斉藤由多加 (Yoot Saito)
さいとうゆたか
 

東京生まれ。ゲームクリエーター/株式会社ビバリウム。ゲーム作品の代表作は「シーマン~禁断のペット」「大玉」「ザ・タワー」など。ゲーム作品の受賞歴としては、文化庁メディア芸術祭で特別賞、米国ソフトウェア出版協会でCodies賞、Game Developers' Awardsなど。 TheTowerDS が08年6月26日に発売予定 
 使用カメラ/ライカM8 愛用レンズNoktilux 50mm F1.2など

株式会社ビバリウムのサイトはすこしリニュアルしてwww.vivarium.jpに移動しました。
フォトアルバム

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へこんでなんぼでしょ

ここ数日、いろいろと精神的なナパーム弾を受け止めてしまい、へこんでます。
昨日は、なんともいえない感情の不安定なゆらぎをしらふのまま持ち帰り、自宅で自分と向かい合いながら一晩をしのぎました。今日は、それとはまったくの別件で、やはり自分のプライドがぽきりと折れた音がきこえた。

ま、こういう時は、深夜、自室で仕事にうちこんで、翌晩もうちこんで、その翌晩もそれでまたうちこむしかない。それしか、回復する方法はないんだな。

こういう時には、「もう誰かのために何かなんてしてやるものか。ばかばかしい」と思うのだけれど、でもそれを助けてくれるのは別の「誰か」だったりするわけで、そのたいていは、毎日懸命に努力してくれている4階(開発スタッフのいるところ)のスタッフたちです。

生きている実感ってさ、自分が必要とされている実感なんですよ。それを仕事は感じさせてくれる。仕事中毒の人ってさ、恋愛中毒の人とおなじで、必要とされている実感をあじわっていたいということなんだと思うのです。それだけに、(仕事でも恋愛でも定年退職でも)自分が必要ない、といわれた時の挫折感は、ストレート直球の「必要とされる実感」でしか補えないんだよね。

4階のみんな、がんばろうね。
人生、何歳になっても、へこたれでなんぼ、へこんでなんぼ、でしょ。

P.S

飯田和敏さん、みんなへこたれながら生きてんだからさ、あなたも図太くがんばってくれ。

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iPadにすこしがっかりしたのですけど・・

タイトルどおり、ま、要するにiPadにはすこしがっかりです。乱暴な言い方をすると、iPhoneのサイズがかわった、という話と理解しているもので。でもこういう書き方だと、すごく「モノフェチをきどった嫌なヤツ」に思われるでしょうね。なもんですから、すこし、その結論に至るまでの細かな経緯を書きました。

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サイズが変わる、と一言でいっても、技術的な観点でいえば、気の遠くなるようなハードルを越えないとならないわけです。ですから、それなりの決断プロセスを経て、そしてそれなりの理由があって、アッブルはその未来をこの「大きなiPhone」という新機種にかけたのでしょう。

CESなどここ数週間の各社の発表をみていてひとつだけわかること、それは「電子出版の大きな波が来ている」ということ。書籍がCDと同じような案名をたどることになるのかな・・なんて感じている出版業界の人も最近は多いようですし。この世からなくなりゃしないけど、きびしい時代になるんだろうな、などとね。

Amazonのキンドル用タイトルのアマゾンのマージン率が70%と聞いたけど、これじゃ出版社がそうそうカンタンに電子出版に移行できるわけもなく、しかし一方ででも著者からすると、原稿データがあればそれまでの三倍の30%という印税で「自費出版」が可能になるわけで、要するに「仲介業者が不要になってきている」という現象はますます加速している。その「仲介業者」のパートを、いま各社は奪い合っていると理解すると、いまの勢力図はおもしろい。彼らがこれから狙っているのは「流通業」をするための準備です。ハードを売って、ソフトを売る、のではなく、「直販ビジネスの会員獲得のための購入機器をつくっている」とみることができます。
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実は、なんどかこのブログで書こうとしていたことなのですが、タブレットモデルは結局は今回のようなものになるのではないか、と思ってました。その理由は、マックをタブレット用にバージョンアッブしてゆくコスト負担(=ユーザーが負担する負担=価格)を考えると、けっこうな額になることが予想されるわけです。いま最も薄いAirMacに、同サイズで高性能の液晶タッチセンサーと、手文字認識など各種認識ソフトの類の整備、各サードパーティーへのアプリ対応、ハード麺ではそれらに伴うメリー増強とCPU速度の向上、など必要な手間をすべてコストとして入れてゆくと、価格はおそらく25万円を軽く越えてしまう。MacOSという広範囲なシステムに手を入れる膨大な負担がかかるわりには、たいした革新性がアピールできないものになります。Windowsのタブレットエディション(僕はNECのVersaProをすごく愛用していましたが)程度のインパクトでおわってしまう可能性がある、というものになります。つまり「うすく、軽くなったけど、何に使うのかははっきりしない」という製品。キンドルが出て来てオンライン出版の波が来ている中、アップルは、この程度のものでは対抗勢力にはなれない、となる。
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それでも、僕はただのユーザーですから、新マックのタブレット版が欲しかったわけでして、「かっかり」してしまったわけです。そして今回の発表でわかった こと、それは、「僕などが欲しいと思っているものを作っているほどアップルをとりまくビジネス勢力図はノスタルジックではない」ということ。


整理すると、アップルがもしMacをタプレット化したとしても、それは製品が一ライン増えるだけの話に留まってしまうわけで、かといって僕たちいちぶのファンが期待するようなMacとiPhone/iPodラインの間をうめる新製品をいまつくるとなると、当然あたらしいOSというこになりますから、そんなことに資源を費やしていたのではこれではその間にキンドルをはじめ他社製品に水をあけらけてしまう。回収のめどなど立つころには時代は変わっている、その答えが今回のiPad、と見てます。もっと具体的にいうと、「おまえらの欲しがるようなマニアックな製品をつくっているヒマはねぇんだよ」という、つよい口調のメッセージが今回のiPad。

アッブルがOUT of BOX(ユーザーがマックを購入し使用しはじめてからの課金モデル)を強く模索し始めたのは1999年くらいではないでしょうか。当時のアップルジャパンの社長が、「本社からこういう方向性が来ているのだが、ゲームで課金する方法はないかな」と相談されたので強く記憶しています。それ以来まっすぐに突き進んで来たiTunesのモデルが他社に奪われてしまうことは、「ビジネスモデル」で勝負してきたアップルがハードメーカーに戻ってしまう危険がある、ということでしょう。この時期、激戦区に身を置くアップルが新モデルをリリースするということは、弱点をつくることにほかならないわけで、そんなことよりもより覇権を強固にする「課金マシーン」としての新機種を出すことしかないわけで、おのずと、こういう結果になるだろうとなるわけ。
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キンドル系の対抗馬とししてのタブレットとは別に、マックのシリーズとしてのタブレットは、市場へのインパクトが小さいけれど、ニーズはあると思っています。しかし、ジョブスという人は、似たようなもの(タブレットマシン)を複数のライン上に置くような中途半端な真似はしないでしょう。タブレットという操作法(=文法)をユーザーやベンダーに教育するコストは膨大です。日本のメーカーであればぜったいにあると思われるタブレットMacは、以上のような経緯から、これからもない、と思います。それがわかったから、「がっかり」なのです。つまり僕たちが求めるタブレットは、iPadがそこに到達するまで待たなければならない、という点で。

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RHAPSODY NAKED by RC Succsession

「発想の転換」なんてのは、ことば遊びみたいなものだと思っています。これはどういうことかというと、僕らの印象とか発想なんてのは、要するに「ことば」に縛られすぎているってこと。これはその証だと思います。
最近購入したRCの「ラブソディー"NAKED"」なるライブ盤を聞いて、そして興味深いライナーノーツを読んでてそう思ったという話。

