という自己ジレンマが定期的に襲ってきているだけかも。素直にその理由をいえばきっと誰でも納得してくれるものも、あれこれと防衛本能が働くから、いつしかインチキくさい言い訳になる。

ジレンマっていうか、要するに日々をいちいち書いたら、そりゃ面白いだろうけど守秘義務契約違反だからね。多大な賠償請求をされてしまう・・・・。なんてのもやっぱり言い訳だわ。そう、どんな仕事でも、「きちんとできない理由」なんてさ、見つけようとすれば100も200も見つかるものだ。でもいちばん納得してもらえるのは「書きたくないんです」みたいな言葉である。

明日、仕事にいけない理由。今日締め切りの仕事を納められない理由。すべては、なんとでも理由付けができるものだ。それをあげればあげるほど、どんどんと自分は嘘つきになるし、たぶん人も気付く。

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そういう状況に対して「だめじゃないか」と叱ってくれるのはとてもいい職場、言い換えるととても甘い職場だったりする。サラリーという報酬をなんだかんだ払ってくれるからね。その代償として「叱られる」わけで本当の第一線の現場では「はい、わかりました」とだけ事務的に伝えられるだけ。そのかわり報酬はびた一文も入らない。次の仕事もこない。それだけのことだ。理由なんて関係ない。交通違反がそうであるように、ただひたすら「結果」だけ。

だから逆に、そういう緊張感をわきまえたプロと仕事をするととても気持ちがいい。仕事をしていて自分が育つのがわかる。でもそういうプロの人を事前に見極める、それが難しい。第一線の人であれば、その人の仕事履歴をみればすぐにわかる・・・。といいたいけれど、ゲーム業界ってのは、一人ひとりの成果物が曖昧なぶん、本当のところの仕事ぶりがはっかりわからないのである。

そういうときは、ブログを見ることにしている。むらっけがある人、かなり手を抜く人、異常にこだわる人、独りよがりな人、日々規則正しい人・・・・。ブログってのは、本当にその人の仕事ぶりがでるものだからね。

そういう思いで、自分のブログを俯瞰してみる。たしかに見事に出ているではないか、僕の性格が・・・。

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実はあと数時間後には、僕は成田で出国審査を受けているだろう。そう、ここしばらく海外逃亡に出るのである。行き先は寒くてへんぴな場所だから、ブログ更新も不可能だと思うのであしからずご了承いただきたい・・・・・いや、これももしかしたら僕特有の言い訳に違いない。世界中どんなところでもネット接続なんて、できるはずなのだから・・・。要するに、プロ意識がないのである。たとえそれが個人のブログであってもね。きちんとやり通そう、という意識。だから僕はB級のブロガーだ。そして・・・たぶん、本業においても、まだまだB級だ。

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HasselBlad 503CWD(デジタル)についてすこしくわしく個人の印象など

今回は前回から気分をかえて、ハッセルブラッド503CWDについて、すこしだけくわしく、という話。

さて、この503CWDというのは、ハッセルブラッド博士生誕100年を記念して500台限定で製造されたモデルである。すでにこの手の情報に興味をお持ちの方はご存知のとおり、デジタルバックというCCD部を既存のハッセルのフィルムマガジンに取り付けて使用するデジタルカメラで、画素は4000*4000で1600万画素。これまでのデジタルの宿命的なハンディキャップと同様、本来のハッセルの6cm四方よりも一回り小さい画像サイズとなっている。1.5倍ほどレンズ焦点がズームされた程度と考えていい。

さてその内容に触れる前に、このモデルの存在についてすこし触れておこう。ハッセルほどのブランドの限定品ならば、僕たちの常識では即完売するとか、プレミアがついて売られているという推測が大きく働きがちだ。しかしこのモデルはさにあらず。目下のところ値崩れこそしていないようだが、依然として市中に在庫をちらほらと見受けることができる。ただし市中といっても国内で見かけることはほとんどまれで、eBayなどの海外オークションであるが・・。

僕がみかけたプレミアものは、200/500というシリアルのように、ちょっとレア性を伴うものだけだが、それでも売れている様子ではなかった。
購入価格は11000ドル超えだったけど、入国の際に相当の課税がされるのがポイントである。日本での正規価格がたしか200万円越えだからそれと比べればはるかに安いけれど。

ちなみにいまはドルが記録的に安い時期だから、昨年より10%前後安いということになるわけで、もしかしたら買い時かもしれない。ただし、RollieflexやSinarが6*6のフルサイズを発表しているので、それとの比較ということになるだろうけれど。スペックだけでいうならば、明らかに後者の製品群に軍配が上がるような気がするが・・・。なんてったって、Hy6は6*6のフルサイズだそうだからね。くわしい性能はわからないけれど。