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1980年代、ま、いわばレコードの全盛期みたいなもんですけど、アーチストが新作をライブ盤で発表するのはタブー視されていたわけ。ライブ盤ってのは音質や演奏品質が低く、ま、ひとつのファンサービスの企画モノ。正式な新曲をリリースするならスタジオレコーディング盤でなきゃ、というのは誰しもが同感していた。
当時、ライブでは爆発的なエネルギーを持つ新生RCサクセション。ブレイク寸前の予感は誰しも感じているものの、スタジオレコーディングしてもどうもいまひとつ。ライブ盤で出してはどうか?という話の前に、かならず、この「ライブ盤では新作は売れない」ということばが立ちはだかったという。

で、メンバー一同議論の挙げ句、「会場をスタジオに見立ててレコーディングしよう」ということになったというはなしです。観客を同席させた公開レコーディング・・。当時のディレクターが書いた名ライナーノーツを読んでて、すごいことを言い出したんだなと思った。だからジャケットにはライブという文字は一言も書かれずに発売されたそうな。たしかに、初めて聞いた時に「あれ?ライブ?」と思ったことを鮮明に思い出した。
ちなみに虎ノ門にあった久保講堂という小箱がその会場に選ばれたのは「急遽やることになった」からなそうな。笑 勢いがある時は、こういう「ありえない決断」をしてしまう力があって、やけにかっこいい。

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ちなみにこのライナーノーツは、CDジャケサイズでわずか5ページのものだけど、"鳥肌が立つほど"、それはまるで、えん罪の再審裁判で明かされる真証言ほど、の衝撃がある。ちょっとおおげさだけど。

ですので、かつて高校生の時に、童貞のの僕が胸を振るわせたRCの名盤「ラプソディー」は、実はライブ盤ではなかったわけで、その証拠に、コーラスやらボーカルやら演奏の一部は、録り直されていた、という事実もそこに書かれていた・・。

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そしてこの「ラプソディーNaked」は、当時の音源をそのまま、編集なしでリリースされた2枚組というわけ。1980年といえば、いまからちょうど30年前。終戦から数えて大阪万博の年が25年だから、30年といえばそれよりさらに長い・・ずいぶんとオレも生きてんだな・・。

このCDをかけながら、妻と調布や小金井方面へドライブにいったのであります。(RCといえば甲州街道ですからね) でもこれはドライブというよりタイムマシンに乗りにいった感覚とでもいいましょうか。
もう何百回も聞いた「ラブソディー」が、オープニングMCから曲順、音質にいたるまで、そして金子マリがゲスト出演していたという事実まで、オレが30年間知っているものとはぜんぜん違うライブじゃんか!!

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好きな食べ物は?

アンケートなどで、「いちばん好きな食べ物は?」と聞かれても、いつもこたえに戸惑う自分がいます。
いちばんすきって、どういう意味だろう?
毎日のように食べているもの?
それとも、滅多に口にすることができない高価なもの?

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深夜に自宅で仕事をしていて、ジャンクフードがとてつもなく食べたくなることがあって、それは吉野家の牛丼だったり、サイゼリアのリブステーキ/ディアボラ風(←これ裏メニュー)だったり、インスタントのサッポロ一番塩らーめんだったり、桂花ラーメンの太肉麺だったり、金額にしたら、どれもたいしたもんじゃない。しかもそうしょっちゅう口にしたいと思わないものばかりですけど、どういうわけかそういうものほど突発的にたべたくなる。要するに禁断症状みたいなもんで、海外駐在員の人にいわせると、かなり強烈な中毒的衝動として体をよぎるそうです。某海外駐在員にいたっては桂花の太肉麺を「10万円だしてもいいからたべたい」と生唾を飲んで豪語してました。

桂花ラーメンの太肉麺は、高校生からですので、かれこれ30年以上、月一くらいの間隔禁断症状がおきる。渋谷センター街で950円で食べられるただのラーメンですが、国際線ファーストクラスの食事よりも10倍美味いと思ってます。

会食やら接待やら出張やらで、年齢とともに国内外の有名店を知り、いわゆる高級なモノを口にする機会をたくさん経験したのだけれど、最近思うことは、「食べ物の美味さと値段は比例しない」ということ。キャビアとかフォアグラみたいなピンの高級食材はすこし別格ですけれどね。それらを組み合わせた料理ってのは魔法のようなものだと思う。
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こんなことばかり書くと、子ども時代からハンバーグとカレーライスを愛してやまない味音痴みたいに思われるのかもしれないけれど、じゃ、地球が滅亡前日の食事には、ふぐコース料理とカレーのどちらをとる、と聞かれたら、まちがえなく(築地場内の「豊ちゃん」の)かつカレーをとる、というでしょうね。これも950円ですけど。

食べ物の好みというのは、体調とかその日の気分によって変わるものですけど、不思議なくらい、値段にまったく比例しない、というのがおもしろいところです。高い金出せば、毎日美味いものが確約される、というのが真だとしたら、ほんとに世の中はつまらなくなってしまいますが、実際の世の中はまるでそうでないからおもしろい、と思うんです。








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飯田和敏氏へ(私信)

ネットで見かけたんですけど、飯田和敏さん、去年、大学で講師やってたんですか?
その授業聞きたかったなぁ。専門学校では中途半端な講師がゲームの授業やってること多いらしいからね。ゲーム論って難しいですよ、はっきりいって。できる人材はなかなかいないと思います。
あいかわらずNine Inch Nailsのシャツ着て授業やってたんですか?

ネットの情報で拝見する限り「授業中に学生が寝てた」ことにブチ切れて授業を打ち切ったとありますが、これは本当なんですか? 笑  授業をボイコットと いう文字が使われている記述もありましたけど、類推するに、いわゆる「ボイコット」とはちょっと意味あいが違うみたいにも思えますが、真実のほどはどうい うところなんですか?

公私ともにいろいろと破天荒なことが起きるのが飯田氏の人生の特徴で、ご本人からそういう話を直接聞くのがボクのこの上ない楽しみでした。僕がめげてた時に、ずいぶんとなぐさめてもらったこともあります。そういうところが彼のこの上ない魅力なんですけれど、残念なことに、ここ数年会ってません。


携帯に電話したら「この番号は現在つかわれておりません」となったし、どうせメアドも使われてないだろうし連絡のとりようがありませんよー、飯田さん!!

飯田氏は、とても心やしさい人で、離婚する時も、幼い息子さんのことをずいぶんと心配していましたね。ふたりで最後の旅行する、という時に、JALの優待割引券(!)をカンパしたっけな。
ふだんは無口で、自己表現が下手で、シャイで、そしてこの上なく苦労を背負い込む星の下に生まれた人、それが飯田和敏という人物です。たぶん。 「授業中に生徒が寝ていた」ということくらいで飯田氏がブチキレたっていうのが本当だとしたら、だからとても笑えますね。ガンコおじさんになったということでしょうかね。あるいは、その生徒さんと一悶着あったということかな? いや、いずれにしても、この話、おかしいですね(淀川長治調)。

飯田サン、とにもかくにも一本電話ください。僕の電話番号は、かわってません。オフィスは引っ越しましたけど。

で、最近の近況と、そして本件の顛末を、ぜひ、対談などで聞かせてください。

斎藤より




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いまいち好きになれないコンビ漫才の理由

出かけずにテレビ番組はずっとお笑い番組ばかりを見ていた今年の正月休み、娘が芸人情報にくわしいおかげで、いろいろな意味で楽しめました。

「笑える理由」って何だろう?と考えた人は多いと思いますが、ボクもそこがまだよくわらない。論理的に解明できた人なんてこの世にいない分野だと思いますけれど、わからないなりに、年末年始のお笑い番組を「所属事務所の傾向」として俯瞰するのがおもしろかったという話。

で、面白い芸人の共通点はなにか、となりますが、セリフそのものが面白いかとなると、実はそうでもないことに気付く。
前回の「間」の話と関係が多少あるんですが、おもろい芸人さんは、そのあとの「どうする?」という「間」のあと、のもっていきかたがすごく巧(うま)い。
そもそも笑いの根底にあるものって、「あるある」みたいな「共感」ないしは「え?そっちいくかよ!?」みたいなその裏返しではないかと個人的に思うわけです。で、この「間」の長さの取り方で、観客の意識の代弁や、逆に意表をつくようなひっくりかえしが表現されてると思うのです。

ダウンタウンの松っちゃんのように、自らが落としどころのないヤバい墓穴をつくって、間でそれを表現するという、実に高度でギリギリの事を仕掛けてくる芸人 もいる。(どちらかというと通ウケ気味な、この独特のギリギリ感を集めたのが「してはいけない24時間シリーズ」のリアクションで、逆にそれらを排除したのが「す べらない話」だと思ってみてます。最近すべることも多々あるみたいですけど。)
正月番組をみていると、吉本系の人は、そのあたりがけっこう徹底されている印象があるのだけれど、一般的なタレント系事務所の芸人たちはどうもバラツキが大きい。

正月に出演している人気芸人の中でたった一組、どうしても面白さがわからないコンビがいるとしたら、それはナイツというコンビ。
ひ とりがひたすらボケて、もうひとりはそれを拾っては突っ込むんだけど、突っ込みに耳を貸さず、我が道を行くといわんばかりにひたすらマシンガンのようにボ ケを連発する、というタイプの漫才。リアクションもないから「ああ、なるほどね、ははは」とオチない。「なんでこの人ボケ続けてるんだろ?」という疑問だ けがのこる・・。

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むかし、会社の運営で悩んでいた時、先輩社長からこう指摘されたことがあります。
「斎藤君さ、(社員から会社の運営に関して質問された時に)、君は即座に答え過ぎだ」と。「たしかに論理的で、かつ要領を得ているのかもしれないが、話し方がプロっぽ過ぎて説得力がまるでないよ。すこしは社員と一緒に考えるフリをしなさい」と。
「ああいえば即座に答える」型で答えていたのでは、「情報」は得られても「共感」がえられない、ということと理解しています。10年以上前の事ですけど、いまだに頭から離れない一言です。

さて漫才の話に戻りますと、笑いのネタは誰にもひとつやふたつ経験がありそうな失敗談。
突っ 込みによってボケてる意味が観客にわかるまでのぎりぎりの時間が「間」だとすれば、その取り方が「共感」のための時間なんだと思うんだな。ボケてる側の方 が人気が出る理由も、この「共感」だと思います。ネタセリフの連発だけで、突っ込まれてもまるでうろたえることのないボケ役は、まるで人間性とかが伝わっ てこない、だだの「変な人」となってしまう。ナイツの漫才を見てて、ボケ役の人(はなわの弟さん)は、「きっと頭がいいんだろうな」とは思うけど、実はど んな人柄なのか、ぜんぜんわからない。結果、わらえないし、興味がわかない、そういうことなんだろうと思います。

ま、これは私見でして、もっとちがった楽しみ方が多々あるんでしょうけども。

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会話の「間(ま)」にかけるコスト

Skypeが普及したおかげで、国際電話をする人が激減した昨今、久々に長い国際電話をしました。

某国某メーカーの人らしいんですが、会った事もない初めて話す相手。もらってたメールの意味が不明で、これではらちがあかないから電話したのだけど、通話がはじまって30分をすぎたあたりから、「しまった」と思いはじめた。1時間を過ぎたあたりには相手の用件でバカ高い国際電話をしている自分が愚かにすら思えて来た。相手の意図がおおかた確認できたのでよかったという点ではよかったんだろうけどね。

ま、開発前の製品に関しては奥歯にモノのはさまった言い方しかできないわけですが、それにしても、「なんでメールでは相手の意図が確認できず、電話だとそれができたんだろう?」なんていう、ま、どうでもいいようなことを電話を切ってからしばらく考えたわけ。

で、電話で話してはじめて、その会話の「間合い」から本件が、この「奥歯にモノのはさまった言い方である」ことがわかったという話なわけです。「こっちのことははっきりいえないけど、あんたのことはいろいろと教えてほしいんだよ」という、実に不可解な質問をしている、という事実がね。

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無音状態だと録音が停止するレコーダーってのがあります。音に反応し録音を即座に再開する。
この手のレコーダーでの録音は、ですからセリフが数珠つなぎのようにつながっている。これが、画像圧縮や音声圧縮の基本原理でもあります。

さてこういうレコーダーで録音したものは、再生しても、いまひとつニュアンスがつかめない。質問に対して即答する「わかった」と、10秒間あけてから返事する「わかった」では、その意味がまるでちがうわけですからね。
人間は、この<空白>の意味を意味に変換する高度な頭脳を誰でも持っています。

警察無線のような半二重(両者が同時に話せない通話をこういいます)の音声通信は、「了解しました。どうぞ」(間) 「よろしくおねがいします」(間)といったように、この(間)が日常会話とは異なる不自然さを発生させます。どこまで理解してくれているのか、よくわからない。人間同士の会話で「間」というのは想像以上に大事です。


国際電話の話にもどりますが、話者が話をしていようが、黙っていようが、電話というのは回線を占有するわけで、だから料金がバカ高い。相手の吐息とか間、回答に悩んでいる時間、といった「情報でない情報」を割愛しないためのコストが、「国際電話」の価格とチャット系の違い、ということみたいです。

その点で、このうざくて長い国際電話は、もしかしたらかけた甲斐があったのかもしれない、という話です。

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来年移転します

来年そうそうに、ビバリウムは西麻布へ移転します。
今年のクリスマスカードは、現住所のままお送りしましたけど、来年早々に住所変更のご連絡をお出しすることになると思います。
今回は、借金して老舗の料亭の建物をそのまま買い取りまして、値段は10億円程度でしたけど(←大ウソ そんな大金どこにあるんじゃい!!)、いませっせとTさんが内装をやってくれています。これいわゆる「自社ビル」ってことになるんですかね? 実のところそんなたいそうなものじゃないんですけどね。エレベーター付きの一戸建といったほうがいいんじゃないでしょうか。ま、家賃がかからなくなりますから、この不景気をサバイバルするにはそれもいいのではないか、ということになりました。

この料亭のビル、実におもしろい構造をしていまして、中でも厨房空間がやけにでかい。タイルとステンレスと排水加工の床で囲われたこの空間をどうしたものか?と考えていたのがこの秋のことなのですけれど、「実験室にしよう」ということになりました。こわすという案もあったのですが、よくよく考えるともったいない。
普通のオフィスビルって、床に水を流したり、火を使うことができません。ですが、この空間はできる構造になっている。だったら、「実験室しかないだろ?」と内装デザインのT氏にいうと「まじすか?」という返事。「まじす」と答えると「なるほど・・・(15秒の無言)、たしかに、それは大ありですね」となりまして。

Tさんはシーマン2のパッケージ系のデザインをお願いしたデザイナーでもありますが、最近はあちこちのいけてるレストランやカフェを手がける工務店(?)でもある。そのデザインの遊び心が、普通の工務店とはちがって、なかなかよいのです。

ガスも水道もがきているし、高価そうな流し台もあるし、床には排水設備まである。写真の現像やら、ジェットエンジンの点火テストやら、オブジェの制作やら、料理やら、自宅ではできないいろいろな実験をするのに、この「厨房空間」ってのは、実に好都合でして、この新オフィスのひとつの目玉なのであります。