ま、それはそれとして、どうして僕がこんな変わった(!?)カメラを入手したかという話であるが、僕はとある雑誌のポートレート写真をみてしまってからというもの、ずっと中判に心を奪われてしまったからだ。しわや毛穴までが顔に刻み込まれたウィリアム・バロウズの写真なんだけど、つまり大きな正方形CCDで人間のモノクロ・ポートレートをばっちりしとってみたいという欲望である。銀塩となると、せっかちな性格の僕には無理なことはわかっているから、デジタルを探していたのである。

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ちなみにその心をうぱった写真はMAMIYAで撮られたものだけれど、マミアのデジタルもなかなかの値段であるし、デザインがSF的である。僕はどうしてもクラシックなスタイルに憧れてしまって(つまり形から入る人間である)、つまるところHasselかRollie、という結論に行き着いてしまった。で、デジタルモデルが発売されていたのがHasselというのが選択理由である。

いうまでもなく、もっと画素数の高い上位機種がHasselBladには発売されていたのだけれど、こちらもデザインはクラシカルとはほどとおい流線型だし、価格は300万円も400万円もするわけで、触手はこの旧来のデザインをした503CWDに絞られていったというわけである・・。

で、オークションで見つけた一台を知人に背中を押してもらい、えいやで購入したのがこれ。歴代の僕の買い物の中でも最大の散財系アイテムとなったことはいうまでもない。

ちなみに映画「東京タワー」の中で、オダギリジョー演じる僕がつかっているのもこのシリーズだったので(設定当時のモデルだからデジタルであるわけはありませんよ)、そのシーンを見たときはすこしうれしかった・・・。ま、ハッセルブラッドという風情のあるカメラ文化そのものに対するノスタルジー的な意味しかない話でありますが。

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さて、上の写真は、このデジタルバック部分の液晶面である。(液晶部の形が変わっているので、保護シートは購入時のままのものをつけて使っているのでご容赦ください)
このデジタルバックは、いうまでもなくカメラ本体と同期しているものではない。だから、本体のオペレーションとはまったく別に、左上の電源をいれるところからすべてははじまる。

ハッセル本体は、ピントも絞りもシャッタースピード調整もシャッターチャージもすべて手動であるから、デジタル部はその動作情報をなにも感知してはいない。ただ歯車が機械的にシャッターが開閉したことだけを伝達し、デジタルバックはそのそれを信号としてセンサー部に伝達する仕組みである(おそらく)。

ファイルフォーマットはRAWのオリジナル版のみがサポートされており、jpegなどの圧縮ファイルの対応はない。したがって画像サイズも選択の余地はなく、したがって2GBのFlashカードで最大80-90枚程度のファイルが保管できる程度となる。

このRAWのオリジナル版とはなにか、ということになるが、くわしい情報はメーカーサイトなどでしらべていただくとして、使っていて一番大きい特徴は、撮影した写真に○△×のいずれかの情報を付記できることである。この操作は撮影直後、ないしは本機でブラウズ時にユーザーが下の写真の信号機みたいなボタンで指定できる。

何のためにこの情報があるかというと、本機上で、不要な写真をまとめて消去したり、あるいはパソコンに読み込む際も同様に指定して読み込むことができるというだけのものである。この情報のおかげで、通常のRAWとはデータフォーマットが異なるわけで、一般的なRAW対応ソフトをデータ読み込み時に使用することはできない。同梱されてくるFlexColorというソフトでのみパソコンで画像を表示することができるわけだ。

なお、+/-(プラスマイナス)のボタンは、レビュー時の拡大縮小である。ただし問題は、このレビューの品質である。さわゆる画素の粗いサムネール表示がこの小さな液晶にされるわけだからピント状況がはっきりと確認できないだけでなく、FlexColorというソフトにおいても同様だから、作品がどれもこれもがピンがあってないように錯覚させてしまうのである。これが使用していての最大の不満といえる。

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デジタルバック部分はワンタッチで着脱可能で、下の写真のようにボタンをスライドすることでデリケートなCCD面がおもむろに露出する設計になっている。

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このハッセルブラッド本体には、この限定モデルに限り503CWDと表記が成されているが、一般的な銀塩対応の503CWとまったくおなじ構造のものである。同様に、デジタルバック部も単体販売されているものと同様で、表記だけが異なる。

逆にありがたいのは、バッテリーである。デジタルバックの底部にスライド装着されるバッテリーはソニーがごく普通に市販しているリチウムイオンのLサイズパックで、販売ルートがごく限られている日本のユーザーでも追加購入が容易に行えるのがありがたい。

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CCDを含めてこのデジタルバック部の製造元情報などについては、パッケージ内には正式にうたわれていないのでここではそれ以上の情報については触れないでおく。