それ以外にも、いろいろとユニークな工夫が凝らされた空間が、ぼちぼち完成しつつあるのですが、これが実に楽しみなのであります。

頭痛の種だったのが、「窓がない」ということ。そのおかげで、このビル内はとにかく暗かった。老舗の料亭にはその方がいいんでしょうが、でも今回はオフィスですからね。で、一階二階三階の壁をぜんぶ、窓のためにぶち抜きまして、そのおかげでずいぶんと明るくなりました。やっぱ、仕事場は、風、と、光がはいってこないといけません。

さて、表記上この建物に「屋号(ビル名)」なるものをつける必要が出てきまして、考えてんですけど、何がいいんだろう? ビバリウムのビルだから「ビバリービルズ」ってのはどう? と思ってんですけど、周囲の反応はいま三です。コテコテですからね。綴りもぜんぜん違いますしね。ビルの屋号をウケだけできめるな、といわれました。

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ここのところ、セリフ原稿の仕上げ作業をひとりでやっています。なんだかたくさんのマンパワーをかけてきたのに、最後は結局一人か・・。一人になってしまったので、泣きながらやってます。季節がら、徹夜がなかなかこたえるのです。1mgにしたせいで、タバコの量も増えそのせいでからだもだるい。社長ってのは、仕事しても誰もほめてくれないからつまんないのです。

そんなこんなで、こちらのブログの更新も滞り気味ではありますが、そのうちにこのビバリービルズ(暫定名)の「テーマパーク」風内観は、写真入りで紹介しますのでお楽しみに。

P.S
新タイトルに関するお問い合わせですけど、これがおこたえできないんだな。契約しばりの関係で。
ご推測いただくしか、ない。ごめんなさい。がんばってるよ、すごく。

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僕といつも一緒にいる人

忘年会、クリスマスパーティーなどのシーズンです。
こういう時期は、ふだん会わない、いろいろな人と会うわけです。
で、帰宅して自分の部屋に戻ると、とつぜん一人になる。
この「一人」というのは、僕なわけですけど、この「さいとう」という人と僕は何十年間にもわたり寝食をともにきた。このだんごっ鼻も、特徴の太めのまゆげとも、何十年間をともにして来た。あまり好きではないこの肉体に、いつのまにかシンパシーをもっています。この「さいとう」という肉体にいちばんメリットが多くなるように日々の選択肢を生きている。この話のキモは「この肉体に」というのがミソで、カネも、美味い食事も、快適な睡眠も、居心地のいいグリーン車も・・ぜんぶ、「この肉体」を基準にしているところがある。

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最近の携帯電話は、SIMMカードを入れ替えると、いきなり他人の電話になってしまう。形もデザインもそれまで僕が所有していたものと同じですが、他人の電話番号を持ち、そのアドレス宛のメールをダウンロードしはじめる。愛用していた電話機が、いきなり他人のために働き始める姿をみていると、なぜだが嫉妬にも似た、切ない気持ちになってくる。そんな経験ないですか? 愛用していた何かを手放した時とか。
きっとこれって、長年つれそった妻や恋人が他人のものになった姿を見た時の気持ち、かもしれません。

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整形手術をして自分の顔がすこし変わったくらいでは、このシンパシーは揺らがないのでしょうが、からっきし違う肉体になったらどうなんだろうか? たとえば僕がある日、北川景子(の肉体)に移り住んでしまったとしたら・・。
肉体が違うから、タバコも焼酎といった刺激物は美味しく感じないかもしれない。そのうちきれいなワンピースを着てみたいと思うだろうし、チヤホヤされるうちにいつしか、若いイケメン男に恋するのかもしれない・。それって「女」そのものではないか・・。

むかしから人は「内面を磨け」とはいうけれど、実は内面ってのは実は外からつくられるのではないだろううか? オオカミ少年みたいに、ジャングルでたった一人で生活していたら、見栄もなければみかけも関係ないわけで、欲しいものもずいぶんと違うものになってくるんでしょうからね。


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携帯電話のSIMMカードみたいに、エッセンスだけを残して知人の肉体と入れ替わってしまうことが可能となったら、そもそも肉体なんてものは、携帯電話機の筐体くらいの価値しかもたないのかもしれませんね。人間社会は人間の肉体にいちばんの重きをおくように作られて来たけれど、そんな法律はすべて意味をなさなくなるでしょうし。

そんなことを最近考えてしまうのは、おそらくこれは肉体的な老化現象のひとつではないかと思うのですが、それはひとえに「いつしかこの肉体を脱ぎ捨てる日が来る」という予感から来ているのだと思います。
で、その晩、気がついたらその知人の肉体で時間を過ごしていて、次のパーティーでかつての自分の肉体をみたとき、「こんなに太らせやがって」と、人に貸した自分の車を見る時のように、かなり客観的に感じるんでしょうかね。

僕が、いやあなたがいま欲しいとおもっているもの、それは車であったり、家や不動産、服や時計であったりですけど・・・それらすべて、こういう「肉体交換」という欲望の疑似実現ではないでしょうかね。人間というのはそうやって、外部から固めて、自分というものをつくっているんではないでしょうかね? 

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命ある肉体に刃物をいれる


娘が高校の生物の授業で、「解剖」をすることになったそうですが、肝心の「動物」を納入している業者にいわせると、今年はカエルの冬眠が早いそうな。なので、カエルが実験に必要な数集まらず、その結果、解剖の授業は急遽「ハツカネズミの解剖」となったそうな。

娘の報告によると、白いハツカネズミというのは、目はうさぎのように赤い。ところが解剖が進むにつれて、眠ったままネズミは死んでゆく。それにつれて、この赤く透き通った目が、だんだんと白濁してゆくんだそうです。
最近の多くの子どもたちは「ハムスター」を飼った経験が多いことも手伝ってか(うちの娘もその一人ですが)、生徒たちは「泣きながら」の解剖授業となったという話。

この手の話は、細かく書くと「残酷だな」とか「かわいそう」とか「きもちわるい」ということになる話ですけど、敢えてその先まで書くと、解剖の最後には、ネズミの頭蓋骨だけをとりだし、それを硝酸にいれる。硝酸によって頭蓋骨が解けると脳を傷つけることなく取り出す事ができるんだそうで、それを標本にして考察するそうです。女子高生の授業にしてはかなりリアルで、かつ手を汚す体験です。

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僕の同級生は医者になった者も少なくないのですが、彼らにいわせると、手術メスを握って死体の解剖実習している初期の医学生の時期は、食欲がめっきりなくなるそうです。中でもとりわけ「スパゲティー」が食べられなくなるらしい。が、いつしかそれにも慣れ、そうこうしているうちに、いっぱしの医者になると、スパゲッティーを見ても何も感じなくなる。感覚が麻痺する、と一般人がいうのはたやすいけれど、僕たちがもっているものをひとつ犠牲にして仕事をしているという点で、これはすごくありがたいことなんだろうな。

僕の兄は、医者ではなく歯科医ですが、口腔外科ですので、頭蓋骨に囲まれた独特の部位を手術するのが仕事。僕自身、歯の根が腐った時、この兄に処置されたことがあるんですが、歯ぐきをひっぺがし、頭蓋骨と顎の間の部分を開くので、のみととんかち(のようなもの)でがんがんとやられたわけ。このときの恐怖はいまだに夢に出てくるほどですけど、自分自身のことですから、記憶に幸か不幸か映像がまるでない。しかし医者である兄は、自分の弟が血を噴き出させて「うわー」と叫ぶ中、そ口腔部の頭蓋骨を開くわけですから、まっとうな神経でやっていたら手術にならない。ま、図太さがないとやってられない仕事なわけです。

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はなしは突然かわるけれど、「すいざんまい」で寿司をたべていると、時々ちりんちりんという鐘の音がして、「みなさぁん、いまから、石鯛をさばきまぁす」というかけごえとともに、水槽からいきのいいのを取り出してさばくイベントがある。
カウンター席でその様をみていると、こういう「解剖」とか「手術」と似たようなシーンが繰り広げられるわけ。ピンピンと飛び跳ねる石鯛の頭を、まな板の上に押さえつけ、頭をハンマーで一発どかんと叩く。失神している鯛の後頭部の局所に板さんはすかさず細身の包丁をずはりといれ、血抜きをする。まったく動かなくなったかに見えるまな板の上の鯛は、しっぽだけが条件反射でときどきぴくり、とする。あっけに取られている客を尻目に、あれよあれよという間に形ある生命がたんなる肉体だけになり、その直後は切り身と骨だけになる。そのまま皿に乗せられ、そのひとつを箸で口に運ぶことを待っている人間たちがカウンターに並んでいる・・。

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医者は「生かす」という大義が、そして板さんは「食する」という大義が、それぞれあって生命ある肉体に刃物をいれます。その間にいる僕らはというと、何も考えずに、日々をのうのうと生きている。で、「うわー残酷だぁ」とかいいながら、ビールを片手にそれらを食ってる。こういう僕らがいちばん命を知らない人種なんでしょうね。医者も、板さんも(それ以外の食材を手がける人も)、ぼくらのようなただの人間を生かすために、自分の手を汚し、命を向き合っているわけで・・・。

解剖実験を通じて、17歳の娘がそういう人たちに、そして動物たちに対して感謝の念をもってくれればいい、と口にするのは簡単ですけれどね。親である僕たち自身だって、そういうことの本当の意味をからきし理解できていないんでしょうね。人間社会は役割分担でできてますから。それこそが、なまぬるい「平和ぼけ」ってやつなんでしょうね、たぶん。

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CDショップが見当たらなかった週末

柳沢慎吾の新作CDが欲しくて、都内のあちこちの大手CDショップに電話したけど、どこにもない。ま、今はやりの、というわけではないですからね・・。Amazonだと数日かかる、との表示。ならば、と車で都内あちこちを走ってショップをしらみつぶしにまわろう、ということになり、妻とまわったのですが・・・CDショップ(レコード屋というのは古い?)、本当にすくなくなりました!!あらためて痛感なのです。昔は商店街にひとつかふたつところどころにありましたよね。・・。いまはTSUTAYAが、でんと鎮座している風景しかみあたらないのでありまして・・・。
「いっそ、iTune Storeを検索したほうが早いんじゃ」という声もあるのですが、なにせこの商品、付属のDVDが目玉なもんで・・。
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柳沢慎吾のCDってなんだ?という話ですれど、これ、ちまたでいまちょっと話題の「効果音まで完全一人芝居もの」でして、先週12/2に発売されたのは氏の真骨頂の「刑事モノ」なのであります。まだ手に入れていないのでこまかいところまではわからないが、要するに動機としては「カーステ搭載しておきたいCDナンバー1」といったところでしょうかね。

運転中に「爆笑したい」のであります、最近。

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エレキギターの都市伝説

1950年代に製造されたギブソン・レスポールの初期モデル(=オールド)は、程度のいいものだと2000万円から3000万円ほどするわけで、ヴァイオリンでいうとストラディバリウスみたいな存在です。

この価格の根拠が「その希少価値」ということであれば、「ま、なんとなくそんなものか」、と思えますし、「木のトラ目が美しいと価値が高い」というのもわかる。が、それ以上に「その時代のギターは音が乾いていてこの上なくいいのだ」となるとね、電気楽器なだけに「いまの最新技術ではもう作れないの?」と思えもするわけで、僕もその一人だったりします。

「ちがうんだよ、木が違うんだ、使われている木がね」
そう答える諸先輩たちの気持ちもわかるのだけれど、そもそもエレキギターの仕組みに「木」がどう関係するんだよ?となると、その論点は曖昧になってしまう。

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フレミング右手の法則ってのがあって(左手ってのもありますが)地場に張られた金属線がゆれるとコイルに微弱電流が発生します。これがピックアップ。その電流を増幅し(アンプ)、センサー部と同じ構造をした機器(スピーカーコーン)に逆に流してやると、音が再生されるという、考えようによっちゃかなり謎の多い自然界の仕組みが、いわゆる音の採取と再生技術の基礎です。エレキギターもしかり。ま、ここまではいいとして、この「フレミング右手の法則」に、「周囲の木がどう影響するんだよ!?」ってあたりが、本ミステリーの本質なんですよ。
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50年代後期に彗星のごとく出現した「エレキギター」は、20年間で劇的な進化を音楽にもたらした。ベトナム反戦運動やら公民権運動、あるいはヒッピームーブメントなどを背景に、「エレキサウンド」はそれまでの権威的な楽団の構成を覆し、「4人編成のバンド」という時代のテンプレートとなっていったわけです。ま、ここまでの歴史は誰でもがご存知の「サイケ時代」とか「ロック・ゼネレーション」ってやつ。

この時代に青春を過ごした世代にとって、だから、ジミーペイジやら、ジミヘンやら、ジェフ・ベックやら、その他多くのギタリストが醸し出すサウンドが神格化されているのも、ま、影響されたんだからそうだろうなと納得できる。しかし、そのサウンドが、いまのギターでは出ない優れたものだ、ということになっちゃうと、「なんで出ないの?」となる。数十万人、いや、数百万人のフアンが「木が原因だ」と信じているとなると、「ほんとかよ?」とあまのじゃくな僕としては言いたくなっちゃうわけです。「それって、さもありなんな理由だけど、実は都市伝説なんじゃないの?」みたいな。

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厳密にみてゆくと、弦の振動はソリッドなボディーに伝わり、そしてネックを通じてふたたび弦の振動にフィードバックされる、したがって、ボディーは不純な音を除去し弦へと返すフィルターの役割をしている、ともいいます。
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これがどこまでの真実なのか、僕にはわからないのです。ボディーがないエレキもあれば、プラスチックのものもあるし、なんといったって先端素材技術を駆使すれば、木の個体差を補完しフィルタリングの能力の高いものだってあらわれてもよさげなはずだし。
でも、楽器屋にあるスタンダードなギターはすべていまだに「木製」なんだよな・・。木って、そこまで人類の技術をよせつけない「すごい素材」なんですかね? わからないのです。
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オヤジ世代を惹き付けてやまない、このミステリー、こんどギターメーカーの職人さんに取材にいってこようかとも思っているのですが、かくいう僕も、このミステリーを信じたいところがあるのも事実。貴重なハードメープルボディをしたギブソンの59年モデルの復刻を、なぜか引き寄せられるように一昨年買ってしまいまして・・。はたしてこの21世紀版59年モデルの音は「味がある」のか「ない」のか、どっちなんでしょうかね? それきがよくわからないまま買っている僕も僕なんですけどね・・。


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古いものには味がある、と信じたい心理ですかね?

追伸

なんか写真が表示されないぞ・・

ブログシステムのバージョンアップのせいですか?