使用感としては、どうも赤味が強いような気がすることと(RAWなのだからあとでどうにでもなるとはいうものの)、それからコントラストが低いように感じることが多い。

明るいレンズがあまりないハッセルと、ラティテュードの低いデジタルという組み合わせはライカM8やR-D1と比較してどうもぴんとくる感じがしないので、さんさくと写真をとりたい人にはあまり手ごたえが少ないのかもしれない。

だけれど、首からぶら下げているこの筐体の存在感は強烈で、よもやデジタルとは思えないクラシックなデザイン(!)は、対象となる人の表情から緊張感をとりのぞく癒し効果においては秀逸のように思う。

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がん細胞

思わず目を背けたくなるこの言葉・・・。

自分の家族の体からこの「がん細胞」が発見された、となった時、みなさんはどう自分と向き合うだろう

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数週間前にすでに切除はすんでいた。
その検体からこの細胞が発見され、その結果が今日の午前中に知らされた。
「もう残っていないはずだ」という医師の言葉とともに・・。

京都からの新幹線の中で本人からそのメールを受け取り、そして思わず、自問自答する。
「家族としてこれは、闘いの「おわり」なのだろうか?それとも「はじまり」なのだろうか?」と。

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人というのは、人生の経過とともにいろいろな体験をするものだ。
そのベクトルは年齢とともに微妙に、しかし確実に変わってくる。
そして僕の人生に、またあたらしい経験がひとつ加わろうとしている。
どうやら人生の後半というのは、あまり加わってほしくないページが待ち受けていて、「なんとなく」それはわかっているのだけれど、やはり訪れてほしくないものに目を向けざるを得なくなってくる。

「ジョーブラックによろしく」という映画を思い出した。
ブラピが演じる「ジョー」の正体は、「死」。(日本語では死神と訳されていたが)

彼がある日、人間の肉体を借りて、アンソニー・ホプキンス演ずる初老の紳士を訪れ「あと数日でおまえをつれてゆく」と告知をする。
そしてしばらくの猶予期間を人間社会で過ごすうち、美しいその娘に恋をし、恋を知らない「死」(=ブラッド・ピット)は彼女を一緒に自分の世界へと連れ去ろうとする。それを聞いて「私だけにしてくれ」と激怒する父・・・

死というのは、やがて訪れることが誰しもわかっている、最大の未知。
最愛の人々、そして見慣れたこの社会とのお別れ。
知っているくせに、若いうちは決して訪れないと過信している、人生第三の大イベント。

アップルのスティーブ・ジョブスは、すい臓がんだったことをスタンフォードの卒業式スピーチでカミングアウトした。
「そう告知された瞬間から、日々なにをすべきか、明確に見えてくる」
それが学生たちへのはなむけの言葉だった。

死というのは、もしかしたら、自分が生きている意味を、再度確かめるためにある最大にして最後のイベントなのかもしれない。・・・それが本人であっても、周囲の知人家族であったとしても。

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企画会議はタブレットPCでいこう

なんどもこのBLOGで取り上げてきたタブレットPCの威力ではあるが、ここのところ、新生デジトイズ社内の会議室でさらにそのパワーを増しているので、今日はすこし僕の活用術などを書こうと思う。

***************会議のライブ感

そもそもタブレットPCは絶滅の危機にあって、とくにピュアタブレットはほとんどといっていいほど市中にはない。いいかえるとかなりレアな存在であって、手元にある(将来のバックアップを含めて)3台あるNEC製のVersaProVY11F/GL-Rは、僕にとって、いや僕たちにとって貴重品ともいえる存在となっている。

そもそもタブレットPCはいわゆる"パソコン"として捉えてはその価値を誤認する。パソコンとしてではなく、すべてのデジタル装置類とフル互換性のあるドキュメントマシンとして捉えると本来の価値が正しく評価できるように思う。

厚さ1cmたらずの、まるでモノリスのような形状をしたこのマシンは、会議テーブルではプロジェクターに接続されその画面をそのまま大スクリーンに投影することで、最初の威力を発揮するのが特徴だ。

そもそもプレゼンテーションというのは、資料配布するための場ではなく、理解を促すことが最優先だ。わざわざ人を集めた場で一番大切なもの、それは「ライブ感」だと思う。

この「ライブ感」を忘れてしまう会議が大手他社には多く、それらは儀式などと呼ばれているけれど、じゃ何のための会議かというと書類を配布する儀式であったりする。大スクリーンに投影された画面に、せりふとともにペンですらすらと描いて説明することは、プロセスを共有するためにとても有効だと思っている。ここでいうライブ感というのは、ソフト的にいうと、変化する画面、だ。PowerPointのように固定化されたものではなく、質疑に応じて「変化」するドキュメント。