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広告は露出されてりゃいいというもんじゃない

「そろそろ、iPhone版のダウンロードとか始まるし、DSiダウンロードももっと認知度を高めたいし、ファミ通とか一般誌に広告うちたいね」「もっと廉価なメディアはないの?」という話が最近の社内の話題なんですけど、すこしそれに関連した話。

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開発スタッフと入ったファミレスでライターを借りたら、客が忘れていった(とおぼしき)ホテルの100円ライターを貸してくれた。
ライターというのは、見も知れない土地の忘れ物が、バトンタッチリレーのように流通するもので、そのほとんどは、スナックや、クラブや、ラブホテルだったりしますけれど、今回もそのケースで、怪しげな地元のホテル名が入っていて、その名も「ザ・ホワイトハウス」。

「あれ、これ、ラプホテルのライターじゃないですか?」と一人がそのネームに気づいた。
「そりゃそうでしょ。100円ライターじゃなくてダンヒルやZIPPOのライターだったら店側も客には貸さないよ、この、人がほしがらない感じ、が大事なんだ」と僕。


そう、同じ忘れ物でも、ネーム入りの100円ライターや100円傘は、手にした人に「ま、いらねぇか」と所有権を放棄させる独特の逆引力がある。高級品にはないオーラ。人から人へと渡り鳥のように流れては、決してとどまらせる事のない安物だけが持つ感じ。これはすごい力ですよ、という話でもりあがったわけです。「なるほど、100円ライター広告ね・・」
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かつてネット代理店と「隙間広告」のブレストをしている際に、「世の中で人手から人手へいちばん渡り歩くモノはなにか、その広告権を買い上げて広告をいれられないか」という話になったことがありました。その時の結論は「ライター」でも「マッチ」でも「傘」でもなく、「お札」というオチになりました。お札に広告をいれる国はありませんけど、ある意味お札こそ資本主義社会の最後の聖地、税収確保のために都バスのように民間広告が広告が入るのも、もしかしたら時間の問題かもしれない・・という意見も、若手の代理店ならではのうさんくささだけど、なんとなくうなづけなくもない。

たしかに、電話番号と名前が走り書きされているお札を見ると、無性に電話してみたくなる衝動に駆られることがあります。お札広告の効果はたしかに知りたいところです。1000万円でも3000万円でも、現金を借りてきて、そのお札にひとつひとつ手書きで、広告をいれ、銀行に預ける。たとえば、「浅草で宿泊するならXXXホテル 03-3XXX-XXXX」などと広告したいコピーを油性マジックで走り書きし、かかってくる電話の数を調べる、とかね。ま、固い話をすれば、お札に手を加えるのは改造したら犯罪ですけれどね。でもその効果は興味深い。
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こういう話になったとき、「この某湘南地方のホテルのライターに、GPSを仕込んでその分布をサイトでみれたら面白いな・・」、という話を開発スタッフがし始めたわけですが、ちょうど絶滅の危機に瀕したイリオモテヤマネコにするように、ひとつのものが以外な場所へバトンリレーされていく状況を追跡できるサイトが本当にあったら、かなりおもしろいサイトといえるかもしれません。
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これまでの人生で、あちこちで見かける謎の広告看板を三つあげろ、といわれたら、

一位 「新堀ギター」の手書きの看板

二位「人類が平和でありますように」の白い看板

三位 「桐タンス」と書かれたバス停にあるベンチ(東京ONLY?)

ではないかと思うのです。

この三つの看板は、人生で何回見かけた事か・・。だけど、よく考えてみると、何十年間も謎のままの広告ということはつまり広告効果としてはかなり疑問符なわけ。

そういう目で僕の手元にある黒いライターに目をやると、名古屋市内の番号とスナックの店名がかかれてる。たしかに、だからといって、名古屋に出張したときに、ここに書かれている「楊貴妃」というスナックに電話するか、となると、それはまちがえなくない。同様に、街角で配られるティッシュも、路上のビラも、麻布十番祭りのウチワも、電話した事、ないですし、広告メディアには、「お札」のように、出元の正体というか、安心感のようなものが必要ということなんですね。

おい、だめじゃん。

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お辞儀という表現

オバマ大統領が来日し天皇陛下に表敬訪問した際、お辞儀をしたことがアメリカ国内のマスコミで批判されているというニュース。このニュースは、日本のバラエティー番組だけでも数回取り上げられていたので見た人も多いと思います。

番組によると、多くの日本人はこのオバマ氏の行動を好意的にとらえているようですが、アメリカメディアは「アメリカ合衆国が相手国よりも下であるかのような態度をとることはけしからん」という指摘をしているというもの。
英語でBOW(お辞儀)は、「相手に屈服した」という屈辱的な意味が強いという説明も併せて報道されてました。でもこれってちょうど、「アメリカ人は、人の名を"さん"づけでは呼ばない無礼な乱暴者だ」と決めつけるのが愚かである事と似ていて、相手の尺でみるか、自分の尺でみるか、によってその意味合いがまるでちがってくるというきわめて初歩的な文化論なわけです。
「日本ではお辞儀をしっかりとできる人はとても尊敬される」という(彼らの「屈辱」とはま逆ですが)美意識を知っていれば、大人たる米国の一流メディアがどうこう議論すべき話ではないわけですけど(その証拠に、多くの日本人は、オバマ氏は日本に屈服したなどとはとらえていないわけですし・・)、アメリカは、それくらい自分中心なものの見方をしてしまう国だということを改めて知った次第です。それがすごく残念に思えた。ま、このメデイアの報道が米国市民の総意を代表しているととらえるのもどうかと思いますけども。

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ゼルダの伝説の、たしか「時のオカリナ」だっと思いますが、最後のシーンで村人たちが「お世話になりました」みたいな台詞とともに、主人公(リンク)にぺこりとお辞儀をするシーンがあったことを鮮明に記憶しています。
「このシーン、海外版では、どうアレンジされるんだろうか? たぶんそのままかな?」なんてことを思ったので記憶しているんですけど、この「ぺこり」とお辞儀をするという行為が海外でも普及するといいな、なんてことを思った事もあわせて記憶しております。映画も音楽も小説もなかなか世界に出て行けない国ですけど、ゲーム作品を通じて「日本的表現」が世界の子供たちの間で広まったらすてきだな、なんてね。海外の、ことハリウッド映画に出てくる日本人は、とても奇異な風習としてお辞儀をしている姿ばかり描かれてますけど、この「お辞儀」ってビギナーではかっこよくきまらない、なかなか奥の深い風習です。僕も、40代にはいってようやく上手にできるようになってきた気がするわけで、だからなおさら、このまま失われてほしくないと思うおくゆかしい文化だと思うのです。

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お辞儀をかっこよくする欧米人と聞いて真っ先に思い出すのは、ビートルズです。
彼らは、一曲演奏しわるといちいち、スーツ姿で四人そろってお辞儀をする「礼儀正しい」バンドでした。彼らは大英帝国の人ですけど、あのお辞儀の意味が果たしてどういう意味合いがあったのか、それは日本人が受け取る印象とは実はまったく違うニュアンスがあったのか?アメリカ人は彼らのライブ演奏を見て、このお辞儀をどう理解していたんだろう?

エスキモーの言葉に「雪」を意味する言葉がたくさんあるように、僕ら日本人はお辞儀の仕方でいろいろな意味を感じ取る事ができる文化をもっています。
この「お辞儀」という感情表現が、アメリカ人のハイタッチみたいに世界に普及して、そのうちに「日本人は世界でもっともお辞儀の上手な民族」なんていわれ方、されてみたいんだな。

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Leica M9での撮影写真サンプル<周辺光量落ち編>

今日、日曜日は朝は曇り気味だったけど、そのうち晴れそうだと踏んで、葉山-鎌倉-自宅近辺へとぐるりとドライブに行ってきました。
M9と、数本のレンズで、適当に写真を撮って来たんだけど、そのうち周辺光量落ちの現象が比較的わかりやすい写真を紹介することにします。おもしろみのない写真ばかりでごめんなさい。

(さらにはクリックしても拡大できないものばかりで恐縮です。近いうちに善処しますんで)

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▽▽▽▽Elmarit 28mmF2.8ASPH開放での撮影サンプル(IRフィルター装着 WBオート)▽▽▽▽


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▲近隣のスーパーの花屋店頭


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▲ただの消火栓(!)

▽▽▽▽Elmari 24mm F2.8 ASPH開放での撮影サンプル(IRフィルター装着WBオート)▽▽▽▽


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▲海の近くの分譲地

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▲海の近くのしらす屋さん

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▲そのモノクロ版


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▲海の近くの犬くん@昼寝中


▽▽▽▽Voigtlander Nokton classic 40mm F1.4 開放(たぶん) WBオート▽▽▽▽

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▲鎌倉鶴岡八幡宮近くの喫茶店ショーケース


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▲人力車のおにいさん


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▲古本屋さんはなぜか心が和むので。


ま、要するに、CCDが大きくなったせいで、光量落ちは多々ある、ということのようですね。
40mmでも出てます。 デジタルになると「広角の定義」が変わってくるということなのだろうか? いわゆる「広角ではないレンズ」であってもデジタルだと開放あたりでは「ふつう」な範囲となってくるんでしょうか? フルサイズに詳しい方、いかがなんでしょうか。ご意見をください!!

それから前回に書いたSDカードの不具合は、その後不思議なことに発生していません。
ただし、パッテリーを抜いてリセットしないと動作しなくなる誤作動は時々発生してます。
具体的にいうと、レンズキャップをしたままシャッターを押してしまい、長時間露光になってしまったときなど、M8などでは僕はスイッチをいったん切って、また入れて動作させていたんですね。それが、M9では偶感底部を開けてバッテリーを抜き差ししないと動作しないようです。

つづく

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Tower for iPhoneが

要するに、このブログは個人的なブログですから、仕事関連の話しは書きたくてもなかなか書けない宿命にあります。ことゲームの企画者という仕事なんてのは、現在進行形のはなしをそうそう書くわけにもいかないわけでして、シーマンDSはどうなってんだ!?なんてコメントもいただいているわりにRESもつけられていないわけでして・・。そのあたり皆さんご理解いただいているようでして。いまのところ平和なブログとしてやらせていただいているわけです。

ま、そんな中、パブリッシャが自社系の場合に限ってのみ、すこしばかりご報告できることがあるわけですけれど。そのひとつに、ずいぶんと以前から問い合わせをいただいているTower for iPhoneがあります。今日いえることは、それが動くようになってきた、という話しなのでありましてそのことを書かせて頂きます。

プログラマーはTさん、そして肩書きは特別何というわけではないですけれど、Sugiさんにもいろいろいと奔走いただきました。ありがとうね!! 今日の僕はとてもハッピーなのです。

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いま、ワンコイン・タワーということで、DSiウェアで、ザ・タワーのダウンロードが好評ですけれど、そしてニ画面ならではのゲーム性はかなりあるとおもいますけれど、DSからDSiへの移植は実は大変でした。いろいろと不整合と戦ってくれたRのYさん、相当苦労してくれてましたね。ありがとう。DSiウェアが16色なのに対しiPhone版は、256色というオリジナルモード搭載といい、サウンドといい、なにからなにまですべてPC版の再現なので個人的に愛着があるのです。むろんDSiウェア版は、複数のシナリオがあったり、マイクを駆使したり、ゲーム内にマリオ(!)が登場したりと、任天堂さんとのコラボがベースになったバージョンですけど、やはりMac出身の人間としては個人的な嗜好でいうと、この単品シナリオのオリジナル版がなにより可愛いわけです。
正直にいいますと、ソースコードがいまから十数年前のWIndows版(=mac版)1.3Jをベースとしてま移植したものです。だから、ま、オリジナルの「ザ・タワー」のバージョンといえるでしょうね。昔をご存知の方は、すこし懐かしがって楽しんで頂けるのではないでしょうか。iPhoneアプリはビジネスにならないという話しをききますけれど、ま、そんなことは今日はどうでもいいのです。

今回のプログラマーのTさんはいろいろと苦労されたことと思いますし、あと弊社の開発責任者のS氏にもいろいろと面倒をみていただき、この場を借りて御礼をいわせてください。


しかしまだ、アップルの承認を得ていませんし(GABOでは否認されたという過去があり、弊社の関係者にとってiAppは鬼門ですけど)それ以外にもいろいろいとハードルがあると思いますが、それらが解決すれば、DigiToysから最初のiAppがいよいよリリースという話しになるわけです。そのあたりは保証もないので、正式なことが決まればデジトイズのサイトなどて広報がされることと思います。いまはとりいそぎ、よろしくということでの報告になります。
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思いかえせば、ザ・タワーというのは自分の人生のマイルストン的な作品でした。最初のMac版のプログラマーはAさん。この人がいなかったらtowerはなかったと思います。いまはどこでどうしてされているのでしょうか? そしてシムシティーの続編として、初のライセンスものSimシリーズとしてMAXISが発売してくれたPC版/Mac版もあわせて、ちょっとした社会現象となりました。僕自身もあの頃は今とちがい、一つの作品づくりに多大な時間を割くことができて、本当にたのしかった思い出なのであります。
Windows版の移植を一手に引き受けてくれたK09さんは、そもそも最初のバージョンが出た時にマックライフのインタビュアーとして出会ったのですけど、そのままDOS3.1版のメインプログラマーとなってもらったという不思議なご縁でした。近々にまた一緒に仕事をすることになりそうです。不思議な縁です。

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ということで、正式発表ではないのですけれど、ま、Tower for iPhone、なんとか日本語版だけでもクリスマス前にリリースしたいと思っています。間に合うといいなぁ。関係者の皆々様がた、よろしくおねがいいたしますね。


新オフイスの内装お願いしていますATさんも買ってね!


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なんだかとても気持ちのいいできごと

路上でタクシー待ちをしていたら、突然、川上に別の人が現れて、タクシーを横取りされてしまった、という経験はありますか? 無配慮なそういう他人に遭遇した日というのは一日気分が悪いものです。

さてその日、なかなかタクシーがこないのでいらいらしていた僕の前に突然現れたのが写真の人物。いでたちから推するに、どこかよその土地からきた人にも思われます。
やや川下にいる僕がずっとタクシー待ちしていることを知ってか知らずか、どんどんと中央にせり出てきて僕の陣地を侵蝕してくるわけ。そうなってくると、風貌からもっている土産袋にいたるまで、なにからなにまでがあつかましく見えてくる。
「こんな自己中なやつにまんまと取られたらたまったもんじゃないぜ」と手元のiPhoneで取ったのがこの怒りの一枚というわけです。

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さてそうこうするうちに、あれだけ待って来なかったタクシーが一台、そこにまんまとかってきた。そしてちょうどカレと僕の間に停車したのです。


そういう段になって、我れ先にと強引に乗り込めないのが東京モンの見栄っぱりなところでして、それでいてあとでぐちょぐちょと愚痴をいうのも東京もんならではの女々しいところ。強引に乗ろうか、格好つけてどうぞといわんばかりに譲るか、軽いパニックのように判断しかねているうちに、タクシーは完全停止しドアが開いた。そしてその次の瞬間カレと僕の目が合ったのであります。

火花が散るか、というくらいに思っていた僕を見て、ほんの一刹那をいれこのカレが口にした意外な一言、それは
「あ、どうぞ」という四文字の言葉でした。

カレのその四文字の言葉は、おそらく北関東弁なまりだったと思うのですが、すこし照れくさそうに、滑舌もあまり良くなく、しかし、アドレナリンに溢れた僕にはまるで鈴の音のように、あるいは一抹の清涼剤のように耳に転がり込んできたわけです。

うろたえて「あ、ありがとうございます」そう答えるのが精一杯でしたね、僕は。
なんだかとても恥ずかしい気持ちになりながら、そそくさとタクシーの中に乗り込んだのでありました。
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とまあ、それだけの話しなんですけれど、わずかほん一分くらいの出来事でした。

先入観というのは恐いものです。もし僕が場所移動などして、そのままになっていたら、この人は僕の記憶の中では永遠に「あつかましさの権化」となり、この写真は酒の席などで知人たちと悪口の餌食になっていたでしょう。(そのネタにしてやろうという気持ちで撮ったのですから)
しかしこの一枚、なぜかいまとなっては自戒の一枚の証拠写真となりました。こんな写真を撮っていること自体あつかましいわけでして、さらにその写真をブログに載せるなどというのは恥の極みをさらしているようなものです。