会議の途中ないしはあとでそのドキュメントを配布したいとなったら、タブレットPCから(無線LAN経由で)プリントアウトして手渡せばいいし、メール添付でそのまま配信してもいい。これが第二番目の威力である。そもそもドキュメントなんてものは共通体験の結果として配布されればいいものだ。大事なことはとにかく参加者の「視線」「意識」を一点に釘付けにすること。これをプレゼンターは忘れてはならない。各自がばらばらに下を向いて書類を見ているようでは、参加者の脳細胞は互いにシンクロしないのだから。

***************タブレットに向かう姿勢

タブレットの第三の威力は、会議室から出て、一人になったときでの肉体の開放感、つまり寝転んで使えることである。ソファーに寝転んで通常のPCを操作することはできないが、タブレットは快適だ。なにせただペンでだらだらと書いていればいいのだから。

この姿勢というのはけっこう大きくて、たとえるならばWiiとNintendoDSの違いがある。機械に姿勢を合わせるか、自分の姿勢にあわせるか、の違いである。姿勢が人間の精神に与える影響は大きい。僕のようにだらけた姿勢でメモを繰りたい人間にとってタブレットは、紙製のノートの次に優れたメディアである。ただ紙は、明るく光らない。液晶は光ってくれるからこれがなかなかよいのである。とくにベッドサイドではね。

***************好みの質感

そうなってくるとこの「ペン」の感触が、すこしばかり重要になってくる。太さ、質感、グリップの感じ、芯と画面の摩擦感、どれもが人と道具の「相性」に影響してくる。

下はNECの当該マシンに付属しているペンである。実はこのペン、あらためて使ってみるとさほど悪くない。人さじ指についた2wayボタンは、対象物への右クリックと、そして消しゴムなどの機能を持っている。

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だが、僕のように手の大きい人間にとっていちぱんしっくりとくる名作は、なんといってもHPマシンに付属している下のモデルである。

***************HP製品付属のタブレットペンの名機

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このペンの握り心地は、重量感がかもし出すペン独特の安心感とそして安定感となっている。ワンボタンである分、消しゴム部は、ペンのトップ部分が感圧で対応している。P1070033
だから、手描きの絵を消すとき、ペンを逆さに持ち替えて画面をゴシゴシとこすることになる。カフェではお客たちがその様をものめずらしそうに眺めることが多い。ここに紹介しているものはすべて3年前の製品なのであるから、いかにこのタブレットの認知が低いかをあらためていつも思い知る。

僕はこのペンを秋葉の専門店で単品購入した。この店はパーツ部品としてこの名品を販売していたようだが、すでに製造中止となったせいでもう入手できない。バックアップで数本を購入した僕も、紛失および故障の経緯とあいまってここにあるのが最後の一本となった。いまでは屋外には持ち出さず自宅専用となっている。   

そのかわりに多用しているのが、下のクロス製のペンである。これはいわゆるボールペンのクロスブランドをライセンスしてWACOMが製造しているものだが、こちらもペントップが消しゴム仕様となっている。

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***************画面の傷と保護

これら消しゴムの機能を駆使していると、液晶画面(プラスチックの透明カバー)にこのプラスチック製の消しゴムトップ部との摩擦で細かな傷がついてしまう。これが、タブレットPCへの最大の劣化特性である。プラスチック同士の摩擦で作られる細かな傷はまるで曇りのように透明カバーを白色劣化させ、美観的にもクリアさにおいても問題となる。なので二台目から僕は、この液晶に保護フィルムを貼って使用している。このフィルムのおかげで、操作の安心感はきわめて高くなる。

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***************芯

芯は交換可能であるので、いくつかの素材を試して一番手になじむものを使うとよい。僕は、フェルト素材のものを多用するんだけれど、それはこの素材がかもし出す快い摩擦感が好きだから。本来はPainterなど向けにデザイナー用につくられたものだろうが、図を描くときにとてもよいのである。これらはアマゾンでも購入可能。

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***************アプリケーション

もっとも便利に使っているのは、マイクロソフトがWindows XP tablet editionに付属させているWindows Journalで、ま、これは手描きのノートパッドである。それからMindManagerの新バージョンは、手描きの文字をワンボタンでテキストに変換してくれる。(手描き文字のオブジェクトが一行なので認識率が高い)

ま、オタクでマニアな照会文になってしまったけれど、この便利なドキュメントマシンは、企画者のために有効であって、ざくざくと対象物を荒削りに切り出して見せるためのものである。

それらを精査してまとめてゆく工程にまでキーボードレスを駆使することはお勧めではない。また重さや形状の違いから、一台二役を求めてキーボードつきタブレットを使うこともあまりお勧めできない。ピュアタブレットは断じてパソコンの代替品ではないのだから。

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今週はこんな本・ソフト買いました