本当に、人間というのはわからないものです。
僕は、この日の午後、とてもすがすがしい気持ちでした。
そして、いまこのブログを書いている今も、懺悔しているような気持ちとでもいいましょうか、この人の四文字のおかげですこしさわやかな気持ちになるのです。

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ライカM9使用開始のご報告

結果的には、量販店の方が入荷が早かったということでしょうね。というのもライカショップさんから「ようやく」といった感じの入荷連絡をもらった前日に、量販店から商品がすでに届いていたという事実が発覚。なもんだから予想を裏切って、(ポイント換算いれて)10万円の価格差をも回避できてしまったというわけ。なのでライカショップさんの入荷分は辞退する次第となりました。
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ということで、昨日あたりからそそくさと使い始めたM9ですが、これがなんとも不安定なのであります。ネットでは色収差のことが取りざたされておりますけれど、それ以前の問題として、SDを突然認識しなくなる。あるいは「データ転送中」みたいなメッセージが出てシャッターがまったく切れなくなる現象が多発。SDの転送スピードを選ぶのかしら? まだ絶対時間が短すぎて現象発生の規則性をまったく特定でききれていませんが、不可思議な状況が多々うまれております。SDカードをフォーマットできない、とか、撮った写真が保存されていないという現象もありまして、どこかのサイトに書いてありましたけど、これがCanonやNikonだったらどれほどの騒ぎになっていることやら・・・。M8同様、名門ライカさんはすこし出荷を急ぎ過ぎたのかもしれませんね。

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しかし僕は初期の時代からのマックユーザーです(1985年のMacintoshの時代です)。惚れた製品にはめっぽう忍耐強い。当時のマックも、日本語はろくに使えないわ、バクダンマークがしょっちゅう出てくるわ、それは大変な製品でしたけど、使っていて楽しかったんですね。会社のIBM5550とちかってマックの前に座ると元気が湧いてくる。メーカーを育てるファンとしてはけっしていいことではないのかもしれませんが、このM9も、堪忍袋の緒が保つ限り辛抱強く使ってみようと思っているのであります。

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昨日は、なもんで、35mmF2.0のSummicronとNocutilux50mmF1.0をつけて築地に、そして今日は、28mmF2.8Elmaritを装着し、娘が志望している大学の学園祭にとM9を連れて行ったのであります。

こまかな性能評価については、追って紹介するとして、まず第一印象は、「M8よりすこし不細工だぞ」です。液晶バッテリーのある左肩のあたりのフィニッシュ、ここが、ちょっとヤボッタい。もちろんこれは好き嫌いのある話しです。性能の話しでもありませんし。手にした印象として、単に、「ちょっとがっかりした」という話しです。


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▲M9


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▲M8
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フルサイズCCDについてですけど、マゼンダ被りシアン被り、より先に、周辺光量が落ちてるぞ、と思いました。しかも広角ではなくNoctilux50mmF1.0解放使用時です。

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▲Noctilux50mmF1.0解放

つづく

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夫妻と負債

今日、仕事関連で初めて知った事ですけど、夕張市ってのは巨額の負債を負って実質は破産した市なそうな。行政区が破産する、という定義の意味そのものが僕にはまだピンと来ないのだけれど、ということは、日本も破産するってことがあるんだろうか?? 

とま、それはそれとして、この夕張市は離婚率が日本で一番低いんだそうな。
で、負債と夫妻をかけて、夕張市は「いい夫妻の街」として観光事業に着手したんだというじゃないですか。さっそくネットでググってみると、「父さん」と「倒産」を、「赤字」と「まっ母さん」をかけた「夕張夫妻」というキャラクターを市は売り出し中。キャツチフレーズは「金はないけど愛はある」とのこと。

最近、地方の村おこし関連で自治体がつくるキャラクターが、実におもしろいのであります。

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なんとか症候群

人は目覚めると忘れてしまうだけで、寝ている時はいつも夢を見ている、といいますけど、ほんとうのところはどうなんでしょうかね。覚えていないながらの僕は、実はどんな夢を見ているんだろうか? 起きても覚えている夢とは何が違うのだろうか?

夢というのは、ちゃんとした名詞として存在するくらいだから、その存在は広く認知されているわけですけれど、かといって確かめる術がこれほどないものもありません。もし、夢を見る人がごく少数だったら「ほんとかよ?」ってな類いに扱われているべきものです。幽霊を見たとか、UFOをみたとか、みたいに、いや、幽霊やUFOは写真などがあったりしますが、夢はそれすら存在しないですから、もっと「たわごと的」なものになってしてもおかしくない。なのに幽霊やUFOよりも存在が市民権を持っているのは、要するに、「オレはこういうモノを見た」と言い出す人が多いおかげ。つまり、報告数、ということです。

かつてこんな経験があります。
ある日、風邪が流行りはじめた季節ですが、朝おきたら、なぜかクビがいたい。ちょうど寝違えたような痛みが2日ほどつづいたのです。寝違えるなんてこと、滅多にないのにおかしいな、とは思ったけれど、それ以外に首が痛い理由が他に見当たらないからそう思うしかない。会社にいつてその話しをしたら、「へぇ、実は僕も先週クビを寝違えたばかりですよ」と後輩がいうんです。「ちょっとした偶然だね」、とその話しは終わったのですが、それにしても奇妙な偶然といえなくもない。で、好奇心で、「最近クビ寝違えたことない?」と他の周囲の同僚に聞いてみたんですね。そうしたら、あとふたりほど、同様の者がいた。

「ははん、これはきっとウィルス感染による症状だぞ」とおもい、まだ風邪を引いていない後輩数名に、「おまえ、そのうちクビを寝違えるから気をつけろ」と無責任な未来宣告をしたら、数日後そのひとりが「寝違えました」といってくる。ビンゴ、と思うけれど、不思議そうな表情を彼らにこの根拠のない話しをどう説明したらいいものやら。

この件の真相はわからないままだけれど、実は、ちゃんど言明されていないだけで、そういうことって僕らの周囲にたくさんあるんじゃないかな。

これまで「突然死」として片付けられてきた中高年の睡眠中の死亡事故、実はそのほとんどがいわゆる「無呼吸症候群」によるものということが最近判明してきたそうです。無呼吸というのは、ようするに「いびき」、の親玉ですね。ですから最近、「いびきをかく」というのは危険な徴候と考えられるようになってきたようです。体調不良で医者にかかると「いびきはかきますか?」と聞かれるのもそのせいでしょう。

この「症候群」という言葉、英語でいうとシンドロームですが、この言葉が意味するものというのは、「原因が不明だがどうもあちこちで報告されている現象」、といった意味です。そう言い出す人が多くなり、そして専門家なんかが調査を開始し、何らかのきっかけでその原因が解明されると「病気」などに格上げ改称されるわけです。

その意味で、「夢をみる」といわれているこの現象、これはその原因なんてなかなか解明する人はいませんけれども、もしなにかの不都合と関係がみつかったら「症候群」とよばれることになる。そしてその因果関係が発見されようものなら、なにかの症状ということになる。そうなると「まずいよ、オレ、最近、よく夢を見るようになってきた」なんて事になるのかもしれない。

私たちが「なんとなく」見過ごしている、理由は不明だがごくごくあたりまえのこと、も、そこに他の事との因果関係がみつかったとたん、大きな意味を持ってくるわけです。知識とか医学とかいうものは要するに、こういう些細な観察を積み上げたものなわけですから。ま、こんなへ理屈をプログに書いていることそのものも、ただの夢戯言のひとつみたいな話しですけれど・・。